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ゲマインシャフト都市

南太平洋の都市人類学

ゲマインシャフト都市

「ゲマインシャフト(共同社会)=村落」「ゲゼルシャフト(利益社会)=都市」の二元論を捨て「共同社会=都市」の概念を提起。

著者 吉岡 政徳
ジャンル 人類学
シリーズ アジア・グローバル文化双書
出版年月日 2016/02/20
ISBN 9784894892187
判型・ページ数 4-6・314ページ
定価 本体2,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次

目次


第一章 都市とは──「都市的なるもの」と「都市らしさ」
 一 「都市的なるもの」を巡って
    1 イゾトピーとヘテロトピー
    2 「異質性の排除」論
    3 「都市的なるもの」と「都市らしさ」
 二 都市とは
    1 中世都市
    2 近代都市
    3 都市を都市たらしめるもの
 三 第三世界の都市
    1 第三世界の都市の特徴
    2 アフリカにおける都市人類学研究
    3 ゲマインシャフト都市

第二章 南太平洋における都市の諸相
 一 ポートモレスビー
    1 歴史的経緯
    2 都市への移住
    3 都市生活者の人間関係
 二 スヴァ
    1 歴史的経緯
    2 都市生活
 三 ポートヴィラ
    1 歴史的経緯
    2 都市生活

第三章 ヴィレッジと呼ばれる首都
 一 ツヴァル概観
    1 歴史的経緯
    2 独立国ツヴァル
 二 首都フナフチ
    1 フィジーの辺境
    2 フナフチのマネアパ
    3 フナフチ・コミュニティ
    4 ヤシとタロイモ
 三 ヴィレッジと呼ばれる都市
    1 ヴィレッジと呼ばれるフナフチ
    2 都市としてのフナフチ

第四章 アメリカ軍の建設したキャンプ都市
 一 キャンプ都市
    1 太平洋戦争前のエスピリトゥ・サント島
    2 アメリカ軍の到来
    3 キャンプ
    4 メラネシア人の雇用
    5 軍の引き上げとミリオンダラー岬
 二 メラネシアン・タウン
    1 戦後
    2 メラネシアン・タウンへ
    3 独立後

第五章 都市文化としてのカヴァ・バー
 一 カヴァ・バー
    1 ヴァヌアツのカヴァ・バー
    2 ルガンヴィル
    3 ルガンヴィルのカヴァ・バー
 二 インフォーマルセクターとしてのカヴァ・バー
    1 カヴァ・バーの営業
    2 都市的なカヴァの味
 三 タウン生活
    1 村落とタウン
    2 北部ラガ出身者の居住区とカヴァの宴
    3 都市におけるカストムとマン・プレス
 四 ピジン文化としてのカヴァ・バー
    1 カヴァ・バーとカストム
    2 ピジン文化
    3 カヴァ・バーと「都市らしさ」

第六章 都市におけるエスニシティの誕生
 一 ルガンヴィルの下位区分
    1 センサスに見る出身島の分布
    2 ルガンヴィル・マン・アイランド・チーフ評議会
 二 マン・プレス概念と都市生活
    1 「我らラガ人」と「マン・ペンテコスト」
    2 マン・プレスにおける血統主義と生地主義
 三 ハーフカスとフィールドワーカー
    1 マン・プレスとハーフカス
    2 マン・プレスとフィールドワーカー
 四 エスニシティの出現
    1 エスニック・グループ
    2 単なる「出身」以上のもの

第七章 南太平洋の都市における公共圏と親密圏の可能性
 一 公共圏と親密圏
    1 公共圏
    2 親密圏
    3 四つの公共圏概念、親密圏概念
 二 南太平洋の都市における公共圏と親密圏
    1 「都市的なるもの」と公共圏
    2 グローバリゼーション
    3 ルガンヴィルの現実

第八章 ゲマインシャフト都市にみるもう一つ別の共同体
 一 伝統的共同体
    1 共同体と公共圏
    2 非同一性の共同性
    3 開かれた伝統的共同体
    4 都市ゲマインデにみる共同体のあり方
 二 ゲマインシャフト都市と共同体
    1 私的領域で形成されるもの
    2 ゲマインシャフトとゲゼルシャフト
    3 もう一つ別の共同体

あとがき
引用文献
索引

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内容説明

村落と見まがうような南太平洋の小さな町も、やはり都市であり、村とは違う生活が息づいている。「ゲマインシャフト(共同社会)としての村落」「ゲゼルシャフト(利益社会)としての都市」という二項対立的な世界観を打ち破る「ゲマインシャフト都市」の概念をフィールドから提起。人類学からの新たな都市論。

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序より


 

 太平洋地域を示す言葉にオセアニアがある。太平洋が主として海を指すのに対して、オセアニアはその海に点在する島々を指す。オセアニアは、大きくは三つの地域に区分される。一つは、日付変更線よりも西側で、赤道よりも北側の地域であり、ミクロネシアとよばれる。ミクロは「小さい」、ネシアは「島じま」を意味するギリシャ語であり、小さなサンゴ礁島や火山島が点在していることからこの名称がつけられた。二つめは、同じく西側だが赤道よりも南側の地域で、メラネシアとよばれる。メラというのは「黒い」という意味であるが、メラネシアの島じまは比較的大きく、ジャングルに覆われており鬱蒼としていることからこの名称になったという説や、そこに住んでいる人びとの肌の色が概して黒いことからこうした名称がつけられたという説がある。三つめは、日付変更線よりも東側の地域で、ポリネシア(多くの島じま)とよばれている。これらの島じまは、ハワイなどをのぞくと、ほとんどが赤道より南側に位置している。

 さて、島における人々の生活や文化を扱う人類学では、太平洋という言い方よりもオセアニアという言い方の方が一般的に用いられてきた。しかし、オセアニアの中でも、赤道よりも南側に位置する島々、つまりメラネシアの島々とポリネシアの大部分の島々をまとめる言葉としては、「南オセアニア」よりも「南太平洋」という言い方が一般的にも用いられてきた。本書でもそれを踏襲して、赤道よりも南側にある太平洋の島々を一つの地域としての「南太平洋」と呼ぶことにする。ただし、「南太平洋」という言葉のもつ独特のイメージが、「メラネシアとポリネシア」という単なる地域の括りを越えて一人歩きしているという点を踏まえておかねばならない。そのイメージというのは、「秘境・楽園」イメージである。
「最後の秘境」、「原始と現代が交錯する国」。これはパプアニューギニア観光のキャッチコピーである。一方、「最後の楽園」、「鮮やかな海の青と豊かな森林の緑、そして眩しく降り注ぐ太陽の光」。こちらはタヒチ観光のキャッチコピーである。秘境と楽園。これが南太平洋を捉えた二つのイメージである。南太平洋はメラネシアとポリネシアからなるが、パプアニューギニアはメラネシアに、タヒチはポリネシアにある。そして、二つのネシアはそれぞれ秘境と楽園というイメージを付与されてきたのである。

 メラネシアとポリネシアは、太平洋が植民地化の波に飲み込まれる一九世紀には、明確な対比をもって語られていた。つまり、「宣教師達をも殺害し食べてしまう野蛮な食人種の住むメラネシア」と「文明への道を歩みつつあるキリスト教徒の住むポリネシア」という対比である[中山 二〇〇〇:五八]。食人はメラネシアにもポリネシアにもあったといわれているし、それは南太平洋の専売特許ではなく、世界各地から報告されてきている。しかし、メラネシアは食人種のレッテルが最も頻繁に貼りつづけられてきた地域であった。二〇世紀の半ばになっても、メラネシアは「離島や山奥に入れば獰猛な食人種・毒蛇・鰐等も沢山棲息してゐる」というかたちで描かれつづけたのである[秋本 一九四三:三二一]。この対比が、やがて、メラネシアは原始的で未開なままであり、わけのわからない秘境だが、ポリネシアは文明へと向かいつつも無垢な自然にあふれた楽園というイメージにつながっていくのである。

 このことは、二一世紀の現在もなお、日本のテレビで放映される異文化を対象としたバラエティ番組にも如実に反映されている。番組の多くは、若い芸能人が異文化を体験し、その驚き、とまどい、感動などを視聴者に伝えるという形態をとっているが、中には、素人の家族が異文化体験をした後、その地の家族を日本につれてきて異文化体験をさせるという凝った趣向の番組もある。こうした番組では、異文化性を強調するため、日本では考えられないような生活を描くことに主眼がおかれるが、その代表として描写の対象となるのが「文明から離れた生活」であり、未開、原始が続いているとされるメラネシアの地域なのである。かつて放送されたある番組では、メラネシアのヴァヌアツの人びとが、弓矢と槍で襲いかかる裸の「野蛮人」として描かれており、上陸しようとする取材人のボートに、陸側から放たれた矢が飛んでくるという場面が、繰り返し放映されたことがあった。別の番組では、パプアニューギニアの人びとが、村落に到着した若者たちに槍を振りかざして襲いかかり、襲われた女性は恐怖のあまり泣き出すというような場面が放送された[吉岡 二〇〇五a]。二一世紀の今日、日本からの訪問者を弓や槍で襲い掛かるというような状況があるはずもない。これは明らかに捏造であるが、メラネシアが未開で原始なところであるというイメージを強調したものであるといえる。

 こうした原始的な秘境イメージと楽園イメージは、ここで改めて言うまでもなく、同じコインの裏表であるということはよく知られている。文明世界に住んでいると自認する人びとが、文明という恩恵に浴しているという自覚を強くもてば、そうではないところは不便で未開で、よくいえば神秘的、悪くいえばわけのわからないところと映る。これが秘境イメージの原点である。一方、文明はその発展とともにさまざまな害毒をもたらし、人間や自然がもってきたさまざまなよい点を犠牲にしてきたととらえれば、そうではないところは、まだ文明の毒牙におかされていない無垢で美しいところと映る。これが楽園イメージである。どちらも、自分たちのいる文明世界が捨ててきたものを持ちつづけており、よくも悪くも、まだ自分たちの世界にまで到達していない過去の段階にある世界というイメージなのである。野蛮で未開な「秘境」には、文明の利器が溢れた近代化された風景は似合わない。従って、「秘境」を描きたいときにはその地の都市を素通りする。同様に、無垢な自然にあふれた「楽園」でも、車の排気ガスや都市の喧騒は忌避される。その結果、南太平洋には都市はないかのようなイメージ作りが行われるのである。

 しかし「秘境パプアニューギニア」は、じつは、人口的にも産業的にも太平洋の「大国」であり、首都のポートモレスビーは南太平洋を代表する近代都市である。そこにあるパプアニューギニア大学は、太平洋の各国からエリート留学生を集め、各国の中枢となる人材を育成して送り出しているところである。そして、街中では、携帯電話で話しながら歩く人びとを見かけるのも珍しいことではないのだ。弓矢で襲う野蛮人として描かれたヴァヌアツの人びとも、似通った都市生活を送っている。インターネットカフェは、いつも若者であふれ、グッチやフェラガモなどが並ぶブティックのある洒落た首都・ポートヴィラでも、ポートモレスビーと同様に、携帯電話片手に話しながら歩く人びとをしばしば見かける。都市は、我々と同時代を生きる南太平洋の姿を映し出してくれるのである。

 南太平洋は「過去を生きている」のではなく「同時代を生きている」ということをしっかり認識して初めて、差異に気付く。南太平洋の都市は、西洋近代の都市とも日本の都市ともどこか違う。ポートモレスビーのような近代都市でも、やはりメラネシア的とでも呼ぶしかない何かが存在する。ツヴァルの首都のフナフチに至っては、規模が小さすぎて、村と見まがうばかりである。メインストリートの両側には、村落の景観そのままに畑や田んぼがあり、木々の中に家々が点在している。しかしそこは都市なのだ。ニューヨーク、ロンドン、東京などの「グローバル・シティ」[サッセン 二〇〇八]の対極にあるといえるこれら南太平洋の都市は、どのようなものであるのか、西洋近代の意味での都市とどのように違うのか、なにがそれを都市と思わせるのか、そうした点を、本書で論じようと思うのである。

 筆者が太平洋に初めてフィールドワークに出かけたのは一九七四年だった。目的地は、メラネシアの英仏共同統治領ニューヘブリデス(現ヴァヌアツ共和国)であった。経由地としてフィジーのナンディで数日滞在し、ニューヘブリデスでは、首都のポートヴィラやエスピリトゥ・サント島(以下略して「サント島」と表現)のルガンヴィルにも滞在したが、目的がペンテコスト島での村落調査であったため、都市での滞在は、いわば素通りの状態だった(地図1、地図7参照)。一九八一年にヴァヌアツに出かけた時は、ニューカレドニアのヌーメアを経由した。しかし、前回と同様、村落調査の目的のため、ヌーメアやヴァヌアツの首都ポートヴィラ、サント島のルガンヴィルは単なる経由地としての存在だった。
次に太平洋に出かけたのは一九八三年だったが、その時は、ミクロネシアのキリバス共和国での村落調査を目的に、グァム、ナウル経由でキリバスの首都タラワ、そしてタラワのすぐ南の環礁島マイアナへと向かった。帰路は、マーシャル諸島共和国のマジュロ、ミクロネシア連邦ポナペ(現在のポーンペイ)のコロニア、トラック(現在のチューク)のモエン(現ウェノ)にそれぞれ数日滞在したが、どれも北太平洋の都市ということになる。

 一九八五年には、パプアニューギニアの首都ポートモレスビー、中央高地のマウントハーゲン、ソロモン諸島の首都ホニアラ、ヴァヌアツのポートヴィラ、西サモア(現サモア独立国)のアピアなどの都市に滞在した。以前よりも、都市の在り方への関心は高まっていたが、基本的に、ヴァヌアツのペンテコスト島での村落調査の前と後のついでの都市滞在であった。
一九九一年は、ニューカレドニアのヌーメアで滞在したのち、ヴァヌアツ共和国へ向かい、ポートヴィラからペンテコスト島に飛んでいる。翌年の一九九二年は、南太平洋の都市を経由せずにヴァヌアツのポートヴィラへ。そしてペンテコスト島北部での村落調査を行っている。
一九九六年は、パプアニューギニアの首都ポートモレスビー、中央高地のメンディを見てからヴァヌアツに向かった。ポートヴィラを経由してペンテコスト島で村落調査を終えたあと、こんどは、トンガ王国のヌクアロファでしばらく滞在した。この頃から、都市での人類学的調査に興味を持つようになっていったと言える。
本格的に南太平洋の都市での人類学的調査を開始したのは、一九九七年である。ヴァヌアツ共和国のサント島にある都市ルガンヴィルを対象に、一九九七年、二〇〇三年、二〇〇四年、二〇一二年、二〇一四年と集中的にフィールドワークを実施した。首都のポートヴィラはルガンヴィルへの起点であるため、必然的に滞在する機会も多かったが、二〇一一年と二〇一三年にもフィールドワークを実施した。また、ツヴァルの首都フナフチでも、一九九八年、二〇〇五年、二〇〇七年、二〇〇九年にフィールドワークを実施した。さらに、二〇一一年には、パプアニューギニアのポートモレスビー、フィジーの首都スヴァに滞在し、以前の経由地としての都市ではなく、調査地としての都市という視点から考察してきた。本書は、こうしたフィールドワークに基づいた都市人類学的議論である。

 さて、本書は第一章から第八章までの構成となっているが、第一章「都市とは──「都市的なるもの」と「都市らしさ」」では、本書全体を貫く理論的立ち位置を明確にするために、都市社会学や都市人類学の成果を整理しつつ、都市とは何かという問題を考えている。議論の起点となるのは、社会学者ルフェーブルの提起した「都市的なるもの」という概念である。それは、ルフェーブルが本来の都市の在り方として捉えたもので、そこでは、異質なモノが異質なまま併存するという特質を見出すことができるという。こうした異質性が発現する場を彼は「ヘテロトピー」と呼んでいるが、都市にみられるヘテロトピーという性質は、近代の浸透とともに同質的で画一化された場である「イゾトピー」に侵食されていったという。例えば、細く曲がりくねってはいるが生き生きとした街路が、都市計画などによって、まっすぐな大通りに変更され、ごちゃごちゃとしていたが生活の息づかいが感じられた小さな家屋群は、きれいだが無機的なビルに建て直されることは、まさしくイゾトピーがヘテロトピーを侵食していく事例であるというのである。つまり、ヘテトロピーに満ちた「都市的なるもの」を侵食していくイゾトピーとは、近代的な都市のイメージ、つまり「都市らしさ」ということになろう。

 ところで、従来の都市社会学の議論では、都市は常に村落と対比される形で論じられてきた。この対比でしばしば用いられてきたのが、古典的な社会学的研究の中でテンニースが提示した、ゲゼルシャフトとゲマインシャフトという概念である。ゲゼルシャフトとは、利益社会と訳されるもので、人為的、機械的、打算的な社会関係をさしており、一般には都市にみられる社会関係として捉えられている。一方、ゲマインシャフトというのは、共同社会と訳されており、地縁や血縁や友情などで結びついた自然発生的な社会関係を指す。これは村落共同体、つまり村落における社会関係を示す概念として用いられてきた。しかし、南太平洋の都市は、これら社会学における議論にみられるように村落と二分法的に対比されたものとして成立してはいない。「農耕する都市」は各地で見出され、村落共同体的な居住地が都市の中に作り出されている。都市の中に村落が入り込んだような南太平洋の都市。第一章では、それを、社会学の常識に逆らって、つまりゲマインシャフトは村落と、ゲゼルシャフトは都市と結びつけて考えられてきた社会学的伝統に逆らって、「ゲマインシャフト都市」と名付けることを提案している。そして本書では、この新たに命名されたゲマインシャフト都市の在り方を、「都市的なもの」「都市らしさ」あるいはヘテロトピーとイゾトピー概念を使って論じようと思うのである。
さて、続く第二章から第六章までは、具体的な南太平洋の都市の姿を記述分析している。

 第二章「南太平洋の都市の諸相」では、南太平洋の二大都市であるパプアニューギニアの首都ポートモレスビーとフィジー共和国の首都スヴァ、そして、二都市と同じメラネシアに位置するヴァヌアツ共和国の首都ポートヴィラをとりあげ、植民都市としての成立の過程を見ながら、近代都市の中におけるメラネシア的な都市生活のあり方を考える。ゲマインシャフト的な社会関係が都市の中にどのように見出されるのかを、まず具体的な事例から探るのが本章である。第三章「ヴィレッジと呼ばれる首都」は、第二章とは逆に、最も小さな首都であるツヴァルのフナフチをとりあげる。ツヴァル自体が、人口一万人程度の独立国家であり、首都フナフチの人口は四〇〇〇人程度に過ぎない。村落としか思えないような景観を持つフナフチの中心部は、政府庁舎、銀行、ホテルなどが集まったビジネスセンターとなっているが、人々はそこを英語で「ヴィレッジ」と呼ぶ。しかし、各島から集まった異質な人々が集住しているフナフチは、他の島の村落とは別格の存在であり、そこにゲマインシャフト都市としての姿が見いだせる。

 続く第四章、第五章、第六章は、ヴァヌアツの地方都市ルガンヴィルが舞台である。まず第四章「アメリカ軍の建設したキャンプ都市」では、第二次世界大戦時にアメリカ軍によって建設されたキャンプを起点として成立したルガンヴィルの、その歴史的設立の経緯を描く。第五章「都市文化としてのカヴァ・バー」では、アルカロイド系(カフェイン、ニコチン、モルヒネなどの類を成分を含有する)飲み物であるカヴァを飲ませるバーを対象とし、盛り場の人類学的研究を提示する。ヴァヌアツの都市部では、アルコールを飲む酒場よりもカヴァ・バーが圧倒的に多く存在しており、ルガンヴィルでも夕方の六時ころから大勢の男たちが集まる。都市にしか見られないこのカヴァ・バーを通して、メラネシア的な都市文化のあり方を考察する。第六章「都市におけるエスニシティの誕生」では、ルガンヴィルに集まる各島からの移住者たち相互の関係を考察し、単なる出身地の違いであったものが、近代の論理の流入によりエスニックな排他性をもった違いへと変換される様子を論じる。

 本書の最後の二つの章、第七章と第八章では、ゲマインシャフト都市における共同体の在り方を理論的に、そして具体的な事例を交えながら、論じている。第七章「南太平洋の都市における公共圏と親密圏の可能性」では、社会学でしばしば議論の対象となってきた公共圏や親密圏という概念を整理して批判的に検討した後、これらの概念が、南太平洋の人々の都市生活において適用できるのかどうかについて論じる。社会学では、基本的に村落共同体と公共圏の二元的対比を踏まえて議論が行われるが、村落と都市が連続している南太平洋において、そうした議論が妥当性をもつとは言い難い。その点を踏まえたうえで、第八章「ゲマインシャフト都市にみるもう一つ別の共同体」では、ゲマインシャフト都市と名付けた南太平洋の都市における共同体がどのような性質を持っているのかを論じる。そこでは、第七章で検討した社会科学的な共同体概念への批判を踏まえ、それとは異なる共同体の在り方を提案している。章のタイトルにある「もう一つ別の共同体」というは、哲学者のリンギスが提案した「何も共有するものがない者たち」がつくる共同体のことであるが、それは同じく哲学者のジャン=リュック・ナンシーの提案した「無為の共同体」に通じる枠組みでもある。本書では、しかし、それら哲学的な議論を参照はするがそれに拘泥するのではなく、実社会を見据えたときに見出させる「もう一つ別の共同体」を描くことで、本書の結論としている。

 

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著者紹介

吉岡政德(よしおか まさのり)
1951年生まれ。
1979年東京都立大学大学院社会科学研究科単位取得退学。社会人類学博士。
専攻は社会人類学、オセアニア地域研究。
現在、神戸大学大学院国際文化学研究科教授。
著書に、『メラネシアの位階階梯社会―北部ラガにおける親族・交換・リーダーシップ』(1998年、風響社、第15回大平正芳記念賞受賞)、『反・ポストコロニアル人類学―ポストコロニアルを生きるメラネシア』(2005年、風響社)、The Story of Raga: David Tevimule's Ethnography on His Own Society, North Raga of Vanuatu. (The Japanese Society for Oceanic Studies Monograph Series No.1)、編著書に、『社会人類学の可能性 Ⅰ 歴史のなかの社会』(1988年、弘文堂、共編著)、『オセアニア3 近代に生きる』(1993年、東京大学出版会、共編著)、『オセアニア近代史の人類学的研究―接触と変貌、住民と国家』(2000年、国立民族学博物館研究報告別冊、共編著)、『オセアニア学』(2009年、京都大学出版会、監修および著)、『オセアニアを知るための58章:メラネシア、ポリネシア』(2010年、明石書店、共編著)など。

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