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はじめに
当然といえば当然のことだが、台湾は日本と同じ歴史をもつ社会ではない。植民地期を経て彼らの社会がたどってきた歴史においては、「日本」はときに別の意味──たとえば近代化、抵抗や受容の記憶、あるいは青春時代の思い出、戦後との対比──などの複雑な心情を示す一種の記号として使われていることもあるだろう。つまり彼らの親日感情も、常に日本や日本人に向けて表されているものとは限らないといえるのである。
本書ではその一例として、「八田與一」という人物をめぐる歴史の語りかたについて考えてみたい。八田與一は、日本統治期の一九二〇年代から三〇年代にかけて、台湾中南部に大規模な灌漑施設「嘉南大」を建設した台湾総督府の日本人技術者である。近年にわかに、日台双方で八田をめぐる「物語」が語られ始めている。なぜそれらをここで「物語」と称するかというと、それが八田の来歴を客観的に跡づけたものというよりも、語り手が好ましく思うストーリーとして新たに再構成されているようにみえるからである。
とりわけ日本ではここ数年来、義務教育の教材や土木関係の雑誌、保守系オピニオン雑誌などさまざまなところで八田物語を目にするようになった。こうした物語はどれも彼の優れた業績や勤勉・誠実な人柄を感動的な実話としてとらえるもので、そこでは「ふるさとの偉人」「日本精神の体現者」「嘉南大の父」「台湾に愛された日本人」など賞賛のことばばかりが並ぶ。台湾人に敬愛される八田を、国際交流のシンボルとして扱おうとする動きもある。
しかし、かつて植民地統治をした側とされた側が、植民地官僚の職務上の業績について、このように「美談」を共有し、感動したり共感しあうということはめずらしいケースである。
そもそも異民族による植民地統治とは、どんなに建前上で平等をうたっていても、現実には多くの面で現地住民に差別を強いるものだ。だからたとえ同時代であっても、植民地の日本人と台湾人は決して同一の歴史を生きたとはいえない。ましてや一九四五年以降、日本と台湾はまったく異なる戦後史を経験してきている。そうした歴史を現在「日本史」や「台湾史」として語るのであれば、そこにはそれぞれの歴史の文脈の差異が明らかになっているはずである。
そう考えると、共通の美談としての八田物語のなかにも、両者の歴史上の文脈の違いは存在することになる。もしかしたら日本人と台湾人は、一つの物語を共感しているようにみえて、実は別々の方向を眺めているのかもしれない。にもかかわらず、そうした他者の歴史に十分な関心を払わぬまま八田を語ろうとする日本人が増えている背景には、それらを語りたいという欲望を生む日本の社会状況が見え隠れする。
語り手たちはなぜ今、この物語を語ろうとするのだろうか。八田與一の物語で語られる内容は、日本の植民地支配という歴史から何を選び取り、何を切り捨てて形成されたものなのだろうか。またこの物語は現在どのように更新されつつあるのだろうか。本書ではそうした八田物語の語られかたを題材として取り上げ、台湾史の視点からその意味を問い直してみる。
もちろんここでは、八田與一氏個人が「いい人」だったかどうか、などという点について問題にしたいのではない。そうした個人の資質ではなく、彼もまた植民地社会を成立させていた価値観や統治システムのなかに置かれていた一人であるということに、あらためて目を向けてみたいと思う。
今後の日本と台湾が真のよき隣人として尊重しあうためには、互いの歴史のなかから「いいこと/わるいこと」や「いいひと/わるいひと」を一方的に探し出すのではなく、他者の歴史の異なる価値観を理解しようとしたり、自己の歴史を相対化しようとする努力が不可欠だろう。本書がそうした隣人とのつきあいかたのささやかなヒントとなれば幸いである。
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