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清朝の蒙古旗人 その実像と帝国統治における役割

村上信明著 「チンギス・ハーンの後継者」「チベット仏教の保護者」という権威をも保持した清朝皇帝。モンゴル旗人はそれら北方「藩部」統治の実務を担うべ存在だった。彼らの言語能力・仏教信仰のあり様からその実像に迫る。(ブックレット《アジアを学ぼう》4)
A5判・並製・60頁・本体700円
2007年11月10日発行
ISBN978-4-89489-730-4
目次
はじめに
著者紹介

目次

はじめに
 1 清朝史への関心の高まり
 2 帝国統合の中核組織──八旗
 3 蒙古旗人は「満洲」か、「モンゴル」か?

一 清朝の帝国統治における蒙古旗人の役割
 1 清朝に帰順したモンゴル人と蒙古旗人
 2 清朝の藩部統治と蒙古旗人

二 蒙古旗人のモンゴル語能力と清朝の言語政策

 1 順治・康煕年間の蒙古旗人に対する言語政策
 2 蒙古旗人のモンゴル語喪失問題
 3 蒙古旗人の昇進ルート
 4 乾隆帝のモンゴル語政策

三 蒙古旗人とチベット仏教
 1 清朝とチベット仏教
 2 『百二老人語録』にみる松?の自己認識
 3 モンゴル・チベット統治に従事した蒙古旗人のモンゴルアイデンティティ

四 清朝の帝国統治構造と八旗の多様性

結びに代えて

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はじめに


 この旗人の中で、本書の主役をつとめるのが八旗蒙古に属する蒙古旗人(monggo gsai niyalma)である。蒙古旗人は、その大多数が清朝初期に帰順したモンゴル人およびその子孫で、出自という点では「モンゴル」の範疇に属する人々である。しかし、従来の研究では彼らを「満洲」と見なすのが一般的であった。その主な理由の一つに、彼らが清朝の官僚任用制度において満洲旗人とほぼ同様に扱われたと考えられてきたことがある。同一ポストに「満洲」と「漢」の官僚を併用する、いわゆる満漢併用制において、蒙古旗人が満洲旗人と同じく「満洲」ポストに任用されたことは、その好例である。もう一つの理由としては、蒙古旗人の「満洲化」が指摘できる。彼らは八旗に編入された後、やがて草原での遊牧生活から離れ、満洲旗人とともに定住生活を送ることで「満洲化」し、徐々にモンゴルの習慣・言語を失い、最終的には外見上、満洲旗人とほとんど区別がつかなくなるに至った。制度・習慣・言語面において、蒙古旗人は草原で遊牧生活を送るモンゴル人とは明らかに異質の存在であった。

 しかし、いかに「満洲化」が進んだとはいえ、それにより蒙古旗人が「モンゴル」としての特徴をすべて失ったとは考えにくい。事実、後に述べるように、清朝は蒙古旗人のみを対象にモンゴル語教育を実施するなど、彼らを「モンゴル」と見なし、満洲旗人と明確に区別することもあったのである。本書の目的は、蒙古旗人の「モンゴル」としての特徴がいかなる点に見られるのか、また清朝がその特徴をいかに認識し、帝国統治において蒙古旗人をどのように活用したのかを明らかにすることにある。

 本書では、清朝の勃興・成立期である一七世紀前半から、清朝が最盛期をむかえる一八世紀後半までの時期を考察の対象とする。一九世紀の蒙古旗人に関してはこれまで本格的な研究が行われたことがなく、筆者自身もまだ検討が及んでいない。そもそも一九世紀に関しては八旗研究そのものが深化しておらず、支配集団としての八旗・旗人は、清朝の弱体化・堕落・腐敗の象徴的存在として語られるのみで、本格的な研究の対象とはなってこなかったのである。このような状況を踏まえ、本書では一八世紀末までの蒙古旗人の実像をより詳細に明らかにし、この時期の清朝の帝国統治構造を考察することとしたい。

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著者紹介
村上信明(むらかみ のぶあき)
1975年生。
創価大学文学部卒、筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科修了。博士(文学)。
現在、日本学術振興会特別研究員PD(東京大学)。研究分野:清朝史。
主な論文に、「清朝中期における蒙古旗人の自己認識─正藍旗蒙古旗人松の例を中心に」(『内陸アジア史研究』第20号、2005年3月)、「清朝前期における理藩院の人員構成」(『満族史研究』第4号、2005年6月)、「パンチェンラマ三世の熱河来訪と清朝旗人官僚の対応─十八世紀後半の清朝・チベット関係の一側面」(『中国 社会と文化』第21号、2006年6月)、などがある。

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