目次
序章
一 本書の目的
二 二一世紀初頭における「伝統文化」と宗教のゆくえ
三 改革開放後中国の宗教動態
四 ボン教研究の展開と僧院の民族誌
五 調査の概要
六 本書の構成
第一章 シャルコクの人びと
一 シャルコクの歴史的背景
二 村の暮らしと僧院
三 経済発展と生業の変容
第二章 シャルコクにおけるボン教の輪郭
一 チベットの「伝統宗教」としてのボン教
二 シャルコクにおけるボン教の展開
三 僧侶と世俗社会の関わり
第三章 僧院の再建とその社会経済的基盤
一 混乱期のS僧院
二 S僧院の再建と僧院ネットワーク
三 破壊と復興を生きぬいた僧侶
四 復興からさらなる発展へ
第四章 現代を生きるボン教僧侶たち
一 僧院組織の運営
二 僧侶教育の現代的展開
三 「僧侶として生きること」の多様性と結節点
第五章 年中儀礼が生み出す共同性
一 僧院の年中儀礼
二 「マティ・ドゥチェン」の構造と意味
三 儀礼を支える経済基盤
四 僧侶による儀礼の場の形成
五 宗教舞踊チャムの継承
第六章 人びとを巻き込む宗教実践
一 ゴンジョの活性化
二 参加者と家族
三 反復が生み出す達成感と一体感
四 講話が示す価値観
五 身体に刻み込まれる修行
六 高僧の求心力
第七章 チョルテンの建設が結びつけるもの
一 ボン教におけるチョルテン
二 チョルテンの構造と納入物
三 村の事業としての建設
四 建設の場の成り立ち
五 チョルテンの意味の重層性
終章
一 社会主義体制下での宗教の存続
二 社会変容の中で宗教がつなぐ共同性
おわりに
あとがき
参照文献
付録:用語・地名・人名解説
索引
内容説明
社会主義のイデオロギー、市場経済や消費文化、科学技術が押し寄せ、急速に社会が変容する中、今も人々を惹きつけるボン教。破壊と復興を経た現在の宗教実践過程から、存続のメカニズムを描き出す。
*********************************************
序章より
本書は、中国四川省北部山岳地帯のチベット社会におけるフィールドワークに基づき、現地の人びとが継承・共有してきた「ボン」(bon)、日本語ではボン教と総称される宗教実践の様式やその背景となる観念が、現代の政治・経済・社会的状況の中でいかに存続しているのかを明らかにすることを目的としている。
本書が依拠する一次資料は、主に二〇〇五年から二〇一三年までの筆者のフィールドワークから得られたものであり、記述される「現代」は、急速なインフラ整備の進行と経済発展を大きな特徴とする二〇〇〇年代後半の状況を反映したものである。これに加えて、本書では、二〇世紀中盤の一九五〇年代から現代に至る変容を視野に入れた記述を行う。
一九四九年の中華人民共和国建国によって、調査地の統治形態は小規模な在地領主によるものから社会主義国家によるものへ移行した。人びとの生産様式に新たな秩序が導入され、僧院を拠点としてボン教の教えを学び実践する僧侶たちの活動は、中央政府の「宗教政策」の管理下に入った。それは、社会主義イデオロギーのもとに「近代化」を推進することで、個別の民族集団が継承してきた「伝統」を乗り越えようとするベクトルを伴っていた。そして一九五〇年代後半から一九七〇年代後半に至る約二〇年間、僧侶はその身分の保障と社会活動の機会を失い、活動の拠点である僧院の建物も破壊された。さらには、かれらが受け継いできたテクストや、教義を象徴する装置や道具の多くが失われるという混乱と衰退の時期を経験した。こうした状況は一九七〇年代末の政策の見直しをきっかけに変化し、一九八〇年代以降の僧院の再建、僧侶の再登場、儀礼の再開といった一連の動きにつながっていく。こうした「復興」の動きは、それに情熱を傾ける僧侶たちが、人びとからの熱狂的な歓迎を受けて進めてきたことが語られる。しかしその熱狂が一段落した後も、宗教はその求心力を失うことなく、人びとは宗教に関わる実践を活発化させている。それはいかなる要因によって可能になっているのだろうか。
本書はこの問題に対して、主に二つの視座からアプローチしている。
一つは、こうした宗教の復興と活性化の場として僧院を位置づけ、そこを拠点とする僧侶の活動がいかなる社会的・経済的要因によって支えられているのかを明らかにすることである。具体的には、僧院の再建、僧院組織の再構築とその運営、僧院で行われる儀礼の存続といった事象に注目する。それらが過去との連続性を確保しながらも、新たに形成された僧院のネットワークや経済成長といかに絡み合って存続しているのかを示すことが主眼となる。
もう一つは、宗教実践が人びとを巻き込み、つなぎとめる要因と過程を明らかにすることである。具体的には僧院での儀礼や宗教的モニュメントの建設、人びとが参加する初歩的な修行などをとりあげる。そこではいかなる要素が人びとの心と身体に訴えかけ、人びとを凝集させる核となっているのかが大きな問いとなる。チベットの宗教は、秘儀的な教義を含む膨大かつ複雑な知識と技法の体系である。それは、多様なレベルで人びとの身心に根付いている。僧院での学習、修行を通じて知識を身につけた僧侶は、宗教職能者として世俗の人びとのため、村のために様々な儀礼を執り行う。しかし、かれらは均質なエリート集団ではなく、知識のレベルや僧院への関わり方には個人差がみられる。また、僧院とつながりを持つ集落の人びとは、専門的な宗教知識をほとんど有していないようにみえながら、時に熱狂的に、時に静かに、宗教実践の場への結びつきを表す。こうした多様な人びとをつなぎとめるメカニズムを、それぞれの場からとらえることが主眼となる。
この二つの視座は時に重なりあいながら、人びとが宗教実践の場を形成し、それを存続させていく姿を浮き彫りにする。二〇世紀中盤以降、社会主義のイデオロギーや、市場経済のメカニズムと消費文化の浸透、科学技術による生活の変容など、次々と多様な価値観がもたらされる中で、宗教が示す価値観はかれらの間でリアリティを保ち続けてきた。宗教復興後の二一世紀をかれらが「ボン教徒」として生きぬく姿は、宗教と多様な形で向き合う同時代の人類共通の課題を提示するだろう。その一端を現場から描き出すことが、本書の目的である。
*********************************************
著者紹介
小西賢吾(こにし けんご)
1980年兵庫県尼崎市生まれ。
2011年京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻研究指導認定退学。博士(人間・環境学)。
現在、大谷大学・関西学院大学・神戸女学院大学非常勤講師、京都大学こころの未来研究センター研究員。2015年4月より金沢星稜大学講師。
主要論文に、"Inter-regional relationships in the creation of the local Bon tradition: A case study of Amdo Sharkhog"(日本チベット学会『日本チベット学会会報』第60号、2014年)、「再生/越境する寺院ネットワークが支えるボン教の復興―中国四川省、シャルコク地方の事例を中心に」(『地域研究』第10巻1号、2010年)、「興奮を生み出し制御する―秋田県角館、曳山行事の存続のメカニズム」(『文化人類学』第72巻3号、2007年)など。