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ムバーラクのピラミッド 7

エジプトの大規模沙漠開発「トシュカ計画」の論理

ムバーラクのピラミッド

壮大なプロジェクトは「一月革命」とともに頓挫したのか。多くの利害に絡みとられ、今も立ち尽くす巨大プロジェクトの意味を問う。

著者 竹村 和朗
ジャンル 社会・経済
シリーズ ブックレット《アジアを学ぼう》 > ブックレット〈アジアを学ぼう〉別巻
出版年月日 2014/10/25
ISBN 9784894897779
判型・ページ数 A5・64ページ
定価 本体800円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに
 1 本書の問い
 2 本書の構成と資料

一 トシュカ計画地域の地理と歴史

二 トシュカ計画の概要──『年鑑一九九七年』から

三 わきおこる論議──一九九七年から二〇〇一年まで
 1 水の余剰と不足
 2 「専門家」の確証
 3 「知識人」の諫言

四 かわりゆく論調──二〇〇二年から二〇〇九年まで
 1 ムバーラク・ポンプ場の完成
 2 批判の高まり
 3 「失敗」の醸成

五 アルワリード王子の土地契約問題──二〇一一年革命の成果と限界
 1 アルワリード王子の土地契約問題
 2 「革命」後の司法介入
 3 二〇一一年革命がもたらしたもの

おわりに

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内容説明

「沙漠を緑に」の夢と現実。

1997年に始まる壮大なプロジェクトは「一月革命」とともに頓挫してしまったのか。多くの利害に絡みとられ、今も立ち尽くす巨大プロジェクトの意味を問う。

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 はじめに

 本書は、一九九七年からエジプトですすめられてきた大規模沙漠開発事業「トシュカ計画」mashrūʻ tūshkāについて、その公共事業としての論理をあきらかにするものである。

 トシュカ計画とは、アスワン・ハイダムにたくわえられたナイル川の水を用いて、五四万フェッダーン(二二六八平方キロメートル。エジプトの全耕作地の一二分の一に相当)もの沙漠地を開墾し、新たな居住地をつくりだし、三〇〇万人もの人々を移住させることを目指した一大国家事業であった。その広大な開墾目標から「第二のナイル・デルタ」の創出と呼ばれ、ナイル川流域の人口過密問題や南部エジプト(上エジプト)の低開発の解決策として、大きな期待がよせられていた。「世紀の事業」と讃えられたこの計画の要となる大ポンプ場は、計画の熱心な後援者であった大統領の名にちなみ、「ムバーラク・ポンプ場」と呼ばれた。

 トシュカ計画は、この当時、エジプト政府がマスメディアを通じてその実施を大々的に宣伝した「大規模国家事業」al-mashrūʻāt al-qawmiyya al-kubrāの一つにかぞえられ、その存在は新聞報道や政府広報により世間に広く認知されてきた。しかし同時に、事業支出の多さや貴重な水資源を用いることから、当初からさまざまな問題点が指摘され、見直しを求める声があげられてきた。計画開始から数年がたち、期待されていた成果があがらないことがわかると、批判の声はさらに高まった。トシュカ計画は「失敗」や「公金の浪費」ときびしく非難され、政治論議の焦点の一つとなっていった。本書は、エジプトの国内メディア(おもに新聞)に掲載されたさまざまな「声」を拾いあげ、トシュカ計画を支持もしくは批判する人たちの「論理」を分析し、この公共事業がへてきた紆余曲折を理解することを目指すものである。

 本書で扱う時期は、一九九七年から二〇一一年までの一五年間である。二〇一一年の「一月革命」thawra al-yanāyirは、エジプトの国家と社会のあり方を動揺させたが、ムバーラク時代に立案・実施されたトシュカ計画の道ゆきにも一石を投じた。トシュカ計画の記述をとおして、ムバーラク政権後期(一九九〇年末から二〇一一年まで)の政治運営のあり方を示し、この「革命」の成果と限界を論じることも、本書の狙いの一つである。

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著者紹介
竹村和朗(たけむら かずあき)
1980年、静岡県生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程在籍。日本学術振興会特別研究員(DC2、2013年度より)。
主な論文に、「エジプト2012年憲法の読解:過去憲法との比較考察(上)」(『アジア・アフリカ言語文化研究』第87号)、「エジプトのある沙漠開拓地の歴史:ブハイラ県バドル郡、あるいは旧タフリール県計画地域の事例から」(『アジア地域文化研究』第9号)などがある。

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