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ウズベキスタンの聖者崇敬

陶器の町とポスト・ソヴィエト時代のイスラーム

ウズベキスタンの聖者崇敬

70余年のソ連時代を経て、何が変わり、何が変わらなかったのか。生産・生活の現場から克明にたどる。

著者 菊田 悠
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2013/02/20
ISBN 9784894891883
判型・ページ数 A5・400ページ
定価 本体6,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき

序章
 第一節 本書の射程
 第二節 調査の経緯と論文の構成

●第Ⅰ部 フィールド紹介と分析の枠組み

第一章 青い陶器の町リシトン
 第一節 フェルガナ盆地の南端にて
 第二節 生活のリズムと聖なる場所
 第三節 窯元リシトン

第二章 ウズベキスタン・イスラームの分析枠組み
 第一節 中央アジアのイスラーム概史
 第二節 弾圧から再活性化へ
 第三節 二つの原理と七つの核

●第Ⅱ部 陶業とピール崇敬の変遷──ソ連時代を挟んで

第三章 中央アジア手工業者におけるピール崇敬
 第一節 手工業者の組織と信仰
 第二節 リシトン陶工の社会
 第三節 一九世紀末から二〇世紀初頭におけるリシトン陶工のピール崇敬

第四章 ソヴィエト時代のリシトン陶業とピール崇敬
 第一節 社会主義的生産の確立と葛藤
 第二節 リシトン陶芸工場の時代
 第三節 工房における徒弟制度とピール崇敬

第五章 独立後のリシトン陶業とピール崇敬
 第一節 生産の個別化と専門分化
 第二節 今日のピール崇敬
 第三節 近年の問題と「伝統」による解決の模索

第六章 ピール崇敬の今日性─集団統制から個の表現へ
 第一節 イスラームにおける聖者崇敬研究─人類学の視点から
 第二節 ピール崇敬の衰退局面
 第三節 維持・活性化されるピール崇敬
 第四節 ピール崇敬が示すもの

●第Ⅲ部 仲介者のいるイスラーム信仰実践

第七章 祈りあう生者と死者─ルーフ儀礼の比較考察
 第一節 ムスリム・アイデンティティの担保
 第二節 生者と死者の相互依存
 第三節 比較考察

第八章 ポスト・ソヴィエト時代のピール崇敬とイスラーム
 第一節 社会に浸透したピール崇敬
 第二節 見えない仲介者としてのピール
 第三節 ソ連時代のピール崇敬


 第一節 理論的考察
 第二節 再イスラーム化の行方

あとがき
参照文献
索引

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内容説明

ムスリム手工業職人にとってソヴィエト近代化とは何か。

今も陶工の守護聖者崇敬や、死者霊儀礼が盛んに行われている陶業の町リシトン市。70余年のソ連時代を経て、何が変わり、何が変わらなかったのか。生産・生活の現場から克明にたどる。

 

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まえがき

 

 

 ユーラシア大陸中央部に位置する国、ウズベキスタン。かつて旧ソヴィエト連邦を構成していたこの国は、一九九一年に独立した。その東部のフェルガナ地方に、リシトンという人口約三万人の町がある。リシトンはフェルガナ地方の中では小さな町に過ぎないが、陶器作りにおいては古くから名高く、中央アジア有数の陶業の町である。特に、白地に鮮やかなコバルト・ブルーで花やザクロの実、水差しなどの模様を描いた陶器皿や壷は、一九世紀から地域の名産品として知られている。近年では磁器製品も増えていて、現在町では陶土の採掘や陶器作り、陶器の販売や運搬に関わることで収入を得る住民が数千人にも上っている。

 二〇〇三年秋のある日、私はこの町で「香りを出す」(is chiqar/u)と呼ばれる儀礼に立ち会った。それは陶芸工房に新しい窯が完成したことを祝い、神─イスラーム教徒(ムスリム)である彼らにとってはアッラー─の加護を願う目的で催された集いであった。
 まず、工房の持ち主である陶工親方が一羽の鶏を屠った。彼がイスラームの戒律に従って鶏の首を切り、ポタポタと滴る血を新しく出来た窯に数滴かけた後、数人の男の弟子たちがこの肉でスープとピラフを作った。油をたっぷりと熱して肉を入れた大鍋からは、美味しそうな香りが漂う。工房には親方の古くからの知り合いで成形を担当している老陶工や、同じく陶工をしている親族と弟子たち十人弱が集ってこの料理を食した。
 食事が済んだ後、一番の年長者である老陶工がクルアーン(コーラン)の一節を五分程度朗誦した。他の者たちは神妙な面持ちで聞いていたが、アラビア語での朗誦が終わると、全員でドゥオ(duo/u)と呼ばれる祈願を行なった。ドゥオでは、両方の手のひらを上に向けつつ胸の前であわせ、願いの言葉を自分たちの言語(リシトンではウズベク語あるいはタジク語)で唱えて、両手で顔をなでる。この場合の祈願とは、新しい窯を用いたこの工房での仕事がうまくいくことであった。そして「『ピールと親方たち』が守ってくださるように(pir-ustalar quvvat-madad qilsin/u)」という言葉で、ドゥオは締めくくられた。
 ここでのピール(pir/u)とは、中世以降のエジプト、シリア、トルコ、イラン等中近東から中央アジアにかけてのムスリム社会において、職能者の守護聖者として知られていた存在のことである。ウズベキスタンでは現在も、各職能にはその始祖もしくは非常に優れた腕を持っていた先駆者がおり、ピールとして職能者の仕事や人生を保護してくれるという観念が浸透している。この工房の親方たちは、神に新しい窯を祝福してくれるように祈った後、この観念に従って、ピールと歴代の親方たちに対しても加護を願ったのである。

 筆者はこの「香りを出す」儀礼を見ながら、一九九一年まで約七十年間にわたって続いたソヴィエト連邦時代のことを考えた。ソ連時代がウズベキスタン、カザフスタン、クルグズスタン、トルクメニスタン、タジキスタンという現在の中央アジア諸国に与えた影響は甚大である。それまで数々の王朝が栄枯盛衰を繰り返し、遊牧を生業とする諸部族とオアシス都市の定住民らが隣り合って暮らしてきたこの大地に、ソヴィエト政権は人工的な国境線を引き、政治・行政機構を与え住民を教育して近代的な国民国家群を創ろうとした。今日の中央アジア諸国は、このソ連による一大プロジェクトの上に成り立っているのである。
 ソ連時代の近代化政策は、人々の日常生活に大きな変容をもたらした。第一に、広大な領土の各地で整備された社会的インフラが挙げられる。リシトンを例にとってみると、ソ連時代に広くまっすぐな幹線道路やバザールの建物、郡庁舎、病院、学校、映画館といった町での生活の核となる部分が整備され、現在の町の風景もそれを基にしている。現在の各家庭のガス管や電線、水道管もソ連時代に作られた基盤を補修しながら使い続けているものが多い。
 宗教的な側面への影響も、見逃すことは出来ない。ソヴィエト政権は無神論の普及を図り、たびたび反イスラーム・キャンペーンを行った。特に一九二〇年代末から一九三〇年代にかけては厳しい弾圧政策が展開され、リシトンではモスク(礼拝所)が一箇所を除いて全て閉鎖あるいは破壊された。イスラームの初等教育を行なうマドラサも閉じられ、多くのイスラーム知識人が迫害された。割礼や断食の実施、クルアーン所持からその公の場での朗誦も禁じられた。そのため、秘密裏に行なっていた割礼や人生儀礼でのクルアーン朗誦等によって自己がムスリムであることは一応意識しつつも、日々の礼拝の仕方を知らない者や、飲酒や豚肉食を堂々と行なう住民もソ連時代には少なくなかったという。
リシトンの基幹産業である陶業も、ソ連時代に変化を余儀なくされた。共産主義の理想を掲げ、生産手段の所有に関して格差をなくそうとしたソヴィエト政権は、一九三〇年代に自宅での製陶を禁止し、窯や道具を一箇所に集めて共同で作業するように「集団化」した。この結果、一九八〇年代末までリシトンの陶工は原則として協同組合や国営の陶芸工場とその支部でのみ陶器を作ることになった。家に祖父や父伝来の窯や工房があっても、それを用いることは禁止されていたのである。
 ところが、一九九一年にウズベキスタンが独立してから、イスラームを取り巻く状況と、陶業の環境は再び大きく変わった。政教分離という原則は堅持されているものの、個人のイスラーム信仰実践の自由は、大統領がクルアーンに手を置いて就任の宣誓をするほどに公認された。ウズベキスタン各地およびリシトンの各街角にもモスクが開かれた。クルアーン朗誦も堂々とできるようになった。筆者の調査の初期(二〇〇二年)には、リシトンで飲酒や豚肉食を行なう人もまだ少なくなかったが、その後は徐々にそれらを忌避する人が増加している。ムスリムであることを理由に、結婚式を男女別席にするケースも増えつつある。日常生活における再イスラーム化がゆるやかに進んでいるのである。
 リシトン陶業の変化は次のようなものである。国営陶芸工場はいったん民営化されたが、経営に失敗してすぐに倒産してしまった。これによって二千人を超す労働者が職場を失った。しかし、彼らの一部は自宅に窯と工房を設けて自ら陶器作りや販売をするようになり、その成功が明らかになると、リシトン住民の大半が生計の道を求めて製陶や陶器販売に関わる状況となったのである。そして、今もまた新しい陶芸工房の窯が開かれた。「香りを出す」儀礼によって神と「ピールと親方たち」の加護を求めつつ。それだけを切り取ってみれば、まるでソ連時代はここの陶業と陶工の信仰に何の変化ももたらさなかったかのようである……だが、本当にそうなのだろうか。
 実際には、ソ連時代の諸政策は、前述のようにウズベキスタンという国家体制そのものを規定したのであり、人々の日常にも深い足跡を残している。リシトン陶業の現場においても、その技術や製品の種類にはソ連時代を経て数々の変化が起こっている。陶工の組織や互いの関係も、ソ連時代の集団化と独立後の個人経営化を経て変化した点が少なくない。では、「ピールと親方たち」の加護を求める陶工たちの行為、つまりピール崇敬も、ソ連時代を経て変貌したのだろうか。また、それは当地のイスラーム信仰実践の変遷に何を語るものなのであろうか。

 本書が追求する第一の対象は「ソ連時代がリシトン陶業と陶工たちのピール崇敬に残した軌跡」である。リシトンの主要産業である陶業がソ連時代にいかなる変遷を経たか、その中で陶工のピール崇敬はどうなったのか。これらの点を詳細に検討する。そしてこれをもとに、「ピール崇敬を含む、ウズベキスタンのイスラーム信仰実践全体をいかに捉えればよいのか」「それはソヴィエト連邦における近代化、すなわちソヴィエト近代化の中でいかなる変遷をたどったか」というテーマを議論したい。無神論を掲げ、世俗化を推進したはずのソ連において、イスラームやその聖者たちが社会と人々に対する影響力を失わなかった経緯は、非常に興味深いものである。それは私たちに近代化や世俗化の定義の見直しを促すとともに、イスラームにおける聖者崇敬の今日的意義を示してくれる。更には、現代における宗教の役割を考える上でも役立つ事例となるだろう。
 リシトン陶器の古い文様のひとつに、十字の四隅ごとに花を描くものがある。これは「東西南北、世界のどこにでも花のように美しい場所、良い部分がある」という意味で、町からそれほど遠くへ行くことがなかった昔の陶工が、世界を夢想しながら描いたと言われている。日本で暮らす私たちの大半にとって、ウズベキスタンは一見疎遠な国に思えるかもしれない。しかし、そこに今も残るソヴィエト近代化の影響と、イスラーム的聖者を尊敬して暮らす人々の姿を知ることで、私たちも近代化によって大きく変容してきた日本の来し方と現在の位置を確かめ、未来の方向をより豊かに想像して花を描く一助にすることができるのではないだろうか。

 

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著者紹介
菊田 悠(きくた はるか)
1976年生まれ。秋田、広島、仙台を経て東京育ち。
2009年,東京大学大学院総合文化研究科,超域文化科学専攻博士課程学位取得(学術博士)
現在:日本学術振興会特別研究員
専攻:文化人類学
主要業績:2005,「ソ連期ウズベキスタンにおける陶業の変遷と近代化の点描」『国立民族学博物館研究報告』30(2):231-278. 2009, A Master is Greater than a Father: Rearrangements of Traditions among Muslim Artisans in Soviet and Post-Soviet Uzbekistan. D. C. Wood (ed.), Economic Development, Integration, and Morality in Asia and the Americas (Research in Economic Anthropology 29), pp.89-122. UK: JAI Press, Emerald. 2011, Ruh or Spirits of the Deceased as Mediators in Islamic Belief : The Case of a Town in Uzbekistan. Acta Slavica Iaponica 30: 63―78.  2013,「ウズベキスタン東部地方都市における聖者崇敬の現在―ムスリム陶工のピール崇敬を中心に」『文化人類学』77(3):361-381.

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