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中国の〈憑きもの〉

華南地方の蠱毒と呪術的伝承

中国の〈憑きもの〉

蠱毒(霊的な毒物)、五通神、鬼人(生霊的霊物)、恋愛呪術など、中国南部に顕著な呪術的民俗伝承を、文献と実地調査から分析。

著者 川野 明正
ジャンル 民俗・宗教・文学
出版年月日 2005/03/20
ISBN 9784894893016
判型・ページ数 A5・375ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

前言 本書の課題について

一章 序論──蠱毒・運搬霊・鬼人・恋薬

  一 「蠱毒」と「巫蠱」──概念範疇の区別について
  二 西欧、中国、日本における蠱毒研究の概要
  三 本書の研究対象
  四 考察対象の範囲
  五 本書の構成

二章 中国各民族の呪術的霊物の信仰伝承──民族集団別にみた種類と類型

  一 本章の意図
  二 民族別にみた呪術的霊物の信仰伝承
  三 呪術的霊物の分布と類型
  四 結論

三章 雲南省の五通神信仰──保山市隆陽区五郎廟と独脚五郎・五郎神の精怪伝承

  一 はじめに
  二 雲南省保山市隆陽区の独脚五郎の伝承
  三 保山市隆陽区五郎廟の来歴とその祭祀神
  四 六賊神
  五 祭祀目的
  六 五郎神信仰の諸位相
  七 祭祀者とされる家庭の特徴
  八 結論──富の観念と五郎神

四章 大理ペー族の「ピョ」にみる蠱毒伝承と信仰習俗

  一 はじめに
  二 ピョの種類
  三 ピョの作用
  四 ピョの性格分類と貧富の関係
  五 具体的な症状、事件
  六 治療法、予防法
  七 ピョの祭祀と蠱神
  八 扱い主の性格
  九 ソーピョの家の分布
  十 具体的な分布の事例
  十一 結論──呪術的霊物と経済的観念

五章 蠱毒伝承論──呪術的霊物の言説にみる民俗的観念

  一 はじめに──『捜神記』の蠱毒伝承
  二 造蠱法──容器内で造られる蠱毒
  三 放蠱の目的
  四 蠱の伝承方法
  五 蠱と扱い主との相関関係
  六 蠱毒の過剰性
  七 金蚕伝承にみる転嫁法のモチーフ──富と危険の比例的増大
  八 民俗社会における転嫁法のレトリック──反証不可性
  九 結論──蠱毒伝承が意味するもの

六章 蠱毒・地羊・僕食──漢人の「走夷方」からみた西南非漢民族の民族表象(一)

  一 「走夷方」──漢人の西南辺疆旅行
  二 旅行の危険としての蠱毒
  三 土司の扱う蠱と漢人
  四 「変身する夷人」のイメージ
  五 鬼人伝承としての地羊・僕食
  六 「種人」としての地羊
  七 鬼人的信仰伝承の現代的様相──とくに枇杷鬼について
  八 結論と尾声──非漢民族の「国家」想像手段としての枇杷鬼

七章 恋薬・鬼妻をめぐる恋愛呪術伝承
    ──漢人の「走夷方」からみた西南非漢民族の民族表象(二)

  一 はじめに
  二 恋薬伝承
  三 鬼妻伝承
  四 現代の事例にみる恋薬・鬼妻伝承の民族表象
  五 結論

八章 結論──概要と展望

 一 概要
 二 課題と展望
 
 あとがき
 文献目録
 索引

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内容説明

日本の「憑きもの」信仰形成にも影響を与えたとされながら、実態が明らかにされてこなかった、蠱毒(霊的な毒物)、五通神、鬼人(生霊的霊物)、恋愛呪術など、中国南部に顕著な呪術的民俗伝承を、文献と実地調査から詳細に分析した労作。


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前言 本書の課題について


本書は、これまで民間信仰としての内実が知られることの少なかった蠱毒など、呪術的内容をもつ霊物の伝承を取り上げ、中国における民俗社会の心性に光を当てる。蠱毒とは、一言でいえば、霊的な毒物に関する信仰である。蠱は毒物で、その毒性を蠱毒と呼ぶが、特定の人物、家庭で使役され、他人に病気などの被害をもたらすとされる。


筆者がこのような呪術的伝承に関心を抱いたきっかけは、次のような事情による。


筆者は中国の民間信仰を研究対象としており、これまで中国民俗学・中国文学を専門とする立場から、筆記類、地方誌、民国以降の民族誌・民俗誌などの文献も合わせて研究資料に取り上げ文献的な研究を行ってきた。


その一方で中国雲南省を中心に、民間信仰の現地調査を行ってきたが、その際に各地で蠱毒や、それに類する民間信仰が現地の漢族、非漢民族を問わず、深く人々の間に信じられてきたことを知った。


たとえば、雲南省西部大理白族自治州のペー(白)族は、蠱毒に類する霊物をペー(白)族語で「ピョ」(Pyo)と呼んでいるが、村落内部にピョを養っているといわれる家庭が少なからずあり、周囲の家庭はこの種の家庭からピョによって病気をもたらされたり、財物を奪われることを恐れていた。そのような家庭は、ピョの内容によっては日常の交際や婚姻が忌避されることもあった。


大理白族自治州を西に下った隣接地区の保山市では、市政府所在地の隆陽区に、「五郎神」(Wu Lang Sen・漢語「ウーランセン」。以下、本書の漢語表記は雲南漢語〈西南官話の一支〉の現地音による)と呼ばれる神霊が信じられていた。五郎神は村内の特定の家庭で祭祀され、周囲の家庭から財物を持ってきてその家庭を豊かにするとされまた新たに別の家庭に移動してその家を富ませる。五郎神を祭祀する家庭から嫁を迎えると、その家庭も五郎神を祭祀するようになるなどといわれ、やはり婚姻が忌避される伝承が伝わっていた。


保山市の西隣地区である、徳宏族景頗族自治州一帯では、タイ()族やジンポー(景頗)族に生霊的な霊物である「枇杷鬼」(Pi Pa Gui・漢語「ピーパークゥイ」)の伝承があった。特定の婦女が枇杷鬼にとり憑かれると、彼女の魂は身体を脱けだし、周囲の者にとり憑く。とり憑かれると病人はうわごとを話したり、犯人とされる者に似た言動や行動をとるとされる。誰の魂がとり憑いているかが判明すると、その婦人は村内から放逐されるという。

これらの伝承は、民俗社会内部の人々の心の奥底に潜んだ暗がりともいうべき心性の一面を窺わせるものとして、筆者の深い関心を呼び起こさずにはおかなかったが、いずれも特定の家庭や人物が原因とされ、それらを起因源としてなんらかの霊物が被害を及ぼすとされ、周囲の家庭や成員から警戒されたり、忌避されたりする共通性で語られており、一連の類縁性をもった伝承であるように思われた。本書における立脚点と方針は、つまるところ、かかる類縁性をどのように研究主題として提示するかという問題に帰結する。


これらの民俗事象を類縁性としての視座のもとに、一つの総合的な研究テーマとして対象化するためには、まずもってそのような類縁性を統一的に言い表すだけの概念設定がなされる必要がある。しかし、ここで問題となることは、中国の民俗学的研究では、これらの民俗事象の類縁性に着目した研究は、夏之乾氏の「談談『放蠱』及其類似習俗産生的原因和危害」などを除いて少なく、統一的な概念を設定する試みは、いまだなされていないのが現実である[cf. 夏之乾 一九八四]。
ただ、日本人としての視座からみると、これらの民俗事象は、日本で知られてきたいわゆる「憑きもの」の民俗と類似した性格もある。大理地方のピョにおける、共同体内の特定の家庭が、周囲に被害を与えるとされ、交際を忌避されたりする性格は、日本で言ういわゆる「憑きものもち」の家庭と似たような状況にあることを示している。

(中略)

タイ族やジンポー族で信じられる生霊的な霊物である「枇杷鬼」は、生身の人間の魂が身体から脱けだし、周囲の人物に憑依するという点で、一種の生霊信仰であるといえる。これに対して、蠱毒は、他人を害するに当たり、身体内部に入り込み臓器を喰らい、中毒させる被害を及ぼす。いわば、他人に「つく」ことはあっても、その性格は広い意味での憑霊現象であって、患者に霊的に憑依・独占するトランス現象をもたらす事例は少ない。だが、枇杷鬼の場合は、憑依現象を起こし、患者のうわごとから犯人捜しの言説が生じる。

日本の憑きものの中でも、生身の人間の魂が憑依するとされる例は、飛騨地方のゴンボダネ(「牛蒡種」)や、沖縄のイチジャマ(「生邪魔」)などの例がある。日本では、たとえば『源氏物語』の六条御息所の生霊事件がそうであったように、生霊となった者みずからは、自分の魂が生霊として抜け出すことを知らない場合が多い。タイ族の枇杷鬼もみずからは意図せずに、魂が抜け出して他人に憑依する。このような性格をもつ生霊信仰は、もちろんアフリカなど、世界各地の諸民族にもみられるが、とくにアジア地域に限定して考えるならば、稲の魂や人間の魂が驚いた拍子に抜け落ちやすいなどの信仰は、日本にもタイ族にもあり、稲作を生業とする民族どうしの基層文化上の共通性を背景に読み取ることもできるだろう。


中国南部の諸民族に信じられるこれらの霊物の信仰は、日本人としての筆者の眼からみれば、日本の憑きもの信仰を下敷きにみると、たしかに一定の類似や、理解のヒントとなる現象に気づくことが少なくない。本書の題名は、読者にとり、なじみのない「蠱毒」などの概念をはじめから提示するよりも、日本の「憑きもの」にいったん引きつけたうえで、中国南部の霊物信仰の内実に理解を得ていただくための橋渡しとしてつけられている。


もっとも、本書の主題は一貫して中国南部にみる呪術的な霊物信仰の研究にあり、それらの信仰を「憑きもの」という言葉で説明しようとするものではない。本書の題名は、あくまでも、日本人にとっての中国の民俗事象への理解の入り口として設定されたタイトルである。日本の憑きもの信仰との比較は、各章のなかで、有益であると思われる場合のみ適宜触れた。本書副題でいう華南地方は、広い意味での中国南部を指している。華北・華南の対立した地域概念のなかで用いられているが、具体的には広東省・広西壮族自治区を中心とした中国南部を指し、雲南省・貴州省・四川省を含む西南地方と、福建省が属する東南地方を含む範囲を研究対象としている。具体的には、白鳥芳郎先生が使われた意味での、中国西南地方を含めた華南の地域概念に準じている[白鳥 一九八五]。なお、本書の民族集団の表記に「P人」「人」「Y夷」などの漢人側の貶意を含んだ伝統的呼称があるが、研究書の性格上、本書でも原資料の表記のまま用いたことをお断りする。


ところで、本書で行った現地調査は、あくまでもインフォーマントに対して研究対象となる霊物に対する認識を聞き書き調査したに過ぎない。ただ、目下個人の身分で、いまだその内実が明らかでない民俗伝承を調査するためには、口頭伝承調査に限った限定的な方法をとらざるをえないことも、外国人が、中国における現地調査に参与する際の実情を考慮すればやむをえない。本書における現地調査は、口頭伝承調査に限られ、調査対象となった地域社会における、特定の対象者と、他の成員との関係性に一定の認識を得ることを目標とし、伝承によって見いだされる関係性のみを対象とすることに考察の範囲を限定した。


本書は以上のように、方法論的に制約と限界があるが、一方で本書は、筆者が専門とする中国民俗学と中国文学の知見を活用し、中国南部地域における研究対象に関わる文献資料を、古籍文献から現代著作まで網羅的に取り扱うことを通じ、この種の民俗事象の全体的な連関と見通しを提示し、かかる制約と限界を補うことを目論んでいる。本書後半部の論考は研究対象となる民俗事象の諸事例を、引用によって再配列し、主題となる民俗事象における各引用事項の基本的な位相をつきとめることを目的とし、総合化の努力によって費やされている。現地調査による局地的観点と、文献資料の網羅的な通覧と考察による民俗事象の全体的把握を結びつけ、本書によって名指された蠱毒・運搬霊・鬼人・恋薬などの「呪術的霊物」に相当する民俗事象の実態について初歩的な解明を果たすことが、本書の一連の論考で筆者が目指している課題である。

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著者紹介
川野明正(かわの あきまさ)
1967年,東京都生まれ。
1992年,東洋大学文学部哲学科卒業。
2000年,東京都立大学大学院人文科学研究科(中国文学専攻)博士課程単位取得退学。
2002年,博士学位取得(文学・東京都立大学)。
東京都立大学助手を経て,現在,東京理科大学理工学部教養・専任講師。中国民話の会世話人。専門分野,中国民俗学(民間信仰論)。
主要著書・『神像呪符〈甲馬子〉集成──中国雲南省漢族・白族民間信仰誌』(東方出版,2005年)など。
主要論文,「東アジアの〈運搬霊〉信仰──日韓中の霊物にみる特定家庭盛衰の伝承」(『饕餮』第12号,2004年)など。

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