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雲南ムスリム・ディアスポラの民族誌

雲南ムスリム・ディアスポラの民族誌

ミャンマー、タイ・台湾への移住の足跡を歴史的にたどり、彼らのトランスナショナルな社会空間全体を見据えた「多現場民族誌」。

著者 木村 自
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2016/02/20
ISBN 9784894892224
判型・ページ数 A5・276ページ
定価 本体4,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

序文
 一 雲南ムスリム・ディアスポラとは誰か
 二 本書ができるまで
 三 本書の構成
 四 調査と初出一覧

第一章 問いの射程
    ――雲南ムスリム、ディアスポラ、多現場民族誌
 はじめに
 一 移民研究から越境移民研究へ――トランスナショナルな社会空間の分析をめぐる系譜
 二 ディアスポラ論
 三 雲南華人研究をディアスポラ論の文脈に定置する
 四 本書の理論的射程

第二章 離散と定住
――英領植民地期ミャンマーと雲南ムスリムたち
 はじめに
 一 雲南ムスリムの上ミャンマー移住史
 二 「高地ビルマの政治体系」と雲南ムスリム移民
 三 班弄とイギリス植民地政府のすれ違った蜜月関係
 小結

第三章 ミャンマーに生きる雲南ムスリム
――異郷に故郷を築くこと
 はじめに
 一 独立後ミャンマーの社会・政治空間と華僑華人
 二 パンロン人と公定少数民族申請
 三 パンロン人をめぐる移住と離散の語り
 四 墓碑に刻まれる「班弄」
 小結

第四章 越境する雲南ムスリム
――李大媽のライフ・ヒストリー
 はじめに
 一 李大媽のおいたちとミャンマーへの移住――交易と戦争
 二 李大媽とミャンマー国籍
 三 李大媽の生活――ミャンマーの経済・政治・治安
 四 ミャンマーからタイへ
 五 台湾への移住
 六 分析――国家による「掌握」と「掌握されるもの」による「ずらし」

第五章 台湾社会と中国ムスリム
 はじめに
 一 問題構成としてのイスラームと移民
 二 台湾回民の現状
 三 台湾回民前史
 四 遷台後の台湾回民
 小結――台湾ムスリムの生存戦略と台湾社会の変容

第六章 雲南ムスリムの越境コミュニティ
 はじめに
 一 トランスナショナルなコミュニティ
 二 台湾における回民(中国ムスリム)の現況と雲南華僑ムスリム移民
 三 華僑ムスリム移民と創造されるローカリティ
 四 トランスナショナル・コミュニティにおける両義性と共同性
 おわりに

第七章 越境する雲南ムスリムと宗教実践の変容
 はじめに
 一 問題構成としてのイスラームとディアスポラ
 二 宗務者のミャンマーからの招聘と雲南ムスリムのトランスナショナル・ネットワーク
 三 台湾ムスリム社会における宗務者像――留学経験と遵経革俗
 四 祝祭にみるトランスナショナルな社会空間とイスラーム復興
 おわりに――トランスナショナルな社会空間におけるイスラームと「習俗」

終章――ディアスポラ論の刷新のために
 一 ディアスポラ論におけるアポリア再考
 二 「虫瞰図」的視点とイディオムとしてのディアスポラ
 三 離散の記憶と集合の経験の繋ぎ合わせとしての雲南ムスリム・ディアスポラ
 四 本書が取りこぼしたもの

あとがき
参考引用文献
索引

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内容説明

雲南のムスリムたちの、ミャンマー移住から、タイ・台湾への再移住の足跡を歴史的にたどり、彼らのトランスナショナルな社会空間全体を見据えた「多現場民族誌」である。

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序文より

 


一 雲南ムスリム・ディアスポラとは誰か

 本書は雲南ムスリム・ディアスポラに関する多現場民族誌である。一九世紀中葉に中国雲南で勃発したムスリムと清朝政府との対立は、清朝によるムスリムの虐殺によって幕を閉じる。清朝政府による弾圧に直面したムスリムたちは、虐殺を逃れ清朝政府の手の届かない上ミャンマーの地に逃れ新たな生活空間を建設する。その後、中国とミャンマー、タイを結ぶキャラバン交易や、二〇世紀中葉の国共内戦、さらに中国共産党による「雲南解放」等に伴い、漢人とともに多くのムスリムたちがミャンマーやタイ、それに台湾に移住した。本書は、十九世紀末の雲南ムスリムたちのミャンマー移住を出発点として、その後のタイへの再移住、台湾への再移住の足跡を歴史的に追いながら、離散して生きる人々のディアスポラ性を問い直すことを試みる。「雲南ムスリム」に関する民族誌であるが、中国雲南省のムスリムについては扱わない。本書は、ミャンマーと台湾とを主な対象地とし、両地域を結ぶトランスナショナルな社会空間全体を見据えた「多現場民族誌」である。
それでは、本書が対象とする雲南ムスリム・ディアスポラとは誰か。序文ではまず、本書が対象とする雲南ムスリム・ディアスポラについて、その対象を明確にし、さらに彼らの移住の歴史的背景の概略を示しておきたい。

1 雲南省を後にした中国人ムスリムたち

 今日の中華人民共和国においては、イスラームを信仰する民族として一〇の中国ムスリム少数民族が認定されている。かれら中国ムスリムのうち、一般に漢語を話し、祖先が中近東やペルシア、中央アジアから中国に移住してきたという伝承を共有する人々は、中国において「回族」という民族呼称が付与されている。中国におけるイスラーム定着の歴史的経緯から、彼ら「回族」は中国各地に分散して生活している。

 「回族」のなかには、中国内での紛争や国境を越えた交易などを通じて、中国を離れて中央アジアや東南アジアへ移住したものも少なくない。彼ら「回族」移民は、移住先地域においてそれぞれ特殊な呼称を付与されてきた。中国の甘粛や陝西からキルギスやカザフスタンなどの中央アジア諸国に移住したムスリムは「ドゥンガン人(東干人)」と呼ばれている。
他方、雲南から大陸部東南アジアに移住した「回族」たちも、それぞれ特殊な呼称で呼ばれている。彼らは、タイにおいては「ホー」もしくは「チン・ホー」と、ミャンマーにおいて「パンデー」と呼ばれる。さらに、国共内戦後に中国大陸から台湾に移住した「回族」たちは、「回民」「中国穆斯林」などと称されている。

 中華人民共和国で彼ら中国ムスリムが「回族」という少数民族とされているのに対して、中国の外に移住した中国ムスリムたちは、必ずしも自らを「少数民族」として理解しているわけではない。北タイの雲南ムスリムを分析した王柳蘭が、雲南ムスリムの次のような発言を伝えている。「雲南の回族も漢族も同じ中国人ですよ。宗教が違うだけだからね[王柳蘭 二〇一一: 三一]」。中国人(華人)というカテゴリーの中においては、漢人もムスリムもさほど変わらない存在であり、宗教的な差異のみが意識されている。ミャンマーに生活している雲南ムスリムも、中国的な意味での「少数民族」というよりは、「華僑華人」として自らを理解していることが窺われる。私の手元にある「マンダレー・パンデー・モスク」の登録者名簿の表紙には、中国語で「緬甸瓦城華裔穆斯林戸口冊」と書かれており、彼らは自らを「華裔穆斯林(華人の末裔であるムスリム)」と捉えている。

 もちろん、雲南ムスリムは漢人とムスリムを区別することも少なくない。ただ、その場合雲南ムスリムたちは自らを「回教人」と呼び、漢人を「漢教人」と呼んで区別しており、こうした区別の仕方は、漢人とムスリムの差異をむしろ宗教的な差異として認識しているものと理解される。このことは、漢人がムスリムとの結婚に際してイスラームに入信し、「漢教人」から容易に「回教人」に変化し得ることからも垣間見ることができる。つまり、「漢教人」と「回教人」の差異は、中華人民共和国の民族政策下で定義されるような「少数民族」として考えられているとは言い難く、むしろ「華人」でありながら、仏教や民間信仰などの「漢教」に従う人々と、イスラームに従う人々との違いということになる。

 台湾においても同様に、中国ムスリムたちは「少数民族」として位置づけられていないし、中国ムスリム自身も自らを「少数民族」として認識しているわけでもない。台湾のムスリムとエスニシティの問題については第五章で詳説する。

 中国の外に生きる中国ムスリムたちが、中国の民族政策下における「回族」とは基本的に異なるカテゴリー化がなされていることから、本書では彼らを「回族」と呼ぶことはしない。彼らを「回族」と呼ぶことによって、ムスリムと漢人の差異を「民族的」で本質的な違いと誤解することになりかねないからである。その代わり本書では、彼らを「雲南ムスリム」と呼ぶ。「雲南ムスリム」という呼称によって、元来「漢教人」であったかどうかに関わりなく、彼らが「雲南に祖籍地(原籍)を持つムスリム」であると考える人々を概括的に指示する。ただし、社会的、歴史的、政治的文脈によっては、それぞれの文脈に即した呼称を使うこともある。

2 雲南ムスリムの移住の歴史的背景

 本書は大陸部東南アジアと台湾に移住した雲南ムスリムを、移住の歴史的流れに沿って記述する。各章が扱う歴史的背景については、それぞれの章で詳説することとし、本序文においては、彼らの移住の流れの全体像を簡潔に示しておきたい。はじめに、雲南省におけるムスリムの流入を簡単に紹介し、その上で雲南省から大陸部東南アジア及び大陸部東南アジアから台湾への移住の歴史的背景を簡述する。

2-1 雲南ムスリム簡史

 ムスリムが最初に雲南省に定着し始めたのは、元朝期であると言われている。一三世紀元朝期にはすでに、雲南省にムスリムが居住していた。中央アジア各地を支配下に置いた元朝のモンゴル軍は、中央アジアのムスリムたちを軍事要員として、モンゴル軍に参加させた。元朝政権下において中央アジア人は、「色目人」としてモンゴル人に次ぐ地位を付与されていた。モンゴル軍に従って中国の地へと到来した色目人は、軍人や行政官僚として、元朝政府のなかで重要な位置を占めていた。

 一二五三年にフビライ・ハーンが大理国征服のために雲南に出兵すると、モンゴル軍に従軍していた色目人軍人はモンゴル軍とともに雲南に入った。その後雲南がモンゴル軍に征服されると、色目人兵士たちのなかには雲南に留まるものもいたとされる。その後も、色目人の商人や技術者、軍人などが雲南に入り、そこに定着するようになったのが今日の雲南ムスリムの祖先であると言われている。また、色目人官僚のなかには、高級官僚として元朝政府から雲南へ派遣されたものもいる。大理国を滅ぼしたフビライは、行政単位として雲南行省を設置した。雲南行省の平章政事に任ぜられたのが、サイイド・アジャッル・サムスッディーン(賽典赤・贍思丁)(一二一一―一二七九)であった[Forbes 1988]。サイイド・アジャッルはブハラ出身の色目人官僚であり、一二七九年に昆明で他界した。元朝期の色目人の流入により、現在の雲南における回族が生成される下地が作られたと考えられている[楊兆鈞 一九九四:二六―二七]。ただし、史料が極めて少ないことから、この時期に色目人の雲南省への定着がすでに始まっていたのかどうかについては、さらに考証を進める必要があるとするものもいる[張佐 一九九八 : 一一]。

 明朝期にも多くのムスリムが雲南省に流入していた。明朝政府が雲南省において行った屯田政策のために、中国各省から色目人の末裔が雲南に流入したためである。また、清朝期にも各地から雲南省にムスリムが流入していたとされている。元朝期以来、明清期に至るまで、ムスリムは雲南において、一定の地位を築き続けていた。

2-2 雲南ムスリムの大陸部東南アジア、台湾への移住史

 姚継徳は雲南ムスリムの大陸部東南アジアへの移住プロセスを四つの流れに区分している。第一の波は、清朝初期の南明政権下で起こっている。南明の皇帝永暦帝が清朝政府に追われて雲南からミャンマーに逃亡したときに、明姓と朱姓のムスリムが皇帝に従ってミャンマーに入ったとされている。第二の波は、清末である。清末に清朝政府に反旗を翻した雲南ムスリムが、結局清朝軍に敗れて上ミャンマーへ移入した。第三の波は、キャラバン交易に従事していた雲南ムスリムが、日中戦争の時期にミャンマーやタイに移入したというものである。第四に、一九四九年国民党が国共内戦で敗れ、共産党が雲南を「解放」すると、大量の政治難民がミャンマーやタイに逃れた。そのうちの一部が、雲南ムスリムであった[姚継徳 二〇〇三]。

 本論で分析対象とする雲南ムスリムの移住に直接関係するのは、清末以降の雲南ムスリムの歴史である。一九世紀半ば、貴州で洪秀全による太平天国の乱が勃興していたほぼ同時期、雲南省大理においては、雲南ムスリム杜文秀による回民起義が発生していた。大理杜文秀政権の樹立と崩壊が、雲南ムスリムをミャンマーやタイへと移住させる一つの契機となった。
清朝政府による虐殺からの逃避とは別に、雲南とミャンマー、北タイとの間では、歴史的にキャラバン交易が続けられていた。雲南を中心とするキャラバン交易は「馬幇交易」と呼ばれ、馬やロバを駆って長距離輸送を行い、雲南省とビルマやタイの各地域とを往復し交易する。雲南と大陸部東南アジアを結ぶキャラバン交易の多くを、雲南ムスリムが担っていたとされる。キャラバン隊による交易は、約半年を雲南の郷里で過ごし、残りの半年を移動と交易地での生活に当てる。こうしたキャラバン隊のなかに、ミャンマーやタイにおいて生活拠点を築くムスリムが出現するようになる。

 一九四九年に中国共産党が雲南省を「解放」すると、共産党政権による統治を恐れた人々が数多く雲南省を後にした。共産党政権から逃れて上ミャンマーや北タイに移住した人々の中にも一部ムスリムたちが含まれていた。さらに、ミャンマーやタイ、台湾の政治的経済的変動をきっかけとして、その後台湾に移住した人々も少なくない。

 本書が対象とする「雲南ムスリム・ディアスポラ」は、こうした様々な歴史的要因によって、ミャンマー、タイ、台湾に離散して生活している雲南省籍の中国ムスリムを指す。

 

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著者紹介

木村 自(きむら みずか)
1973年、兵庫県西宮市生まれ。
大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。
現在、大学共同利用機関法人人間文化研究機構特任助教
論文に、「離散と集合の雲南ムスリム:ネーション・ハイブリディティ・地縁血縁としてのディアスポラ」(臼杵陽・赤尾光春・早尾貴紀編著『ディアスポラから世界を読む』明石書店、2009年)、「越境するコミュニティと共同性:台湾華僑ムスリム移民の『社会』と『共同体』」(平井京之介編『実践としてのコミュニティ――移動・国家・運動』京都大学学術出版会、2012年)、「『掌握』する国家、『ずらす』移民:李大媽のライフ・ヒストリーから見た身分証とパスポート」(陳天璽他編『移民とアイデンティフィケーション――国籍・パスポート・IDカード』新曜社、2012年)など。

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