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はじめにより
杉本星子
女神の村
インド生まれのイギリス人作家ラディヤード・キップリングが、オオカミに育てられた少年マウグリの物語『ジャングル・ブック』を書いたのは一九世紀末のことである。その当時、物語の舞台であるデカン高原のうっそうとした密林は、遠く南の大平原にまで広がっていた。マウグリの母が住む村は、マドゥライの都へ向かう街道ぞいにあるようだ。この街道はデカン高原を下り、コング地方とよばれるカーヴェーリ河上流域の平原地帯を横切って南へ向かう交易路である(地図1)。コング地方の先住民であるヴェーットゥヴァ・ガウンダールは、もともと森に暮らす狩猟採集民であったと伝えられる。そこにコング・ヴェッラーラとよばれる農民の祖先たちが移住し、農地を切り開いたという。マウグリの母の村は、そうした開拓村の一つであった。
『ジャングル・ブック』には、欲にかられて仲間同士が殺しあう狩猟部族のゴンドや、迷信深くてずるい村人や祭司が登場する。村人たちは、母のもとに戻ったマウグリに呪術師の疑いをかけて村から追い出してしまう。しかし、怒った象の軍団によって畑を踏みつけにされ、家を壊され、結局、村を捨てることを余儀なくされる。キップリングは、ヒンドゥー教徒の村人を、高貴な野蛮人ともいえる主人公マウグリや密林の紳士たちともいえる仲間の動物たちとは対照的な、粗野で欲深な人びととして描いている。そこに当時の西欧社会のインド農民像がうかがわれる。しかし、実際、ジャングル・ブックに描かれているような厳しい自然や野生動物との戦いは、深い森林のなかに点在する開墾村の人びとの、つい百年ほど前の現実でもあった。今やこの地方一帯の森林は伐採されてほとんど姿を消し、ジャングル・ブックの時代の面影はない。開墾された大地には、雑穀、タバコ、コットンやサトウキビの畑、そして大規模灌漑によって開かれた広大な水田が広がっている。
コング地方の村には、マーリヤンマン女神を祀る寺院がある。マーリヤンマン女神は、暑い季節に熱病をおこす恐ろしい神である。村の人びとは、女神の力が村に災いをもたらすのではなく、村を災いから守る力として発揮されるように、聖水を奉納して女神を慰撫する儀礼をおこなう。女神寺院の祭礼には、村に住むすべてのカーストの人びとが参加する。女神の力への信仰が、さまざまなカーストの人びとを村という一つの生活世界のうちに位置づけている。キップリングが迷信にとらわれた人びととして描いた村人は、このような女神への信仰を心の支えとして、ジャングルを切り開き耕地を開拓していった農民たちであった。コング地方の農村では、今も、女神寺院を中心に村人の社会関係が構築されている。本書は、こうしたコング地方の村に暮らす農民たちの生活世界についての民族誌である。
民族誌の記述
(中略)
フィールドとの出会い
(中略)
研究のはじまり
私のフィールドワークは、「コング・ナードゥってなに?」という素朴な疑問から始まった。後に詳しく述べるが、コング・ヴェッラーラというカーストは、二四の「ナードゥ」(くに)からなる精巧なカースト組織をもつといわれてきた。しかし、私が村に暮らし始めて最初に確認できたことは、少なくとも現在、コング・ヴェッラーラのあいだに「精巧なカースト組織」はないということであった。ベックの民族誌に記述されているような地域的な組織もなかった。
私はクップサーミ氏に、「コング地方の二四ナードゥなんて、もうないんでしょう?」と尋ねた。コング・ヴェッラーラ・カーストの一員であり歴史学者でもある彼は、ぐっと返答につまり、少し困った顔をして言った。「でも、コング・ヴェッラーラにとって、ナードゥはとっても大切なんだ」。実際、この地方の人々は、誰もが自分の村がどのナードゥに属しているかを知っていた。彼らが出会うとまず、「どこの村に住んでいるの? どこの村の出身?」という問いかけから会話が始まる。どうやら彼らの頭の中には、コング地方の社会地図が収まっているようだ。その基軸が、どうやらナードゥというものにあるらしい。しかし、誰彼かまわず問いかけた私の「ナードゥって何?」という質問に、みんなが「ナードゥっていうのはね、うーん」と、言葉に詰まってしまうのである。ナードゥは、日本人が出身地すなわち故郷を問うて「お国はどちら?」というときの「くに」に近いらしいということはわかった。でも、それは具体的にどういうものなのだろうか、それはこの地方の人々にとってどんな意味をもっているのだろうか。
私が村に滞在していた一九九四年、ティンダル村の人々は、年中行事としての寺院参詣や村の寺院祭礼のほか、村のヴィナーヤカ寺院、ナシヤヌールの町のクラン(氏族)寺院と女神寺院の改修を終え、大灌頂儀礼(マハー・クムバービシェーハム)を行った。また、それぞれの人々が村やその周辺の町のさまざまな寺院の行事や、親類縁者の結婚式や初潮儀礼、葬式といった人生儀礼に参加していた。私は村の人たちに招かれるまま、よく訳もわからずあちこちの儀礼に顔をだしていた。そして、それぞれの儀礼をおこなう人々の集まりを記録してゆくうちに、村の人々の親族ネットワークやカースト・ネットワークの広がりが見えてきた。コング・ヴェッラーラ以外の人々、たとえば伝統的な織工カーストのセングンダ・ムダリヤールもまた、コング地方の二四ナードゥへの帰属意識をもっていた。コング地方の床屋カーストのナースヴァル、洗濯屋カーストのワンナルは、自分たちを他の同職カーストの人々とは区別して、コング・ナースヴァル、コング・ワンナルと名乗っていた。
私もまた、次第に村人がいうナードゥというものの存在を実感するようになった。それとともに、この南インドの一つの村の人々の家族=親族、そしてカーストの事例をとおして、現代インド社会の一面を捉える研究の筋道が、少しずつ見えてくるような気がした。
ナードゥという漠然とした、しかしリアリティある「地方(的なるもの)」に注目することによって、これまでインドの家族=親族研究やカースト研究、村落研究、寺院研究から滑り落ちてきた、地域のさまざまな寺院の神々との関係を結び目として作り出される人々の広範なネットワークを捉えることができ、それによって家族=親族そしてカーストのダイナミックな連関を村から国家のレベルまで一貫して捉える視座を確保できるのではないかと思った。さらにこうして観察されたコング・ヴェッラーラの村の事例を、現代インドのカーストや宗教をめぐる政治的な状況を背景として捉え直してみたらどうだろう。こうして、ようやく研究の方向性が決まった。
本書の構成
本書では、一九九〇年代半ばの南インドの農村地帯において、その地方の有力農民であるコング・ヴェッラーラ・カーストの人びとが、村の女神をシンボルとして村落コミュニティを想像=創造し、それを足がかりにさらに村を越えた広い地域社会のローカルな神々と結びつき、コング・ナードゥというカーストの故郷としての「くに」空間を想像=創造することによって、いかにカーストを実践(Do
Caste)し、親族を実践(Do Kinship)し、そしてヒンドゥー教を実践(Do Hindu)しているかを明らかにし、現代インドにおける家族=親族、カースト、宗教を「生まれ」によって獲得される文化資本という視点から再考してみたいと思う。ここでは文化資本という言葉を、ブルデュにならって、広い意味での文化に関わる有形・無形の所有物の総体という意味でつかっておく。
序章では、一九九〇年代半ばの南インドの村落がおかれた状況を理解するために必要と考えられるインド社会に関する基本的な事柄を概括しておきたい。
そのうえで、第一章では、コング地方とこの地方の有力農民であるコング・ヴェッラーラの概要、イーロードゥ県ティンダル村の住民と農業、大規模灌漑の導入による生活の変化、そして第二章では、家族=親族、カースト間関係といった村の人々の社会関係について述べる。
第三章では、村の寺院や町の寺院、地方都市の寺院にお参りをすることによって村の人々の生活空間が拡大し、それぞれの寺院との結びつきを媒介にして農民たちの親族ネットワークが形成されるとともに、コング地方の二四ナードゥというヴァーチャルでありながらリアリティある「くに」という民俗空間がつくりだされていることを明らかにする。
第四章では、第一に、コング・ヴェッラーラの「血縁関係」が、系譜の連鎖に基づくというよりむしろ、地域の女神寺院との結びつきのなかで「出自集団」として構築されるものであること、第二に、ジャーティ(jati)としてのローカル・カーストは、「生まれ」によって獲得される文化資本を共有し、地域の血縁ネットワークや婚姻ネットワークを基盤にダイナミズムをもって構築されること、第三に、コング地方の「くに」とは、農民たちが、文化資本、社会関係資本、経済資本といったさまざまな種類の資本を獲得し、そうした資本を戦略的に相互転換しながら実践的に生きてゆく生活世界としての民俗空間であることを論じる。
結びの章では、現代インドにおいて「生まれ」によって獲得される文化資本としての家族=親族、カースト、宗教という「伝統」の意味、そしてローカルな民俗空間である「くに」と国家との隠喩的な関係について検討する。こうした一連の議論を踏まえて、最後に、現代インドにおけるカースト・イデオロギーと宗教的ナショナリズムの連携について考察して結びとする。
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