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境域の人類学  新刊

八重山・対馬にみる「越境」

境域の人類学

国境の意味をリセットし、地域間・双方向のベクトルに注目。分断の論理と結合の力学が絡み合う新たな地平を探る。

著者 上水流 久彦
村上 和弘
西村 一之
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学集刊
出版年月日 2017/07/10
ISBN 9784894891968
判型・ページ数 A5・480ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

目次
はじめに(上水流久彦)

●第一部 実践

 移動・移住の経験と実践──東シナ海国境海域をゆきかう漁民たち(西村一之)

 [再録]変則貿易の時代──戦後対馬における日韓「交流」の諸相(村上和弘)

 近代八重山におけるモノの越境──台湾との関係を中心に(角南聡一郎)

 〈コラム〉こっちも台風。あっちも台風。(松田良孝)

●第二部 自/他認識

 国境を生きる──沖縄石垣島の台湾系華僑・華人の越境経験と組織形成(森田真也)

 交錯するツーリズム──八重山台湾間の観光をめぐる台湾認識のあり方(越智郁乃)

 境域のツーリズム──韓国人の対馬観光をめぐって(中村八重)

〈コラム〉“対馬市民劇団”の意義(橘 厚志)

●第三部 歴史認識

 つなぐ記憶/ずらす記憶──現在の八重山・台湾境域における越境の試みをめぐって(上水流久彦)

 歴史的事件の再解釈と資源化──台湾原住民族パイワンによる「牡丹社事件」をめぐる交渉(宮岡真央子)

 ポストコロニアルにみる対馬の祭りの可能性──時の辺境化と儀式の力(江本智美)

 引揚体験に見るノスタルジア──朝鮮半島、満州、シベリア、南京からの引揚(崔吉城)

 〈コラム〉「パイン女工」から八重山人へ──きっかけは“好奇心”(国永美智子)

 あとがき(村上和弘・西村一之)

●附録資料

 クルーズ船台湾人観光客アンケート調査報告書(上水流久彦)

 韓国人観光客アンケート調査報告書(中村八重)

 索引

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内容説明

中央・国家の視点を避け、地域間・双方向のベクトルに注目する時、人々の生き方や国境の意味がリセットされる。分断の論理と結合の力学が絡み合う新たな地平を探る。

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はじめにより
 

上水流久彦

 

 

 本書は沖縄県先島(宮古島市、多良間村、石垣市、竹富町、与那国町からなる)と台湾東部、長崎県対馬と韓国(主に釜山)という境域で、国家と駆け引きをしながら生きる人々の姿と国家の力が境域に果たす意味を探るものである。かつてこの二つの境域は日本の植民地化によって同じ帝国の一部となり、その後、国境が再設定された。そして、現在、相対的な地理的近接性から相互交流や交易を深めようと、官民を問わず様々な活動が行われている。

 境域として本書が取り上げるこれらの地域は、現在、または過去においてある国家領域の中心地から遠い端である/であった。このような地域を「周辺」として取り上げた研究は多い。だが、本書では対象地域を「周辺」ではなく「境域」という観点から取り上げる。(中略)

 だが、本書では三つの点からトランスナショナリズムの議論を射程にいれながら、二つの境域を論じていきたい。一つ目は国境などの境界を行き来する現象が実際に存在したことである。台湾におけるトランスナショナリズムを扱った王らは、トランスナショナリズムの課題の一つとして、空間的移動に関する研究の偏りを指摘し、長期的にどのような影響を持つかが今後重要な課題であると述べ[王・郭 二〇〇八]。トランスナショナリズムの議論に人類学的に大きな注目が集まったのは一九九〇年代である。そのことに鑑みれば、時間的な変容、影響という問題意識からトランスナショナリズムの問題に接近することはこれまで難しかった。

 本書が対象とする地域は、境界を越える試みが植民地期以前(この時期は韓国[釜山]・対馬だけ)、植民地期、戦後のしばらくまで続いた。その結果、対馬では「島は島なりの」という国家の論理とは異なる生き方、考え方を生み、先島では特に石垣や与那国では、台湾を同じ生活圏にあった地域と認識する思考を生み出した。このように境界を越える試みや過去は境域の現在に息づいている。したがって当時の境界を越える試みの「その後」を考えることがこの境域では可能となる。

 二つ目は、越境していた過去こそが、二つの境域において現在の国境を越え、行き交う中心地としての自己のイメージを創造し、そのイメージを実現する行為や試みにつながっていることである。頻繁に国境を越えてビジネスを行う人々はこの境域に少ない。だが、本書が対象とする地域では、行き交う中心地(経由地)となることで、「周辺」からの脱却を試みている。

 国民国家の「ある中心」を経由せず、直接隣接する他者と往来し、交流、交易することやその試みは、国民国家の枠組みから逃れようとする脱国民国家的な行為や思いであり、非国民国家中心主義的な色合いが強い。地域主権のもと、「周辺」を逆手にとる試みは、負の属性を優位性に変換する試みであり、独自性の発揮である。と同時に、現在の国民国家体制乗り越えの、ささやかかもしれないが、試みでもある。

 換言すれば、「中央」が統治する国民国家を乗り越えた境域の創造への渇望であり、空間的に国家権力からの緩やかな解放を望む希求でもある。この点でもトランスナショナリズムの問題意識を視野におさめながら、この境域を論じる意義は存在しよう。

 国家の影響力という点がトランスナショナリズムの重要な課題であるがゆえにグリック・シラーが指摘するように国家間の不平等な関係への視座は不可欠である[Glick-Schiller 2005]。政治的格差、経済的格差などは当然ながら資金やモノ、人の移動に影響しよう。日本と台湾、韓国との間には戦前、宗主国と植民地という絶対的な不平等な関係が存在した。それは本書の各論文で見るように現在の国境を越える、超えようとする試みに何らかの影響を与えている。

 不平等とは言わないが、現在の日本と台湾、日本と韓国との関係は異なったものである。異なった国家間関係が境域のあり方をどう変えるかは、トランスナショナリズムの問題として重要である。だが、移動元と移動先の両国間の関係を視野にいれた研究は多いものの、管見する限りでは、別々の両国間の関係を視野におさめたうえでの研究は少ない。東アジアという近接し、密接な間柄にある中で、日本、台湾、韓国間の関係は有機的な連関をもちながら変動する。その連動のなかで、長期的に二つの境域の境界を越える試みを分析することは、トランスナショナリズムの議論においても有益な事例研究となろう。これが三つめの理由である。

 三つ目の理由に関連して二つの境域における現在の違いを、①国家間関係、②依拠する歴史、③交通基盤の観点から簡単に示しておこう。まず先島・台湾東部の境域である。最初に国家間関係だが、基本的に良好な感情が基盤にある。親日台湾像に基づく日本側からの台湾への親近感、他の東アジアとは違い良好な関係を持つという台湾側からの意識である。その基本的な感情に基づく交流の実施や交易の模索が図られている。次に、依拠する歴史は植民地期の越境経験や戦後直後の往来である。植民地期の経験は不平等な関係に基づくものであるが、その不平等性が捨象される形で言及されることがこの境域の交流では多い。最後に交通基盤であるが、既述したように先島と台湾を結ぶ交通機関は少ない。季節限定のクルーズ船やチャーター便のみで、定期的直行便は存在しない。以前は船による行き来が可能であったが、現在は途絶え、二〇一二年度になって貨物船が存在するのみである。

 次に対馬・韓国(主に釜山)の境域である。まず国家間関係だが、日本と台湾と異なって、領土や歴史認識を巡る問題などの影響をうけてナショナリズムが先鋭化する境域である。対馬そのものでは、対馬市の観音寺から韓国人グループが盗んだ仏像を巡る問題が発生している。台湾との間には尖閣諸島の問題が存在するが、緊迫の度合いはその比にな。対馬が韓国に乗っ取られるという考えも日本では一部の間ではあり、それを緊迫感を持って語る者も存在する。次に、依拠する歴史は植民地期の越境経験ではなく江戸期の朝鮮通信使である。そこでは善隣外交がうたわれ、現在のナショナリズムの先鋭化とは反するかのように、対馬が朝鮮半島と日本との間で友好関係構築に尽力したと、対馬の自画像が語られる。朝鮮通信使で結びつく友好的な関係は釜山においても共有されている。最後に交通基盤だが、既述したように韓国側、日本側の会社による定期的直行便が毎日三便往復している。加えて、ソウルからの小型飛行機の定期的チャーター便が存在する。定期的直行便の存在は現在では、釜山からの対馬日帰りツアーを可能とするほどである。

 二つの境域はこのように異なった国家間関係、歴史認識、交通基盤がある。それ故に異なった国境を越える試みがあり、異なった過去の現在への応用が存在する。これらの違いを踏まえたうえで、本書では両境域における交流・交易を事例に国境が持つ拘束性と透過性との間で生きる人びとの境界に対する認識とその実践、並びに国境が人びとの暮らしや自己認識、空間や場所の認識に与える影響を具体的に明らかにする。それらの影響と政治経済的変化との因果関係を比較し、国家の力が境域に果たす意味と境界で国家と駆け引きをしながら生きている人びとの姿を探っていく。

 マーカスとフィッシャーは複数のフィールドを対象に大規模な政治的、経済的過程を包み込んだ民族誌の困難さとその必要性を指摘し、さらに歴史を組み込んだ記述について述べている[マーカス、フィッシャー 一九八九:一七三─二〇三]。本書も複数のフィールドを対象に個々の研究者が政治的、経済的要素を考慮しつつ、歴史と向き合いながらその記述を試みている。本書はマーカスらが紹介するような、まとまった優れた民族誌ではないが、異なるシステムがせめぎ合うなかで複数の地域で生きる人々の姿を描くものである。台北であれ、ソウルであれ、本来複数のシステムのなかで人々の生活は成立しているが、境域は一層そのせめぎ合いを明確に見せてくれる場所である。それ故にマーカスらの実験的試みを実践しやすい場でもある。本書は境域を扱い、国家と駆け引きをしながら生きている人びとの姿を描くことで、彼らが提示した実験的試みの一端を担う。(後略)

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編者紹介

上水流久彦(かみづる ひさひこ)
1968年鹿児島県生まれ。
2001年広島大学大学院社会科学研究科博士課程後期修了。博士(学術)。
専攻は社会人類学、東アジア社会論。
現在、県立広島大学地域連携センター准教授。
主編著として、『台湾漢民族のネットワーク構築の原理』(渓水社、2005年)、『交渉する東アジア 近代から現代まで』(風響社、2010年)『対馬の交隣』(交隣舎出版企画、2014年)など、翻訳書に『台湾外省人の現在』(風響社、2008年)。

西村一之(にしむら かずゆき)
1970年北海道生まれ。
2000年筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得退学。博士(文学)。
専攻は文化人類学、東アジア地域研究。
現在、日本女子大学人間社会学部准教授
主著書として、『台湾における〈植民地〉経験―日本認識の生成・変容・断絶』(風響社、2011年、共著)、「台湾東海岸における漁撈技術の文化資源化――植民地経験・移動・境域」(『東アジア近代史』17号、2014年)、「台湾東部における「歴史」の構築――「祠」から「神社」へ」(『日本女子大学紀要人間社会学部』21号、2011年)など。

村上和弘(むらかみ かずひろ)
1965年宮城県生まれ。
2001年大阪大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
2015年韓国・蔚山大学校大学院博士課程修了。Ph.D.。
専攻は文化人類学・民俗学。
現在、愛媛大学国際連携推進機構准教授。
主要論文として、「『上書き』される朝鮮通信使」(『東アジア近代史』17号、2014年)、「厳原港まつりの戦後史」(『日本文化の人類学/異文化の民俗学』所収、法蔵館、2008年)、「インターネットの中のツシマ」(『ポスト韓流のメディア社会学』所収、ミネルヴァ書房、2007年)など。

執筆者紹介

角南聡一郎(すなみ そういちろう)
1969年岡山県生まれ。
2000年奈良大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
専攻は民俗学、物質文化研究。
現在、公益財団法人元興寺文化財研究所総括研究員。
主著として、『博物館という装置』(勉誠出版、2016年、共著)、『日本の中の台湾原住民族資料』(元興寺文化財研究所、2016年、共著)、論文として、「アジアにおける日本人墓標の諸相」(『人文学報』108号、2015年)など。

松田良孝(まつだ よしたか)
1969年さいたま市生まれ。
1991年北海道大学農学部農業経済学科卒。八重山毎日新聞記者などを経て、現在はフリージャーナリスト。
主著作として『八重山の台湾人』(南山舎、2004年)、『石垣島で台湾を歩く:もうひとつの沖縄ガイド』(沖縄タイムス社、2012年、共著)、第40回新沖縄文学賞受賞作『インターフォン』(2015年、沖縄タイムス社)、論文として「台湾沖縄同郷会連合会の実態と今後の研究課題―「台湾疎開」に焦点を当てて―」(『白山人類学』14号、2011年)、「植民地統治期台湾から石垣島名蔵・嵩田地区への移動について―石垣町役場作成の寄留簿の分析を通じて―」(『移民研究』9号、2013年)、「沖縄県石垣島にみられるフィリピン人ネットワークの態様―カトリック信仰を核に構築されたつながり―」(『移民研究』11号、2016年)など。

森田真也(もりた しんや)
1967年大分県生まれ。
1999年神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科博士後期課程修了。博士(歴史民俗資料学)。
専攻は、民俗学、文化人類学。
現在、筑紫女学園大学文学部准教授。
主著書として、『軍隊の人類学』(風響社、2015年、共著)、『はじめて学ぶ民俗学』(ミネルヴァ書房、2015年刊、共著)、『民俗文化の探求』(岩田書院、2010年、共著)、『ふるさと資源化と民俗学』(吉川弘文館、2007年、共著)。論文として、「異郷に神を祀る―沖縄石垣島の台湾系華僑・華人の越境経験と宗教的実践」(『沖縄民俗研究』第32号、2013年)、「沖縄の笑いにみる文化の相対化と戦略的異化」(『筑紫女学園大学・短期大学部人間文化研究所年報』第25号、2014年)、など。

越智郁乃(おち いくの)
1978年愛媛県県生まれ。2010年広島大学大学院社会科学研究科修了。博士(学術)。専攻は文化人類学・民俗学。現在、立教大学観光学部助教。近著に『〈境界〉を越える沖縄 人・文化・民俗』(森話社、2016年、共著)、「ゲート前という接触領域-沖縄県那覇市新都心における軍用地の記憶と返還地の開発-」『コンタクト・ゾーン』第7号(京都大学人文学研究所、2015年、単著)。

中村八重(なかむら やえ)
1974年鳥取県生まれ。
2006年広島大学国際協力研究科博士課程後期修了。博士(学術)。
専攻は文化人類学、韓国地域研究。
現在、韓国・啓明大学校外国語学部助教授。
主著書として、『交渉する東アジア 近代から現代まで――崔吉城先生古希記念論文集』(共編著、風響社、2010年)、『対馬の交隣』(共著、交隣舎出版企画、2014年)など。

橘 厚志(たちばな あつし)
1947年長崎県対馬市生まれ。
旧・厳原町職員として商工課長、公民館長、助役等を歴任。在職中から国際交流と地域振興に力を注ぎ、また、2009年発足の対馬市市民劇団「漁火」では実行委員長として活躍した。2016年6月逝去。

宮岡真央子
1971年神奈川県生まれ。
2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程単位取得退学。
専攻は文化人類学、台湾原住民族研究。
現在、福岡大学人文学部准教授。
共著書として、『馬淵東一と台湾原住民族研究』(風響社、2010年)、『日本の人類学――植民地主義、異文化研究、学術調査の歴史』(関西学院大学出版会、2011年)、『愛・性・家族の哲学 第2巻 性――自分の身体ってなんだろう?』(ナカニシヤ出版、2016年)など、論文として、「呉鳳をめぐる信仰・政治・記憶」(『台湾原住民研究』17号、2013年)、「命名・分類、社会環境、民族意識―サアロアとカナカナブの正名にみる相互作用」(『台湾原住民研究』19号、2015年)、「重層化する記憶の場―〈牡丹社事件〉コメモレイションの通時的考察」(『文化人類学』81巻2号、近刊)など。

江本智美(えもと ともみ)兵庫県生まれ
米国ピッツバーグ大学院、人類学で修士号。2008年、南イリノイ大学院、人類学で博士(Ph.D.) 専攻は文化人類学。 現在ニューヨーク市立クィーンズ大学客員助教授。東アジアの文化人類学、ジェンダーと暴力の人類、力と民族性等を担当。主要論文に“Performing Alterity: Postcolonial Genesis of Borderland Identity in Japan”(文化的他者の演出によるポストコロニアル日本の境界人の創生 )Journal of Folklore Research 53(1)。2016年。

崔吉城(ちぇ きるそん)
1940年韓国・京畿道楊州生
国立ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)
中部大学教授、広島大学教授
現在は東亜大学教授・広島大学名誉教授
『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』『樺太朝鮮人の悲劇』『哭きの文化人類学』 『親日と反日の文化人類学』『韓国民俗への招待』『恨の人類学』など

国永美智子
1979年沖縄県生まれ。
2011年淡江大学国際研究学院亜州研究所修了、修士。
専攻は台湾八重山関係。
現在は会社員。
修士論文として「戰後八重山的鳳梨產業與臺灣「女工」」。主著書として『石垣島で台湾を歩く――もうひとつの沖縄ガイド』(沖縄タイムス社、2012年、共著)。松田良孝『インターフォン』(沖縄タイムス社、2015年)では挿絵を担当した。

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