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序章
本書の概要
本書における主テーマは,モンゴル英雄叙事詩における「二重の意味構造」の探求である。モンゴル英雄叙事詩には,明示的レベルにおける内容に加えて,それとシンメトリカルsymmetricalに対応する非明示的レベルの内容が存在している。これを本書では「二重の意味構造」と呼んでいる。モンゴル英雄叙事詩にこうした構造があることについては,すでに『アルタイ・ハイラハ』という英雄叙事詩を対象に据えて論じたことがあり,本書の考察は,他の英雄叙事詩にもそうした構造が認められることを提示したものである。『アルタイ・ハイラハ』の考察は,拙著『伝承の喪失と構造分析の行方−モンゴル英雄叙事詩における隠された主人公』において展開しているので,詳細はそちらに譲ることにするi。
本書は序章と終章に挟まれた6章で構成されており,その概要は以下の通りである。
1.「二重の意味構造」
まず第1章においては,一連の馬頭琴伝承を構造分析することによって,馬の隠喩を明らかにした。馬頭琴伝承は,日本では『スーホの白い馬』という名前でよく知られているものである。この章では,複数のヴァリアントを構造分析することにより,馬が「非正妻」の隠喩となっていることを導き出した。第2章においては,第1章における馬の隠喩を応用しながら,東モンゴルに伝承されていた有名な英雄叙事詩『エンヘ・ボロト王』を考察した。ここでは,マンガス(怪物)をどのように解釈するかが大きなポイントとなっている。マンガス(怪物)とは,モンゴル英雄叙事詩に頻出する敵の形象であり,その行動パターンは,主人公の妻を奪うか,あるいは主人公と勝負して主人公の娶るべき女を奪いあう,といったものである。これを重視して,本書ではマンガスという存在を「他者の正妻を奪う男」という意で解釈した。さらに,このマンガスを物語のある登場人物に該当させると,非明示的レベルの意味を浮き彫りにすることができることを示した。そして,この非明示的レベルの内容は明示的レベルの内容とシンメトリカルに対応していることを示した。
第3章では,西モンゴルの英雄叙事詩を代表する叙事詩群『ジャンガル』の一編であるウズン・アルダル王の婚姻譚を考察した。この伝承においてもマンガスが登場しており,第2章と同じく「他者の正妻を奪う男」の隠喩としてある登場人物に該当させると,非明示的レベルの内容が現れてくることを示した。そして,本章においても,この非明示的レベルの内容と明示的レベルの内容とがシンメトリカルに対応していることを示した。ここではマンガスに該当させる登場人物は1人ではなく2人おり,この点で第2章とは差異がある。
2.現地のマンガス理解
ところで,マンガスが「他者の正妻を奪う男」というような理解は,モンゴルの生活世界において認知されていない。もっとも,隠された内容,すなわち非明示的レベルにおける内容は,「隠されていることが最初から意図されている」。これを考慮するなら,隠喩が当該社会に認知されていないこと自体は問題ではない。だが,当該社会の人々に認知されていないとはいえ,ここで論じている隠喩があくまでも当該社会の中で実際に用いられ伝承されてきたからには,人々が馬やマンガス(怪物)に対してもっている考えと隠喩の間には何らかのつながりがあってしかるべきであろう。第4章では,マンガス(怪物)という存在が現地の人々にどのように認識されているかについてをフィールド調査に基づいて検討した。
3.「解釈の余地」
続く第5章では,『ウバシ・ホンタイジ伝』を考察した。当該伝承は,口頭ではなく文字によって伝承されてきた歴史文学作品であり,英雄叙事詩の影響を深く受けた作品とみなされている。ここでは,当該伝承に出現する兵数に込められた非明示的レベルの内容を汲み取ることを通して,当該伝承における非明示的レベルを掘り起こした。そして,この非明示的レベルの内容が明示的レベルの内容とシンメトリカルに対応していることを示した。
前章までの章との関連で特筆すべき事柄は,当該伝承の非明示的レベルの内容が,聴き手(読者)の解釈によって,現れたり現れなかったりするという柔軟な構造となっている点である。つまり,「二重の意味構造」という読み取りには,聴き手の「解釈の余地」が関わっていることを提起した。
読者側における「解釈の余地」という問題は,本書の最終章となる第6章において,さらに本格的に論じた。そこでは,モンゴルでよく知られている『アルタイ讃歌説話』という伝承を取り上げた。当該伝承は,アルタイ・ウリヤンハイという集団において英雄叙事詩の序として語られる『アルタイ讃歌』についての説話で,モンゴル人にも比較的よく知られているものである。アルタイ・ウリヤンハイという集団は,モンゴルの英雄叙事詩史において重要な役割を果たしたと考えられる集団であり,本書においてしばしば登場する集団となる。ここでは,「二重の意味構造」を構成する非明示的レベルの内容が存在するか否かは,そもそも聴き手(もしくは読者)がそうした非明示的レベルの内容があると思うか否かということに全面的に依拠している事柄であると論じた。つまり,「聴き手の判断」という「解釈の余地」が存在していることをここで論じたことになる。
ただし,『アルタイ讃歌説話』の非明示的レベルの内容は,明示的レベルの内容とシンメトリカルな対応関係をなしていない。終章では,これを踏まえて,それまでの「二重の意味構造」の概念を整備することによって,『アルタイ讃歌説話』を「二重の意味構造」として位置づける道筋を示した。そして,本書で扱ったすべての伝承が「シンメトリカルな対応性の軸」と「解釈の余地の軸」の相関関係において存在していることを提示した。さらに,これと関連づけて,「二重の意味構造」から「多重の意味構造」への理論的展開を試みた。
留意事項
1.ヴァリアント研究との関連性
個々の物語解釈においては,次の2点に留意することにした。まず,明示的レベルと非明示的レベルの内容がシンメトリカルに対応していることは,物語の部分からではなく,全体から引き出されなければならないということである。第2に,非明示的レベルの内容が普遍的な理解可能性を持つことである。……(後略)
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