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ストリート人類学

方法と理論の実践的展開

ストリート人類学

ネオリベラリズムによって破壊された人や文化や暮らし。世界の街角からその実態を拾い上げ、人間の創発力を探る。

著者 関根 康正
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学集刊
出版年月日 2018/02/28
ISBN 9784894892460
判型・ページ数 A5・768ページ
定価 本体6,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

目次
 序章 ストリート人類学という挑戦(関根康正)
●起 メジャー・ストリートの暴力と排除に抗し──棄民される人々の中へ
 一章 新たなローカリティを創発せざるを得ない人々(トム・ギル)
 二章 施設と暴力の現在(飯嶋秀治)
 三章 児童養護施設等における暴力問題の理解と対応(田嶌誠一)
 四章 如何に被差別の当事者性を獲得するか?(根本 達)
●承 ストリートの表層と内奥の往還――新しい敷居の発見から自覚へ
 五章 ゾンビ化するストリートの存在論(近森高明)
 六章 ストリートの記憶と痕跡(南 博文)
 七章 パリと東京のストリートにおける共同性(モニカ・ザルツブルン)
 八章 野菜とひとが紡ぐローカリティ(鈴木晋介)
 九章 阿波木偶の伝統と被差別民の漂泊性(姜 竣)
 一〇章 放浪民ジョーギーの定住化と呪術性の現在(中野歩美)
 一一章 カンボジアにおける市場経済化と絹織物業(朝日由実子)
 一二章 国境を越えるねずみたちのストリート(森田良成)
●転 マイナー・ストリートの創造力︱︱ヘテロトピア・デザインに向かう実践
 一三章 下からの創発的連結としての歩道寺院(関根康正)
 一四章 ハノイ民衆ストリートの文化組成力とアフリカ受容(和崎春日)
 一五章 ストリート言語から国民形成の鍵へ(小馬 徹)
 一六章 ネオリベラリズムとカナダ・イヌイットの社会変化(岸上伸啓)
 一七章 生まれ育った地域で生きる(村松彰子)
 一八章 災害ユートピアが終わるとき(小田 亮)
●結 ストリート人類学の要諦――「ネオリベ・ストリート化」から「根源的ストリート化」へ
 一九章 ヘテロトピアと近傍(西垣 有)
 二〇章 ヘテロトピア・デザインの実践(関根康正)
 結章 ストリート人類学の方法と理論(関根康正)
●総括討論
 1 生成変化という一つの先端をめぐって(西垣 有)
 2 路傍の信仰とノスタルジアからみたストリートの人類学(野村雅一)
 3 「神話」と「後背地」から見たストリート人類学(阿部年晴)
 あとがき/索引

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内容説明

ネオリベラリズムという名の妖怪が人類を路上に追いやっている。世界の街角からその実態を拾い上げ、極北においてなお発現する人間の創発力をも捉えようとする、人類学的研究の社会的コミットメントの成果。

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序章 ストリート人類学という挑戦

関根康正



 ストリート人類学は、本来二〇世紀人類学が本来目指していたものの、二一世紀的な自覚的復権であり、再挑戦である。というのは、二〇世紀人類学はその初頭から文化相対主義を標榜し近代西洋思想の覇権に対して人間とは何か人類とは何かという根底的視点から異議申し立てを行ってきた学問であったからである。それではなぜ、そのような再挑戦が必要なのだろうか。

 今日、そのような下からの文化批判としての文化人類学という学問の立場あるいは位置は、ネオリベラリズムに主導された覇権的思潮の隆盛で、特に「自己監査文化audit culture」のトップダウンな浸透できわめて危機的な状況にある。自己監査文化は、大学や研究所に対してその成果を短期間で問い、しかもその評価において量と効率性を重視するので、研究組織はその存続を守るためにいきおい深まらない表層的な研究成果で量を稼ぐようになる傾向に陥る。研究の本義が蔑ろにされていると言わざるを得ない。

 人類学の最も重要な特長、すなわち、その意味を言葉で語ることがしばしば難しい繊細で微細な事柄を扱う学問であること、そのことが自己監査文化では価値のないもののように扱われ、最悪の場合は、切り捨てられるという始末である。この歓迎できない傾向が、米国で始まり欧州へ広がり、今や世界中に影響を及ぼしている。そこでは、今日の現代人類学は「実践」人類学あるいは「公共」人類学であるべきだという主張の制度化が進んでいる。そのような文脈でなされる人類学的な仕事は、その研究が公共や社会のためにどのように役立つのかを明示せよと常に性急に要求され、その基準から評価される。このような制度的な圧力は研究者としての本義(健全な社会批判)に立とうとする者を委縮させることになる。

 社会変革にとって重要で根本的な論点と提案というものは、どうしてもその成果が出るまでに時間がかかるし、またその内容はすぐに多くの人に理解されるわけではない。そのため、何かすぐに社会に、公共に「役立つ」成果が評価される圧力の悪しき結果として、今や多くの研究者が意識的にまた無意識的にそうした挑戦的な基本的テーマを避けるようになってきている。このような状況は、社会批評に深みを提供するために繊細で微妙なアプローチを採る人類学という学問にとっては、その真の力量を踏みにじり本来の目的をそこなうものであり、致命的で危険なものである。

 ストリート人類学の研究プロジェクトは、このような看過できない望ましからぬ潮流に対して、まっすぐに異議申し立てを宣言し、そこからの脱却と改善の方途を模索するものである。

 過程を大事にしない結果は、魂のない形式に過ぎない。深みのある研究には、〈研究者の個的な固有の「折り返し地点」をもった自己変容の経験と思索の「時間性」〉(結章にて後述)が不可欠であり、そのようなある研究人生を通じた協働の営みの刻み込まれた成果のみが真の意味で公共のための財産になっていく。

 社会の中でそれぞれに固有の生を刻み付けている私たちは、それぞれ個的にヒューリスティックな創造過程を歩んで研究しており、そのような歩みの結晶としての深く拓かれた成果のみが、真に役立つものであり、それに出会った個人の生を援助するのである。学問成果の受け手の公共の個々人は単なる研究成果の消費者ではなく、共に人生創造の同行者である。

 あたかもニュートラルであるかのように「公共性」という言葉が漠然と使用されるとき、支配政体が国民抑圧に用いる都合のいい言い訳となる危険な概念となりうることを、私たちはすでに歴史的に学んできたはずである。沖縄の基地問題、過疎地の原発立地、三里塚の成田空港建設、種々の公害問題、といった冷酷な公共性概念の使用の数々の歴史を思い出せる。今また、沖縄の辺野古で高江で、日米地位協定に実は発する事態を「公共性」の名の下に隠し、国家による非人道的行為を痛恨の想いで目撃している。したがって、公共あるいは公共性が用いられた歴史的な痛みを知っている者として、その言葉の使用には懐疑が拭えない。

 それでも使うなら、私としては、「公共性のため」と「公共の個々人のため」とを明確に分けることを提案したい。そこには、私が公共人類学という抑圧に転じやすい実践人類学を廃棄し、岩田慶治の後を追って言うならば、いわば「創造人類学」という個々人の生を創造的にする真の実践人類学を標榜する必要性があるとの想いが込められている。後者の立場に立つ私なりの研究実践が、ストリート人類学として探求されてきた。

 今日では、大学での研究も教育も商品のように見なされている感がある。つまり、公衆は研究を買い、学生は教育を買うというわけである。私自身は、自分の教える学生が単なる消費者であるというような考え方を受け入れることは到底できない。ストリート人類学は、研究と教育における、このような腐敗的傾向に歯止めをかける抵抗的反応であり、公衆にとって本当の意味で適切な実践性を持った人類学的貢献とはいったいどういうものであるかを再定義していく試みである。……

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編者紹介
関根康正(せきね やすまさ)
1949年、群馬県生まれ。
1993年、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院博士課程修了。Ph.D(Social Anthropology)。
専攻は、社会人類学、南アジア社会研究。
現在、関西学院大学社会学部教授。
主著書として、『社会苦に挑む南アジアの仏教:B. R. アンベードカルと佐々井秀嶺による不可触民解放闘争』(関西学院大学出版会、2016年、共著)、“From Community to Commonality: Multiple Belonging and Street Phenomena in the Era of Reflexive Modernization”(Center for Glocal Studies Seijo University, 2011年,共著)、“Pollution, Untouchability and Harijans:A South Indian Ethnography” (Rawat Publications , 2011年)、『ストリートの人類学 上巻+下巻』(国立民族学博物館、2009年、編著)、『宗教紛争と差別の人類学』(世界思想社、2006年)、『〈都市的なるもの〉の現在:文化人類学的考察』(東京大学出版会、2004年、編著)、『ケガレの人類学:南インド・ハリジャンの生活世界』(東京大学出版会、1995年)、論文として、‘Transnationality, Hope and ‘Recombinant Locality’:Knowledge as Capital and Resource’(South Asia Research 32(1), 2012年)など。

執筆者紹介(掲載順)
トム・ギル(Thomas Paramor Gill, 一般にTom Gill)
1960年、イギリス・ポーツマス生まれ。
1997年、ロンドン大学政治経済学院社会人類学研究科博士課程修了。Ph.D(Social Anthropology)。
専攻は、社会人類学、日本研究。
現在、明治学院大学国際学部教授。
主著書として、Men of Uncertainty: The Social Organization of Japanese Day Laborers in Contemporary Japan(SUNY Press、2001年)、『毎日あほうだんす:寿町の日雇い哲学者西川紀光の世界』(キョウトット出版、2013年)、『東日本大震災の人類学: 津波、原発事故と被災者たちの「その後」』(人文書院、2013年、編者・共著)、Yokohama Street Life: The Precarious Career of a Japanese Day Laborer(Lexington Books、2015年)。論文として、「日本の都市路上に散った男らしさ:ホームレス男にとっての自立の意味」(『日本人の「男らしさ」:サムライからオタクまで「男性性」の変遷を追う』、サビーネ・フリューシュトゥックと アン・ウォルソール編、第6章、175-202頁(明石書店、2013年)他。

飯嶋秀治(いいじま しゅうじ)
1969年、埼玉県生まれ。
2005年、九州大学大学院人間環境学研究科博士課程修了。博士(人間環境学)。
専攻は、共生社会システム論。
現在、九州大学大学院人間環境学研究院准教授。
主著書として、『アクション別フィールドワーク入門』(世界思想社、2008年、共著)、『支援のフィールドワーク:開発と福祉の現場から』(世界思想社、2011年、共編著)、『社会的包摂/排除の人類学:開発、難民、福祉』(昭和堂、2014年、共著)、『現実に介入しつつこころに関わる展開編:多面的援助アプローチの実際』(明石書店、2016年、共著)、論文として、「社会的排除とのつきあい方:日本の児童養護施設における臨床心理学と文化人類学の連携」(『文化人類学』77巻2号、2012年)。

田嶌誠一(たじま せいいち)
1951年、福岡県生まれ。
1980年 3月 九州大学教育学部大学院前期博士課程(教育心理学専攻)博士課程単位取得退学。博士(教育心理学)。2016年3月に九州大学を定年退職。九州大学名誉教授。
専攻は、臨床心理学。
主著書として、『現実に介入しつつ心に関わる:展開編』(2016年編著、金剛出版)、『その場で関わる心理臨床:多面的体験支援アプローチ』(2016年単著遠見書房)、『心の営みとしての病むこと:イメージの心理臨床』(2011年単著、岩波書店)、『児童福祉施設における暴力問題の理解と対応:続・現実に介入しつつ心に関わる』(2011年単著、金剛出版)、『現実に介入しつつ心に関わる』(2009年、金剛出版)、『不登校:ネットワークを生かした多面的援助の実際』(2010年編著、金剛出版)など。

根本 達(ねもと たつし)
1975年、ペルー生まれ。
2010年、筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科修了。博士(国際政治経済学)。
専攻は、文化人類学、南アジア地域研究。
現在、筑波大学人文社会系助教。
主な論文として、「ポスト・アンベードカルの時代における自己尊厳の獲得と他者の声:インド・ナーグプル市の反差別運動と仏教僧佐々井の矛盾する実践について」(『文化人類学』81巻2号、2016年)、「「繋ぐ者」の連帯と開かれた交渉の場:現代インドを生きる仏教徒たちの改宗運動と生活世界」(『文化人類学』78巻3号、2013年)など。

近森高明(ちかもり たかあき)
1974年、愛媛県生まれ。
2002年、京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。
専攻は、文化社会学、都市空間論。
現在、慶應義塾大学文学部教授。
主著書として、『ベンヤミンの迷宮都市:都市のモダニティと陶酔経験』(世界思想社、2007年)、『無印都市の社会学:どこにでもある日常空間をフィールドワークする』(法律文化社、2013年、共編)、『都市のリアル』(有斐閣、2013年、共編)、論文として、「コールハース、ズーキン、そしてベンヤミン:都市批評の現在的困難を超えて」(『法学研究』第90巻第1号、2017年)、「「地下街主義」宣言のためのノート:高度経済成長期日本の過密の文化」(『文化人類学』第82巻第2号、2017年)など。

南 博文(みなみ ひろふみ)
1957年、広島県生まれ。
1985年、米国クラーク大学大学院心理学科博士課程修了。Ph.D(Psychology)。
専攻は、環境心理学、都市の場所研究。
現在、九州大学大学院人間環境学研究院教授。
主著書として、『子ども達の「居場所」と対人的世界の現在』(九州大学出版会、2003年、編著)、『環境心理学の新しいかたち』(誠信書房、2006年、編著)、『社会と場所の経験(質的心理学講座第3巻)』(東京大学出版会、2008年、編著)、論文として、「子どもたちに居場所はあるか:「居方」というサイン」(『教育と医学』57巻2号、2009年)、「Asian Urbanism: Understanding the dynamics of communal life in the public streets.」(建築学報:Architectural Journal, No.2, 2007年)など。

モニカ・ザルツブルン (Monika Salzbrunn)
Docteure en Anthropologie Sociale et Ethnologie (EHESS Paris) / Dr. rer. soc. (Faculty of Sociology, University of Bielefeld)
専攻は、Social and Cultural Anthropology, Migration, Art, Religion.
現在、full professor of Religion, Migration and Diaspora Studies at the University of Lausanne and director of the ERC project “ARTIVISM – Art and Activism. Creativity and Performance as Subversive Forms of Political Expression in Super-Diverse Cities“.
主著書として、L' Islam (in)visible en ville. Appartenances et engagements dans l’espace urbain (Labor et Fides, 2018, ed,). L’événement (im)prévisible. Mobilisations politiques et dynamiques religieuses (Editions Beauchesne, 2018, co-ed. with Laurent Amiotte-Suchet). The Economy of Urban Diversity. Ruhr Area and Istanbul(Palgrave Macmillan, 2013, co-ed. with Darja Reuschke, Korinna Schönhärl). From Community to Commonality:Multiple Belonging and Street Phenomena in the Era of Reflexive Modernization (Seijo University, 2011, co-authored with Yasumasa Sekine). 論文として、A l’écoute des transnationalisations religieuses/Sounding religious transnationalism, (Civilisations 67, 2018, co-edited with Stefania Cappone and Hugo Ferran). When the Mosque Goes Beethoven: Expressing Religious Belongings through Music, (COMPASO - Journal of Comparative Research in Anthropology and Sociology, vol. 7 no.1, 2016). How diverse is Cologne Carnival? How migrants appropriate popular art spaces, (Identities, 21 (1), 2014) など。

喜田康稔(きた やすとし)
1986年、徳島県生まれ
2014年、関西学院大学大学院社会学研究科博士課程前期課程修了。社会学修士。
専攻は、文化人類学。
現在、農業者。
主な論文として、「『「脱ダム」を生きる!』という地域の選択:細川内ダム建設問題を通して考える」(関西学院大学社会学部修士論文)など。

鈴木晋介(すずき しんすけ)
1971年、新潟県生まれ。
2004年、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得退学、博士(文学)。
専攻は、文化人類学。
現在、茨城キリスト教大学文学部助教。
主著書として、『南アジア系社会の周辺化された人々:下からの創発的生活実践』(関西学院大学出版会、2017年、共編著)、『社会苦に挑む南アジアの仏教:B.R.アンベードカルと佐々井秀嶺による不可触民解放闘争』(関西学院大学出版会、2016年、共著)、『スリランカを知るための58章』(明石書店、2013年、共編著)、『つながりのジャーティヤ:スリランカの民族とカースト』(法蔵館、2013年)など。

姜 竣(かん じゅん)
1966年、韓国大邱市生まれ。
1999年、筑波大学大学院歴史・人類学研究科博士後期課程単位取得退学。2008年、博士(文学・大阪大学)。
専攻は、文化人類学、民俗学。
現在、京都精華大学マンガ学部・マンガ研究科教授。
主著書として、『民俗学的想像力』(せりか書房、2009年、共著)、『紙芝居と〈不気味なもの〉たちの近代』(青弓社、2007年)、『新しい民俗学へ』(せりか書房、2003年、共著)、論文として、「絵の〈声〉の聴き方」(『文学』5巻2号、2004年3・4月、岩波書店)、「イメージとことばの「近代」」(『口承文藝研究』25号、2002年)、「目と耳の民俗学」(『日本民俗学』224号、2001年)、など。

中野歩美(なかの あゆみ)
1988年、福岡県生まれ。
2003年、関西学院大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。
専攻は、文化人類学、南アジア地域研究。
現在、関西学院大学大学院奨励研究員。
主な論文として、「北インドにおける婚資婚再考:ラージャスターン州西部に暮らすジョーギーの姻戚関係を事例に」(『国立民族学博物館研究報告』42巻3号、2018年)、「『移動民』をめぐる語りとカーストの形成に関する一考察:インド・タール沙漠地域に暮らすジョーギーを対象として」(『先端社会研究書紀要』10号、2013年)など。

朝日由実子(あさひ ゆみこ)
1980年、東京都生まれ。
2008年、上智大学大学院外国語学研究科博士課程単位取得退学。修士(地域研究)。
専攻は、文化人類学、カンボジア地域研究。
現在、日本女子大学現代社会学科助教。
主な論文として、「『エスニック・タウン』の誕生とストリート:ロサンゼルスのカンボジア・タウンの事例から」(『ストリートの人類学』下巻 国立民族学博物館調査報告 81、2009年)、
「カンボジア、メコン河支流沿いにおける絹織物生産と地域社会:スロック・チョムカーとスロック・スラエの関係を中心に」『社会情報研究』第10号、2012年)など。

森田良成(もりた よしなり)
1976年、奈良県生まれ。
2010年、大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。
専攻は、文化人類学。
現在、大阪大学大学院人間科学研究科特任研究員、東洋大学アジア文化研究所客員研究員。
主著書として、『「国家英雄」が映すインドネシア』(木犀社、2017年、共著)、『人類学で世界をみる』(ミネルヴァ書房、2008年、共著)、論文として、「携帯電話と電気への欲求:インドネシア、西ティモールの農村の事例」(『白山人類学』20号、2017年)、映像作品として、『アナ・ボトル:西ティモールの町と村で生きる』(43分、2012年)など。

和崎春日(わざき はるか)
1949年、京都府生まれ
1978年、慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学 博士(社会学)
専攻は、都市人類学、アフリカ地域研究
現在、中部大学国際関係学部教授
主著書として、『アフリカに暮らして:ガーナ、カメルーンの人と日常』(春風社、2012年、共著)、『大文字の都市人類学的研究』(刀水書房、1992年)、『アフリカの都市的世界』(世界思想社、2001年、共編著)、論文として、
「人類学方法論としての日本-アフリカ邂逅誌:日本-カメルーン往還のフィールドワーク」(『貿易風:中部大学国際関係学部論集』第9号、2014年)
「在日・在中アフリカ人の生活戦略とホスト社会の受容性:グローバル化時代のネットワークと共同性」(『研究論集』36号、愛知大学、2013年)
「建造物・陳列物の展示性をめぐる比較博物館的調査:ベトナム、フランス、カメルーン」『中部大学民族資料博物館調査研究報告』平成23年度、2012年)

小馬 徹(こんま とおる)
1948年富山県生まれ。
1981年、一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会人類学)。
専攻は、社会人類学、文化人類学、アフリカ研究、日本研究。
現在、神奈川大学人間科学研究科教授。
最近の著書には、『文化を折り返す:普段着でする文化人類学』(青娥書房、2016年)、『フィールドワーク事始め:出会い、発見し、考える経験への誘い』(御茶の水書房、2916年)、『「統治者なき社会」と統治:キプシギス民族の近代と前近代を中心に』(神奈川大学出版会、2017年)、『「女性婚」を生きる:キプシギスの「女の知恵」考』(神奈川大学出版会、2018年)など。

岸上伸啓(きしがみ のぶひろ)
1958年、高知県生まれ。
1989年、マッギル大学大学院人類学部博士課程単位取得退学。博士(文学)。
専攻は、文化人類学、北方先住民文化研究。
現在、国立民族学博物館教授、総合研究大学院大学文化科学研究科教授。
主著書として、『贈与論再考』(臨川書店、2016年、編著)『クジラとともに生きる』(臨川書店、2014年)、『捕鯨の文化人類学』(成山堂書店、2012年、編著)、『開発と先住民』(明石書店、2009年、編著)『カナダ先住民の食文化と社会変化』(世界思想社、2007年)、『イヌイット』(中公新書、2005年)、『極北の民カナダ・イヌイット』(弘文堂、1998年)など、論文に「Climate change, oil and gas development, and Inupiat whaling in northwest Alaska」(Ētudes/Inuit/Studies, 34(1) 2010)、「A New Typology of Food-Sharing Practices among Hunter-Gatherers, with a Special Focus on Inuit Examples」(Journal of Anthropological Research, 60(3), 2004)など。

小田 亮(おだ まこと)
1954年、新潟県生まれ。
1988年、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会人類学)。
専攻は、社会人類学。現在、首都大学東京人文社会学部教授。
主著書として、『構造主義のパラドクス』(勁草書房、1989年)、『構造人類学のフィールド』(世界思想社、1994年)、『レヴィ=ストロース入門』(筑摩書房、2000年)、論文として「ポストモダン人類学の代価:ブリコルールの戦術と生活の場の人類学」(『国立民族学博物館研究報告』21巻4号、1997年)、「『二重社会』という視点とネオリベラリズム:生存のための日常的実践」(『文化人類学』74巻2号、2009年)、「真正性の水準について」(『思想』1016号、2008年)、「真正性の水準と『顔』の倫理」(小田亮編『グローカリゼーションと共同性』、成城大学グローカル研究センター、2010年)、「アクチュアル人類学宣言!」(『社会人類学年報』40巻、2014年)など。

村松彰子(むらまつ あきこ)
1976年、静岡県生まれ。
2010年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会人類学)。
専攻は、文化人類学。現在、相模女子大学人間社会学部講師。
論文として、「物語化された死者儀礼:沖縄島の『ミーサァ』をめぐる『ユタ』のクライアントの語りから」(『琉球・沖縄研究』早稲田大学琉球沖縄研究所、2007年)、「『沖縄的な知』は商品なのか:人びとの日常的な〈つながり〉の視点から」(『常民文化』成城大学大学院、2010)、「ほんものの作り手であり続けること:「紅型」と「琉球びんがた」のあいだのずれ」(床呂郁哉・河合香吏編『ものの人類学』、京都大学出版会、2011年)、「アクチュアリティの世界を生きる」(小田亮編『グローカリゼーションと共同性』成城大学グローカル研究センター、2010年)など。

西垣 有(にしがき ゆう)
1976年、京都府生まれ。
2012年、大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(人間科学)。
専攻は、文化人類学、モンゴル地域研究。
現在、関西大学非常勤講師。
主論文として、「都市のテクノロジー:モンゴル・ウランバートル市の都市化とコンパクトシティ計画」(『文化人類学』75巻2号、2010年)など。

阿部年晴(あべ としはる)
1938年、和歌山県生まれ。
東京大学大学院生物系研究科文化人類学専門課程博士課程単位取得退学。
専攻は、文化人類学、アフリカ研究、神話論、文明論。
埼玉大学名誉教授。2016年没。
主著書として、『地域社会を創る―ある出版人の挑戦』(さきたま出版会、2014年)、『近縁のアジア―〈ケガレ〉が問いかけるもの』(明石書店、2007年、共編著)、『苦悩することの希望―専門家のサファリングの人類学』(協同医書出版社、2014年、共著)、『呪術化するモダニティ―現代アフリカの宗教的実践から』(風響社、2007年、共編著)、『アフリカ入門』(新書館、1999年、共著)、『民族の世界(上・下)』(小学館、1990年、共編著)、『アフリカ人の生活と伝統』(三省堂、1982年)、『現代文化人類学』(弘文堂、1978年共著)、『アフリカの創世神話』(紀伊國屋書店、1965年)、論文として「覚書・後背地論から見たストリート」(『ストリートの人類学』下巻SER81、2009年)、「アフリカを語るための覚え書」(『アリーナ』4号、2007年 )、「『後背地』から:アフリカの妖術」(『宗教と社会』11(0)、2005年)、「都市と妖術」(『比較文明』5号、1999年)、「“未開と文明”再考」(『比較文明』創刊号、1985年)など。

野村雅一(のむら まさいち)
1942年、広島県生まれ。
1968年、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。文学修士。
専攻は、文化人類学、演劇人類学、身体コミュニケーション論。
国立民族学博物館名誉教授。2017年没。
主著書として、『地域社会を創る:ある出版人の挑戦』(さきたま出版会、2014年)、『苦悩することの希望:専門家のサファリングの人類学』(協同医書出版会、2014年)、『辺縁のアジア:〈ケガレ〉が問いかけるもの』(明石書店、2007年、共編著)、『表象としての身体』(大修館書店、2005年、共編著)、『しぐさの人間学』(河出書房新社、2004年)、『老いのデザイン』(求龍堂、2003年)、『みんぱくミュージアム劇場:からだは表現する』(財団法人千里文化財団、2000年、編著)、『技術としての身体』(大修館書店、1999年、共編著)、『身ぶりとしぐさの人類学』(中公新書、1996年)、『コミュニケーションとしての身体』(大修館書店、1996年、共編著)、『ボディーランゲージの世界:あいことばは身ぶりで』(ポプラ社、1993年)、『現代日本文化における伝統と変容8:情報と日本人』(ドメス出版、1992年)、Culture Embodied, (National Museum of Ethnology, 1990, co-ed. with Michael Moerman & Masaichi Nomura)、『民族音楽叢書9:身ぶりと音楽』 (東京書籍、1990年、共編著)、『ふれあう回路』(平凡社、1987年、共著)、『ボディーランゲージを読む:身ぶりの空間の文化』(平凡社ライブラリ、1984年)、『しぐさの世界:身体表現の民族学』(日本放送出版協会、1983年)、論文として「『ピノッキオの冒険』の民俗誌的研究:身体性を中心に」(『子ども文化の原像』岩田慶治編著、日本放送出版協会、1985年)、「スパゲッティ以前:食文化と地域性」(『ヨーロッパの基層文化』川田順造編著、岩波書店、1995年)など。   

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