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台湾儒学

起源、発展とその変転

台湾儒学

植民地支配と対峙した50年、400年に亘る台湾原住民文化との対話は、儒学を相対化しながら世界思潮の中に定置し直した。

著者 陳 昭瑛
松原 舞
ジャンル 歴史・考古・言語
シリーズ アジア・グローバル文化双書
出版年月日 2016/12/20
ISBN 9784894892354
判型・ページ数 4-6・358ページ
定価 本体3,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

新版序文
初版序文──斯人千古不磨心(かの人千古不磨の心)

第一章 台湾における儒学の移植と発展
      ──鄭氏政権時代から日本統治時代にかけて
第二章 清代台湾教育碑文における朱子学
第三章 台湾の文昌帝君信仰と儒家道統意識
第四章 清代における鳳山県の儒学教育
第五章 『台湾通史』「呉鳳列伝」における儒家思想
第六章 連雅堂の『台湾通史』と儒家の春秋史学
第七章 儒家詩学と日本統治時代の台湾──経典注釈の背景
第八章 呉濁流『亜細亜的孤児』における儒学思想

訳者あとがき
索引

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内容説明

台湾儒学の真の力量とは何か。植民地支配と対峙した50年の歴史、400年に亘る台湾原住民文化との対話は、儒学を相対化しながら世界思潮の中に定置し直した。ローカルにしてグローバルな視野からの台湾思想史。

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新版序文

 

 

 本書は二〇〇〇年三月に正中書局より初版を出版し、第二版まで版を重ねている。今回正中書局より版権が帰って来たので一部訂正を加え、台湾大学出版センターより出版し、『東亜文明研究叢書』に加えた。ここ数年台湾研究は減速しつつあるが、台湾儒学が切り開いたグローバルかつローカル、また根源的な課題はやはり深く追究する価値のあるものである。例えば儒学と反帝国・反植民主義の同盟は決して学術的な想像などではなく、日本統治時代に本当に起こった台湾の歴史的事実である。この他に、四百年に渡る儒学と台湾原住民文化の対話は、儒学と非漢文化、境界文化の関係を考えるにあたって新鮮かつ具体的な思想資料を提供している。しかし、現在の儒学研究では、依然として伝統的な儒学における「大叙事(grand narratives)」、「大理論(grand theories)」に研究の焦点を合わせている。それに応じて伝統的な儒学の「大家(major writers)」は変わらず主役として扱われ、「小家(minor writers)」は発掘される日を待っている。台湾儒学における人物や議題は、儒学という大きな伝統の中では小さな伝統に過ぎないかもしれない。これらの人物や議題の発掘は権威ある人物や核心的な命題に取って代わることは不可能である。しかし、すでにある要点を組み直し、また新たに生み出すことができるかもしれない。

 本書は先輩方に多くの激励を頂いた。また上海の羅義俊氏には本書の書評を書いていただき、私はその感謝の気持ちを胸に刻んでいる。若い学者たちが本書をきっかけに台湾儒学の新たな課題を探求してくれることを望んでいる。私の興味の対象は多岐にわたるため、台湾研究で一生を終えるつもりはない。これから行おうと考えている研究は、台湾儒学に直接的な功績を残す可能性は低いが、台湾儒学を研究した経験は私個人の儒学研究に大いに役立っている。今回の再版に際し、台湾研究に身を投じた時の心境と現在の台湾の状況を思うと、やはり哀しさが込み上げてくる。外的環境がどうであろうと、今、台湾で儒学を研究する研究者は自信を持って欲しい。儒学は台湾において決して過客などではなく、カノンとなる存在であるということを。

 

初版序文──斯人千古不磨心(かの人千古不磨の心)

 

 

 一九九三年秋から私は台湾大学中国語学科で教鞭を取り、一年生向けに国文分野で「台湾文学」を開講し三クラス計一二〇名程の学生を受け持った。この一年間、教師学生ともに熱心に授業に取り組み、談笑や激論を交わす中でともに成長した。この時のことは今思い返しても胸が熱くなる。

 一九九四年夏、私は「論台湾的本土化運動──一個文化史的考察」(『台湾文学与土化運動』正中書局、一九九八年に収録)と題した長い文章を書きあげた。これは開講一年目の「台湾文学」クラスの教学成果の一部をまとめたものだと言ってよい。この論文は同年八月に行われた第三回「高雄文化発展史」研究討論会で発表したが、その場では大きな反響を呼ぶことはなかった。一九九五年二月に縮約版を呉全成氏編の『中外文学』に発表すると、本土化に関する論戦を引き起こした。台湾独立派の学者らから集中砲火を浴びる状況の中で、王暁波氏、廖咸浩氏、陳映真氏、林書揚氏から声援を頂いた。ここで私は初めて「論戦」という特殊な状態及び論戦中に陥る特殊な心情というものを体験した。中国思想史は先秦から民国ないし一九六〇年代、七〇年代台湾までが対象であり、「論戦」はまるで鍛冶で金属を打つ時のように、独創的な思想の火花をかきたてる金床であり、また伝統思想が再び動き出すための鞭撻でもあった。私がこの論戦中に得た最も大きな収穫は「台湾儒学」を発見したことである。

 一九九五年四月二十三日、私は中央研究院の「当代儒学」計画の第三回研究討論会で「当代儒学与台湾本土化運動」(『台湾文学与本土化運動』に収録)という論文を発表し、大きな論争を巻き起こした。この論文を執筆した心理的背景には四月の論戦中に陥った心境が関係しており、その考えの筋道も「論台湾的本土化運動」の延長線上から出たものだった。この論文で「台湾儒学」という語を使用し、また文末に「台湾儒学の文化のルーツを捜すと、恐らく我々は中国儒学全体の『後山』に導かれるが、この後山はもしかしたらまた別の何かの『前哨』なのかもしれない」と書いた。台湾儒学を新たな論域として出したのは、むろん儒学研究の新しい局面を開く意図もあったのだが、私が個人的に心の奥底で感じていた台湾への思いと中国への思いをいかに整えるかという問題を解決するためでもあった。論戦から台湾儒学の研究への転換は、まるで鍛冶屋から製粉業に鞍替えするようなもので、雨垂れ石を穿つというような工夫が火花が炸裂する灼熱の情熱に取って代わったようなものであり、私は心の底から喜びを感じている。このようなことから、私は論戦中に論敵となった師友や陳芳明氏には特に感謝している。一九九七年九月には中央研究院にて偶然陳氏とお会いし、その時心の中で「相逢一笑泯恩仇(逢って笑いかければ、深い恨みも消え去るだろう)」という清々しい思いが湧き上がったのを覚えている。

 台湾儒学の問題提起が体現するものは、根源意識と本土意識であり、そしてそれが証明したものは儒学の普遍性である。根源性がなければ普遍性を証明することはできない。この関係性は儒学の中での「経」と「権」の関係と同質であり、また「経典」と「経典詮釈」の関係と似たようなものでもある。「詮釈」(即ち一種の「権」である。臨機応変のこと)は当然「経典」に依存している。なぜなら、それ自体が解釈者の時空の背景に基づいて「経典」に行った反応や解釈であり、ひいては修正や再構築でもあるからである。しかしまた一方では「経典」も「詮釈」に依存している。なぜなら、ある時代のある地域で反響を得ず、また詮釈を得ることもない著作は絶対に「経典」ではないからである。「経典」の特性は、異なる時空の魂に共鳴を起こす精神エネルギーを持ち、また幾度も詮釈や改造されても原始生命を失わないオリジナリティのある思想を持っている。儒学の台湾版、あるいは台湾の儒学経験が体現するのは、まさに台湾のローカリティと儒学の普遍性の結合である。台湾儒学は、台湾というこの小さな島が東アジアの重大な精神文明──儒学伝統──の中で欠かすことの出来ない存在だということを証明した。さらに儒学の普遍倫理は、政権の棄地や文化の及ばない土地に住まう人民に教化作用を発揮したことも証明した。台湾と儒学は相乗効果を得ることのできる関係である。過去においてはそうであったのだから、これからの未来もきっと、互いの精神文化のためにさらに一歩発展できる契機を作り出すだろう。

 中国儒学史の研究から見ると、儒学の各流派、つまり、孔子没後の儒学が八つに分かれようと、宋儒の周敦頤、程顥・程頤、張載、朱熹の流れであろうと、地域特性の視点から研究されることは非常に少なかった。地域特性から出発すれば、斉魯文化、楚文化、江浙文化、閩粤文化、台湾文化のどれもが儒学を発展させる新起点となることができる。台湾儒学はこのようなコンテクストの中に位置づけることができるのだ。また一方で、台湾儒学史自体から見れば、台湾儒学は「起源」、「発展」そして「転化」という三つの大きな段階を経てきた。台湾儒学の起源は鄭氏政権時代に一つ目の廟学が立てられたことに遡り、その思想は南明儒学の経学と経世致用の学の伝統を継承している。

 清代は台湾儒学の発展期であり、二百年余りに渡る開拓を経て儒学は台湾の土壌に根付いていた。この時期の思想の主流は福建朱子学であり、程明道は弟子である楊亀山が閩に帰ることを「道南の伝」と見ており、それゆえ朱子学が台湾に入ってくることを「道東の伝」と呼ぶこともできるだろう。思想のオリジナリティから言えば、台湾朱子学は福建朱子学の影響下から抜け出すことは難しかった。しかし思想の歴史性、社会性、文化性から言えば、台湾朱子学が浮かび上がらせた問題、例えば異文化(原住民文化)との邂逅、民間信仰(文昌帝君の信仰など)との交流、移民社会との相互交流などは台湾朱子学に不思議な色とりどりの色彩を与えた。日本統治時代の台湾儒学の中心課題は「現代化」であった。五十年間の植民地経験及び二〇年代の新文化運動の挑戦は儒学の体質や気質に非常に大きな変化を与えた。異民族に統治されるという悲惨な歴史によって儒学は朱子の理学から経世的性格を持つ史学と詩学へと転向し、思想全体には南明儒学の回帰が鮮明に現れた。

 一方で抗日運動に伴い旧来の華夷対抗から新しい反植民地闘争へと形を変えたことで、儒学もまた換骨奪胎を迫られた。この時期、台湾が向き合った「現代」とは、いかに帝国主義に反抗し、いかに西洋思想を取り込み、またいかに台湾を現代社会へ改造するかというものである。このような仕事に従事していた知識人の多くは旧学出身者であり、文化上の新旧融合は彼らが文化を考える際の重要なポイントとなった。その中で彰化出身の王敏川は、儒学に現代化が必要か否かは儒学の現代社会での生死存亡に関わる重大な選択だと考えた。彼の努力は、台湾人が儒学の現代化のために果たした初めての貢献として代表的である(王敏川の思想については、陳昭瑛「啓蒙、解放与伝統──論二○年代台湾知識分子的文化省思」『台湾与伝統文化』〈増訂再版〉〈台北、台湾大学出版センター、二〇〇五年〉を参照)。

 「斯人千古不磨心」は陸象山が鵝湖に赴く前夜に詠んだ詩句である。「心」の解釈は、「心学」の定義に縛られる必要はない。「心」には大小があり、小は例えば一人一人の精神、大は例えば文化伝統の精神のことをいう。「其人雖已没、千載有余情(その人はすでに亡くなってはいるが、千年経った今もその情念は残っている)」(陶淵明「詠荊軻」)は、魂は消えないという信仰を詠んでおり、「文果載心、余心有寄(もし文章が思いをのせることができるものであるなら、私の心もここに溢れているだろう)」(劉勰『文心雕龍』「序志」)は後世の友人に対する期待である。この世界では、千年を経ても消えない心があるから、千年を経ていても古の人の心を知ることができるのだ。このような時空を超越する「会得」は人類の精神活動の中で最も美しく神秘的な瞬間である。歴史意識と歴史感情が強い民族であればあるほど、この「会得」に対する未練を断ち切ることができないのである。文化の継続はこの「会得」に依存しており、儒学の伝承もまたこの「会得」に依存している。台湾儒学こそが台湾人の心と歴代儒者の心の出会いであり、中国儒学史という人々の心が出会う大会場の中の一つの小さな会場なのである。
本書はここ数年間に行った台湾儒学研究の第一段階の成果であり、より細かく深い検討はこれから努力して取り組む予定である。本書の出版にあたって、朱浩毅君と楊適菁君の二名のアシスタント、そして正中書局の編集者の皆様に感謝を申し上げたい。二十三年間儒学を学んできた人生を振り返って、徐復観先生の温かいご指導と、黄俊傑先生のご鞭撻そしてお導きに特に感謝している。また張永儁先生のご指導、楊儒賓氏、李明輝氏の激励、そして劉述先氏の応援にも感謝している。儒家詩学に関しては、廖蔚卿先生のご指導が私の研究の源であった。連横研究に関しては、林文月先生の啓発によって思考を広げることができた。また、中央研究院中国文哲所「当代儒学」計画と、台湾大学「中国文化経典的詮釈伝統之研究」計画、そして二回開催された「台湾儒学」国際会議(一九九七年、一九九九年。成功大学中文系主催)に参加された先生方に感謝したい。最後に、杜維明氏及び「哈仏儒学研討会(ハーバード儒学研究討論会)」に参加した友人にも感謝する。一九九八年から一九九九年に行われた「康橋之会(ケンブリッジの会)」では、酒を飲みながら情熱的な討論に浸り、激論を交わした。参加者はみな心の思いを隠さずに伝え、真心をもって交流した。私の儒学研究人生で最も素晴らしいひと時であった。

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著者紹介
陳昭瑛(ちん しょうえい)
1957年生まれ。
父親は台湾嘉義民雄出身、母親は台南市出身。
現在:台湾大学中国文学科教授、台湾大学人文社会高等研究院特任研究員、台湾大学儒学研究討論会召集人。
台湾大学文学部卒、同大学哲学研究科修士課程卒、同大学外国文学研究科、文学博士。
歴任:ハーバード大学燕京研究所訪問学者(1998-1999)、復旦大学中国古代文学研究センター短期客員教授(2002年4月)
受賞履歴:第二回五四文芸評論賞(1999)、台湾大学教学優良賞(2006、2010、2014)、台湾大学教学傑出賞(2016)
著書:『江山有待』(1980)、『台湾詩選注』(1996)、『台湾文学与本土化運動』(1998)、『台湾与伝統文化』(1999)、『台湾儒学:起源、発展与転化』(2000)、『儒家美学与経典註釈』(2005)、その他、訳著として『美学的面相』(1987)があり、マルクス主義美学に関する論文及び、東アジア儒学に関する論文も多くある。

 

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訳者紹介

松原 舞(まつばら まい)

1984年、神奈川県生まれ。
現在:東京大学大学院総合文化研究科博士課程。
フェリス女学院大学文学部卒、台湾大学日本語文学研究科修士課程卒。

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