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はじめに
モンゴルにおける文革ともいえる粛清は一九三七年より始まるが、その粛清以前のモンゴルには、七〇〇以上の仏教寺院が存在し、五〇〇種以上のチャムが行なわれていたといわれている。しかし、モンゴル全土において一九三七年に強行された粛清によって、赤軍の建物として使用された一部寺院を除き、七〇〇余りあった寺院は跡形もなく破壊され、それ以降、チャムの伝統は途絶えている。そして、今日、粛清以前に行なわれていたチャムについては、ウランバートル市内の美術館や博物館に展示されている、粛清を免れた仮面や衣装の一部から想像するしかない状況にある。
一方、一九八〇年代後半より外貨獲得のための外国人観光客誘致政策の枠内で「モンゴルの伝統芸能」として「チャム」がクローズアップされ始め、民主化以降、やはり外国人観光客を対象にし、劇場や舞台、時にはスポーツの国際大会や国家式典の開会式で「チャム・ブチグ(ダンス)」と称する仮面舞踊が上演されている。これは、一九三七年の粛清期に社会主義政策が本来の寺院の修会としてのチャムを破壊した後、一九八〇年代の新経済政策への転換期にその形式を用い「モンゴルの伝統文化・チャム」として再生された仮面舞踊である。そして、今日、このような社会主義政策が形成した「チャム文化」が本来の伝統文化にとって替わり、いわゆる「チャム」として知られるようになっている。
また一方、一九九〇年の民主化後、モンゴルにおいて仏教の復興、寺院の再建は急速に進んでいる。それに伴い、一九九八年より、失われたモンゴルのチャムの伝統の復活を目指す動きが見られ始めている。しかしながら、粛清以前の状態のチャムを復元するのは極めて難しい。なぜなら、本来、師承関係を重視するチベット密教寺院内において口伝によって継承されてきたものだからである。粛清によるラマ僧の虐殺、寺院の破壊を経て、寺院も継承者も失ったこの六〇年余りの間、社会主義政策によって、チャムは修会として存在せず、チャムの宗教性について語ることすら禁じられてきた。そして、もともと密教の秘儀であるため、その全容を留めた記録も残っていないのである。そうしたことから、チャムの復元復興に際しては、チベットに留学経験のあるモンゴル人ラマ僧達が中心になって取り組んでいる。呪法の部分においては、粛清に遭遇せず、チャムの伝統を継承するインドのラダックの寺院から来訪した師に口授を仰ぎ、モンゴルに残されていたチャムの儀軌書に基づき、粛清を免れた数点の仮面や衣裳などを参考に復元復興を試みている状況にある。
本書では、「モンゴル・チベット世界」に存在するチベット仏教寺院の修会・チャムについて、その中でも民主化以降モンゴルにおいて復元復興が進められている〈フレーツァム〉を取り上げ、師承関係に基づく文化の伝播、それによって形成された文化圏における伝統文化の継承について考えていきたい。しかしながら、チャムは密教の秘儀であるため、堂内で秘密裏に執り行われる修会に関しては調査の範囲を超えている。それゆえ、秘儀の部分を除き、堂外で行われるチャムのうちで知り得た部分を記録と聞き取り調査によってつなぎ合わせていくこととした。そのため、本書の記述には、現時点で知り得た範囲内での推測に過ぎない部分も数多く含まれることとなる。だが一方で、現時点で知り得たことを書き残す作業については、口伝で継承される伝統文化の場合、日本の伎楽における『教訓抄』の存在を考えれば、無意味とはいえず、むしろ、その必要性は明らかであろう。
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