|
はじめに
一九四五年秋以降、日本と南朝鮮には米軍の占領体制が築かれた。いうなれば両地域は、米軍占領という経験を共有しているといっても過言ではない。
とりわけ在日朝鮮人は、米軍占領という経験が共有されていることを最も敏感に感じ取っていた人々であった。敗戦後の日本で生活していた二〇〇万人以上の在日朝鮮人は、生きるために頻繁に日本と南朝鮮の境界を越える移動を行っていた。彼ら・彼女らの生活圏は、越境的に広がっていた。だが、境界を越えたところでそこには、南朝鮮を占領する米軍が存在しており、再び米軍に出会うことを余儀なくされた。彼ら・彼女らの生活圏には、米軍占領という経験が埋め込まれていた。在日朝鮮人は、日本と南朝鮮における米軍占領という二つの経験が重なり合う場で析出される存在となっていた。
だが、占領期と呼ばれた一九四五年から一九五二年までの時代に関する研究のなかで、特にメディア史研究は、「経験の共有」が十分に感知されないまま行われてきたように思われる。
これまで、占領期メディアの史的研究は、日本人によるメディアのみに着目するあまり、在日朝鮮人や在日中国人らのメディアを看過したまま、戦後日本のメディアの歴史を描いてきた。なかでも在日朝鮮人は、日本の敗戦直後から、新聞や雑誌など数々のメディアを立ち上げており、その数は一九四九年までに新聞・ニューズ・レターが一〇〇タイトル以上、雑誌も二〇タイトル以上にのぼっていた。にもかかわらず、占領期メディア史研究における「経験の共有」への無関心は、日本社会で確固たる構成員となっていた在日朝鮮人メディアを忘却するものであった。これは、日本人だけでなく在日朝鮮人や在日中国人などがつくりあげていた戦後日本の重層的な社会構造を均質的なものとみなす危険性を孕んでいる。
戦後日本のメディア史研究において、在日朝鮮人メディアが不在となっていたように、韓国言論史研究においてもまた同様であった。昨今、韓国言論史研究において、中国朝鮮族のメディア活動に目が向けられるようになってはいる。だが、在日朝鮮人メディアについては、ほとんど言及されておらず、依然として「知られざるメディア」となっている。こうした現状を放置することは、在日朝鮮人メディアを記憶の彼方に押しやり、存在そのものを「なかったもの」として忘却する危険性がある。
本書は、これまで十分に光が当てられてこなかった在日朝鮮人メディアを掘り起こし、その歴史を叙述しようとするものである。いうなれば、もう一つの戦後メディア史を描こうとする試みである。それは、戦後日本のメディア空間を構築してきた主体が日本人のみであったかのようなイメージを解体させ、本来的にあったはずの重層性や多層性の一断面を切開し、戦後日本をめぐる歴史の複数性(histories)を浮き彫りにするものとなろう。
こうした観点から進められる在日朝鮮人メディアの史的研究は、過去と現在から発せられる在日朝鮮人の「声(voices)」を聞き取り、彼ら・彼女ら、そして「私たち」の歴史を豊かに描くために必要な作業の一つである。
本書は、組織よりもむしろ個人が発行していた新聞に比重を置きながら分析を進める。ここで取りあげる個人発行の『国際タイムス』や『朝鮮新報』『新世界新聞』は、駅売りや宅配を通じて六万部から一〇万部発行されており、極めて日常的なメディアであった。これらの新聞への着目には、とかく在日朝鮮人団体の機関紙の歴史として包摂されがちな在日朝鮮人メディア像をより多様性を持った歴史として紡ぎ出すねらいがある。
【↑最初の行へ】
|