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アンデス高地にどう暮らすか 別巻5

牧畜を通じて見る先住民社会

アンデス高地にどう暮らすか

リャマ・アルパカなどラクダ科動物の牧畜を始め、標高によって多様な暮らしを使い分けて生きる人々。新たな「生態」人類学の試み。

著者 若林 大我
ジャンル 人類学
シリーズ ブックレット《アジアを学ぼう》 > ブックレット〈アジアを学ぼう〉別巻
出版年月日 2014/10/25
ISBN 9784894897755
判型・ページ数 A5・68ページ
定価 本体800円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに──アンデス高地の自然環境

一 アンデスにおけるラクダ科動物飼育
 1 アンデスの環境帯区分
 2 アンデス高地のラクダ科動物牧畜 

二 先住民共同体パンパリャクタ・アルタのケース
 1 調査地の概要
 2 農業及びその他の生業
 3 牧畜

三 先住民共同体チリュカのケース
 1 調査地の概要
 2 牧畜

四 二つの先住民共同体の比較
 1 二つの共同体における土地利用のモデル化
 2 共同体の枠を超える牧畜

おわりに

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内容説明

3000メートルの高原にラクダと暮らす
リャマ・アルパカなど四種のラクダ科動物の牧畜を始め、標高によって多様な暮らしを使い分けて生きる人々を追う。新たな「生態」人類学の試み。

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 はじめに、より

 学位論文のための調査地選定を目的として、筆者が初めてペルー南部高地、クスコ県(Departamento de Cusco)の県庁所在地であるクスコ市を訪れたのは、二〇〇四年九月のことだった。太平洋岸にある首都のリマ(Lima)からクスコまでは直線距離にして約一二〇〇キロメートル、一時間足らずのフライトで到着する。だがクスコ市の標高は三四〇〇メートルで、気圧は海抜〇メートルと比べると約三分の二にあたる。今でこそ慣れた旅だが、最初はこれほどの高度差を一気に移動して、高山病にならないかが心配だった。

 クスコは、かつてインカ帝国の中枢をなしていた古都だ。今でも市の中心部にはところどころにインカ時代の石壁が残ると同時に、植民地期にそれを壊して作られたカトリック教会が点在する。街全体が巨大な山間盆地に位置するため、中心部からそれた高台から見渡すと、赤褐色の瓦屋根に白壁の家々がひしめいていてとても美しい。

 調査地選定にあたり、この標高の高いクスコ市周辺に見当を付けたのは、筆者の関心がアンデス高地の牧畜にあったからだ。アンデス地域ではスペイン人侵入のはるか以前から、リャマとアルパカというラクダ科動物家畜が広く飼育されていた。農耕限界すら超える高度でも、これらの家畜は人間が直接利用できない植物を採食することによって生存することができる。この動物を人間が利用する、すなわち間接的に自然環境を利用することによって、標高五〇〇〇メートルまでを生活圏とするという特異な暮らしが可能になったと言えるだろう。では実際に現代のアンデス高地に暮らす人々は、どのように牧草地を利用し、また畜産物を利用して生活を成り立たせているのか、更にそうした“なりわい”のあり方、言い換えれば「生業形態」が成り立っている背景には、彼ら自身によるどのような意思決定があるのだろうか。

 現在の中央アンデス、特にペルー国内では、ラクダ科家畜の飼育頭数はプノ(Puno)、クスコ、アレキパ(Arequipa)等の南部高地諸県に集中している。ならば、ラクダ科家畜のいわば本場である南部高地で、人間による家畜を介した環境利用の方法を覗いてみたい。こうした単純な興味から筆者は、二〇〇四年の調査地選定作業を経て二〇〇五年八月以降、いずれもクスコ県内にある二つの村に住み込んでフィールドワークを行なってきた。

 フィールドワークを人類学の方法論として確立させたイギリスの人類学者マリノフスキ(Bronislaw K. Malinowski)によれば、民族誌的調査の究極的な目標は「部族文化の全領域を、そのあらゆる面にわたって調査しつく」すことであり、最終的には民族誌を通じて「部族生活のあらゆる規則的、恒常的なもの、永久的で不変なものを集め、住民の文化を解剖し、社会の構成を描」かなければならない[Malinowski 1922[2010]: 45-46]。確かに長期間村に住み込み、寝食をともにして生活を観察すれば実に様々な情報が得られるが、もちろん筆者には調査対象社会の全体を描く準備も無いし、本書の紙幅も許さない。

 そこで本書では、筆者の元々の興味であったアンデス高地という特殊な環境における居住、及び牧畜を含む生業がそれにどのような影響を与えるのかに焦点を絞り、これまでの調査によって得られたデータを紹介したいと思う。富士山の頂上を優に超えるような高地に“住む”ということ、その人類史的に見ても希有なライフスタイルがなぜ、いかにして可能となっているのか。この謎の一端を明らかにしていこう。

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著者紹介
若林大我(わかばやし たいが)
1979年、愛知県生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。
現在、法政大学等非常勤講師。
主な論文に、「中央アンデス高地農牧複合社会における家畜飼育と利用:先住民共同体パンパリャクタ・アルタを事例として」(東京大学大学院総合文化研究科『年報地域文化研究』13号、2010年)、「中央アンデスのカーニバルにおけるコルタ・モンテ行事」(南山大学人類学博物館『南山大学人類学博物館紀要』28号、2010年、Ganadería altoandina en dos comunidades campesinas del Departamento de Cusco:Hacia la elaboración de un modelo general(在ペルー日本大使館、La Antropología por los Japoneses, 2013年)などがある。

 

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