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複ゲーム状況の人類学

東南アジアにおける構想と実践

複ゲーム状況の人類学

両立しえない「規則-信念」が並存し、同時に作用する状態に生きる人間の有り様を考察。人類学の新たな分析軸を探る野心的論集。

著者 杉島 敬志
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学集刊
出版年月日 2014/10/30
ISBN 9784894892040
判型・ページ数 A5・382ページ
定価 本体4,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

目次
序論 複ゲーム状況への着目─次世代人類学にむけて 杉島敬志
 はじめに
 一 規則─信念
 二 権威者・コミュニケーションとゲーム
 三 不定見者
 四 古典的二元論
 五 混同されがちな議論
 六 他者の消失
 七 本書の所収の論文

第一部 不定見者

第一章 フィリピンの都市移住者コミュニティでみられる複ゲーム状況 細田尚美
 はじめに
 一 フィリピンの家族・親族間関係と富の分配
 二 バト村と都市の分村
 三 富と分配をめぐる相互行為
 四 交錯する規則─信念、そして不定見者
 おわりに

第二章 北部タイ農村地域における医療をめぐる複ゲーム状況 飯田淳子
 はじめに
 一 タイにおける医療制度の特徴と変化
 二 調査地の概況
 三 痛みへの対処
 四 呪術をめぐる複ゲーム状況
 五 医療者のジレンマ
 おわりに

第三章 バリにおける慣習村組織の変化とその非全体論的解釈 中村 潔
 はじめに
 一 バリにおける慣習(アダット)
 二 慣習村・土地・儀礼
 三 慣習村の変化
 四 慣習村組織への関与
 おわりに

第二部 カプセル化

第四章 ゲーム間を開拓する
        ─フィリピン地方都市、呪術・宗教・医療の複ゲーム状況から 東 賢太朗
 はじめに
 一 呪術・宗教・医療をめぐる複ゲーム状況─フィリピン・ロハス市の呪医実践より
 二 カプセル化と不定見者
 三 総括
 おわりに

第五章 ピーの信仰をめぐる複ゲーム状況論 津村文彦
 はじめに
 一 二種のピー
 二 ピーとモータム
 三 村落守護霊とチャム
 四 チャオプーをめぐる複ゲーム状況
 五 「媒介項の挿入」による葛藤の収束

第六章 マレーシア・イスラームにおけるハラール実践
        ─複ゲーム状況という視点から 多和田裕司
 はじめに
 一 イスラームとその「外部」
 二 マレーシア・イスラームにおける複ゲーム状況
 三 イスラームにおけるハラール
 四 マレーシアにおけるハラール認証制度
 五 ハラールをめぐる二つの実践
 六 イスラーム「外部」からのイスラーム化
 おわりに

第三部 ゲーム外状況

第七章 複ゲームとシンクレティズム
        ─東南アジア山地民ラフの宗教史から 片岡 樹
 はじめに
 一 シンクレティズム
 二 複ゲームからみたラフ宗教史
 三 キリスト教をめぐる複ゲーム
 四 考察
 おわりに

第八章 土地をめぐる複ゲーム状況─台湾・ブヌン社会の事例から 石垣 直
 はじめに
 一 ブヌン
 二 土地制度の変遷
 三 保留地の土地と住民との関係
 四 猟場をめぐる状況
 五 祖先の土地をめぐる新たな動き
 おわりに─土地をめぐる複ゲーム状況

第九章 グローバル化するエンジニアリングの複ゲーム状況と人類学 森田敦郎
 はじめに
 一 技術移転と複ゲーム状況
 二 人類学とエンジニアリングの複ゲーム状況
 三 複ゲームと人類学

第一〇章 東インドネシアにおける狡知と
         暴力を理解するための複ゲーム状況論 杉島敬志
 はじめに
 一 「序列」概念の批判─因果網・因果支配・因果秩序
 二 南西ティモールのナブアサ
 三 中部フローレスのリセ

 おわりに

 あとがき
 
 索引

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内容説明

無数の暗黙のルールが交錯する世界。熟知もせず抵触もせず生きる日常。両立しえない「規則-信念」が並存し、同時に作用する状態=「複ゲーム状況」に生きる人間の有り様を、多彩な事例の中で考察。人類学の新たな分析軸を探る野心的論集。

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序論より

 

 七 本書の所収の論文

 以下では本書所収の論文の内容を紹介する。本書は第一部「不定見者」、第二部「カプセル化」、第三部「ゲーム外状況」の三部からなる。各部への本書所収の論文の配置は、各論文の内容が不定見者、カプセル化、ゲーム外状況のいずれに力点がおかれているかによる。しかし、当然のことながら、各論文には、それ以外にもさまざまな事柄がのべられている。

 第一部「不定見者」第一章の細田論文は、フィリピンのサマール島のバト村と、この村の出身者たちが住む地方都市やマニラでの調査にもとづき、相互扶助と自助努力をめぐる複ゲーム状況をとりあげている。前者は経済的な成功者に自分より貧しい親族への援助を強い、後者は親族に頼ることなく、自立して生き、自らの努力によって成功することを要請する。細田は、バト村出身者のなかから現れる経済的な成功者が、自分より貧しい親族への援助を拒絶することで親族やバト村関係者のなかで悪者にされないように、相容れない規則─信念のあいだを、綱渡りをしながら生きているさまを、たくみに描き出している。そのなかで、とくに注目されるのは不定見者をめぐる記述である。不定見者は、かならずしも相反する規則─信念をその時々で適当に受け入れる多数者ではなく、成功者のふるまいを普段から注視しており、距離をおいたり、陰口を黙認するなどの方法で成功者の富の分配のバランス感覚を矯正しているという。また、細田論文は、相互扶助と自助努力が、上にのべた意味とは大きく異なる含意をもつようになるコンテクストを明らかにしている点でも注目される。

 第二章の飯田論文は、北タイのチェンマイ県を中心とする調査にもとづき、相容れない規則─信念にしたがっておこなわれている近代医療、呪術、在来のマッサージ、国家公認のタイ式医療が並存する複ゲーム状況と、この状況を、心身の不調に苦しむ人々がさ迷い歩くさまを記述している。飯田論文は、こうした事態を単に医療多元主義として描くのではなく、近代医療に従事する医師の微細なふるまいに着目することで、かれらもまた、医療をめぐる複ゲーム状況のもとでは不定見者にならざるをえない事態を、国家の医療政策や反政府的なコミュニティ主義運動などのゲーム外状況とともに明らかにしている。また、飯田論文は、ハイブリディティの概念にもとづく医療人類学を批判的に検討しており、この点でも重要である。

 第三章の中村論文があつかっているのは、インドネシア・バリ島の慣習村、スラット村における「慣習」をめぐる複ゲーム状況である。慣習村とは、行政単位とは異なるレベルで存在する在来の村落であり、「慣習」という形容詞が示すように、成文化されてない規則─信念にもとづいて運営されてきた。中村が焦点をあわせるのは、この慣習村の現代的状況であり、慣習の変更を忌避する「伝統派」と、慣習を効率的で合理的なものに変えていこうとする「近代派」のせめぎあいを描き出すとともに、こうした「派」のなかにも実は多くの不定見者がいることを明らかにしている。この点で中村論文は飯田論文と類似している。しかし、中村論文を特徴あるものにしているのは、その全体論(ホーリズム)に対する精緻な批評であり、全体論とは何かを考えようとする者にとって必読に値する議論が展開されている。

 第二部「カプセル化」第四章の東論文は、フィリピン・ビサヤ地方のカピス州の州都ロハスでの調査にもとづき、近代医療、カトリック教会、呪術が病の治療をめぐってせめぎあう複ゲーム状況のなかを、病をかかえた人々が右往左往するありさまを、みごとに描き出している。ただし、飯田論文とは異なり、東が前景化するのはカプセル化である。また、東が描き出すのは、本書の中村論文や杉島[二〇〇八]でのべられている宗教者や知識人のような権威者によるカプセル化ではなく、近代医療やカトリック教会から偽医者あるいは異端者よばわりされている呪医自身によるものである。すなわち、呪医は、熱心なカトリックの信者であることをアピールしたり、医療・公衆衛生機関が開催するセミナーに参加するなどの方法で、呪術がカトリックや近代医療で被覆(カプセル化)されるように努めているのである。また、東論文は、複ゲーム状況が成立する条件にかかわる理論的な考察の幅を広げている点でも本論集に貢献している。

 第五章の津村論文は、東北タイ・コーンケーン県での調査にもとづき、ピー(精霊)信仰をめぐる複ゲーム状況をとりあげている。ピー信仰をめぐっては、仏教の国教化が進行するなかで周縁化され、ピーは仏法により祓除されるべき存在となっていく過程が先行研究では論じられてきた。しかし、津村は、ピー信仰を精査することで、そこには膨大な数の規則─信念が作用していること、仏教よりもはるかに多くの権威者がいること、相反する規則─信念の衝突がおこる場合には、それを回避する規則─信念の創造が権威者によっておこなわれることを明らかにしており、このことを「媒介項の挿入」として概念化している。そのうえで津村は、ピー信仰は仏教によって周縁化されたのではなく、それにかかわる無数の規則─信念は、適宜、媒介項を挿入され、さまざまに組み合わされ、仏教的語彙によってカプセル化されることで現在にいたるまで存続しつづけていることを説得的に論じている。

 第六章の多和田論文は、マレーシア半島部における食品、化粧品、薬品等のハラール認証制度をめぐって、イスラームに被覆された状態で、資本主義的な規則─信念にもとづく経済活動が進展する状況を記述している。すなわち、マレーシアは経済政策としてグローバル・ハラール・ハブをめざしており、ハラール認証制度を整備している。ムスリムが国民人口の半分以上を占め、ムスリムであろうと、なかろうと、製造業やサービス業の経営者にとって、ハラール認証の取得はビジネス上きわめて重要である。そして、実際にもハラール認証を受けている企業経営者の七割は中国人などの非ムスリムである。多和田論文は、こうした記述をとおして、資本主義的な経済活動がイスラームに被覆された状態で成長をつづける一方で、宗教的にはイスラーム化が円滑に進行していく事態を鮮明に描き出している。

 第三部「ゲーム外状況」第七章の片岡論文は、中国雲南を源郷とし、ビルマ、タイ、ラオスなどの山地に住むラフ人のグシャ(至高神)とネ(精霊)の複ゲーム状況について論じている。一般的にいってチベット・ビルマ語派系の人々のあいだで、至高神は神話の一節で言及される存在にすぎない。だが、ラフの場合には、至高神を奉じる千年王国運動の勃興と衰滅がくりかえされてきた。片岡は、その発端を一八世紀におこった雲南西南部(および上ビルマ)への漢民族入植者の増大にもとめている。それを機に、ラフは漢民族と同盟してタイ系盆地国家に抗する政治勢力を形成するようになった。そこで重要な役割をはたしたのが漢人僧が山地にもちこんだ大乗仏教だった。つまり、「指導者=仏の化身=グシャの化身」を頂点とする教団国家が形成されたのであり、片岡は、その後も、政情が不安定化するたびに、千年王国運動が発生する経緯を明らかにするとともに、千年王国運動とキリスト教の布教活動との「相互カプセル化」ともいえる複雑に入り組んだ関係を明らかにし、複ゲーム状況の新たな一面を浮き彫りにしている。

 第八章の石垣論文は、台湾の南投県、台東県での調査にもとづき、台湾のオーストロネシア語族系の在来民(先住民、原住民)、ブヌン人の土地をめぐる複ゲーム状況についてのべている。ブヌン人の土地への関係行為については馬淵東一の呪術的・宗教的土地所有権[一九七四]の研究が有名だが、石垣論文があつかっているのは、現代を生きるブヌン人と土地との関係である。日本統治期には大規模な集団移住が強制され、ブヌン人の生活は大きく変化した。かれらは「蕃人所要地」(現在の「原住民保留地」)に押しこめられ、猟場や焼畑耕地のある故地から遠く引き離されることになった。また、戦後には、中華民国政府・台湾省政府による保留地測量・土地登記事業がおこなわれ、保留地は世帯主の私的所有となった。こうした状況においても、特定の父系集団と猟場との排他的な関係や保留地における土地の父系的な相続にかかわる規則─信念は保持されつづけてきた。しかし、それと同時に、それらとは相容れない規則─信念も作用している。また、こうした複ゲーム状況とは別相で、強制移住前の故地に対する先住民としての土地権回復運動もおこなわれるようになっている。石垣論文はこうした現代ブヌン人の土地への関係行為にかかわる複雑な様相を広い視野から明らかにしている。

 第九章の森田論文は、アジア通貨危機の後、技術移転をおこなうことによって、製造業における中小企業を育成するために日本からタイに派遣されたエンジニア、タイ側の技術者、それに人類学者(森田)間のエンジニアリングをめぐる複ゲーム状況をあつかっている。日本から派遣された技術者は、タイの技術者への指導をとおして、エンジニアリングが世界共通のものではないという、文化相対主義的な認識をもつにいたった。そして、森田は、日本人技術者と連携し、タイ在来のエンジニアリングの背後にあって、それに影響をおよぼしていると想像される「異文化」の調査をおこなうことになった。だが、そこから森田は、日本人技術者の文化相対主義的な理解とは大きく異なる結論に到達した。また、森田はフィールド調査をとおして東北タイのエンジニアとのあいだにも同様の齟齬が生じてきたことをのべている。これらのことをふまえ、人類学は、複ゲーム状況の遍在に敏感でなければならないことにくわえ、グローバル化の進行とともに還元主義的な傾向が強まるなか、複ゲーム状況を自ら体現する実践でもあるべきことを森田は主張している。

 最終章の杉島論文は、インドネシアの東スサテンガラ州における狡知と暴力による財物や土地の収奪を称揚する実力主義と、人間の生活を成り立たせている生命の流れが形成する因果秩序との複ゲーム状況をあつかっている。狡知と暴力で土地や財物を手に入れて領主となった者は被収奪者やその子孫から泥棒よばわりされるが、実力主義の側にもそれに抗する強い論拠がある。杉島論文は、実力主義と因果秩序の双方が否定しあう論拠を明らかにするとともに、実力主義と因果秩序の地理的分布には濃淡があり、それを歴史的な観点から比較研究をおこなうことの可能性を示唆している。また、杉島論文は、近年のオーストロネシア比較研究プロジェクトにおいて盛んに使われるようになった「序列」(precedence)概念の批判的検討もおこなっている。

 複ゲーム状況の成立や永続には、不定見者、カプセル化、ゲーム外状況、それに媒介項の挿入のほかにもさまざまなものが考えられる。たとえば儀礼はそのひとつである。[中略]

 本書は、二〇〇九〜二〇一一年度にかけて、筆者が組織しておこなった「東南アジアにおける複ゲーム状況の人類学的研究」と題する共同研究の成果である。そのために、本書所収の論文はすべて東南アジアの民族誌的な事例をあつかっている。そうであっても、各論文は、人類学的な普遍性に通じているところがあることから、「東南アジア」という地域的限定は本書の副題にのみいれることにした。

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編者紹介

杉島敬志(すぎしま たかし)
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科・教授。
専攻:人類学、地域研究。
最近の研究教育プロジェクト等:①エージェンシーの定立と作用──コミュニケーションから構想する次世代人類学の展望、②変貌するアジア・アフリカで活躍するグローバル人材の育成──国際臨地教育プログラムの開発と実践。

執筆者紹介(掲載順)

細田尚美(ほそだ なおみ)
香川大学・インターナショナルオフィス・講師。
専攻:東南アジア地域研究、文化人類学。
最近の研究教育プロジェクト等:①湾岸アラブ諸国における移民労働者の生活実践とコミュニティ形成、②フィリピーノ・ディアスポラの本国における社会的影響──福祉面に注目して、③東・東南アジア地域における食と健康分野の国際教育プログラムの開発。

飯田淳子(いいだ じゅんこ)
川崎医療福祉大学・医療福祉学部・教授。
専攻:人類学。
最近の研究教育プロジェクト等:①緩和ケアの感覚的経験に関する人類学的研究、②東南アジア・オセアニア地域における呪術と科学の相互関係に関する文化人類学的研究。

中村 潔(なかむら きよし)
新潟大学・人文社会・教育学系・教授。
専攻:人類学。
最近の研究教育プロジェクト:①現代バリ社会の「空間の圧縮」と慣習村の少子化・高齢化、②歴史学の記述と社会(学)理論の関係に位置づけた人類学の説明様式の検討。

東 賢太朗(あずま けんたろう)
名古屋大学・文学研究科・准教授。
専攻:文化人類学、フィリピン研究。
最近の研究教育プロジェクト:①フィリピン地方都市における呪術・宗教・医療の近代的再編成プロセス、②リスクと不確実性、および未来についての人類学的研究、③グローバル化と労働の人類学──フィリピンにおける無職者と海外出稼ぎの事例。

津村文彦(つむら ふみひこ)
福井県立大学・学術教養センター・准教授。
専攻:文化人類学、東南アジア地域研究。
最近の研究教育プロジェクト等:①近代医療と呪術をめぐる理解の様式、②東南アジアにおける呪的文様に関する人類学的研究、③東南アジアとアフリカのモラル・エコノミーの比較研究。

多和田裕司(たわだ ひろし)
大阪市立大学・文学研究科・教授。
専攻:文化人類学。
最近の研究教育プロジェクト:①イスラームの商品化に見る宗教実践と経済活動の相関に関する実証的研究、②マレー・ムスリムのライフスタイルにおける「イスラーム化」に関する実証的研究。

片岡 樹(かたおか たつき)
京都大学・大学院アジア・アフリカ地域研究研究科・准教授。
専攻:文化人類学、東南アジア研究。
最近の研究教育プロジェクト:①東南アジア大陸部における宗教の越境現象に関する研究、②聖なるもののマッピング。

石垣 直(いしがき なおき)
沖縄国際大学・総合文化学部・准教授。
専攻:社会人類学。
最近の研究教育プロジェクト:①先住民族による権利回復運動のグローバルな展開とローカル社会──台湾と沖縄、②台湾原住民族の重層的植民地経験、③現代沖縄社会における民俗文化の変容。

森田敦郎(もりた あつろう)
大阪大学・人間科学研究科・准教授。
専攻:科学技術の人類学。
最近の研究教育プロジェクト:①環境インフラストラクチャー──自然・テクノロジー、②環境変動に関する民族誌的研究。

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