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名づけの世相史 「個性的な名前」をフィールドワーク

小林康正編 毎年100万人以上生まれる赤ん坊。近年、珍しい名、難読名が急増している現象を、民俗学の手法で分析。個性とは、家族とは、そして現代社会とは、を問い直す。(文化人類学ブックレット4)
A5判・並製・72頁・本体700円
2009年9月30日発行
ISBN978-4-89489-764-9
目次
はじめにより
著者紹介

目次

はじめに──「読めない名前」はなぜ増えるのか
  1 「珍しい名前が珍しくない時代」
  2 日常を捉えかえす方法としての「世相史」
  3 「珍しい名前」を理解するために

1 「世界に一つだけの花」としての子どもたち
  1 「読めない名前」の問題化
  2 個性の象徴としての名前
  3 名前の脱・世俗化

2 読めない名前と失われた「公共空間」
  1 名前と「公共空間」
  2 名前と「親密空間」
  3 「公共空間」の喪失

3 「個性的な名前」ブームの起源
  1 進行する名前の「微分化」
  2 コピーライターの参入
  3 80年代という消費社会の登場
  4 消費社会における「個性」

4 親密空間における「子どもという価値」
  1 「完ぺきな名前症候群」
  2 「子どもという価値」の変容
  3 親密空間において呼びかけられる名前

5 情報=消費社会における「たまひよ」名づけ本
  1 名づけの現場から考える
  2 ハードルの高い現代の名づけ
  3 『たまごクラブ』と「たまひよ」名づけ本
  4 「たまひよ」名づけ本における名づけの基本コンセプト
  5 音から決める名づけの普及と難読化
  6 「差異」を生み出すデータベース
  7 「個性」を作り出す仕掛け

おわりに
  1 「読めない名前」批判の不幸
  2 「個性」的な名づけを求めて

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はじめに


 1 「珍しい名前が珍しくない時代」
 「少子化」時代とはいえ、日本では毎年一〇〇万人以上の子どもが生まれています。当たり前の話ですが、そのすべての赤ちゃんに名前が付けられます。

 この名づけの現場で今もっとも注目を集めている現象といえば、これまでに見たことのない「珍しい名前」が急増し、巷に「読めない名前」が溢れつつあるということでしょう。「珍しい名前が珍しくない時代になった」ということです。

 このことが気になりだしたのは、娘の誕生がきっかけでした。一九九六年のことですが、あれこれ彼女の名前を考え始めたところ、名づけの周辺でいろいろな変化が起きていることが目に入ってきました。その一つがこの珍しい名前、読めない名前の増加です。今でこそ、論争を呼び、さらにそれをタイトルにする本が出版されるほど常識化した現象ですが、それはちょうどこの頃になって目立ってきた名づけの変化だと思われます。人を相手にしなければならない商売柄、どう読んでいいのかと苦しむ名前には、それまでもしばしば出会ってきたわけですが、名づけ本に掲載されている奇抜とも思える実例にちょっとした驚きを覚え、保育園のクラス名簿にこれと似た名前を発見するに到って、それは本格的な疑問になっていきました。

 それから一〇年以上が経ち、事態は急速に進行し、「DQNネーム」と呼ばれる「革命的」といえるほど新しい名前が拡大し、勢いはとどまるところを知らないという様相を呈しています。平成時代は明治以来何度目かの名前の大転換期なのです。

2 日常を捉えかえす方法としての「世相史」
 こうした珍しい名前の増加現象の分析を通して、家族の変化を中心に現代の世相を読み解いていく。これが本書の目的です。どうして名前は新奇なものになっていくのか。なぜ名前が読めなくなっていくのか。こうした疑問を読み解くことで、現在の社会や私たちの有り様について「内省」しようという目的です。

本題に入る前に、少しだけ本書で用いる方法の「世相史」について述べておきたいと思います。この世相史という方法を本格的に試みたのは、民俗学の大成者である柳田國男(一八七五─一九六二)です。柳田は昭和の初めに『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一)を著し、明治以降に起きた世相の変化について幅広く叙述をおこないました。柳田の試みは必ずしも成功したとはいえませんでしたが、歴史を、私たち普通人の現在につながる歴史、大事件によって綴られるのではない「日常」の歴史として構想したことの意味はきわめて大きいといえるでしょう。

 世相史という方法の可能性には、様々なものがあると思われますが、本書の課題とのかかわりで強調しておきたいのは、歴史を、私たちが今まさに生活する日常という内側の視点から捉えようとしたこと、そして、「変わり目」に対する着目の重要性を指摘した点の二つです。目の前で起きている変化に注目し、そこから私たちの歴史を考えようというのです。

 そのような意味で、世相史はふだん気にも留めない日常の些事を、いつもとは少し別の角度から見つめなおし、「当たり前」になっていることを点検するという役割をもっています。これは、呆然とするほど多くの出来事が押し寄せては過ぎ去っていくこのめまぐるしい現代において、そのことをひっくるめて私たちの有り様について考える暇や糸口を与えてくれるはずです。

 そして、こうした日常性点検の作業はたとえば今まで自分の行く手を阻んでいるかに見えた目の前の重々しい扉が、じつは巧妙に描き上げられた「だまし絵」だったというようなことを知る、そんな爽快で知的な経験も含んでいます。「当たり前」は自分を守ってくれると同時に自分のものの見方や動きを縛ります。その縛りを少し緩めることで、見える景色が変わり、不自由さから解放される。そんな効果もそこには期待されています。

 本書では、こうした世相史の立場から、最近の名前の変化を捉えようとするわけですが、そこでもやはり名づけの現場に身を置く人の立場に近付きながら、それを私たちの歴史として、私たちの日常を振り返る視座を築くための作業として進めていくことになります。つまり、内省の歴史というわけです。

3 「珍しい名前」を理解するために
 能書きが長くなりました。では、なぜ、あるいは、どのような経緯で、珍しい名前が増加してきているのでしょうか。

 冒頭でも触れましたが、そうした問題が社会的な関心を呼ぶのは、一つには、それが「読めない名前」として問題視されることによります。当然のように、それは名付けをおこなう親に対する非難として出現してきたのです。要するに、こうした問いに対する答えは、親の不見識と自己満足、非常識や教養のなさ(DQN)の現われと見なされたわけです。

 しかし、この本ではこうした見解はとりません。珍しい名前・読めない名前が増加する理由、さらにはそうした徴候の背後にある問題を発見していくためには、少なくとも、次の六つの視点から考えていかなければならないと考えます。……

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著者紹介
小林康正(こばやし やすまさ)
京都文教大学文化人類学科 教授
著書『課題としての民俗芸能研究』(共著1993年、ひつじ書房)、『身体の構築学──社会的学習過程としての身体技法』(共著1995年、ひつじ書房)、論文「「家」をつくる──「姓名学」・「乃木家再興問題」・「居所指定権」における姓名の近代」京都文教大学人間学研究所『人間学研究』第5集(2005年)、「姓名学の誕生──大衆新聞の登場と読むことの想像力を中心に」『京都文教大学人間学部研究報告』第10集(2008年)。

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