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中国の音楽論と平均律 30

儒教における楽の思想

中国の音楽論と平均律

世の安寧を願う儒者の探究は、西洋に先んじてどの音でも主音になりうる音律理論に到達した。天・地・人すべてを結ぶユニークな理念。

著者 田中 有紀
ジャンル 歴史・考古・言語
シリーズ ブックレット《アジアを学ぼう》
出版年月日 2014/10/25
ISBN 9784894897717
判型・ページ数 A5・58ページ
定価 本体700円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに

一 楽とは何か
 1 経学としての楽
 2 礼楽思想の展開

二 音律学と律暦思想
 1 三分損益法
 2 劉歆の律暦思想
 3 朱子学の音律論――朱熹・蔡元定『律呂新書』

三 中華の楽、夷狄の楽――「雅楽」「胡楽」「俗楽」
 1 隋・唐楽制と外来音楽
 2 北宋・陳暘『楽書』における楽懸編成

四 朱載堉の平均律
 1 平均律の発明
 2 律暦合一思想

五 江永と河図・洛書

おわりに――近代中国における国楽

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内容説明

調和の音律こそ政治の安定
限りなく世の安寧を願う儒者の探究は、西洋音楽に先んじてどの音でも主音になりうる音律理論に到達した。天・地・人すべてを結ぶユニークな理念を紹介。

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はじめに

 本書は、中国における楽(音楽)の思想の歴史、特に前近代の儒者の楽論(音楽に関する理論)を中心に述べるものである。楽とは、歌や楽器演奏のほか、舞や楽譜、音律理論も含む、音にまつわる文化の総称である。

 本書はまた、中国における音楽の歴史をどう描くかを模索する試みでもある。中国の音楽の歴史は、作曲家の伝記を羅列したり、さまざまな楽派を紹介したり、あるいは各時代を象徴する作品を紹介するような方法では描ききれない。もちろん、中国にも有名な作曲家や、偉大な音楽家は存在していた。しかし、現在我々が目にすることができる大量の音楽理論書を書いたのは、専門の音楽家ではなく、儒者たちであった。彼らは当時の統治者のために、または自らの思想と合致させるために、いかなる楽が理想的であるかを論じ、楽制に反映させようとした。このような状況をふまえれば、中国音楽は、儒教の中で思想史的に描いてこそ、その独自性が現れると同時に、中国文化全体における意義を見出せるのではないか。

 本書が主にとりあげるのは、春秋戦国時代から清代までの漢籍である。儒者の音楽書をひもとくと、音楽の話の中に、大量の数字がならび、易学の理論と混ぜこぜになって、まるで「五里霧中に迷はせるかのやうな、わけの解らないもの」[江文也 二〇〇八:三三]に見える。儒者の楽論において音律学は特別な意味を持っていた。儒者たちの中には、自ら計算を行い、今でいえば音響物理学のような学問を展開する者もいた。一二平均律を発明した明の朱載堉もその一人である。なぜ彼らは音律を重視したのか。それは、黄鐘と呼ばれる基準となる音律が、君主と重ねられ、調和した音律で演奏することが、政治の安定を象徴したからである。そのため、本書で扱う内容も音律学が比較的多くなるが、「儒教における楽の思想」は決して音律学ばかりではない。音にまつわる文化のうち、何を儒教の学問として位置づけるかという枠組み自体が、時代や論者の思想的背景によって大きく異なるのである。本書は、楽に関する様々な議論が、どのような思想的意味を持ち、展開していくかという視点で、中国における音楽文化を考察したい。

 各節の内容を簡単に説明する。中国では古くから、楽は儒教の重要な学問とみなされた。第一節第一項ではまず、目録学をてがかりに、楽が伝統的な学術の中でどのように位置づけられてきたかを確認する。第二項では、古代の思想家たちが楽に求めた役割を考える。特に礼との関連に注意し、楽の持つ、差異化と調和という二つの役割について確認する。

 中国の音律学は、科学史的にも高い評価を与えることができる。第二節では、漢代における三分損益法と、三分損益法を公式の音律論として定着させた朱熹・蔡元定の理論、また第四節では朱載堉の一二平均律を紹介し、中国音律学の概略を示す。音律を易・暦・度量衡と結びつけ、すべてが循環してやまない世界観を作り上げようとした儒者たちの試みを紹介したい。

 第三節は、隋・唐・北宋の音楽制度をめぐる議論をとりあげる。儒者たちは、流入する外来音楽を、自らの楽の中に、どのように取り込んでいったのだろうか(第一項)。そして今度は、自分たちの文化の内部で、どのように秩序化していったのだろうか(第二項)。ここでは、第一節で論じた楽の役割が、後世どのように展開したかを確認すると同時に、音律学とは異なる新しい楽論の枠組みを提供した儒者たちを紹介する。

 第五節では、江永の音律論を、清代における平均律受容の一例として、とりあげる。江永は、平均律と象数易学を積極的に結びつけた。朱載堉から江永を経た平均律は、最終的にはどのような結末を迎えるのだろうか。

 近代に入り、西洋音楽に触れた中国の音楽史家たちは、これからの中国に、どのような国楽が必要なのかを模索し、伝統音楽の歴史の整理を始めた。近代に至っても、楽には何らかの精神性が求められ続けた。また、いかにして「自分たちの文化」に外来文化を取り入れるかについての議論は、前近代の儒者と重なる部分もある。「おわりに」では、楽の思想が近代へどのように継承されていったのかを考えてみたい。

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著者紹介
田中有紀(たなか ゆうき)
1982年、千葉県生まれ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。現在、立正大学経済学部専任講師。中国思想史・中国音楽史専攻。2008年より2010年まで、松下国際スカラシップにより、北京大学哲学系に留学。
主要論文に「北宋雅楽における八音の思想―北宋楽器論と陳暘『楽書』、大晟楽」(『中国哲学研究』23号)、「明代楽論に見る「朱子学的楽律論」の変容―「往而復返」と「礼失求諸野」」(『日本中国学会 第一回若手シンポジウム論文集』)、「朱載堉の律暦合一思想」(『中国―社会と文化』27号)などがある。

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