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バリ島仮面舞踊劇の人類学

人とモノの織りなす芸能

バリ島仮面舞踊劇の人類学

二元論的な「演者/観客」像から離れ、人とモノの織りなす「束」として描き直す。原初の芸能をも想起させる、ユニークな民族誌。

著者 吉田 ゆか子
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2016/02/20
ISBN 9784894892217
判型・ページ数 A5・380ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

序章 名人芸としてのトペン像への疑問と本書の課題
 一 フィールドからの疑問
 二 トペンの先行研究
 三 本書の目的─名人芸からネクサスへ
 四 調査地
 五 調査の概要

第一章 トペンの上演形式─儀礼と余興の間の連続と非連続
 はじめに
 一 トペン・パジェガン
 二 余興としての発展
 三 上演の文脈とトペンの形式
 四 儀礼内のトペンの変化
 五 デサ・カラ・パトラ─形式の事後性
 六 トペンの上演形式にみる儀礼と余興の連続と非連続
 おわりに

第二章 トペン・ワリと「観客」─鑑賞の断片性と反復性
 はじめに
 一 トペン・ワリの上演プロセスと環境
 二 儀礼におけるトペン・ワリの機能
 三 「観客」と演者の社会的属性
 四  「観客」の振る舞い─前半〜ボンドレスまで
 五 「観客」の振る舞い─シダカルヤ
 六 トペンの両義性と「観客」
 おわりに

第三章 仮の面と仮の胴─上演中の人・モノ・神格
 はじめに
 一 先行研究における仮面─シンボル・神格の器・他者性
 二 上演の風景
 三 仮面と演技
 四 トペン上演における仮面の物性の作用
 次章に向けて

第四章 もう一つの人・モノ・神格のネクサス
       ─上演前後に続く仮面を巡るやりとり
 一 存在し続ける仮面
 二 仮面を作る
 三 仮面を育てる─仮面と演者の日常
 四 モノが芸能を育む
 おわりに

第五章 演者が育まれるプロセス
       ─「プロフェッショナル」から「ローカル」まで
 はじめに
 一 プロフェッショナルな演者を支えるエージェント─王宮・観光客・芸術学校
 二 トペン演者数と属性の近年的変化─一九七〇年代と比較して
 三 トペンに取り組む者たち
 四 動機、芸の習得過程、活動の位置づけ
 五 トペン演者の増加の要因
 六 来訪者・専門家から身近な隣人へ
 おわりに

第六章 トペンと女性─不整合性を超えて
 はじめに
 一 先行研究
 二 バリ社会における女性芸能家誕生の歴史
 三 トペンに埋め込まれたジェンダー
 四 女性トペン演者たちの活動実態
 五 グローバルな交流とドメスティックな舞台
 六 不整合性を越えて
 七 女性のトペン上演の今後
 おわりに

終章

あとがき

参考文献
資料2 用語・人名集
資料1 トペンの主要登場人物
写真・図表一覧
索引

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内容説明

ユネスコの無形文化遺産にも登録された仮面劇トペン。本書は、西洋近代的な「演者/観客」像から離れ、トペンが様々な関係の「束」として存在していることを、動態的に示す。神います芸能の初源をも彷彿とさせるユニークな民族誌。

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まえがきより

 

 

 本書はインドネシアのバリ島の、トペンと呼ばれる仮面舞踊劇についての民族誌である。この演目は、寺院祭、結婚式、葬式など様々な儀礼で上演される。トペンの演者は仮面をつけかえながら、様々な役柄になり、地元バリや、バリ人のルーツの地とされるジャワのかつてのヒンドゥ王国の歴史物語を語る。そこには歌も踊りもあり、笑いや、教訓話もある。上演はヒンドゥ教の儀礼の一部でもあり、演者はある種僧侶のような役割も担う。このトペンを、本書は、上演形式の動態、観客との関係性、仮面の働き、演者の数的質的変化、ジェンダーとの結びつきやその変化といったテーマから考察する。章ごとにテーマは多様であるが、そこに共通しているのは、様々な技能を要求するこの芸能を、名人芸として扱うことを差し控えるという点である。そしてむしろ、演者本人のみならずその家族、観客、伴奏者、僧侶、仮面職人、師匠といった多様な人々、そして仮面をはじめとするモノが織りなす芸能として描くことを目指している。そこには、神格や悪霊といった不可視の存在たちも関わってくる。

 普段は冗談ばかり言っている友人が、トペンの上演となると神妙なおももちでマントラを唱え、仮面をかぶり、たくみに伴奏者をリードしながら踊ったり、堂々とした声で観客たちに向けて教訓話を語ったりするのをみて、圧倒されることが何度もあった。しかし、それにくわえて調査を進めるなかで筆者の目を引いたのは、トペン上演の状況依存的なあり方であり、その場その場の状況に反応しながら演技をやりくりする演者の姿であった。演者同士のちぐはぐなセリフのやり取りや、伴奏音楽とうまくかみ合わない舞踊の動きなど、どこか粗削りな演技がしばしばみられる点も印象的であった。トペンには大掛かりな舞台装置も、台本や指揮者や演出家も存在しない。通常リハーサルも行われない。その日集った少数の演者たちが、上演前に大まかな粗筋を打ち合わせた後は、いくつかの形式上のルールの範囲内で即興的に演技する。一見、演者がその知識や技能を駆使して「自由」に演技を繰りだしているかのようだ。しかし、本書で詳しく検討するように、演者は、共演者の演技だけでなく、観客の反応や、上演依頼者の要望、伴奏者が奏でる音やそこに込められた意図を受け止めながら、上演の場に集う神々の力や仮面にも身を委ねつつ台詞や踊りや歌を紡ぎだしている。しかもバリの儀礼空間は、様々な芸能や儀礼執行の行為が同時並行しており、混沌としている。上演場の人、モノ、音の流れに遮られたり反応したりして、演技を変更することもたびたびである。トペンの演技はこうした多様な存在のあいだに生じる。そこに見て取れるのは、主体とも客体ともいえない、働きかけられながら働きかける演者であり、不確実性へと開かれたトペンの姿である。

 本書では、演者中心的な視点をずらし、演技に影響を与える多様な存在、なかでも観客と仮面に注目しながら、それらと演者の相互的な働きかけのなかでいかに上演が立ち上がるのかを考察してゆく。仮面舞踊劇として見応えのある上演だけでなく、演者の思い通りにいかなかった(かのようにみえる)演技や、観客の少ない閑散とした上演も珍しくないことにも注目している。筆者は調査中たくさんの演者にインタビューを行ったが、彼らが何を経験し、何をしようとしているのかと同じくらい、彼らが何に触発され、影響され、阻まれたり、惑わされたりしているのかにも関心をもって話を聞いた。なお本書では仮面というモノを、単に人間に使われる道具としてではなく、様々な出来事を引き起こす動的な存在と捉えている。実際、バリでは仮面は潜在的に神格の宿る器であり、特に演者は、これと身体的、情緒的、霊的に関わるなかで、感情や行為や演技を引き出される。

 ところで、トペンという営みは一度の上演で完結するものではない。筆者は村に住み込み調査を続けるなかで、演者と人々の間の「演じる者」と「観る客」という関係を超えた、持続的かつ多様なつきあいを垣間見ることになった。トペン、なかでもトペン・ワリと呼ばれる形式の上演は、バリのヒンドゥ教徒たちの儀礼を成就させるために必要とされる。それは、人々が好むと好まないとに関わらず、繰り返し上演されなければならない。そのためトペンは、人々にとって非常に身近な芸能であり、また人々は時に積極的に演者を支援する。次章の冒頭からみてゆくように、観劇する者たちの態度は時にそっけない。しかし、筆者が居候先の村の馴染みの小食堂で一息ついていると、近所の顔見知りたちとよくトペン談議がはじまった。調査の一環でトペンの舞踊部分を学んだ筆者はこの村の儀礼で度々トペンの上演に参加していたため、その演技に対する、批評や助言が頻繁になされた。そして人々は、数十年前に亡くなった、地元のある名トペン演者がいかに素晴らしかったかといった思い出話をよく口にした。また彼らが、未熟な演者を酷評しつつも、その演者に上演を再び任せるといったこともあった。演者の演技に口を挟むこと、良い演技を記憶し語り継ぐこと、上演経験を積む機会を与えること、こういった一つ一つの行為もまた、トペンという芸能を育む営みの一部であろう。そして現代では、バリ芸能を保護育成しようとする州政府や教育機関、外国人観光客や海外の愛好家たちなど、村落社会を超えた様々なレベルの人や組織もトペンに関わってきており、それらの働きも本書では検討される。他方、仮面に関しても、工房での職人たちの制作や修復、演者宅での手入れや供物の献上、定期的に施される僧侶による儀礼と祈り、仮面の贈与など、また別の様々な日常的な営みがある。

 本書では、上演後の日常にまで続くトペンをめぐる仮面、演者、そしてその他の人々の間のやりとりを追いながら、演技が練られ、演者が育てられ、仮面が魅力を増したり、演者と仮面の絆が深められたりしてゆく様子を描いてゆく。その中では、人々が仮面に世話を焼く側面だけでなく、仮面によってトペンという芸能が育まれている様子も明らかになるであろう。本書がバリ芸能への理解を深め、また芸能の人類学や、人とモノの関係を考える人類学的研究に広く貢献することができれば幸いである。

 

 

 

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著者紹介

吉田ゆか子(よしだ ゆかこ)
1976年、京都生まれ
2012年筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科修了 博士(学術)。
専門は、文化人類学とインドネシア地域研究。
現在は、日本学術振興会特別研究員PD・国立民族学博物館外来研究員。
主著書として『ものの人類学』(京都大学出版会、2014年、共著)、『人はなぜフィールドへゆくのか:フィールドワークへの誘い』(東京外国語大学出版会、2015年、共著)。論文として「仮の面と仮の胴:バリ島仮面舞踊劇にみる人とモノのアッサンブラージュ」(『文化人類学』76巻1号、2011年、日本文化人類学会奨励賞受賞)、「バリ島仮面舞踊劇トペン・ワリと『観客』:シアターと儀礼の狭間で」(『東方学』117号、2009年、東方学会賞受賞)など。

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