ホーム > 景観人類学の課題

景観人類学の課題

中国広州における都市環境の表象と再生

景観人類学の課題

地域住民の記憶、価値観、社会関係から紡ぎ出された「場所」、官や産学、メディアが創り出す「空間」。せめぎ合いを読み解く。

著者 河合 洋尚
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2013/04/10
ISBN 9784894891784
判型・ページ数 A5・392ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

 序文
 
第Ⅰ部 景観人類学の理論と研究史
 
第一章 景観人類学の動向と射程
 一 景観人類学の基本的視座
 二 景観人類学の研究史の概要
 三 景観人類学の射程と課題の提示
 
第Ⅱ部 〈空間〉政策と文化表象による景観の生産様式
 
第二章 広州の下町における西関〈空間〉の生産
 はじめに
 一 広州と西関の地理的・歴史的概況
 二 広州の国際都市建設計画と西関の位置づけ
 おわりに
第三章 西関文化を書く、西関文化を読む
 はじめに
 一 嶺南漢族をめぐる歴史的記述
 二 一九八〇年代以降における嶺南文化の民族誌的記述
 三 嶺南文化と西関文化の位置関係について
 おわりに
第四章 西関文化の視覚化から景観の生産へ
 はじめに
 一 西関文化とそのシンボルの生成
 二 シンボルの〈空間化〉と景観の生産
 おわりに
 
第Ⅲ部 地域住民による〈場所〉と景観の構築過程
 
第五章 西関社区の地域構造
 はじめに
 一 西関社区における二つの〈場所〉
 二 西関社区におけるアイデンティティ集団と〈場〉の形成
 おわりに
第六章 西関屋敷と麻石道をめぐるシンボルの生成と選択
 はじめに
 一 西関屋敷と麻石道をめぐるシンボルの流布
 二 多様な〈場〉によるシンボルの選択性
 おわりに
第七章 詩的景観のつくられ方と読まれ方
 はじめに
 一 西関風情園の建設─シンボルの散布による特色ある景観の生産
 二 地域住民による西関風情園の読まれ方─真偽意識の謎をめぐって
 おわりに
第八章 廟会景観の生産・構築・相律
 はじめに
 一 廟会景観の表象と再生─北帝誕生祭をめぐるポリティクス
 二 地域住民による廟会景観の「歩き方」─〈場所〉の記憶と再生
 おわりに
第九章 創出される巷景観
 はじめに
 一 物理的環境から景観へ─巷をめぐる表象とまなざしの創出
 二 〈場所〉の記憶と巷景観の再構築─福祉士と地域住民の視点
 おわりに
 
第Ⅳ部 景観人類学の課題
 
第十章 結論─景観人類学における第三のアプローチ
 一 〈空間〉律と〈場所〉律
 二 相律へのアプローチ─構造色の景観をめぐって
 三 今後の課題─応用研究への可能性
 
 あとがき
 参考文献
 索引

このページのトップへ

内容説明

地域住民の記憶、価値観、社会関係から紡ぎ出された「場所」と、官や産学、メディアが創り出す「空間」。交錯するベクトルを新たな視角で解きほぐす。注目の論考。 

 

*********************************************

 

序文より

 

 

 

 本書は、中国広州における都市景観再生の動きを、特に広州の下町である西関に焦点を当て、景観人類学の視点から考察するものである。

 広州は、上海、北京に次ぐ中国の大都市であり、広東省の省都である。近隣には香港、マカオ、深圳、東莞など有数の経済力をもつ都市がひしめいており、この一帯には日系の企業や日本からの訪問者も少なくない。広州は、そのなかでも香港とともに政治的・経済的なリード・オフ・マンとしての役割を果たす、中国華南地方最大の都市である。

 ……この間、西関では急速な都市開発が進む一方、往年の特色ある景観を再生しようとする、見逃すことのできない動きがみられた。北京では下町の約四〇パーセントが開発されたというが[China Daily 2010-8-14]、他方で、広州では、下町の歴史的景観を保護・再生させる努力が、広州市政府の主導によりなされてきた。その結果、西関では、青レンガの壁、横木の門、煌びやかな窓などを用いた建築物が次々と建てられ、「巷」と呼ばれる小道も石畳に改造されるなど、歴史的な光景が現代に再生されていった。同時に、物理的環境が再生されるにとどまらず、それと関連のある往年の民俗や生活様式も保存・再生の対象とされた。

 広州の下町で歴史的景観の再生がおこわれた動機の一つは、二〇一〇年一一月に広州で開催されたアジア競技大会(以下、アジア・オリンピックと称す)に向けて、広州の都市イメージをつくりだすことにあった。北京においても、二〇〇八年八月にオリンピックを開催する前に、「胡同」(横丁)のある下町を青レンガの壁と赤い門で塗り替えたことがある。広州でも同様に、北京や他の中国の都市とは異なる、特色ある都市景観をつくりだすことが目指されてきた。その際、広州の地方政府は、学術機構やマス・メディアとの提携のもと、青レンガの壁、横木の門、煌びやかな窓、石畳の小道などを西関文化として「科学的」に規定し、そのローカルな文化を視覚化することで、特色ある都市景観をつくりだしてきた。

 しかしながら、ここで保存・再生すべきと主張された文化は、むしろ文化財のように高尚であり特殊性を具えたそれである。すなわち、地域住民の記憶、価値観、社会関係から紡ぎだされた、いわゆる人類学的な意味での生活様式としての〈文化〉ではなかった(本書では、生活実践と関連する後者の文化概念を〈 〉で表し、あるテリトリーの特色を示す前者のそれを○○文化などカッコなしで用いる)。それゆえ、ローカル文化を視覚的に保存・再生させる名目で政策的につくられてきた景観像は、地域住民の思い描く景観像と少なからず距離が生じていた。

 では、地方政府、マス・メディア、そして学術機構は、どのような理由から特色ある都市景観をつくりだしてきたのだろうか。それに対して、地域住民は、どのような立場から景観を眺め、それに迎合したり反感を抱いたりしてきたのだろうか。筆者は、このような関心をもとに、二〇〇六年四月から二〇〇八年二月まで、西関でのフィールドワークをおこなった。そして、こうした現代中国の都市的状況を解読する助けとなったのが、景観人類学と呼ばれる分野の視点と方法であった。

 

 二

 

 景観人類学(anthropology of landscape)は、一九九〇年頃よりイギリス社会人類学界で台頭しはじめた、比較的新しい分野である。一九九〇年代半ばから、イギリス、アメリカ、オーストラリアをはじめとする英語圏の人類学界において盛んになり、今やその研究蓄積は少なくない。特に、イギリス社会人類学界では、景観人類学は、身体論とともに最も将来性のある分野の一つとみなされることすらある[Descola and Palsson 1996: 14-15]。現在(二〇一二年)の日本では、景観人類学はまだ、それほど知られた分野ではないが、それでも西村正雄ら早稲田大学のラオス研究グループによる書籍[ラオス地域人類学研究所編 二〇〇七]の出版など、萌芽的な動きはある。

 それでは、なぜ景観人類学は、社会─文化人類学(以下、人類学と単に記す)において注目され始めたのであろうか。その理論的な出発点には、文化を「書く」ことをめぐる一連の議論が関係している。一般的に人類学は、異社会に入り、そこで長期のフィールドワークをおこなうことで当該社会の文化を理解し、その文化を民族誌として書くことで自社会に翻訳することが主な仕事とされてきた。しかし、一九八〇年代後半になると、この文化を「書く」作業が、エキゾチックな、あるいはノスタルジックな異社会のビジョンを描く貢献をなしてきたことに、疑問が投げかけられるようになった[Clifford and Marcus eds. 1986]。それにより、文化を「書く」技法が恣意的かつ権力的であるとする批判が、人類学の内部で強まった。

 ところが、景観人類学はむしろ、この批判を逆手にとることからはじめている。すなわち、景観人類学は、文化を「書く」技法そのものを批判するのではなく、文化を「書く」営為によってつくられたエキゾチックな、もしくはノスタルジックなビジョンが、いかに現実社会をつくりだしてきたかに着目したのである。景観人類学の旗手の一人であるエリック・ハーシュによると、こうした異文化の学術的な描出は、ローカルな土地の肖像を描き出す景観画(風景画)の技法と共通性がある[Hirsch 1995: 3]。したがって、あたかも景観画を描くかのように、ある土地のローカルな特殊性を描き、そして社会へ提示する権力性を、景観人類学は研究の対象とするようになったのである。

 他方で、景観人類学において、象徴人類学もしくは認識人類学の系譜を引くと考えられる方向性も現れてきている。この方向性は、文化を「書く」作業によりローカルな特殊性をもった景観がつくりだされる力学を問うのではなく、地域住民が生活実践─とりわけ生活上の経験、記憶、価値観、語り─を通して物理的環境に「意味」を付与するプロセスを問うアプローチである。

 以上の二つのアプローチが具体的にどのように展開していったかについては、次の第一章で詳述するので、ここではさしあたり、これらのアプローチがそれぞれ〈空間(space)〉と〈場所(place)〉の概念と関連して研究が進められてきた事実を指摘しておきたい。

 景観人類学における〈空間〉は、たとえば国家、都道府県、保護区など、政治的に境界づけられた領域的な面を指す。そして、その〈空間〉は、価値中立であるのではなく、イデオロギー的な価値が埋め込まれ、政治経済的利益を与える資源となりうる。簡潔に言えば、ここで言う〈空間〉は政治空間であるといえるだろう。そして、景観人類学の〈空間〉分析では、政府、学術機構、マス・メディア、開発業者、観光業者などが特殊性を具えた景観のビジョンを〈空間〉内において生産する、政治・経済的な力学が問われてきた。

 他方で、〈場所〉は、親族・近隣などの社会関係が結ばれるとともに、記憶やアイデンティティを共有する生活の舞台を指す。つまり、〈場所〉は、人類学者が長年考察の対象としてきた生活の舞台にも相当するが、この概念は〈空間〉との対応によってはじめて成り立つ。それゆえ、景観人類学の〈場所〉分析では、〈空間〉の枠組みにおいて生産された特殊性としての景観に対して、地域住民が対応していくプロセスを考察の対象としてきた。そして、人類学者たちは、前者の景観に抗することで立ち現れる地域住民側の景観を模索することに傾倒してきた。

 要するに、景観人類学では、これまで、景観がつくられる二つの異なる経緯が問われてきた。一つは、都市計画や観光パンフレットなどで描かれがちなローカルな特殊性をもつ景観であり、もう一つは、地域住民の生活実践により紡ぎ出されるそれである。こうした〈空間〉と〈場所〉を機軸とする分析手法は、西関における景観再生の動きを考察する際に、次のような示唆を与えてくれる。

 第一に、広州市政府、学術機構、マス・メディアの提携下で生産された特殊性としての景観は、西関という〈空間〉を基盤に展開されてきた。そして、この動きの背景には文化を「書く」作業を通した科学的な裏づけがあり、それによりローカルな特色をもつ、西関に特有の景観が再生されていった。

 第二に、科学的な権威と政治経済的な所為によって生産されたローカルな景観は、時として地域住民によりニセモノであるとして否定されている。というのも、地域住民は、〈場所〉において慣習的な価値観や記憶を培っており、そうした視点から、別様の景観を眺めうるからである。だが、時として地域住民は、政策的につくられた景観を利用することで、自己の権益を強める努力をおこなってきた。

………… 

 

*********************************************

 

著者紹介
河合洋尚(かわい ひろなお)
1977年、神奈川県生まれ。
2009年、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程修了。
現在、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員。博士(社会人類学)。
主な業績:『相律する景観――中国広州市の都市景観再生をめぐる人類学的研究』(東京都立大学・博士論文、2009年)、「都市景観の再生計画と住民の選択的参与――広州市の下町の事例から」(小長谷有紀・川口幸大・長沼さやか編『中国における社会主義的近代化――宗教・消費・エスニシティ』勉誠出版、2010年)、Creating Multiculturalism among the Han Chinese: Production of Cultural Landscape in Urban Guangzhou, Asia Pacific World 3-1,Berghahn, 2012他。

このページのトップへ