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はじめに
四庫全書の中の『発微論』
まずは、本書に登場する「主演俳優」と「助演俳優」をご紹介しよう。主演俳優の名を『発微論』といい、助演俳優の名を『四庫全書総目提要』という。二人はいずれも中国に生まれたが、同じ時代に誕生したわけではない。初来日を果たしたのはいつだったか、今となっては不明のようだ。二人の寿命が、将来いつまで続くのかも分からない。
清朝時代(一六四四〜一九一二)中期の乾隆帝(一七三五〜一七九五在位)の命により編纂された「四庫全書」は、約三五〇〇に及ぶ文献を、四部四四類に分けて採録する巨大な叢書だが、その「子部」の「術数類」の中に、「相宅相墓之属」と題して一一の風水書が収められている。一一という数量や、三五〇〇分の一一という比率を、多いと見るべきか、少ないと見るべきかはともかく、四庫全書所収文献の公式な解題集として、「四庫館臣」(以後「館臣」と略す)と総称される編纂者自身の制作した『四庫全書総目提要』(以後『提要』と略す)(一七八二)において、それらの風水書の内で、相対的に最高の評価を与えられたものの一つが『発微論』である。同書に対する館臣の評語は、肯定的な言葉が羅列されているように見え、また少なくとも直接には、否定的な言葉を全く差し挟まない。
本書の主題は、『発微論』という風水書が、四庫全書及び『提要』においてこのような待遇を受けた所以を探ることである。なぜなら、それは風水書というものにとって、十分に稀有な現象なのだ。意外に思われるかもしれないが、風水という占術は、中国社会において、必ずしも顕彰の対象となってこなかったのであり、むしろ風水思想の沿革は、儒教思想に基づいて風水思想を批判することの系譜と、常に併走してきたと表現して差し支えない。そうした流れは『提要』にも受け継がれたのであって、故に風水という占術や、風水書という文献ジャンルに対する館臣の態度は、不信や蔑視をこそ基調としていたのである。
作業の過程は、全部で三つの段階から成る。まず、『提要』が施した解題に水先案内を請いながら(全面的に従うわけではないが)、『発微論』の思想構造を把握するという段階である。次に、『提要』が風水書を初めとして、一群の「術数学」書を批評するにあたっての基本的姿勢を、『発微論』の解題という個別の事例を通じて吟味する段階である。最後に、『発微論』と『提要』を、広く宋朝時代(北宋
九六〇〜一一二七、南宋 一一二七〜一二七六)から清朝時代中期に至る風水思想の沿革と、風水思想批判の系譜の中で捉え、両書の言説をそれぞれ歴史上に定位する段階である。以上の三段階は、本書の第一〜三節・第三〜四節・第五節に対応している。「風水思想を儒学する」という書名に、奇異を覚えられた方もあろうけれども、読み進んでゆかれるにつれて、私がそこに込めた意味を了解していただけるだろう。
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