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序
渡邊欣雄
社会人類学の分野では、親族研究の渡邊であったかもしれない。いやその前に宴の研究の渡邊、儀礼の、世界観研究の、民俗宗教研究の、民俗知識論の渡邊であったかもしれない。そんな渡邊が、なぜ突如として風水研究をはじめたのだろうか。
その理由については、少なからずわたくしのさまざまな著書、論文で述べてきたつもりである[渡邊 一九九〇a、一九九〇b、一九九四a、一九九四b、一九九九a、ほか]。「地理学」への飽くなき関心が、たしかにその底流にある。地理学的知識が風水理解への、大きな礎となった。といってわたくしは地理学世界に復帰したいがために、風水研究をはじめたわけでは決してない。やはり専門とする社会人類学にも、大きな動機があった。それは親族研究における、かつての民俗生殖理論の延長線上においてである。
わたくしがなぜ風水研究という、社会人類学にとってはかなり難しい研究に歩みを進めたのか、それはわたくしが一九七〇年代から八〇年代にかけて、ずっと親族研究を試み、やがて親族の民俗生殖理論を知るに至って風水研究に「飛躍した」ということ、その道筋を理解してもらえれば、その理由がわかるはずである[渡邊 一九八五a、一九九〇a]。この「民俗生殖理論」を媒介として親族研究と風水研究とは、密接に関連しているのである。
それでは親族の民俗生殖理論とは、いったいなにか。わたくしはすでに一九八〇年代に、さまざまな書物にこの理論を紹介してきたつもりである[渡邊 一九八二a、一九八五a、一九八五b]。この理論は「親族普遍説」の立場にたって発展した理論であり、各民族の表象する文化的シンボルから親族関係を理解しようとする立場であり、一九六〇年代末から登場してきた理論であった。代表的な学者は、D・M・シュナイダー[Schneider
1968]、H・W・シェフラー[Scheffler 1974]、R・M・キージング[Keesing 1975]であろう。
かれらによれば、親族関係とは系譜関係(genealogical connection)によって創られた関係のネットワークであり、系譜的な親子関係の「自然的」関係をモデル化した社会的絆によって、創られた関係のネットワークであるとされる。ここにいう「自然的」とは、従来の表現である「生物学的」というイディオムに相当している。この定義のキイ・タームは、「系譜関係」だが、文脈で理解できるように、この関係は「生物学的」関係なのではなく、あくまでも「社会的」関係である。ただしこの関係は、人びとによって社会的に知られてはいるが、社会的認知を条件とした関係なのではない。「系譜関係」を構成する関係、それは生ませの親(genitor)と産児(offspring)、生みの親(genetrix)と産児(offspring)の二対の関係である。したがって純粋に生物学的関係を構成する、生ませる性(physiological
father)、生む性(physiological mother)に発した関係とは区別されている。
かれらにしたがえば、この系譜関係を各社会では、それぞれ独自の文化的シンボルを通して、解釈し認識しているというのである。すなわち、性交と生殖には、親がもち、あるいは親が祖先から継承して子供に伝えるという自然的構成要素=サブスタンス、たとえば男性を象徴する種・骨・精液など、女性を象徴する畑・肉・血・経血などが関係していることを、各社会はそれぞれ固有の象徴領域のなかで認識しているというのだ。
文化的シンボルによって「自然的」関係をモデル化した絆は、アメリカや日本でいうところの「血のつながり(blood relationship)」や「血縁関係(consanguinity)」の関係にもとづいている。しかしながらこの「自然的」関係が、社会的に意味のある「合法的」な社会関係に対応しているとはかぎらない。つまりすべての生ませの親が社会的に認知された父親(pater)なのではなく、また生みの親が母親(mater)なのではない。
このように次元の異なる親子関係を区別することにより、かれらは子供を持って初めて公の親と認められる社会、花嫁代償を支払って初めて公の父親となる社会、paterにあたる親は認知しないが、genitorにあたる親は知っているという社会など、世界にその具体例をもとめてきた。親族関係について述べようとするときには、このような「非合法」の関係をも含めて考えねばならないし、親族関係にとって普遍的な関係というものは、各社会の民俗生殖理論に裏打ちされた系譜関係なのだというのが、親族の民俗生殖理論だったのである。
しかしこの理論は、早くも一九八〇年代に破綻したように思われる。みずからの親族関係を解釈するとき、民俗生殖理論をもたない民族や民俗生殖理論によらずして解釈する民族は、決して少なくなかったからである。親族研究はその後、「親族」概念のオリエンタリズム批判にまで発展した[渡邊 一九八二a]。しかしかれらのいう「系譜関係」の普遍性は得られないまでも、かれらの指摘に適うような事例がなかったわけではない。それが沖縄であり中国漢族の生活だったと、わたくしは思っている。
「父骨母血」、「父骨母肉」などの民俗的親族概念。すなわち子供のからだの自然的構成要素は、父からもたらされる「骨」と母からもたらされる「血や肉」によっているという考え方は、中国と沖縄双方に共通した親族関係の理念であり道徳だった[渡邊 一九九三a]。しかしそれだけなら、わたくしは沖縄・中国を中核とする東アジアの民俗生殖理論研究だけで済むことになり、なにも難しい風水研究にまで手を染めることはなかったであろう。「父骨母血」、「父骨母肉」などの民俗的親族概念は、いわばタテマエであり、可視的な親族関係に限定された「表現」であって、ホンネや不可視の「原理」に相当する人間関係の原則、あるいは「父骨母血」、「父骨母肉」を構成する「遺伝子」にあたる部分の思想がさらに存在していた。たとえば南中国や沖縄で行われて来た洗骨習俗に見るように、「骨」の関係が出自を表現し、「血肉」の関係が親族関係の拡がりを表現しているのは、「骨」と「血肉」双方に共通する「遺伝子」や伝達物質としての「気」があり、風水は、祖先によるこの「遺伝子」の獲得から世代を越えて子々孫々に至るこの「遺伝子」の伝達・影響について説いていたのである。
沖縄ではこの「気の親族理論」はもはや現在ではテキストの内容のみに留まるが[たとえば高良 一九八二、糸数 一九八九]、本書の主たる対象である中国では、なお民間の語りのなかにも認められる。わたくしにとって民間の気の理論は、わたくし自身の思考の枠組みのなかでは、民俗生殖理論の発展型であった。風水の説く気の理論は、もはや民俗生殖理論の次元を越えたものであり、民俗生殖理論よりもはるかにかれらの生活に根差した思想体系であることを自覚したからである。
一九九〇年代、風水研究を通じて、そんな高次元の領域にまで行き着き、同時に大陸中国にまで視野を拡大したことにより、一筋縄では行かぬ東アジアの民俗の多様性もまた理解できるようになったが、風水研究に「飛躍」できたのは、ひとつは一九八九年から、わたくしが科研の代表になって組織した「全国風水研究者会議」の議論の成果のおかげであり、いまひとつは、一九九二年から、福田アジオ氏を代表とする大陸中国の民俗調査団に加えていただいたおかげであった。「全国風水研究者会議」の活動については、これまでのわたくしの著書でたびたび紹介し、本書でもまた紹介しているからここでは触れないでおこう。
わたくしが大陸中国の調査経験を初めて得たのは、この調査団に参加してからである。それまでは一九七八年から始めた台湾・香港・マレーシアなどの「残余中国」(中国周辺部)の漢族研究だけであった。漢族研究を志向しつづける以上、いずれは大陸中国の調査をしたかったが、調査を行うには大陸中国ではこんにちなお中国側に縁故のあることが必要であり、かつ調査を管理する機関があって、原則として個人の自由意志による中国国内活動は許されていない。行こうとしてもなかなか行けなかった所以である。それに台湾に李登輝政権が誕生して以来、大陸中国との緊張関係が緩和したという台湾の政治情勢の変化も、わたくしに大陸中国への渡航を促した一因がある[渡邊 (訳)一九九四d]。
それ以来、こんにちに至るまで毎年、調査のためにあるいは国際会議の参加のために、大陸中国に行く機会が生じている。現時点での話だが、わたくしは日本の大陸中国における漢族研究の第一人者だとの、中国側からの評価も得るほどになった。この一〇年足らずのあいだに、おびただしいほどの大陸中国の研究者との学術交流や共同研究を進めてきた結果であるし、わたくしの著書が毎年翻訳されてきた結果でもある[渡邊 (訳)一九九〇c、(訳)一九九一d、(訳)一九九四e、ほか]。こうしてわたくしの風水研究も、中国政府の迷信撲滅政策とは別に、研究者のあいだでは学術研究としての意義を容認されるようになっているし、地方政府の要人のなかにも、わたくしの研究意義を容認する者が増えているように思われる。まさに学問が政治とは無関係であるように見えて、こうして背後に政治的な力学がはたらいているのである。
より高次元の研究である風水研究をはじめてから、共同研究を行う相手や知識の需要がすっかり変わってしまった。わたくしの社会人類学研究は、東アジアという地域の研究にぐっと接近することになった。そしていま、もはや社会人類学という視点のみでは、中国漢族および風水の研究に限界があることも自覚できるようになった。なによりも、日本および中国で、わたくしはいま社会人類学者であるというより、風水研究者であるという評価のほうがはるかに高い。それというのも日中双方の国内で、「不要な」社会人類学的知識よりも風水研究によってもたらされる「発見」のほうが、学術知識としてはるかに需要があり評価が高いからである。
本書は、こうしたわたくしの新しい学術環境のなかで執筆し編んだものだが、平成一一年度、東京都立大学大学院社会人類学専攻に提出した博士論文『中国風水の社会人類学的研究││周辺諸地域との比較』を元にしている。博士号取得後、主査・松園万亀雄教授、副査・大塚和夫助教授[当時]、同・伊藤眞助教授の助言を参考に書き改めた。審査員各位には、謹んでここに感謝申し上げる次第である。
いまある学術的知識というものは、どれもこれもみな歴史的な産物である。社会人類学を歴史的な過去に葬るべきか、それとも風水研究と平行させて社会人類学を改変すべきか、いまわたくしはその岐路にあるが、当面は後者の立場で研究を推し進めるつもりでいる。人間生活に多様性があるのなら、わたくし個人もまた多様性のある研究者でありたいと思っている。
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