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 訳注 明史刑法志  

野口鐵郎編訳
『明史』刑法志の平明な日本語訳に、精密な注釈(書名・人名・制度名や、原文記述に関連する文献史料)を加え、その索引を付す。政治史・社会史研究の前提となる法政史の研究の中でも、特に重要な明代刑法の分野における基礎的文献の決定版。
A5判・上製函入り・398頁・本体12000円
2001年1月20日発行
ISBN4-89489-007-0
目次
はしがき
凡例
本文見本
編訳者紹介

目次

  はしがき 1

  凡例 4

  明史 巻九十三 志六十九 刑法一 5

  明史 巻九十四 志七十  刑法二

  明史 巻九十五 志七十一 刑法三

  典拠とした主要な引用文献・参考文献一覧

  索引

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はしがき

野口鐵郎

 

 『明史』巻九三・九四・九五の計三巻によって構成される刑法志は、葉方靄が『明史』の編修を総裁したときに、纂修官に挙げられた姜宸英を中心として著述された。

 その初巻は、『大明律』『大誥』『問刑条例』などの刑律関連の書の編纂の過程が記され、続いてとくに明代に詳細に定められた贖罪の規定と、その執行状況を概述する。中巻は、会審・朝審・熱審・大審・恤刑・登聞鼓の制などの審判制度を紹介し、誣告などの審判の過程における具体的な規定と方法を述べ、併せて歴代皇帝の刑法への係わりが記される。末巻は、廷杖・東西厰・錦衣衛鎮撫司の獄のあり様を詳述し、厰・衛とそこを拠り所とする宦官による特務恣政を述べる。とくに末巻の『明史』巻九五 志七一に述べられることは、他の歴代刑法志には類例を見ないことで、明史刑法志の大きな特徴であるとともに、明代刑法史の特異点である。

 法制が政治の大方針を示すものであるとともに、民生のあり方に密接に関与することはいうまでもない。中国の刑法は、その特色として理想法的側面をもつから、そこに規定されることがそのまま実態を映すとはいえない。その意味で、刑法志に関する研究は、単に法政史にとどまらず、政治史・社会史などの研究の基礎に据えられるべき分野である。

 そこで、参考文献に記したように、わが国でも中国でも多くの研究が成され、歴代正史の刑法志に関する研究とともに、数種の訳注も刊行されている。『明史』のそれも、近ごろ公刊された。こうしたなかに立ち混じって、いまさらに一本を出刊しようとするのは、公刊された『明史』刑法志の日本語訳に不満な部分が目についたからである。学問は、そのことに学的関心をもつ研究者の相互批判を踏まえて前進する。この『訳注明史刑法志』が、この分野の進展に寄与することがあれば幸いである。

 思えば、『明史』刑法志との係わりは、すでにふたむかし以上前に溯る。『明史刑法志索引』の出版は、第一読解の終わった頃のことであった。その後も、ことさらに繁忙な業務の間隙を縫って断続的に読解の作業を続け、そのために文部省科学研究費の恩恵を受けたことがあったが、刊行するには至らなかった。その時どきに筑波大学・中央大学の大学院生諸氏とともに会読したことがあり、記してその学恩に感謝する。ただし、本書の記述の責任のすべては、訳者にある。また、引用史料の校合には、山田悦美氏(桜美林大学大学院)の助力に俟った部分があることを添書する。

 本書の刊行は、風響社に委ねた。社主石井雅氏との交際も古いものがあり、いつかは氏に報いなければ、と考えていたが、果たしてこれが報恩であるかその逆かは、大いに疑問である。
二〇〇〇年一〇月二日

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訳注 『明史』刑法志 凡例


1 『明史』巻九三・九四・九五の三巻にわたる刑法志の全文を、便宜によって二七一段に区切って現代日本語に翻訳し、かつ必要な語に注釈を施した。

2 原文においては、底本とした百衲本『明史』が用いている字形を尊重したが、ときに日本における現代通用の字形とした場合がある。

3 訳文と注釈の文においては、現代通用の字形を用いた。

4 訳文においては、現代日本語として滑らかであるように、意味に重きを置いた訓を漢字への振り仮名として多用した。

5 [ ]によって示された数は、区切られた段を意味する。

6 段ごとに、句読点を付した原文のあとに現代日本語訳を記し、右傍に付された注番号に従って注釈を記した。

7 ( )内は、原文における割り注である。

8 〈 〉内は、引用された『大明律』の文言である。

9 〔 〕によって括られた部分は、日本語に翻訳するに際して、訳文の意味を明確にするために補充した語文である。

10 「 」は皇帝・官僚などの発言を現す。

11 『 』は書名などの固有名詞や、引用発言のなかに引用された文言などである。

12 注釈は、書名・人名・制度名などを含む固有名詞などのほか、原文の記述に関連する他の文献史料にも及んだ。したがって、句ないし文節の解釈のなかに語の解釈を含ませた場合がある。

13 原文、および注釈のなかに引用される文献に付された句読点などは、訳者によるものである。

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本文見本

[〇〇一]

自漢以來、刑法沿革不一。隋更五刑之條、設三奏之令。唐t律令、一準乎禮以爲出入。宋採用之、而所重者敕、律所不載者、則聽之於敕、故時輕時重、無一是之歸。元制、取所行一時之例、爲條格而已。

 漢自り以来、刑法の沿革は一ではない。隋は五刑の条を更め、三奏の令を設けた。唐は律令を撰〔述〕して、一に礼に準じて以て出入を為なった。宋は之を採用したが、より重んじた所は勅であり、律に載せられていない者には、則には之を勅に聴めたので、故らある時は軽く、ある時は重く、〔必ずしも量刑に〕一是の帰はなかった。元の制〔度〕では、行な所ていた一時の〔判〕例を取めて、条格と為たに而已い。

(1) 『隋書』巻二五 刑法は、「高祖既受周禅。開皇元年、乃詔尚書左僕射渤海公高ワ……等更定新律、奏上之。其刑名有五、一曰死刑二、有絞、有斬。二曰流刑三、有一千里・千五百里・二千里。応配者、一千里居作二年、一千五百里居作二年半、二千里居作三年。応住居作者、三流倶役三年、近流加杖一百、一等加三十。三曰徒刑五、有一年・一年半・二年・二年半・三年。四曰杖刑五、自五十至于百。五曰笞刑五、自十至于五十」と五つの刑名を定めたことを記し、「而セ除前代鞭刑及梟首゚裂之法」と述べる。なお、『通典』巻一六四参照。五刑とは、夏殷周の時代に行なわれたという大辟・宮・縺E艨E墨の五種の肉体刑に始まったが、後代に改められつつ隋に至った。『尚書』「舜典」・『呂刑』など参照。なお、富谷至『古代中国の刑罰』は、秦漢時代の刑罰についての研究であり、より詳しくは、同『秦漢刑罰制度の研究』参照。
(2) 『隋書』巻二五 刑法に、「(開皇)十五年制、死罪者三奏而後決」とある。三奏については、[一六二](3) 参照。
(3) 唐代における律令の編纂については、浅井虎夫『支那ニ於ケル法典編纂ノ沿革』参照。「一準乎礼」とは、『礼記』・『周礼』・『儀礼』に則って唐律が制定されたことをいうのであろう。滋賀秀三「訳注唐律疏議(一)」四五ページでは、「礼の定める喪服制度が、そのまま、親族関係の濃淡を測る尺度としての機能を果していたのであり、律は礼の定める服制の上に立って、それぞれの服に応じた法律効果を規定していたのである」と記して、「礼は、儒教の経書を典拠としながら、主としては解釈学説と慣行とによって発展するものである」と注していて、「礼」を特定の書名に当てていない。
(4) 『宋史』巻一九九 刑法一に、「宋法制、因唐律令格式、而随時損益、則有編勅、一司・一路・一州・一県又別有勅」という。本文にいうように、宋の法制では唐制を衍引した法制よりも、随時に発布される勅を基準法とすることが多かった。中国近世の法制と社会研究班「宋志刑法志訳注稿(上)」三四八ページのいうように、全国を対象とした海行勅としての一三次の「編勅」の外に、前記所引部分のように、各司・路・州・県ごとの個別の勅もあった。『宋史』巻一九九 刑法一が「神宗以律不足以周事情、凡律所不載者、一断以勅、乃更其目曰勅・令・格・式、而律恒存乎勅之外」ということは、その間のことを物語る。『大学衍義補』巻一〇三に、「臣按、唐有律、律之外又有令・格・式。宋初因之、至神宗更其目曰、勅・令・格・式、所謂勅者、兼唐之律也」という。梅原郁「唐宋時代の法典編纂」参照。
(5) 『元史』巻一〇二 刑法一によれば、元では世祖の時に『至元新格』を、仁宗の時に『風憲宏綱』を、英宗の時に『大元通制』を発した。世祖以来の法制の事例を纂集した『大元通制』は、詔制・条格・断例の三者によって構成され、全一九六二条中に条格は一一五一条を占めている。なお、『新元史』巻一〇二 刑律上によれば、条格とは「大致取一時所行事例、編為条格而已、不比附旧律也」と定義される。中国法制史研究会『通制条格の研究訳注』参照。

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編訳者紹介
野口鐵郎(のぐち てつろう)
1932年、東京都に生まれる
筑波大学名誉教授 桜美林大学教授 文学博士
主な著書 
『中国と琉球』(開明書院 1977年)
『明史刑法志索引』(国書刊行会 1981年)
『明代白蓮教史の研究』(雄山閣出版 1986年)など

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