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西川寛生「サイゴン日記」

1955年9月~1957年6月

西川寛生「サイゴン日記」

ゴー・ディン・ジエム政権の確立期に、政権の動きを克明に記録。国づくりや日越問題、民衆の暮らしを生々しく伝える第一級の史料。

著者 武内 房司
宮沢 千尋
ジャンル 歴史・考古
出版年月日 2015/02/20
ISBN 9784894892118
判型・ページ数 A5・372ページ
定価 本体4,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

目次
はじめに(武内房司)
〔凡例〕

西貢日誌
 1955年
 1956年
 1957年

補注
《事項編》
《人物編》
《地名編》

解説「西川捨三郎とその日記」(宮沢千尋)
あとがき(武内房司)
参考文献一覧/索引

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内容説明

松下光広が創立した「大南公司」の社員・西川捨三郎(ペンネーム西川寛生)の駐在日記の全文。
ゴー・ディン・ジエム政権が確立していく時期に、政権と深く関わった松下らの動きを克明に記録。アジア主義者・大川周明に学んだ広い視点から、国づくりや日越問題を見つめ、さらに民衆の暮らしを生々しく伝える第一級の史料。(学習院大学東洋文化研究叢書)

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はじめに(武内房司)より

 

 

本書は、松下光広氏の起こした企業「大南公司」の社員であった西川捨三郎氏(ペンネーム西川寛生)が「ベトナム共和国」のサイゴン(当時、現ホーチミン市)に駐在していた1955年9月より1957年6月までのあいだ、毎日書き続けていた日記の全文であり、今回、ご子息西川貴生氏のご了承と多くの方々のご協力を得て刊行の運びとなったものである。


15歳以来日記を書き続けたという西川氏は膨大な日記資料を残しているが、そのなかにB5版の大学ノートに横書きで『西貢日誌』と記された日記が7冊ほど含まれている(『西貢日誌1955(1)』〈1955年9月〜12月〉、『西貢日誌1956(2)・(3)・(4)・(5)』〈1956年1月〜12月〉、『西貢日誌1957(1)・(2)』〈1957年1月〜10月〉。今回刊行するのは、このうち、氏が戦後最初にサイゴンに駐在した1955年9月11日より1957年6月5日までの日記である。


しかし、西川氏にとって、この時期が最初のベトナム滞在ではなかった。氏は、アジア主義者大川周明の開設した東亜経済調査局附属研究所に第一期生として入所し、フランス語を学ぶかたわら、大川の直接の薫陶を受けた。卒業後、1940年の日本の「仏印進駐」とともに、当時の「仏領印度支那」にわたり、日本の敗戦まで滞在した。本書所収の解説「西川捨三郎とその日記」に詳しく紹介されているように、その間、松下光広らとともにフランス植民地当局に逮捕されようとしていた民族主義者ゴー・ディン・ジエムを救出する工作に加わるなど、ベトナムの独立運動にも深くかかわった。約10年間の空白を経て実現した戦後のベトナム長期滞在においても、「アジアの復興」を掲げる大川周明の思想に共鳴し、ベトナムの独立に多くの期待を寄せかつ民族主義者と交流・接触を重ねた経験が、ベトナム社会観察や人脈づくりにも生かされている。


氏のサイゴン駐在は、1954年7月のジュネーブ協定締結後、ベトナム南部にゴー・ディン・ジエム政権、いわゆる「第一期ベトナム共和国」が確立していく時期にあたっている。長いアメリカ・ヨーロッパへの外遊を経て、1954年6月、ベトナムに戻ったゴー・ディン・ジエムはジュネーブ協定後、フランスの支援を失い窮地に立つバオダイの要請を受け入れ、同年7月7日、「ベトナム国」の首相に就任した。もともとベトナム中部出身で南部の軍人・地主層にさしたる支持基盤を持たなかったジエムは、巧みな政治手腕を駆使して諸勢力を互いに競合させ、親仏派の軍人層及びカオダイ教やホアハオ教などの宗教勢力、サイゴン・チョロンの都市を牛耳っていたビンスエンなどの秘密結社の影響力をつぎつぎと排除し、ついには1955年10月の国民投票をつうじ、自らを首相に任命した最後の阮朝皇帝バオダイを倒して大統領に就任した。


1955年10月の大統領就任より1963年11月の軍事クーデターにより暗殺されるまでのゴー政権の評価としては、これまで、「アメリカのジエム」と揶揄されるように、アメリカの傀儡と見做されることが多かった。しかし、近年、ホーチミン市にあるベトナム国家第2アーカイブズセンターに所蔵されているゴー政権期の文書史料などを駆使しつつ、アメリカのベトナム研究者ミラーは、ゴー政権が決して唯々諾々とアメリカの命ずるままに行動していたわけではなく、独自の「国づくり」(ネイション・ビルディング)を志向していたことを明らかにしている[Miller 2013:1-18]。ミラーは、ジエムのガバナンス、政治・社会に対する考え方が、両大戦期以降のヨーロッパとベトナム諸伝統との出会いのなかで形成され、ホーチミンを含めた同時期のベトナムの政治リーダーのそれとつうずるものであったとも指摘しているが、本日記にしばしば登場するジエムをはじめゴー政権担当者の肉声や記事は、こうしたゴー政権の独自なネイション・ビルディングの考えを知る貴重なてがかりを与えてくれているといえよう。


前述したように、西川氏の上司に当たる大南公司社長松下光広はゴー・ディン・ジエム大統領と戦時期以来親密な関係を築いていたこともあって、日記にはゴー政権担当者と松下との交流が詳しく紹介されている。そこからは、松下光広が、ゴー・ディン・ジエムにとって顧問にも等しい存在であったことが浮かび上がってくる。……

ゴー・ディン・ジエム政権下で前述のペルソナリズムの理念とは裏腹に、罪なき多くの民衆が逮捕・拷問に苦しんでいたことを間接的ながら、はっきりと記録に残しているのが印象的である。このような庶民の視線に立つ記録は、新聞記事や特派員レポートなどからはうかがうことはできないものである。政治的主張や主義を声高に論ずるというよりは、日々の生活で感じたことをその都度書き留めるという、パーソナルな日記という形態がとられることによってはじめて可能となったものであろう。……

ベトナムにおけるダム建設が、松下光広やその事業を支えた西川氏にとって、単にゴー政権のみならず、ベトナム民族全体に対する開発協力事業として強く意識されていたことがうかがえる。そして、松下・西川両氏の予感はその後見事に的中し、ベトナム民主共和国(北ベトナム)人民軍及び南ベトナム臨時革命政府軍の進攻により、1975年、サイゴンは陥落、「ベトナム共和国」は瓦解した。従来、日本の直接的な戦争被害を受けたはずの北ベトナム側への援助が無視され、南部のゴー政権にダニムダム及び発電所建設事業というかたちで多額の賠償が供与されたことの問題性が指摘されてきた。しかし、統一ベトナムが実現した今日、近代化に貢献したダム建設事業に新たな光があてられ、2014年3月、多くの難工事を克服して発電所を稼働させた当時の日本工営の元技術者がベトナム政府から改めて功労勲章を授与された[日本工営ホームページ]。松下光広や西川氏をはじめとして、ダニムダム建設事業を裏面から支えた大南公司の歴史的役割についても今後見直しが進むものと思われる。

 

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編者紹介

武内 房司(たけうち・ふさじ)
1956年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科東洋史学専門課程博士課程中退。
現在、学習院大学文学部教授。
主要編著:
武内房司編『戦争・災害と近代東アジアの民衆宗教』有志舎、2014年、武内房司編『日記に読む近代日本5 アジアと日本』吉川弘文館、2012年、武内房司編『越境する近代東アジアの民衆宗教:中国・台湾・香港・ベトナム、そして日本』明石書店、2011年

宮沢 千尋(みやざわ・ちひろ)
1962年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学(文化人類学専攻)修了。
現在、南山大学人文学部准教授。
主要編著:
宮沢千尋「ベトナム北部村落構造の歴史的変化(1907-1997)」(東京大学博士論文、1999年)、宮沢千尋編『アジア市場の文化と社会:流通・交換をめぐるまなざし』風響社、2005年、宮沢千尋「戦間期の植民地ベトナムにおける言語ナショナリズム序論」加藤隆浩編著『ことばと国家のインターフェイス』(南山大学地域研究センター共同研究シリーズ6)、2012年

〈編集協力〉
髙津 茂(たかつ・しげる)
1950年生まれ。星槎大学共生科学部准教授。
主要論文:「ヴェトナム南部メコン・デルタにおける五支明道とカオダイ教」『共生科学研究(星槎大学紀要)』8号、2012年、「阮朝初期国家祭祀の一考察」『東洋大学アジア・アフリカ文化研究所研究年報』第15号、1980年

北澤 直宏(きたざわ・なおひろ)
1984年生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科・博士課程在学。
主要論文:「“解放”後ベトナムにおける宗教政策:カオダイ教を通して」『東南アジア研究』50-2、2013年」

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