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儒家思想と中国歴史思惟  新刊

儒家思想と中国歴史思惟

歴史思惟の扱う事実の特殊性と儒家の理念が求める普遍性など、両者の緊張関係を古今東西の事例から考察。中国思想の根源を探る。

著者 黄 俊傑
工藤 卓司 監訳
池田 辰彰
前川 正名
ジャンル 歴史・考古
シリーズ アジア・太平洋双書
出版年月日 2016/12/20
ISBN 9784894892347
判型・ページ数 4-6・388ページ
定価 本体3,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

自序
序論 儒家人文精神の伝統と中国史学

●第一部 中国歴史思惟の核心とその現れ

第一章 中国伝統歴史思想に見られる時間の概念とその特質
第二章 中国歴史著作中の史論の作用とその理論について

●第二部 儒家思想と中国歴史思惟の展開

第三章 中国古代における儒家の歴史的思惟の方法とその運用
第四章 儒家言論中の歴史叙述と普遍的理法
第五章 儒家的歴史叙述の特質――朱子の歴史叙述における聖王典範
第六章 儒家的歴史解釈の理論基礎――朱子の中国史解釈

●第三部 中国歴史思惟の近代的転化

第七章 錢穆史学の「国史」観と儒家思想
結論 儒家思想と伝統中国の歴史思惟における人文精神

付録一 中国歴史思惟の特徴
附録二 グローバル化時代における朱子「理一分殊」説の新たな意義と挑戦

監訳者あとがき
索引

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内容説明

歴史思惟の扱う事実の特殊性と儒家の理念が求める普遍性など、両者の緊張関係を古今東西の事例から考察。中国思想の根源を探る。

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序論 儒家人文精神の伝統と中国史学より

 

 

 中国の歴史思惟の歴史は長久で、史学は栄えて伝統中国の学術の中心となり、儒家の人文的伝統との間に密接かつ複雑な関係を築いた。儒家思想と伝統中国の歴史的思惟の間には、互いに浸透し合うという性質があり、歴史的思惟はより深く儒家の人文精神の中へと浸潤していくのだが、他方、両者の間には内在的な緊張もある。こうした相互的浸透と内在的緊張とは、特に「事実判断」と「価値判断」との間、及び歴史家が研究する歴史的事実の「特殊性(particularity)」と儒家の道徳的理念が求める「普遍性(universality)」との間に立ち現れる。本書著作の目的は、そうした儒家的伝統と中国の歴史思惟との間の複雑な関係について検討を加えることにある。本書は三部に分かれている。第一部は二章から成り、それぞれ中国の歴史思惟の核心的概念――「時間」と、中国の歴史的著述の中の史論が発揮する作用について論じる。第二部は全四章、それぞれ儒家の歴史的思惟の方法・運用やその歴史的叙事について論じ、宋儒及び朱子の歴史観を中心として、伝統中国の儒家における歴史解釈理論の意義とその関連問題について分析を加えた。また、第三部では二〇世紀の儒家学者銭穆(賓四、一八九五〜一九九〇)の史学を主として、伝統中国の歴史思惟の近代的転化と、銭穆の史学中の儒家的価値観について明らかにしてみたいと考えている。そして、本書の結論では、儒家思想と伝統中国の歴史思惟の中に現れる人文精神の特質について総合的に論じることにしたい。……


 内外学界における中国史学の代表的論著について回顧した今、我々は簡単に儒家人文精神の伝統における歴史意識について検討を加えることができる。

 儒家の人文精神の伝統は固より多方面に渉っているが、その中でも最も重要な核心的価値とは、人は生まれながらにして内在的善性を具え、それを育んでさえいけば、修身養性・経世済民はおろか、果ては聖域に踏み込み、聖賢にもなることができるという「人の完全可能性」への信念である。儒家が頑なに護持してきた「人の完全可能性」への信念は、仏教の人には生来「無明」が具わっているとする思想や、ユダヤ教・キリスト教の「原罪」或いは「人の堕落性」といった信仰とは、鮮明な対比を成している。儒家の「人間観」にはその遠古からの文明的背景が現れているが、東アジア文明の中心としての中華文明は主導性を具えた「創世神話」を持たなかったために、一種の「有機体」的宇宙観、或いは「連携的人為宇宙論」、「連携的思惟方式」が現れることになったのである。

 儒家の「人の完全可能性」を核心とする人文精神は、主として次の四つの方面に表れている。(一)身心一如、(二)自他円融、(三)天人合一、(四)歴史意識である。この四者は、和諧を特徴とする一つの世界観を共に構成するのであるが、中でも深く厚い歴史意識は最も重要な位置にあると言える。

 儒家の人文的伝統における「歴史意識」は、主として、さらに次の三方面に表れることになる。第一は、儒家思想における「人」が「歴史的人物」であることである。人の「自我」は「時間性」を基礎とする歴史文化の伝統の中に浸潤している。故に、儒家思想中の「歴史意識」は特に強烈である。儒家の歴史意識は濃厚な時間感覚の中に深く根ざすものであり、早くも紀元前七世紀、孔子は川のほとりで「昼夜を舎かず」時間が流れ去ることに嘆きを漏らしている。孔子は時間の流れが揺り動かす人事の変遷の中で、歴史における「変」と「不変」とを悟ったのである。孔子は「堯舜を祖述し、文武を憲章」して、周の文化を恢復することを生涯の目標としていた。孔子より以降、儒家はいずれも深い歴史意識を所有し、彼らの人文精神の重要な基礎を構成した。『朱子語類』中に、朱子と門人との間で交わされた、歴代の王朝や人物、その行為と心術についての対話が大量に記載されているのは、正しくそれである。……

 

 総じて、本書の各章の趣旨は「儒家思想」と「伝統中国の歴史思惟」との不可分性とその相互の緊張について分析することにある。伝統中国の歴史家は儒家的伝統の中に浸り、中国史学は儒家学術の伝統の最も輝かしい組成部分であった。しかし、別の角度から見てみると、儒家思想と伝統的中国の歴史思惟とは相互に複雑に絡み合い、浸透し合うという関係にあり、それ故、中国史学における「価値(value)」と「事実(fact)」との間、「普遍性(universals)」と「特殊性(particulars)」との間には、常にそれが創り出す緊張が存在しているのである。

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著者紹介
黄俊傑(Huang, Chun-chieh/こう しゅんけつ)

1946年、台湾・高雄県生まれ。国立台湾大学歴史系卒業、同大学大学院歴史学研究所修士、ワシントン大学(シアトル)大学院歴史学部博士。
現在、中華民国教育部国家講座教授、国立台湾大学講座教授、同大学人文社会高等研究院院長、「東アジア儒学」研究プロジェクトプロジェクトマネージャー、中央研究院中国文哲研究所合聘研究員。
専攻は東アジア儒学、戦後台湾史など。
主著として『台湾意識と台湾文化――台湾におけるアイデンティティーの歴史的変遷』(臼井進訳、東方書店)、『東アジアの儒学――経典とその解釈』(藤井倫明訳、ぺりかん社)、『東アジア思想交流史――中国・日本・台湾を中心として』(藤井倫明・水口幹記訳、岩波書店)、『徳川日本の論語解釈』(工藤卓司訳、ぺりかん社)などがある。

監訳者紹介
工藤卓司(くどう たくし)

1979年、大分県生まれ。
広島大学文学部人文学科卒、同大学大学院文学研究科博士課程前期、及び同研究科博士課程後期修了。博士(文学)。台湾・国立台湾大学中国文学系、中央研究院中国文哲研究所、国立清華大学中国文学系等で博士後研究、国立台湾師範大学文学院、福岡教育大学教育学部、及び奈良教育大学教育学部での非常勤講師を経て、現在は台湾・致理科技大学応用日語系助理教授。専門は中国思想、経学、日本漢学。著書に『近百年来日本学者《三礼》之研究』(台北:万巻楼、2016)、翻訳書としては黄俊傑著『徳川日本の論語解釈』(東京:ぺりかん社、2014)がある。
(自序、序論、第四章、第五章、第六章、第七章、結論、附録一、附録二)

 

訳者紹介
池田辰彰(いけだ たつあき)

1962年、福岡県生まれ。
慶応義塾大学商学部卒、関西大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。台日経済貿易発展基金会、中央放送局記者を経て、現在は台湾・玄奘大学応用外国語学科学科長。台湾大学人文社会高等研究院訪問学者(2013)。主要論文として「日本統治時代前期宜蘭における経済発展」(『南島史学』83号)、「台湾総督府が登用した台湾人」(『南島史学』八二号)など、訳著としては陳昭瑛著『台湾と伝統文化――郷土愛と抵抗の思想史』(東京:風響社、2015)、中華民国国史館数位典蔵系列『蒋経国総統』、『争鋒:蒋中正的革命風雲』、『驟変1949:関鍵年代的陳誠』がある。
(第一章、第二章)

前川正名(まえがわ まさな)
1975年、福井県生まれ。
大東文化大学中国文学科卒、大阪大学文学研究科博士前期課程、及び同研究科博士後期課程修了。博士(文学)。大阪大学助手、台湾首府大学(旧・致遠管理学院)助理教授を経て、現在は台湾・国立高雄餐旅大学助理教授。専門は中国哲学史、及び日本漢文学。主な著作に、『橋本左内 その漢詩と生涯』(台北:致良出版社、2016)、「台湾の大学における日本漢字教育の一側面 日本語学科の漢字大会を中心として」(『新しい漢字漢文教育』60号)、「鳳山区紅毛港新廟群調査」(『中国研究集刊』61号)がある。
(第三章)

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