|
ドイツという異文化の中で留学生として暮らし始めてから一年が過ぎた。振り返ってみると、数々の思い出の中にどうしても欠かすことのできない一人の友人がいる。彼、N君は南タイの出身。歳は私よりも一つ上の28歳。浅黒い肌、背は人並みで、時折カッカッカッとさも愉快そうに笑う。生物学が専門で、ことに魚類の病気について研究している。タイの養殖漁業に貢献したいと言うのである。
N君と知り合ったのは去年の6月。私がドイツに渡ってただちにドイツ語研修のため赴いたフライブルクのゲーテ・インスティトゥート(ドイツ語の語学学校)に、彼は既に2ヶ月先に来て研修生活を送っていた。なんでもタイにいた頃はドイツ語を全く勉強していなかったそうで、ドイツに来てすぐ基礎から学び始めたそうだ。「グーテンターク(こんにちは)から始めた」とは彼がよく言うことだ。そんな彼のドイツ語は、努力家の面目躍如というべきか、みるみる上達していった。そうして9月の語学試験には見事合格し、ドイツの大学で正規の学生として学ぶ資格を手に入れたのだった。
N君は天才的なコックでもある。フライブルクにいた時もミュンヘンに移ってからも、市内のアジア食品店から材料を買って来ては、素晴らしく美味いタイの料理を作ってくれる。それが目当てで、私はフライブルクにいた頃から毎週末、彼やその他の留学生たちと夕食会をしている。料理をするのはたいていはN君だが、時には我々日本組が日本のものを作ることもある。N君の好物は日本のカレーや寿司といったところ。この夕食会(私たちはNの会と呼んでいる)では、同じ留学生という立場の者同士、情報交換や近況報告に花が咲く。ミュンヘンの安くて美味いビールを呑みつつ、我々の間でのリンガフランカ(共通語)となっているドイツ語で夜半すぎまで語り合うことも少なくない。
N君から教わって、ナンプラー(タイ風の魚醤)とオイスターソースを使った料理を試している私だが、彼の妙技には遠く及ばない。せいぜいタイカレーが少しは食える味になってきたか、という程度だ。
ドイツの観光地として非常な人気を集めているノイシュヴァンシュタイン城(新白鳥城)はミュンヘンの南西100キロ足らずの所にある。去年の11月末、厳しい寒さの中、雪の積もった道で滑らないように気をつけながら、私はN君とともにこの城を訪れた。常に体を動かしていないと芯まで凍りついてしまいそうな寒さで辛かったが、N君は雪を見るのが珍しいのだと言い、大いに雪景色を満喫していた。肝心の城について言えば、絵葉書で見るような角度から見下ろすことは不可能だが、城の裏手にあるマリーエン橋という吊り橋からの眺めは美しかった。
このノイシュヴァンシュタイン城の麓にはもう一つ、ホーエンシュヴァンガウ城というのがある。こちらは前者を建設したルートヴィヒ2世が少年時代を過ごした城で、黄色い壁を持つ地味な城だ。面白かったのは、この城をかのルターが訪れたという伝説とか、カール大帝(シャルルマーニュ)がこの近くで生まれたという伝説とかを描いた壁画が城の中にあることだ。我が国の弘法大師よろしく、ルター(やゲーテ)の足跡に、我々はドイツの各地で出会うことになる。また現代ヨーロッパの勢力地図を描いた偉大な帝王の出生地ははっきりしておらず、あちこちが当地こそはと名乗りを挙げているそうである。
ところで、留学生として生活する中で従来不足しがちだったのは自国語の情報であった。「であった」とあえて過去形で書いたのには訳がある。それは、現在ではインターネットの普及によって状況が大幅に改善されたからだ。たとえば新聞。つい5年も前であれば、大学図書館のような場所に備え付けられた自国語新聞を読む必要があったろう。それも、順番待ちの末ようやく読めるといった事態が少なくなかったものと思われる。それに比べると、現在インターネット上の新聞が手軽に読めるようになったことの意義は大きい。N君もタイ語の新聞をときどきネット上で読んでいるという。自国語の新聞を読むことには、自国語で読めるということの他に、自国関連のニュースが読めるという意味がある。日本で、タイで、何が起きているのかを常時知ることができるのは、とてもありがたいことだと思う。
発達したのは情報通信技術だけではない。交通の便もよくなった。ことに航空運賃が安価になったことによって、我々留学生は容易に「一時帰国」できるようになった。このことは、心理的にも肉体的にも大きな安心材料である。
けれども私にとって、異文化というフィールドで日々生活する中で最もほっとできるのは、Nの会での気のおけないお喋りのひとときである。アジアからの留学生という、互いに似た立場で話ができることが嬉しいし、何より敬虔な仏教徒であるN君の穏やかで誠実な人柄に魅かれて私は毎週末の集まりをいつも楽しみにしている。
N君はちょうど今日、約1年半ぶりに「一時帰国」の途に就こうとしている。家族、親類縁者や旧知の友たちの間で6週間ばかりの休暇を満喫し、元気にミュンヘンへ戻って来てほしいと願っている。
(1999年9月10日記)
|