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生をつなぐ家

親族研究の新たな地平

生をつなぐ家

社会学・民俗学の知見も交え、個別の事例から「家」の変遷を通文化的に跡づける。

著者 小池 誠
信田 敏宏
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学集刊
出版年月日 2013/02/20
ISBN 9784894891517
判型・ページ数 A5・342ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

序論 生をつなぐ家──過去から未来へ(小池 誠・信田敏宏)
 はじめに─問題の所在
 一 「家」とは何か
 二 本書の構成
 おわりに─「つながり」から「つなぐ」思いへ

●第1部 「家」とは何か

「家のない社会」における家原理
     ──レヴィ=ストロースの「家」概念をアフリカから考える(小田 亮)
 はじめに 出自原理と家原理
 一 東アフリカの分節体系と「家」
 二 クリアの分節リネージ体系と「家」
 三 クリアにおけるレヴィレート
 四 寡婦たちの「戦術」
 おわりに

イエ概念の再検討(遠藤 央)
 一 親族研究の「死に方」と「よみがえらせ方」
 二 基本構造、複合構造、イエの関係
 三 パラオ社会とイエ概念
 おわりに

風水と家──『葬経』の親族理論(渡邊欣雄)
 一 問題の所在
 二 『葬経』(葬書)にみる墓地風水の理念:要点抽出
 三『葬経』の人類学的解釈
 四 風水と家──要約と結論

●第2部 つながりを願う「家」

二〇世紀初頭における西部アイルランド農村の家の構造(清水由文)
 はじめに
 一 アレンスバーグとキンボールによる直系家族研究の特徴
 二 クレア州の概況
 三 センサス個票による世帯構造の分析結果
 むすびにかえて

宗門改帳からみる農民社会の「家」──史料をフィールドワークする(岡田あおい)
 はじめに
 一 「宗門改帳」と対象地域
 二 世帯の特徴
 三 戸主の交替と世帯構造
 結びにかえて

家継承と家族との相克──家相続と家存続を例として(大野 啓)
 はじめに
 一 民俗社会における家
 二 父と子の家
 三 ゆれる家像
 四 観念としての家
 むすびにかえて

●第3部 つながりを作り出す「家」

祖先と共に
 ──タイ北部、ユーミエンのピャオ集団の核家族化過程に見られる「家」の構成原理(吉野 晃)
 一 ユーミエン
 二 社会組織 家族と親族
 三 儀礼と〈家先単〉
 四 祖先と子孫との関係を作る儀礼
 五 ピャオ構成の変遷
 六 合同家族解体の過程
 七 ピャオの中のつながり
 八 儀礼的統合維持のメカニズム
 おわりに

家の連続性と非連続性──ブギス社会における親族と婚姻(伊藤 眞)
 はじめに
 一 ブギス社会と家屋
 二 貴族と階層性
 三 ブギス社会のなりたち
 四 ブギスの婚姻
 考察とまとめ──イエの不連続性、そしてホームへ

ケニア・ルオ社会における象徴的「家」とその展開(椎野若菜)
 はじめに─アフリカで「家」を考える
 一 アフリカ社会の描かれ方
 二 現代ルオ社会概観
 三 ルオ社会の家族のライフサイクルと居住空間
 四 ルオ男性のライフサイクルと新しいダラの分裂
 五 生者と死者の世界をまたぐダラの生成サイクル─ルオ村落社会の再生産の仕組み
 六 象徴的な場として意味づけが強化された「ダラ」
 まとめ─ダラのなかの家、ダラという「家」

月経小屋の消滅と高床式家屋の出現
     ──パプアニューギニア・アベラム社会の性と家族(新本万里子)
 はじめに
 一 アベラムの居住空間
 二 家屋様式の変遷
 三 現在の建物の様式と人々の身体の置きどころ
 四 性と家族
 おわりに

●第4部 生と死をつなぐ「家」

「この世の家」と「あの世の家」
     ──現代沖縄における家屋・墓・仏壇の移動と「家」の継承をめぐって(越智郁乃)
 はじめに
 一 問題の所在
 二 仏壇、墓の移動と「家」の継承
 三 次世代の「家」の継承と「関係性」
 おわりに

墓が刻むクロノロジー
     ──マダガスカル、シハナカにおける祖先観の変化と〈家〉(森山 工)
 はじめに
 一 シハナカにおける祖先・墓・世帯
 二 墓の変化と祖先の個別性
 三 石墓の分出による新墓建設
 四 石墓の分出の社会的意義
 五 「永遠性」と「永続性」の地平
 おわりに

●第5部 今を生きる家

現代社会の「小さな『家』」 津上 誠
 はじめに
 一 カヤンにおける「小さな『家』」
 二 「家」を構成する二つの観念
 三 現代日本社会と「小さな『家』」
 むすび

家族なき時代の「家」(小池 誠)
 はじめに
 一 未来形の「場としての家」
 二 生殖医療技術と「つながり」の創造
 おわりに

あとがき(小池 誠)
索引

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内容説明

家族・家庭が急速に溶解している現代社会。本書は親族研究の伝統を持つ人類学において、現在の「家」に対してどのような考察が可能か、を改めて問い直す試み。社会学・民俗学の知見も交え、個別の事例から「家」の変遷を通文化的に跡づける。 

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序論 生をつなぐ家:過去から未来へ
小池 誠・信田敏宏

 

はじめに─問題の所在

 人類の長い歴史のなかで、採集狩猟民の簡素な小屋から王族の威厳を示す宮殿まで、家屋は、人が生まれ、成長し、そして死に至るまで生活の場となってきた。生きる営みのコアにある性と生殖だけでなく、食事や睡眠など身体に関わる行為はおもに住まいのなかで展開されてきた。もちろん、現代日本において、病院が誕生と死の舞台となり、また生活の様々な領域で市場化・外部化が進んでいるが、それでも人は帰るべき「ウチ」(家)を必要としている。人類の生活にとって、このような家屋のもつ重要性を考えると、世界中の多くの民族で、家屋を指す語と、その家屋に住む人びとの集まり(家族または世帯)を指す語が共通なのは、納得できることである。たとえば日本において、「家(イエ)」は単なる建築物を指すだけでなく、家屋に住む人びとの集団を指す語であり、さらに先祖も含むような超世代的存在を意味している。
 人類学や社会学では、住居を共にし、何らかの親族関係で結ばれた集団に対して、家族(family)や世帯(household)、家内的集団(domestic group)という分析概念を編み出してきた。本書では上記のような学問的に定着した用語の代わりに、あえて「家」という概念にこだわり、住居空間と、そこに住む人びと、そしてそこで営まれる生活という三者の関係を考えてみたい。「家」は、生殖を前提として親子関係と夫婦関係を重視する家族と、ある時点での同居にもとづく世帯とを架橋することができる概念である。近代家族を前提とする家族社会学においては、家族にのみ焦点を当ててもとりわけ問題はない。しかし近代家族という西欧的バイアスに囚われることなく[清水 一九九八:一五]、多様な生の営みに向かっていくべき人類学では、家族だけでなく世帯や家内的集団などの概念の使い分けに苦心しながら研究を進めてきた[cf. Holy: 1996: 51-70]。私たちは、これらの概念から抜けおちてしまうものを「家」がすくい取ることができると考えている。もちろん、後で取り上げるレヴィ=ストロースの家(英語でhouse、フランス語でmaison)社会論と、それに続く人類学者による「家」と「家社会」の研究に触発されたというのも、「家」を用いる理由の一つである。とはいえ、欧米発の「家」の研究に柳田國男など民俗学や、社会学・人類学の「家」に関する研究の蓄積を接合させて、単なる欧米の追随ではない、独自性をもった家研究の可能性を追求したいと考えている。
 本書が目指すのは、家屋という空間のなかで、どのような「つながり」(relatedness)をもった人びとが生活し、また、どのようにして人びとが「つながり」を過去から未来へ続かせようとするのか、また家屋、とくにそのなかの特定の空間が住人にとってどのような意味をもつのか、これらの課題を世界各地の様々な事例を通して、明らかにすることである。
 本書のもとになった国立民族学博物館の共同研究「家の人類学──新たなる親族研究に向けて」の目的は、「家」を中心的なテーマに設定し、人類学における親族研究を再構築することであった。とはいえ、人類学者だけでなく社会学や民俗学など関連する研究分野の研究者を加えて、より学際的な視野から「家」にアプローチすることを目指した。また、本書に収められた個々の論文はおもに特定の地域と時代の「家」を取り上げているが、本書全体を通して、「家」という対象に対する通文化的視点と、また「家」の変遷を念頭においた歴史的アプローチを重視している。
 「家」は現代日本において過去の遺制とみなされ、また否定的な意味を付与されてきた概念である。たとえば「家父長制」と結びついて、「家」は男性が女性を支配する空間と考えられてきた。このように日本の家族史研究では手垢のついた家概念をどう解体し、組み直すかが本書の課題でもある。古い家概念に囚われることなく、新しい視点から、家屋という空間とそこに住む人間集団との関係を問い直していきたい。このような視点をとることによって、どこか遠くの「家」の話で終わるのではなく、私たち自身が生きている「家」と家族の問題を考える時に参考となるような議論に発展することを目指している。
 本書では、生者が住む現世の「家」だけでなく、死者が住む「冥界の家」と呼びうる墓にも注目している。死者が葬られる墓と、現世の人間の集団との関係は、この共同研究のなかで浮かび上がってきた重要な論点の一つであり、墓の問題を加えることによって、現世の営みを超えて、より幅広い視点から「家」にアプローチできる。

一 「家」とは何か

 「家」の研究の前提になるのは、建材によって外部から隔てられ、さらに内部も区切られている家屋という空間であり、これを抜きにして、「家」を論じられないということである。この点を押さえた上で、集団としての「家」を論じるために、次のような二つの「家」の概念を考えた。第一は「法人としての家」であり、第二は「場としての家」である。
 「法人としての家」に関しては、レヴィ=ストロースの定義(第1部の小田論文で詳しく紹介)を踏まえて[Lévi-Strauss 1982: 174]、①法人格(名前、財産、称号などの所有)、②永続性の希求、③世代をつなぐラインの柔軟性(親族関係または姻戚関係の言葉による正当化)という三つの指標を議論の出発点として考えた。この定義では家屋という空間については明示されていないが、前提にはあると考えられる。民俗学者や社会学者[たとえば有賀 一九六九、大間知 一九七五、竹田 一九七〇]が論じてきた日本の家(イエ)は、これらすべての指標を満たす典型的な「家」といえる。日本の家は、①家産(不動産と動産)、家墓、家名、家格などをもつ法人であり、②世代を超えた永続性が希求され、③婿養子や非親族の養子を取ってでも、跡継ぎの確保が必須とされた。この他、日本の家の特徴として、継承者(家長となる)として家に残るのは一人だけであり(一子残留)、それ以外の子供は婚出・分家によって家を出て行くことが挙げられる[大間知 一九七五:二三五]。その結果、家の構成は直系家族となり、家がリネージと重なるような社会(たとえば東インドネシアのスンバ[小池 二〇〇五])などと比べて、小規模である。ただし日本の家は、有賀[一九六九]が論じるように、直系家族である中核的成員の他に奉公人などの非親族成員を含みうるものであった。
 日本は上記の指標に照らして、「家社会」であったといえるが、このように「家」の定義を厳密に考えると、対象となる社会が限定されることも確かである。たとえば二〇世紀前半までの中国・漢族の「家(jia)」は、法人ではあるが、「分家」に際して親の世代の生活単位は分割され消滅してしまう[瀬川 二〇〇五:三六─三九]。日本のように、分家を出した後、本家が永続することは漢族社会ではありえない。この点は、第3部の吉野論文が対象とするユーミエンの事例と同様であり、ともにレヴィ=ストロースの「家」の定義からはずれることになる。第1部の小田論文は、上記の定義とは別に「家原理」という用語を用いて、レヴィ=ストロースの「家」の概念を発展させている。レヴィ=ストロースの定義は家研究の原点として尊重するが、それに縛られることなく、「家」を「発見論的な(heuristic)」意義をもつ概念[Gillespie 2000: 6, 15]であると考えて、幅広く捉えるほうがはるかに生産的であろう。
 第二の「場としての家」とは、この節の最初に述べたように家屋という空間に重点をおいている。「場」(家屋またはその一部)を共有し、ある程度の「身体的相互行為」[清水 一九八七:四二─四四]をともなう個人の集合を想定した概念である。身体的相互行為には、性行為など体の接触を伴う行為だけでなく、食物の調理と子どもや高齢者のケアなど、日々の生活に関わる様々な家内的な機能が含まれる。もし単なる場の共有だけを問題にするならば、一般の集合住宅も「場としての家」に含むことになるが、身体性の問題を考慮に入れることで、対象外とみなすことができる。ただし身体的相互行為を絶対的な基準としているわけではなく、その程度を問題にしているので、当然「場としての家」の外延は曖昧なものである。これも「発見論的な」意義をもつ概念である。
 「法人としての家」は過去から未来につながる通時的な永続性を前提にしているが、「場としての家」は共時的な「つながり」を重視する。子どもに伝えるべき財産をとくに持たず、「法人」とは呼べないような現代日本の家族一般も、「場としての家」に含めて考えることができる。「法人としての家」の構成員は何らかの親族関係で結ばれた人びとであるが、「場としての家」は必ずしも家族または親族という言葉では括れない居住単位も含みこむ概念である。「家族」という一般的な概念を使わず、あえて「場としての家」という耳慣れない用語を用いるのは、この点を重視するからである。これからの社会の在り方を視野に入れる時、従来の家族像とは全く異なる、一つの住まいに暮らす人びとが、性と生殖を前提にしないで、互いに何らかの身体的なケアを実践するケースにも注目することが必要になってくる。これによって日本の家を典型的な例とする従来の「家」とはまったく異なる、未来形の「家」の議論が展開できると考える(具体的には第5部小池論文を参照)。
 「法人としての家」と「場としての家」のコアにある「つながり」の中身を考える時、血縁・親族関係を基にした「である」関係性だけでは不十分である。ある男性の子だから父系親族「である」とみなす従来の親族論の基礎にある考え方を乗り越える必要があると考える。カーステンはマレーシア・ランカウィ島の漁村では、「人びとは共住と共食を通して親族になりうる」ことが強調され、「親族自体がつねに創造され、変形される」[Carsten 1997: 27]と述べている。このような「になる」関係性を明確にした点において、カーステンの研究は、人類学における親族研究の見直しにつながるものである。レヴィ=ストロースの定義においてもラインの柔軟性が挙げられているように、「法人としての家」はもともと「になる」関係性が含意されていた。とくに日本の家のように、政治経済的利害関係によって、跡取りまで含めて非親族が家の成員「になる」ことが可能である。また、「場としての家」においては、「赤の他人」が生活を共にすることを通して強い「つながり」を持つよう「になる」ことも起こりうる。「になる」関係性は、本書の重要な論点の一つである。

二 本書の構成

(中略)

 

おわりに─「つながり」から「つなぐ」思いへ


 第一節では「である」という固定的な関係性だけでなく、「になる」という可変的な関係性を提起した。この「になる」という関係性をさらに進めると、既存の親族関係によって「つながっている」から、何らかの「つながり」を求めようとする「思い」、つまり、より主体的な関係のあり方が浮かび上がってくる。本書に収められた論文のなかにも、規範とか構造に束縛される日々の営みではなく、能動的な行為に注目した論文がいくつか認められる。たとえば、小田論文は、レヴィレートによる再婚を拒否して自立的に生きようとする寡婦の戦術を、大野論文は、「家」を何らかの形で存続させようとする老いた父親の願いを、そして越智論文は、墓を移す行為に込められた、将来祀られる側(親)の「思い」を取り上げている。とくに大野と越智が描くのは、「家をつなぐ」ことがもはや困難な現代日本において、従来の慣習とは異なるやり方であっても、何とかして「つなぐ」ことを模索する人びとの姿である。
 本書は「家」の終焉を予告しようとするものではない。人々は、「法人としての家」ではなく「場としての家」という形であっても、住まいという限られた場のなかに何らかの「つながり」を重ね合わせて、これからも生きていこうとしている。私たちは、「家」であれ、「家族」であれ、そういう場の重要性を今後も追い続ける必要があると考えている。

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編者紹介

小池 誠(こいけ まこと)
1956年東京都生まれ。
1991年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程社会人類学専攻単位修得退学。博士(社会人類学)。
現在、桃山学院大学国際教養学部教授。
主著書に、『インドネシア:島々に織りこまれた歴史と文化』(三修社、1998年)、『東インドネシアの家社会:スンバの親族と儀礼』(晃洋書房、2005年)、『家の存族戦略と婚姻:日本・アジア・ヨーロッパ』(刀水書房、2009年、共著)、『家族と生命継承:文化人類学的研究の現在』(時潮社、2012年、共著)など。

信田敏宏(のぶた としひろ)
1968年東京都生まれ。
2000年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程社会人類学専攻単位修得退学。博士(社会人類学)。専攻は社会人類学。
現在、国立民族学博物館民族文化研究部准教授。
主著書に、『周縁を生きる人びと:オラン・アスリの開発とイスラーム化』(2004年、京都大学学術出版会)、Living on the Periphery: Development and Islamization among the Orang Asli in Malaysia(2009年、Center for Orang Asli Concerns)、『東南アジア・南アジア 開発の人類学』(2009年、明石書店、共編著)など。

執筆者紹介(掲載順)

小田 亮(おだ まこと)
1954年新潟県生まれ。
1988年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程社会人類学専攻単位修得退学。博士(社会人類学)。
現在、成城大学文芸学部教授。
主著書に、『構造主義のパラドクス』(勁草書房、1989年)、『構造人類学のフィールド』(世界思想社、1994年)、『性』(三省堂、1996年)、『レヴィ=ストロース入門』(筑摩書房、2000年)、主編著書に、『呪術化するモダニティ』(風響社、2007年、共編)、『グローカリゼーションと共同性』(成城大学グローカル研究センター、2010年)、主論文に、「ポストモダン人類学の代価」『国立民族学博物館研究報告』21(4)、1997年、「『二重社会』という視点とネオリベラリズム」『文化人類学』74(2)、2009年など。

遠藤 央(えんどう ひさし)
1957年新潟県生まれ。
1990年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程社会人類学専攻単位修得退学。博士(社会人類学)。
現在、京都文教大学人間学部文化人類学科教授。
主著書に、『政治空間としてのパラオ』(世界思想社、2002年)、『ジェンダーで学ぶ文化人類学』(世界思想社、2005年、共著)、『環境と資源利用の人類学』(2006年、明石書店、共著)など。

渡邊欣雄(わたなべ よしお)
1947年東京都生まれ。
1975年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程社会人類学専攻修了。博士(社会人類学)。専攻は社会人類学。
現在、國學院大學文学部教授。
主著書に、『宴』(弘文堂、1975年、共著)、『沖縄の社会組織と世界観』(新泉社、1985年、伊波普猷賞受賞)、『風水思想と東アジア』(人文書院、1990年)、『漢民族の宗教』(第一書房、1991年、)、『世界のなかの沖縄文化』(沖縄タイムス社、1993年)、『風水:気の景観地理学』(人文書院、1994年)、『風水の社会人類学』(風響社、2001年)、主編著に、『親族の社会人類学』(至文堂、1982年)、『祖先祭祀』(凱風社、1989年)、『日本民俗大辞典』(吉川弘文館、1999〜2000年、共編)、『世界の宴会』(勉誠出版、2004年)、『沖縄民俗辞典』(吉川弘文館、2008年、共編)など。

清水由文(しみず よしふみ)
1948年兵庫県生まれ。
1976年関西学院大学大学院博士課程単位修得退学。社会学修士。専攻は家族社会学。
現在、桃山学院大学社会学部教授。
主著書に、『アイルランドの経験』(法政大学出版会、2009年、共著)、『変容する世界の家族』、(ナカニシヤ出版、1999年、共編著)、『職業と家族生活』(ナカニシヤ出版、1997、共著)、『タイ:工業化と地域社会の変動』(法律文化社、1995年、共著)』、『タイ農村の構造と変動』(勁草書房、1987年、共著)、主論文に、「20世紀初頭におけるアイルランド・ミーズリ州の世帯構造」『桃山学院大学社会学論集』45(2)、2012年、「19世紀末アメリカにおけるアイルランド人移民の家族構造」『桃山学院大学総合研究所紀要』33(3)、2008年など。

岡田あおい(おかだ あおい)
1992年慶應義塾大学大学院社会学研究科社会学専攻博士課程単位修得退学。博士(社会学)。専攻は家族社会学・家族史。
現在、慶應義塾大学文学部教授。
主著書に、『近代移行期の家族と歴史』(ミネルヴァ書房、2002年、共著)、 『近世村落社会の家と世帯継承:家族類型の変動と回帰』(知泉書館、2006年)、『家族・都市・村落生活の近現代』(慶應義塾大学出版会、2009年、共著)、『歴史人口学からみた結婚・離婚・再婚』(麗澤大学出版会、2012年、共著)など。

大野 啓(おおの はじめ)
1972年兵庫県生まれ。
2001年佛教大学大学院文学研究科博士課程単位修得退学。
現在、佛教大学歴史学部非常勤講師、桃山学院大学国際教養学部非常勤講師。
主論文に「同族集団の社会的機能と構造:口丹波の株を事例に」『日本民俗学』221、2000年、「同族結合の論理の変化:岩手県安比川流域の親方−名子関係を中心として」『比較家族史研究』17、2003年、「株座が維持されること:南丹市園部町竹井の宮衆の地位をめぐって」『国立歴史民俗博物館研究報告』161、2011年など。

吉野 晃(よしの あきら)
1954年東京都生まれ。
1990年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程社会人類学専攻単位修得退学。博士(社会人類学)。専攻は社会人類学。
現在、東京学藝大学教育学部人文社会科学系教授。
主著書に、『儀礼・民族・境界:華南諸民族「漢化」の諸相』(1994年、風響社、共著)、『民族の移動と文化の動態:中国周縁地域の歴史と現在』(2003年、風響社、共著)、Written Cultures in Mainland Southeast Asia (2009年、国立民族学博物館、共著)、『東アジアにおける宗教文化の再構築』(2010年、風響社、共著)、『中国国境地域の移動と交流:近現代中国の南と北』(2010年、有志舎、共著)など。

伊藤 眞(いとう まこと)
1950年横浜生まれ。
1982年東京都立大学社会科学研究科社会人類学専攻単位修得退学。博士(社会人類学)。社会人類学専攻。
現在、首都大学東京都市教養学部教授。
主著書に『やもめぐらし:寡婦の文化人類学』(明石書店、2007年、共著)。『講座 世界の先住民族 02 東南アジア』(明石書店、2005年、共著)、『性の文脈』〈くらしの文化人類学1〉(雄山閣、2003年、共著)、『〈もめごと〉を処理する』〈くらしの文化人類学6〉(雄山閣、2003年、共著)。主論文に 「ボーダー・エコノミー:サバにおけるブギス移民の生活戦略」『人文学報』408、2009年、「大衆化するハジ巡礼:南スラウェシの事例から」『人文学報』360、2005年など。

椎野若菜(しいの わかな)
1972年東京都生まれ。
2002年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程社会人類学専攻単位修得退学。
博士 (社会人類学)。専門は社会人類学、東アフリカ民族誌学。
現在、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所准教授。
主著書に、『結婚と死をめぐる女の民族誌:ケニア・ルオ社会の寡婦が男を選ぶとき』(世界思想社、2008年)、『やもめぐらし:寡婦の文化人類学』(明石書店、2007年、編著)、『セックスの人類学』(春風社、2009年、共編著)、『「シングル」で生きる:人類学者のフィールドから』(御茶の水書房、2010年、編著)など。

新本万里子(しんもと まりこ)
1968年山形県生まれ。
2011年広島大学大学院社会科学研究科博士課程後期修了。博士(学術)。専攻は社会人類学。
現在、広島大学大学院総合科学研究科研究員。
主論文に「月経小屋の消滅:パプアニューギニア・アベラム社会の居住空間の分析から」『民族社会研究』5、2008年など。

越智郁乃(おち いくの)
1978年愛媛県生まれ。
2010年広島大学大学院社会科学研究科博士課程修了。博士(学術)。専攻は社会人類学。
現在、福井大学産学官連携本部博士研究員。
主著書に、「墓と人のエージェンシー:現代沖縄における墓の変容を事例に」『アジア社会文化研究』13 、2012年、「八重山における『観光旅行』を通じた台湾認識」『世新日本語文研究』4、2012年、「遺骨の移動からみた祖先観:現代沖縄社会における墓の移動に関する一考察」『沖縄民俗研究』27、2009年、「墓と故郷:現代沖縄における『墓の移動』を通じて」『アジア社会文化研究』9、2008年など。

森山 工(もりやま たくみ)
1961年神奈川県生まれ。
1994年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専攻は文化人類学。
現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。
主著書に、『墓を生きる人々:マダガスカル、シハナカにおける社会的実践』(1996年、東京大学出版会)、『個からする社会展望:岩波講座文化人類学4』(1997年、岩波書店、共著)、『土地所有の政治史:人類学的視点』(1999年、風響社、共著)、『民族の運動と指導者たち:歴史のなかの人びと』(2002年、山川出版社、共著)、『文化の権力:反射するブルデュー』(2003年、藤原書店、共著)、『マダガスカル語文法』(2003年、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)、『マダガスカル語語彙集』(2004年、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、共著)、『フランスとその〈外部〉』(2004年、東京大学出版会、共著)、『資源人類学』(2007年、放送大学教育振興会、共著)、『資源化する文化:「資源人類学」02』(2007年、弘文堂、共著)、『人間の安全保障』(2008年、東京大学出版会、共著)、『フィールドワーカーズ・ハンドブック』(2011年、世界思想社、共編著)、など。

津上 誠(つがみ まこと)
1955年広島県生まれ。
1989年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位修得退学(社会学修士)。文化人類学専攻。
現在、東北学院大学教養学部准教授
主著書に、『民族文化の世界(下巻):社会の統合と動態』(1990年、小学館、共著)、『住まいにつどう:建築人類学2』(1999年、学芸出版社、共著)、『世界の先住民族 02 東南アジア』(2005年、明石書店、共著)、Seminar on the Perceptions of Natural Disasters among the Peoples of Sarawak (2009年、マレーシア・サラワク大学、編著)、主論文に「稲と首:イバン・エクスパンションの民族誌的背景」『民族学研究』50(1)、1985年など。

 

 

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