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はじめに
一九〇九年から三年間、フィジー東部のラケンバ島に学校の校長として赴任したホカートが、数多くの民族誌的研究を残したことはよく知られている。ホカートは一九三九年に五五年の生涯を終えたが、その一三年後に『生命付与の神話』[Hocart
1952a]が出版された。この書には、氏の滞在したことのあるフィジー、エジプト、セイロン(スリランカ)だけでなくギリシャ神話を含む世界の創世神話と生と死の神話の比較研究が収められている。ここで注目したいのは、ホカートが神話・儀礼・社会組織の比較研究をしたというだけでなく、儀礼・情動・生命を含めて研究する「生命の科学」を提唱していたことである。
ホカートは、儀礼を生命力獲得のための技術と捉え、その技術を強調する理論を生命の科学(the science of life)と呼んだ。生命は、儀礼・神話・特定の行為を通して実現される健康・豊饒・富を意味する。生命あるものとして人間により意味付与されるまで、人も物も生命力をもたない。「なぜなら、人は社会的動物であり、社会的存在であることによってのみ生きることができるからである。この生命の科学は、その結果、本来的にその適用において社会的でなければならない」[Hocart
1952a: 52]。
ホカート自身がそれを理論的に展開させたというよりは、フィールドワークで培った経験と鋭い直感から、神という不可思議な力に注目することで、心・生命・身体の社会的意味の研究の重要性を見抜いていたと言った方がよい。ホカートの学問的業績を讃えて編集された『王と顧問官』の序文に寄せたニーダムの言葉を借用すれば、「彼が明らかに関心を抱いていたのは、人々を観察した行動から抽象化された概念としての社会、特に生を営む人々の心の中の概念としての社会である」[Needham
1970: xiii]。進化論的思考がその前提にあったが、それゆえに、人は生きる存在であるため絶えず変化する状況に自らを適応させているのだとホカートは見ていた。
近年、文化人類学では、グローバル化に伴う政治的抵抗と戦略、資本主義化、文献記録の研究による植民地史、ポストコロニアル的住民運動など、政治経済の近代化の進展する世界情勢との絡み合いの場に目を向け始めた。人々の生活する場での経験的住み込み調査よりは町の図書館や資料館に通い、外部世界との対抗と葛藤の場に目を転じ、都会で進行しつつある現代スポーツ・観光・エスニシティなどの異文化混交の状況を論じるようになった。伝統文化そのものは、商業主義的・近代化主義的な歴史の過程で真正性を失って、新たな社会的・経済的・政治的状況に適応するための、過去から断絶した「新伝統」として創造されたものと解釈されるようになった。
もちろん、それは望ましい動向ではあるが、反面、長い間この分野の主要な関心であった地域コミュニティと神話・宗教・儀礼・親族組織・交換体系のような「伝統文化」の詳細な記述と分析は、消えつつある住民の記憶の断片をつなぎ合わせ、完結した未開社会像を構成しようとする、変化を無視した本質主義的研究であるとして、ショア[Shore
1996: 9]の言葉を借りれば、「汚れた世界」(dirty world)に投げ出され避けられるようになった。
しかしながら、大きな時代の流れと変化があったとはいえ、住民の生活レベルの認識にどれほど過去からの「断絶」があったかについては疑問が残る。たとえば、伝統の温床とされる人々の居住の場であるヴァヌア(vanuaとりあえず「郷土」と呼んでおきたい)は、西欧化の過程で確かに見かけは大きく変化したが、実際に現地の人々と暮らしていると、彼らにとってそこは今も情緒的な愛着のある「伝統」的な場であり続けている。明らかに、フィジー人のヴァヌアは西欧化の影響や変化と無関係ではありえないが、基本的には今も重要なホームランドである。
その意味で、早くから生命と社会、心(思考と情動)の中の社会、社会の変化と生命との関連性などに関心を寄せていたホカートの問題提起は注目に値する。その「生命の科学」の視点は、本書の基本的立場とも共鳴するものがある。確かにホカートの着想は当時の科学的認識論の制約を大きく受けており、逆に、それゆえにホカートと類似した見方を共有していた構造主義者のニーダム等により再評価されたともいえる。けれども、変化する状況に生きる人間と生命へのホカートの関心は、グローバル化が進み生命の脅かされる状況の増大した現代にも通じるものがある。本書も、グローバル化により大きく変容した現代のフィジー人社会を、現地の人々の「こころの中の社会」の視点を重視しつつ、それに合わせてサバイバルするためのグローバル・ライフシステム(global
life system)の一断面と見る意味において、ホカートの見解を踏襲している。
この言葉は、近年、弱肉強食の進化論に対抗し、生物学を中心として唱えられ始めた共進化(coevolution)論で使用されている。それは生物環境・人間の諸活動・文化それぞれのライフシステムが、葛藤や摩擦を繰り返しながらも互いに適応し、グローバル化に合わせてサバイバルするために密接な連携と共生を反復しながら進化してきたとする理論である。それにはいろいろな立場がありうるが、たとえば、その一人のクラーク[Clark
2000]は、人間(人口)、食糧、病原菌の共生進化のグローバル・ライフシステムを、古代から現代に至るまで論じている。
そのグローバル・ライフシステムの考え方は文化人類学の文化理論の影響を受けているだけでなく、先に述べたホカートの「生命の科学」とも似ているが、人間が世界に意味付与するというよりは、人間・社会文化・自然環境全体の動態の中に共生する生命体として人間存在を位置づけている点で異なる。それは、むしろ日本人には馴染みの深い自然・文化観にも似ており、日本人研究者の貢献の大きかった見解であるともいえる。
先住フィジー人の文化は、ホカートの諸著作からも明らかなように二元論的に組織化されているが、筆者の調査した結果からみると、その基本的認識はホカート的な西欧二元論というよりは、東洋的思想の見方に近い。フィジーでも、身体は社会文化や宇宙と調和したミクロコスモスであり、逆に人間も社会文化も自然界の運行と同じ法則により支配されている。ちょうど漢字の「氣(気)」の中に「米」という字が含まれているように、物質としての米は煮ることで「蒸気」(気体)となり、さらには「水」(液体)や「氷」(固体)に姿を変える。そこには、物質・身体・非物質の「かたち」の差を越えて循環する生命力の存在がその原点に据えられている。フィジー人の文化でも、その「氣」をブラ(bula
世界に充満する生命力)に置き換えれば、原則は同じである。また、ちょうど陰陽思想が男性原理(陽)と女性原理(陰)の結合による生命力の生成と均衡を社会文化の秩序の原点と見るように、フィジーでも生命力の生成と循環の基礎には、男女の結合と生命の生成、循環、均衡の理念がある。いずれの社会も、身体・心理・政治・経済・家族と親族・物質文化・宗教といった既成の科学的区分と研究の枠組みを越えた、生命の循環と相互交流を前提としている。
本書では、進化論ないしグローバル・ライフシステムの研究そのものに関心があるわけではないが、現代の状況を、広い意味でのその時間的な一時的過程と捉えておきたい。ここではむしろ、グローバル化した世界状況の脈絡の中でフィジー人の生きる生活世界を問い直し、それがどのように継承され再編成されてきたかについて考えるための、一つの準拠枠として念頭に置くに留める。グローバル化した現在のフィジーの社会文化の民族誌的研究のためには、それを身体と生命・社会文化・自然環境の総体的な維持と継承、及びサバイバルのための共生の動態(ライフシステム)の一局面と見る視点が必要である。いわば、ダーウィニズム的競争原理と対抗原理ではなく、共進化的な自然・社会文化・心身の相互浸透性と共生のパラダイムを重視するということもできよう。
本書では、もちろん、その全容について論じる余裕はないが、自然・社会文化が身体化され体現されるエコロジー・デザインとでも呼ぶべき生命観と支え合いの「かたち」の認識とサバイバルの視点が、現在の変化したフィジー人の社会と文化を捉えるための重要な手がかりになると考える。本書は、そのフィジー人の身体とライフシステムを中心として記述分析した些細な民族誌的研究の試みの一つにすぎないが、本書を通して多少とも、ホカートのいう「生命の科学」、ないし本書の表題である「生命観の社会(文化)人類学(的研究)」への可能性の糸口が見つかれば幸いである。
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