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あとがき
外川昌彦
本書は、インド西ベンガル州の農村社会に伝承されている、ヒンドゥー社会の宗教的世界についてまとめた民俗誌である。扱われている資料は、地域のヒンドゥー王権によって基礎付けられた村落の祭祀組織や、その女神祭祀に規定される村落のカーストや親族組織、さらには村落世帯の家庭祭祀に見られるジェンダーの問題に及び、多岐にわたっている。本書では、調査地のフィールド資料に基づくことで、これらの問題を相互に結びついたひとつの複合的なネットワークとして描き出している。言い換えると、村落のカーストや階層、世帯ごとの多様性を、調査村の女神祭祀を中核に据えることで、中世後期の王権から現代の少女の儀礼までを視座に入れた、ベンガル農村の宗教的世界の広がりを跡付けるものとなっている。
本書に関わる調査資料は、主に一九九四年二月からの約一年半の調査村での住み込み調査に基づいている。そのため、ここで依拠している資料は、筆者の滞在期間中に見聞きしたものを中心としており、ローカルな社会の内部に沈潜することで、その極小の社会に生起する多様な現実に焦点を合わせて、記述を行っている。
ところで、かれこれ四〇年近くインド通いを続けているある知人が、よく私に話してくれる言葉がある。毎年のようにインドの隅々を歩いて取材を続けているうちに、この知人は、ますますそのインドの広大無辺さに圧倒されるようになり、いつのまにか自分が、巨大な象の背中を這っている小さな蟻のような気持ちになってゆくというのである。
インド三千年とも言われる大河のような歳月の歩みを持つヒンドゥー的世界を、本書のようなひとつの村落社会の現実によって代表させるのは、あまりに大胆な試みと言えるかもしれない。それがフィールド・ワークを基本とする文化人類学の慣わしであるとしても、ミクロな社会の現実がどれほど詳細に解き明かされたとしても、それを通してインド社会のとてつもない多様性や何世紀にもわたる歴史的な変遷を、どうして語ることが出来るのかという疑問は、直ちに想起される所だろう。このような問題に対しては、当然のことながら、人類学的研究に従事する当事者からも、近年、様々な問題提起がなされている。やや常套句となりつつあるが、例えば、地域文化をあたかも太古から存続する「伝統」として固定して描いてしまう「民族誌的現在」という記述のスタイルや、宗教や社会のあり方を何らかの理念的な姿に一元化して描こうとする「本質主義」への批判といった文化の記述に対する批判的提起には、これまでになかった人類学的研究への根源的な反省が込められている。インドの村落社会研究としてはやや古典的なスタイルを取った本書の「民族誌的記述」の立場については、すでに序論でも触れているので繰返しは避けるが、ここではそれをより一般的な問題にひきつけることで、二つの見地に整理して述べてみたい。
第一は、「民族誌的現在」を、どこまで深く理解出来るのかという問いかけである。本書で用いられた一次資料は、一定期間の筆者の住み込み調査に依拠している。その後の現代的な変化といった事象はもちろん指摘できるとしても、同一時期の同一フィールドの資料が有する共時的な相互関係に、あくまでも分析のひとつの座標が設定されている。すなわち、村落の少女の儀礼から地域のヒンドゥー王権の儀礼的実践までが、女神祭祀を導きの糸とすることで、相互に関連づけられたダイナミズムとして描き出されている。このような分析によって、ヒンドゥー王権の普遍的で歴史的な世界や、ローカルな村落の女性のジェンダー規範が、ベンガル農村の複合的で多元的な生活世界の一部を構成していることが明らかにされる。このことは、現実の多様性や多元性の広がりが、通常、想像されているよりも遥かに広がっていて、私たちが当たり前に受け止めている目の前の現実に、より深い相互関係の結びつきを与えている可能性を示唆するだろう。
本書は、可能な限り共時的な記述を体系化してゆくことで、いわば自明なものとして考えられている「現在」を、そもそもどこまでその深みと広がりにおいて理解できるのか、という問い掛けとなっている。そのことが結果として、後年の時代や地域を超えた比較に耐え得る一次資料としての、「民族誌的記述」の条件になるのではないだろうか。
第二は、「本質主義」的視角に対する歴史的検証である。本書では、英領期の行政史料や儀礼伝承を掘り起こすことで、調査地で観察される多様な現実を可能な限り通時的に遡ることを試みた。例えば、第二部で提示された女神寺院の供犠のリストは五二回を数えるが、それはかつてのボルドマン王権の寄進によるものであった。第三部で検討された村落の供犠のリストでは、その数は一〇まで削減されるが、その代わりに村落の支配カーストによる供犠の新たな寄進によって、全体では四八を数えるまでに回復された。ここから、二つの推測を引き出すことができるだろう。ひとつは、女神祭祀が決して太古から永続している「伝統」といったものではないこと。そして同時に、このような通時的な「変化」が、必ずしもある時点から、まったく新たな儀礼的な意味を生成するものでもないことである。
ヒンドゥー世界の記述にさいして、しばしば常套句のように、「古い伝統」の存在やその変化が指摘される。論者によって、それは調査地で観察された独立以後の数十年間の変化を意味し、あるいは英領期に見出され自覚された「伝統」を指している。しかし、この「古い伝統」という言説は、別な論者にとっては、千年以上の歴史的スパンを持つ中世のヒンドゥーやイスラーム文明よりもさらに古いという意味での、ヴェーダ的伝統や古代的な仏教文化を意味するのである。興味深いことに、しばしばこのような諸文明の伝統さえも凌駕する最も古い基層文化という意味で、別な論者は、それを優に四千年以上もの歳月を持つ、「インダス文明」や「非アーリヤ文化」として理解するのである。ところで、本書中でも論じているが、調査村の祭祀の一部は、このような四千年前に遡るかもしれない少数民族の儀礼が、独立後の数十年の間に、新たに村落の儀礼伝統の一部として取り込まれた可能性を示唆するのである。
「文化は常に変化する」という言葉は、現実の社会動態から「民族誌的記述」を遊離させないために重要な示唆を与えるものである。しかし、他方で、そもそも「文化」は、一瞬にして目の前から姿を消してしまうほどに、柔なものだったのかという疑問も浮かんでくるだろう。このことは、ともかく文化の変化という問題を、どのような枠組みにおける変化なのかという座標軸を明確にすることの、必要性を示しているだろう。
本書がことさらに、村落モノグラフの体系化の試みを標榜しても、その意味ではやはり、自らの置かれた村落での位置づけや視点に限定されたものに過ぎないことを痛感する。だから、無闇に大部となった本書に見るべきものがあるとすれば、それは決して網羅的なヒンドゥー世界の見取り図を明らかにするという、かつての植民地官僚のような野心的な試みからではなく、その社会の内部に沈潜した時に現れた、村人の振る舞いや語りに込められた生活世界のリアリティーにあるとすれば、これにまさるものはないと考えたい。
以下では、読者への便宜として、本書の構成を要約して述べてみたい。本書は全体で四部構成をとっている。序論では本書の基本的な枠組みと資料の位置付けを論じている。次いで、調査村で見出される多様な社会組織の構成を大きく四つの枠組みに整理している。すなわち、第一部はカーストを中心とした村落社会の基本構成が述べられる。第二部は、広域的な地域のヒンドゥー王権であったボルドマン王権と在地社会との多様な関係を扱っている。第三部は、村落社会の内部に構成されるカーストやリネージが構成する複合的な関係を扱っている。さらに第四部では、親族組織や世帯内に構成されるジェンダーを中心とした複合的な関係を扱っている。フィールドで見出された資料は、同一期間内のひとつの村落社会内で実践されたものとして、共時的な背景を持っている。また、同時に一八世紀以来の地域のヒンドゥー王権であるボルドマン王権と村落社会との歴史的な関わりを、植民地政府の土地台帳や儀礼伝承に依拠することで、可能な限り遡り通時的に再構成している。次に、各部の内容を簡単に紹介する。
第一部では、ベンガル地方のカースト的体制の成立を歴史的に概観し、それとともに村落のカースト集団の社会構成について分析を加えている。また、村落社会と、中世後期以来この地方で強大な覇権を揮ったボルドマン王権との関わりについて、村落社会や女神寺院の歴史的な形成を通して検討した。第二部では、この村落寺院の女神祭祀の儀礼過程の分析を通して、ボルドマン王権がいかに村落の社会組織の構成に深く関与していたのかを明らかにしている。その前提として、英領期に残された地籍台帳の史料を検討し、女神寺院の土地制度に関わる問題を論じている。また、女神の大祭などの寺院祭祀の分析を通して、これらの問題を今日も観察される儀礼資料に結びつけて検証している。第三部では、カーストやリネージ組織に基づく固有の祭祀組織の分析を通して、村落社会の社会組織の構成を考察している。特に、村落内の地主層であるクシャトリヤの集落と、かつての不可触民カーストであるバグディが主宰する村落儀礼が分析されている。ここでは、在村地主であるクシャトリヤの一族が主宰する祭祀組織が、ドゥルガ女神祭祀の儀礼過程を通して、村落寺院の祭祀組織と密接な関係を構成していることが明らかにされる。また、バグディが主宰するモノシャ女神祭祀の分析を通して、不可触民カーストを媒介とした村落内のカースト関係のダイナミズムが分析され、バグディ・カーストもまた、両義的な民俗神であるモノシャ女神の祭祀を通して、ヒンドゥー王権と密接な関わりを持つことが明らかにされる。第四部では、村落の各世帯の女性によって実践されるブロト儀礼を中心とした、家庭祭祀の問題を論じている。ベンガルの代表的な家庭祭祀として知られるブロト儀礼が、女性たちの社会的現実を構成する重要な儀礼的契機として実践されている過程が、体系的に明らかにされる。特に、ビポッタリニ・ブロト儀礼においては、村落の女神寺院における祭祀組織の構成が検討され、ショスティ女神の祭祀においては儀礼に関わる女性の間に形成される階層的な社会関係の問題が検討され、さらには、少女たちが行うブロト儀礼においては、ブロト儀礼を通したヒンドゥー女性の社会化の過程が考察される。
以上のように、村落の女神祭祀を中心として、調査地の人々が、王権の祭祀に関わりながら、同時にカーストや一族の祭祀、さらには家庭内の祭祀を実践してゆく過程に注目することで、その儀礼の実践体系の多元的な構成が明らかにされる。このような儀礼過程においては、その行為体系はそれぞれのレヴェルでの規範的な構成を持ちながら、同時に多元的な相互交渉を通した対立や葛藤の契機を含みつつ、全体としてダイナミックな村落社会の宗教的・社会的な実践体系を構成している。五一の女神の聖地として知られる村落のジョガッダ女神の寺院祭祀は、このような複合的な社会関係のネットワークの中核に置かれているのである。
本書を書き上げるまでに、数多くの方々にお世話になった。このあとがきを終えるにあたって、十数年前の大学院に入りたての筆者が、飯島茂先生(東京工業大学名誉教授)からお聞きした言葉が思い起こされる。
「諸君と南アジアの人類学の授業で読めるような、日本語で書かれた良い入門書がないんだよ。実際、フィールドの土の匂いがするようなエスノグラフィーというのは、本当に少なくなったねえ」
本書が、その時の先生の期待に適うものとはとても思えないが、何度も筆を放り投げそうになりながら、ともかくインド民俗誌の志を捨てないで来れたのも、頭のどこかでこのような声が響いていたのかもしれない。その間に、文化人類学も南アジア世界を取り巻く状況も大きく変化してしまった。言語学者による辞書編纂ほどではないにせよ、このような中で人類学のエスノグラフィーを記述してゆくことが、いかに息の長い作業であるかを知らされた。
お世話になった方々のお名前を、ここですべて挙げることは出来ないが、以下に出来る限り挙げさせていただきたい。東海大学の臼田雅之先生、一橋大学の谷口晋吉先生には、ベンガル研究の先達として、様々なご教示を仰いできた。東京外国語大学の石井溥先生、京都大学の田中雅一先生には、南アジア人類学の先達として、数々のご教示を頂いた。慶應義塾大学の宮家準先生、鈴木正崇先生には、大学学部・大学院時代からのご指導を頂くとともに、本書のもとになった博士論文の執筆に際しては、指導教官として懇切なご指導を頂いた。
現地でお世話になった方々は、以下の通りである。現地の指導教授であるインド政府人類学調査局元局長のA・K・ダンダ博士。シャンティニケトンのスラジット・シンハ教授、オシム・オディカリ教授。また、山口昌男教授(札幌大学学長)には、調査村に来訪を頂き有益な助言を頂いた。キログラム村の寺院司祭ショノット・チョックロボルティさん。村落パンチャーヤト議長のゴウル・ホリ・ドットさん。村一番の物知りのボノワリ・ダーさん。その他のキログラム村のたくさんの方々。特に、調査の過程でお世話になったのは、故チョヨン・オディカリさんと外川そのみさんであった。本書の調査のための、筆者のインドでの滞在期間も五年を越えた。その間の様々な機会を通したこれらの方々や、ここに挙げ切れなかった多くの方々の支援が無ければ、ともかくも本書がこのような形で完成することはなかったであろう。
既述のように、本書のもとになっているのは、慶應義塾大学大学院社会学研究科に提出された博士論文である。しかしその後、内容的には様々な加筆が行われ、単著としての体裁を整えるための修正が施された。また、京都造形芸術大学の長田俊樹さんには、本書の草稿に対して有益なコメントを頂いた。出版は、日本学術振興会科学研究費の研究成果公開促進費を受けて可能になった。出版社については、母校の先輩である福岡大学の中西裕二さんにご紹介の労を頂いた。風響社の石井雅さんには、遅れがちな筆者の原稿を辛抱強く見守って頂き、ようやく完成まで漕ぎ着けることが出来た。
これらのお世話になった方々には、あらためて感謝の意を表したい。
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