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韓国農村社会の歴史民族誌  新刊

産業化過程でのフィールドワーク再考

韓国農村社会の歴史民族誌

農村社会のどのような社会経済的基盤が流動性と持続性の均衡を可能にしたのか。30年の農村調査から現代韓国社会の特質に迫る。

著者 本田 洋
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2016/10/30
ISBN 9784894892330
判型・ページ数 A5・488ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき
  凡例
序論
  序-1 1980年代末のYマウル:表層としての民族誌的現在
  序-2 韓国の農村社会を捉える視角:民族誌的現在の現在化
  序-3 本書の構成

●Ⅰ部 農村社会の長期持続とYマウル住民の生活経験

1章 小農社会の社会単位としての戸と村落
  1-1 朝鮮時代後期の身分構造と経済階層
  1-2 戸の定着/流動性と再生産
  1-3 村落の構成と諸機能

2章 在地士族の拠点形成と地域社会:南原の士族とYマウルの三姓
  2-1 朝鮮後期南原府の在地士族と三姓
  2-2 士族共同体の再編成

3章 植民地期の農村社会:南原地域とYマウル
  3-1 農村地域の人口変動:1930年朝鮮国勢調査から
  3-2 1920〜30年代の農業経営と農家の流動性
  3-3 植民地支配と村落コミュニティの再生産:Yマウル洞契文書の分析

4章 農村住民の近代/植民地経験:移動と教育を中心に
  4-1 植民地期の人の移動:日本内地への出稼ぎ・移住を中心に
  4-2 植民地期の新式教育と事務・専門職への進出
  4-3 左右対立と朝鮮戦争

●Ⅱ部 農村社会における家族の再生産と産業化

5章 農村社会における家族の再生産:対照民族誌的考察
  5-1 家族の再生産戦略と実践的論理
  5-2 家族の再生産の諸相:Yマウル住民のライフヒストリー
  5-3 結婚と分家
  5-4 農家世帯の形成
  5-5 均衡/増進/回復に向けられた再生産戦略と長男残留規範

6章 産業化と再生産条件の変化
  6-1 都市の吸引力
  6-2 農業経営の変化
  6-3 産業化過程での人口変動

7章 家族の再生産戦略の再編成
  7-1 向都離村と還流的再移住
  7-2 結婚と農家世帯の形成経緯
  7-3 世帯編成と農家経済
  7-4 家内祭祀の継承と実践
  7-5 再生産戦略の変化と持続性

●Ⅲ部 産業化と農村社会

8章 産業化と村落コミュニティの再生産:対照民族誌的考察
  8-1 実践としてのコミュニティの対照民族誌的考察
  8-2 産業化後の農業経営と互助・協同
  8-3 互助・協同と村落コミュニティ
  8-4 産業化と村落コミュニティの再生産

9章 孝実践の諸様相:門中とサンイル
  9-1 門中組織と孝実践の再生産
  9-2 墓の整備作業と孝実践
  9-3 家族の再生産と孝実践

結論
  結-1 本論の論点と意義
  結-2 方法論的/民族誌的展望

あとがき
参照文献
索引・人名索引・写真・図表一覧

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内容説明

「流動性を基調とする社会システムは,決して産業化過程と都市生活に限定されるものではない──農村社会のどのような社会経済的基盤が流動性と持続性の均衡を可能にしたのか」。30年にわたる農村調査から現代韓国社会の特質に迫る。

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まえがき

 

 韓国社会に暮らす人たちの独特の社会感覚,いいかえれば,流動的な社会経済的諸状況のなかで人間関係と人的ネットワークを巧みに紡ぎだし,手持ちの資源をうまく配分し動員して柔軟かつ試行錯誤的に生きる感覚のルーツは,どこに求めることができるのだろうか。


 筆者が社会・文化人類学の研究者を志し,フィールドの候補地として韓国をしばしば訪れるようになってから30年近い歳月が経った。その間にこの社会が経験しためまぐるしい変化に眩暈のような感覚を覚えるのは,決して筆者だけではあるまい。思いつくままに出来事をあげれば,1987年の民主化運動・民主化宣言と大統領直接選挙の実施,翌年のソウル・オリンピックと国会5共非理・光州特委聴聞会の熱狂,海外渡航の自由化,ソ連・東欧の旧共産主義諸国や中国との国交樹立,そして文民政権の樹立など─当初の10年あまりは,「ハンガン(漢江)の奇跡」と讃えられる産業化・高度経済成長の成果が花開き,国家の政治経済的な発展と国際社会への門戸開放を人びとが自身や家族の豊かな生活の実現と同一視しえた時代であった。

 ところが1997年の金融・経済危機,いわゆる「IMF」をひとつの契機として,韓国経済は新自由主義体制への急転換を迫られ,職場や教育現場でも競争主義と成果主義がよりいっそう激化していった。すなわち主流であることに苛酷な再生産労働が課されるようになり,また主流からの脱落・疎外も深刻な社会問題となった。その一方で,(IMF後の)生き辛さと(産業化過程での)成長主義への反省から,オルターナティヴな関係性(共同体)や生き方を追求する者も数を増していった。韓国社会が,より正確にいえばこの社会で生きるということが,多岐的な分化と対立・葛藤を示すようになり,また異なる生き方のあいだの断絶もより先鋭化していったのだといえる。

 このようにめまぐるしく変わる人々の生き方,試行錯誤,その流動性とある意味での柔軟性は,筆者がこの社会とかかわりを持つようになった時期から見て一時代前に始まった,産業化と都市化に起源を求めることができるのかもしれない。1960年代半ばに本格化した産業化の過程で,地方・農村の人口が大量に都市に移住し,20年余りの短い期間で都市と農村の人口比率は逆転した。産業の中心も農村(農業)から都市(製造業・サービス業)へと移っていった。その過程で故郷・農村から切りはなされ都市の根無し草となった人たちのあいだで移動性と社会的流動性が否応なく高まっていったのも,また一面の事実であったろう。

 とはいえ,流動的な状況に巧みに適応する社会感覚,さらにいえば流動性を基調とする社会システムは,産業化過程で生み出された新しい現象といい切ってしまっていいのであろうか。

 韓国が産業化への離陸を果たした1960年代から70年代にかけては,その農村部で民族誌的研究,すなわち現地調査に基づく社会・文化・民俗・生活の研究が活発に展開された時期でもあった。韓国の農村社会学者や民俗学者,あるいは日米の人類学者によるこの時期の農村社会研究をひもとくと,未婚の青年層や若い既婚者が群をなして都市へと移住し新たな生活の基盤を築いてゆく一方で,当時の農村では互いに助け合い,協力しあうコミュニティ的生活が営まれ,親族組織の活動も相当に活発であったことがわかる。そこからうかがえるのは,人口の流出にもかかわらず地縁・血縁の共同性が再生産され,逆に地縁的共同体や血縁紐帯が決して人の移動を抑制する機制として作用していたわけではなかったことである。生き方の流動性と柔軟性,それを支える社会システムは,産業化過程や都市生活に特有の現象ではなく,実は農村社会の生き方にもともと具わっていた属性である可能性も考えられるのではないだろうか。

 本書は,筆者が1989年の夏から翌年の夏まで1年余りのあいだ,韓国南西内陸部のある農村に暮らしながら収集した資料─産業化過程でのフィールドワークに基づく民族誌資料─を整理しなおし,また当時の住民のライフヒストリー・手記や植民地期の村落結社の記録を韓国の農村社会に関する様々な資料と対照しながら,生き方の流動性・柔軟性と地縁的・血縁的共同性の再生産とのあいだに,どのような均衡がとられてきたのかを検討するものである。題名の「歴史民族誌」とは,フィールドワークに基づく民族誌資料を歴史的脈絡におき戻すことによって,そこに見いだされる持続性と変化を同定しようとする試みを意味する。

 27年前のフィールドワークの資料を改めて記述分析しなおす理由のひとつは,この調査を終えた直後の筆者にとって,これから行おうとする作業が当時はまだ手に余るものであったことにある。今の韓国社会から見れば確かに古い資料であり,時代遅れの作業であるのかもしれないが,逆にこれだけ時間を置かなければ見えなかったことがあるのも事実である。それは韓国社会に関する実証的な歴史・人類学的研究の蓄積によるものでもあるし,また筆者自身がその間行ってきたフィールドワークと民族誌的作業を通じて蓄積した知識や認識によるものでもある。改めて断っておきたいのは,過去の資料の再分析であっても,それは韓国社会の今現在を理解するにあたって,少なくとも筆者にとっては必須の作業として位置づけられるということである。

 流動性を基調とする社会システムは,決して産業化過程と都市生活に限定されるものではない─農村社会のどのような社会経済的基盤が流動性と持続性の均衡を可能にしたのかについての理解を含め,この仮説を本書を通じて検証してゆこうと思う。

 

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著者紹介

本田 洋(ほんだ ひろし)
1963年生まれ。東京大学教養学部卒業,大学院社会学研究科修士課程修了,総合文化研究科博士課程(文化人類学専攻)単位取得満期退学。
東京大学教養学部助手,東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手・助教授等を経て,現,東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授。専門は社会・文化人類学,韓国朝鮮文化研究。
主要業績は,『東アジアからの人類学──国家・開発・市民』(共編著,風響社,2006年),『有志と名望家──韓日地域社会構造についての民族誌的比較』(林慶澤と共著,イメジン,2013年,韓国語),「韓国山内地域の農村移住者と生活経験──2010年代前半の動向を中心に」(『韓国朝鮮文化研究』15,2016年)など。

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