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戦後日本の中国研究と中国認識

東大駒場と内外の視点

戦後日本の中国研究と中国認識

オーラルヒストリーを交えた実証的研究史であり、多様な視点の交錯から中国学への新たな視座と可能性を探る試みである。

著者 代田 智明
谷垣 真理子
伊藤 徳也
岩月 純一
ジャンル 歴史・考古・言語
出版年月日 2018/03/20
ISBN 9784894892255
判型・ページ数 A5・448ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに(代田智明)

   ●第一編 あるひとつの実践――東京大学の事例

Ⅰ 戦後という時代の中での中国語教育と中国研究
  聞き取り1 竹田 晃/聞き取り2 田仲一成
Ⅱ 東京大学における中国語教育の実践(楊凱栄・吉川雅之・小野秀樹)

   ●第二編 戦後日本における中国研究と中国認識

Ⅰ 戦後日本の中国研究――文学、歴史、経済
  戦後近現代中国文学研究管窺(代田智明)/「プロレタリア文化大革命」研究からみる日本人の中国認識(中津俊樹)/「属地的経済システム論」からみた計画経済期の中国(田島俊雄)/日本における中国金融業の研究状況(伊藤 博)
Ⅱ 中国認識を語る人々
  戦前から戦後にかけての日本の周作人研究者の態度(伊藤徳也)/「シナ学」の現代中国認識(石井 剛)
Ⅲ 新たな研究潮流
  戦後日本の辛亥革命研究と辛亥百年(村田雄二郎)/「発家致富」と出稼ぎ経済(田原史起)

   ●第三編 「外」から見た日本の中国研究

Ⅰ 留学経験者が語る日本の中国研究
  聞き取り(1)(ラマール・クリスティーン)/聞き取り(2)(林 少 陽)
Ⅱ 中国の周辺における中国研究
  香港における中国研究(谷垣真理子)/ベトナムにおける「中国研究」(岩月純一)
Ⅲ 世界各地の中国研究との比較の視座
  講演(1)(石 之 瑜)/講演(2)(邵 軒 磊)/コメント(馬場公彦)

あとがき(編者)
索引

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内容説明

「新中国」の誕生から「超大国」の現在まで
シノロジーはどの分野であれ、対象の大きな変化に振り回されてきた。本書は、オーラルヒストリーを交えた実証的研究史であり、多様な視点の交錯から中国学への新たな視座と可能性を探る試みである。

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はじめに――「中国」というアポリア

代田智明





 本書は、一九四五年に日本が敗戦して以降、七〇年ほどたった現在まで、中国研究ひろく言えば中国認識が、どういう経緯をたどったのか、そこにいかなる課題や論議があったのかに焦点をあて、幅広く人文・社会諸科学の動向を探ったものである。戦前の中国研究に関しては、すでに多くの探究や言及がなされており、近代日本にとって重要な学知の「欠如」「偏向」「貢献」に関して、後人がそこからある程度教訓を汲み取ることは、それほど難しいことではなくなっている。二一世紀を迎え、人民共和国建国以来の歴史が還暦を迎えたこともあって、いくつかの中国関係学会では、シンポジウムとその記録という形で、総括的討論も行われてはきた。けれども敗戦後七〇年というかなり長い年月を経たいま、日本におけるその間の中国認識・研究に関する、これまた「欠如」「偏向」「貢献」については、さまざまな事情もあって、あまり包括的な検討が十分に公表されてきたとは言えない。

 本書のモチーフは、二〇世紀後半を中心とした中国認識・研究に関する、総合的な記述と評価を試みることである。読者に過大な期待をもたせるのも憚れるので、その試みには、きわめて個別的な、あるいは内輪の記述も含まれることお断りせざるをえない。とりわけ駒場という、東京大学教養学部前期中国語部会に所属する研究者を中心に、集まった研究グループであるので、そのアイデンティティに拘らないわけにはいかなかったという事情もある。けれどもかりにそれらにしても、一研究者の研究履歴そのものが、その間の研究動向や社会的背景に左右されていることが窺えるはずである。記述が総花的に見え、一見分散的多様性にしか見えないところに、実は「中国」という対象の焦点が、地域的特徴性が現れている。その具体的様相については、後に少し詳述するが、そもそも本書のような課題が成立する、というより成立せざるをえない、という点に、中国研究の逃れられない宿命みたいなものが存在するのだ。
たとえば欧米において、中国研究の一分野に関してならば、研究史は必要かも知れないが、人文・社会科学を横断するような、いわゆるシノロジーの、しかも近現代に関する学的研究史はあるまい。逆に、日本の欧米研究、個別ドイツ研究やフランス研究において、分野横断的な「研究の研究」がありうるのだろうか。中国研究になぜこのような課題と分野がありえたのか。この問いに答えるのは、さほど難しいことではない。

 むろん地政学的に、陸続きの国境をもたない隣国という関係があり、そのせいもあって前近代に、深く中国文化の影響を受けたこと。そのお陰で、憧憬やコンプレックスを産み出す一方、近代に差別意識や優越感を抱くようになったこと。言うまでもなく、戦前の一五年に亘る侵略戦争の傷が、けっしていまなお歴史事実のみではない重みをもっていること、などである。要するに、前近代以来の歴史を通じて、中国は日本にとって、私たちが普段想像している以上に、知的対象となった瞬間、客観的な科学的対象というよりは、複雑で特殊な存在と化すのである。

 中国研究の特殊性――それ自体が「アポリア」なのだが、を吟味する前に、本書の構成をまずは紹介しておこう。全体として、内輪の「内部」から、海外の「外部」の視点へと拡がっていく。第一は「あるひとつの実践―東京大学の事例」で、駒場の中国語教育を回顧しつつ、敗戦直後に駒場から中国研究を志した大家に、その学的経歴を回想いただいた。第二は、本論とも言うべきだが、「戦後日本における中国研究と中国認識」と題し、まずは文学、歴史、経済の分野の各論、つぎに平岡武夫と周作人を焦点として、戦争前後の中国認識が個別に言及される。最後に最近の研究動向として、辛亥革命シンポジウムの体験と農村研究の現状が語られていく。第三は、「『外』から見た日本の中国研究」というテーマで、フランスや中国から日本に留学して研究者になられた方がたのインタビュー、当プロジェクトと関連するテーマを探究している海外の研究者の発言、香港、ベトナムなど東アジアの中国研究を参照して、今後の参考としている。賢者たる読者を予測して、予め本書の不足を述べておけば、言語学研究にも学史的側面を記述する可能性はあったと思われるが果たせなかった。また文革研究における状況は詳説されているものの、この間の歴史学の展開については、論者が見つからず全面的な議論ができていない。これはプロジェクト代表である筆者の力不足であり、遺憾なところである。

 なお既述したように、総花的であるゆえ、必ずしも体系的にはならないが、順序に関わらず、興味あるタイトルの文章からお読みいただくのが利便だと思われる。慧眼の読者であれば、なかなか奥深い論点を拾い出すことができる面白い作物があるはずだ。また数人の研究者に対するインタビューは、過去の知的雰囲気を理解いただく意味でも貴重な資料であり、実際、立ち会った者として楽しかった。こういう感想は、あるいは内輪の了解が加味されてのことかも知れないが、時代を読み取る可能性を失ってはいないと思われる。

 さて最後に、いささか厄介な論点を整理して、本書の価値と中国学への誘いを述べておきたい。中国学の特殊性と述べたが、当然この裏側には、普遍性(への企図)がひそんでいる。特殊性を産み出した原因の第一は、この七〇年の中国現代史の激動ゆえである。もとより日本のアカデミズム全体に大きな断絶と衝撃を与えた「敗戦体験」が、前提としてあったことは言うまでもない(そしてこの体験は世界文学や思想と共有性をもたなかった)。そのうえに「新中国」の誕生という「神話」が生まれ、侮蔑と憧憬に揺れていた日本の中国像に、別の偏見を与えることになった。その流れは、六〇年代の文革評価において、極端な亀裂を造り出したうえ、憧憬は中国共産党による文革の否定によって、無様な破綻に終わった。八〇年代の改革開放、六四天安門事件を経て、九〇年代の資本主義化と経済発展、二一世紀におけるグローバルな影響力の特大化に到るまで、中国研究はどの分野にしろ、対象の大きな変化に振り回されてきたとも言えよう。二〇世紀後半の中国研究が、政治的色合いが強い特殊な条件下にあったことは指摘しなければならない。ただその後、荒れ果てた原野に、いくらか冷静な学術的探究を開始する機縁となったかもしれないにしても。

 第二は、しかしそうした外部環境によるものではない。近年、中国の世界的なプレゼンスが拡大するにつれ、いわゆるセンセーショナルな中国論ではなく、一般の論壇からも中国を正面から対象とする書籍も出版されてきた。あいかわらず日本では強い、ヨーロッパ中心主義的な世界観からすると、中国はどうも理解の範疇を超えるものであるらしいのだ。それは矛盾したふたつの観点が、つねに持ち出されてくることによって証されるだろう。図式的に言えば、中国がいまだ前近代的な王朝的国家だという見方と、EUや合州国のような、ポスト国民国家のひとつの形態だという見方が併存している。その点で言うと、おそらく歴史学や経済学からすれば、戦前以来の研究課題が、長い空白期を隔てて、浮上したという言い方も可能であろう。

 たとえば中央集権と地方分権についても、ヨーロッパ史の理解では解決できない困難さを伴っている。田島論文が、一研究者の履歴を語るなかで、暗示的に語っているのは、計画経済という中央集権性と、属地主義による分権性との混在であり、政治経済を軸とする社会科学としては、喫緊の課題となるであろう。

 同じように、農民と農村に対する理解という点は、必ずしも従来まったく検討されなかったわけではなく、中国農民の「商業性」はよく指摘されてきた。しかし田原論文が指摘するようにやはり現在に到るまで、ある種の不可視の存在という面は否めない。というより、「老百姓」(庶民)と「士大夫」(エリート官僚)との隔絶した世界についての学術的探索は、はなはだ難儀を極めていると言わざるをえないのだ。農民、農村の世界に対する、フィールドワークがかなり可能になった現在、むしろその世界の多様性こそが明らかにされつつある。そして、知識人階層を形成する〈文〉=漢字というエクリチュールの強固さと相まって、両者の隔絶は、中国社会全体を見渡して理解するためには、大きな障害となっていよう。だからその両者を同時に見据えることは「日本文化をになうものの前にたちはだかる霧」なのである。しかもこの両者は一旦事あれば、「易姓革命」という伝統が示すように、相互に転換する可能性もないわけではないのだ。

 したがって本書では、数人が暗示しているにすぎないけれども、そもそも西洋由来のモダニティという概念が、どこまで通用するか、学術的に極めて怪しいということでもある。中国では、モダンの次にポストモダンが来るという、シンプルな歴史的段階論はあまり適用できないのではないか。少なくとも、頑迷固陋な西洋中心主義者に伝えておかなければならないのは、普遍性はディシプリンとして、あらかじめ転がっているわけではないこと。石井論文が示唆するように、それが「中国的特徴」を包含できたとき、はじめて一般的理論として、普遍性への道を切り開く可能性を抱けるのである。そのとき、あるいは中国という知的なトポスだけでなく、実体的な中国そのものが、グローバルな世界に吸収され、解体されるときなのかも知れない。中国学がどれだけの可能性を秘めているのか、その多様性とともに醍醐味のいくらかを知っていただければ、編者としてありがたいことである。

 いささか大仰な議論になってしまった。本書は、そうした奥深い視線を共有しているものではまったくない。ただここで述べた、多様性をどこか共通する眼差しで見続ける作業は、なかなか興趣の尽きない出来事である、ということは敢えて述べておきたい。なおこの文言は、プロジェクト代表としての、個人的私見がかなり含まれていることも付け加えておきたい。


執筆者紹介(掲載順)

〈インタビュイー・講演者は該当章末尾に掲載〉
 竹田 晃(47頁)
 田仲一成(89頁)
 ラマール・クリスティーン(332頁)
 林 少 陽(362頁)
 石 之 瑜(408頁)
 邵 軒 磊(422頁)
 馬場公彦(432頁)


楊凱栄(よう がいえい)
1957年中国上海生まれ。
1988年筑波大学文芸・言語研究科博士課程修了(文学博士)。
専攻は中国語学、日本語と中国語対照研究。
現在、東京大学総合文化研究科教授。
主著書として『日本語と中国語の使役表現に関する対照研究』(くろしお出版1989年)、『中国語教室Q&A101』(共著、大修館書店、2000年)、『もっとのばせる中国語』(金星堂2007年)、『語感を磨く中国語』(NHK出版、2007年)。論文として「助数詞重ね型構文の認知言語学的考察」(『中国語学』253号、日本中国語学会、2006年)、「受益的使用条件和領属結構――漢日対比研究」(《日語学習与研究》30周年記念号、2009年)、「日中連体修飾節の相違に関する考察」(《漢日対比語言学論叢》第2輯、北京大学出版社、2011年)、「能力・状況・技能を表す助動詞――中国語の可能表現」(『言語科学の世界へ』東京大学言語情報科学専攻編、東京大学出版社、2011年)「誤用例にみる日中表現の違い」(『日本語学』11月号、明治書院2013)など。


吉川雅之(よしかわ まさゆき)
1967年生まれ。
1999年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
専門は中国語学、東アジア諸言語研究、香港・澳門言語学。
現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。
主著書として、『香港粤語』シリーズ(白帝社、2001年〜)、『「読み・書き」から見た香港の転換期:1960〜70年代のメディアと社会』(編著、明石書店、2009年)、『香港を知るための60章』(共編著、明石書店、2016年)、『ミエン・ヤオの歌謡と儀礼』(共著、大学教育出版、2016年)など。論文として、「非国家語のラテン文字表記法──中国の壮語(チワン語)の事例」(『Language, Information, Text』vol.19、2012年)、「ウェブサイトにおける音声言語の書記──香港粤語と台湾閩南語の比較」(『ことばと社会』15号、2013年)、「馬士曼所記録之粤語音──十八世紀末的澳門方言」(『Journal of Chinese Linguistics』vol.42, no.2、2014年)、「『英語官話合講』の正音」(『中国語学』263号、2016年)など。


小野秀樹(おの ひでき)
1964年兵庫県生まれ。
1992年神戸大学大学院文化学研究科博士課程中途退学。博士(学術)。
専攻は現代中国語学・文法論。
現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。
主著書として、『統辞論における中国語名詞句の意味と機能』(白帝社、2008年、単著)、論文として、「“挺〜的”と“太〜了”の意味機能」(『漢語与漢語教学研究』創刊号、東方書店、2010年7月)、「中国語における連体修飾句の意味機能」(『木村英樹教授還暦記念 中国語文法論叢』 白帝社、2013年4月)、「非論理的同定関係を表すコピュラ文の日中対照」(『現代中国語研究』第17期、2015年10月)、「構文論と文環境から見た汎用量詞“个”の非計数機能」(『漢語与漢語教学研究』第7号、2016年7月)、など。


代田智明(しろた ともはる)
1951年東京都生まれ。
1982年東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。
専攻は中国近現代文学、とくに魯迅研究。
茨城大学、東京女子大学、東京大学で教鞭を執る。東京大学名誉教授。2017年10月28日逝去。
主な著書に、『魯迅を読み解く 謎と不思議の小説10篇』(東京大学出版会、2006年)、『現代中国とモダニティ――蝙蝠のポレミーク』(三重大学出版会、2011年)、共編著に『クラウン中日辞典』(三省堂、2001年)など。


中津俊樹(なかつ としき)
1973年宮城県生まれ。
2001年東北大学大学院国際文化研究科博士後期課程にて博士学位(国際文化)取得。
専門は中国現代史。
現在、日本現代中国学会、アジア政経学会会員。
主要論文として「文化大革命初期の民間言説に見る「社会主義」認識について――紅衛  兵と上書者との比較において」(『中国研究月報』Vol.62 (4), No.722, 2008年4月号)、「中華人民共和国建国初期におけるカトリック教会を巡る動向に ついて――「人民」の創出と「内心の自由」をめぐって」(『中国研究月報』Vol.66 (2), No.768, 2012年2月)、「紅衛兵世代における読書動向について――文化大革命以前を中心に」(『中国21』Vol.39, 2014 年1 月)など。


田島俊雄(たじま としお)
1979年東京大学大学院農学系研究科博士課程中退。農学博士(東京大学)。
専攻は農業経済学、産業経済、東アジア経済。
農林水産省農業総合研究所(現・農林水産政策研究所)、東京大学社会科学研究所を経て、2014年より大阪産業大学経済学部教授。
単著として『中国農業の構造と変動』(御茶の水書房、1996年。1997年度日本農業経済学会学術賞を受賞)、『中国農業的結構与変動』(北京、経済科学出版社、1998年)。編著として『構造調整下の中国農村経済』(東京大学出版会、2005年)、『現代中国の電力産業――「不足の経済」と産業組織』(昭和堂、2008年)。共編著として田島俊雄・朱蔭貴・加島潤編著『中国水泥業的発展――産業組織与構造変化』(北京、経済科学出版社、2011年)、田島俊雄・張馨元・李海訓編著『アズキと東アジア――日中韓台の域内市場と通商問題』(御茶の水書房、2016年)、田島俊雄・池上彰英『WTO体制下の中国農業・農村問題』(東京大学出版会、2017年)など。


伊藤 博(いとう ひろし)
1955年東京都生まれ。
1978年東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業、東京海上火災保険株式会社入社、北京首席駐在員などを経て、2008年退職。
2013年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。
現在、東京大学大学院総合文化研究科学術研究員。
研究分野は、現代中国の金融・保険および現代日中経済交流史。
著書として『中国保険業における開放と改革――政策展開と企業経営』(御茶の水書房、2015年2月)。論文として「中国における保険業の改革――政府の作用と中国人民保険公司の対応を中心に」(東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻『年報 地域文化研究』第15号、2012年3月)、「中国保険業における対外開放政策の展開」(アジア政経学会『アジア研究』第56巻、2010年4月)。


伊藤徳也(いとう のりや)
1962年三重県生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。
専攻は近現代中国文学、日中比較現代文化論。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。著書として、『「生活の芸術」と周作人―中国のデカダンス=モダニティ』(勉誠出版、2012年)、編著に『周作人と日中文化史』(勉誠出版、2014年)、論文として、「近代中国における文学言語」(『漢字圏の近代――ことばと国家』、東京大学出版会、2005年)、「ハーバード時代の林語堂――ハーバード大学公文書館の林語堂資料」(『東方』、東方書店、2002年)等がある。


石井 剛(いしい つよし)
1968年生まれ。
2005年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。
専攻は、中国近代思想史・哲学。
現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。
主著書として、『戴震と中国近代哲学 漢学から哲学へ』(知泉書館、2014年)、『斉物的哲学:章太炎与中国現代思想的東亜経験』(華東師範大学出版社、2016年)など。


村田雄二郎(むらた ゆうじろう)
1957年東京都生まれ。
1982年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。修士(文学)。
専攻は中国近現代思想史、日中関係史。
現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。
主な編著書に、『日中の120年 文芸・評論作品選』全5巻(共編、岩波書店、2016年)、『東アジアの知識人』全5巻(共編、有志舎、2013-14年)、『清末中国と日本――宮廷・変法・革命』(共著、研文出版、2011年)、『リベラリズムの中国』(主編、有志舎、2011年)、『新編 原典中国近代思想史』全7巻(共編、岩波書店、2010-11年)など。


田原史起(たはら ふみき)
1967年広島県生まれ。
1998年一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。
専攻は農村社会学、中国地域研究。
現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。
主な単著として、『中国農村の権力構造』(御茶の水書房、2004年)、『二十世紀中国の革命と農村』(山川出版社、2008年)、『日本視野中的中国農村精英』(山東人民出版社、2012年)など。


谷垣真理子(たにがき まりこ)
1960年大分県生まれ。
1989年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。
専攻は地域文化研究、政治学、現代香港論。
現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。
主著書として、『原典中国現代史――台湾・香港・華僑華人』(岩波書店、1995年、共編著)、『模索する近代日中関係――対話と競存の時代』(共編、東京大学出版会、2009年)、『変容する華南と華人ネットワーク』(風響社、2014年、共編著)など。


岩月純一(いわつき じゅんいち)
1968年東京都生まれ。
1999年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。
専門は社会言語学、近代東アジア言語政策史。
現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。
主な論文は「近代ベトナムにおける『漢字』の問題」(村田雄二郎、C・ラマール編『漢字圏の近代――ことばと国家』東京大学出版会、2005年、131-147ページ)、「ベトナムの「訓読」と日本の「訓読」――「漢文文化圏」の多様性」(中村春作ほか編『「訓読」論:東アジア漢文世界と日本語』勉誠出版、2008年、105-119ページ)など。


翻訳者
石塚洋介(いしづか ようすけ)
神奈川生まれ。2008年一橋大学社会学部卒業。在学中、日本学生支援機構奨学金を得て香港大学へ交換留学。2010年、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修了。修士(学術)。復旦大学ジャーナリズム学院博士課程修了。博士(コミュニケーション学)。
専攻は社会学、研究テーマはアジアにおける社会運動とメディア。
衆議院調査局客員研究員、アムネスティ日本インターン、香港オサージュギャラリー・キュレーター助手、台湾の写真雑誌『The Voices of Photography(撮影之声)』編集者などを経て、現在オオタファインアーツ・シンガポールにてプロジェクト・マネージャー。
「カルチュラル・タイフーン2009」(2009年7月、東京外国語大学)、「台湾文化研究学会2010年年会」(2010年1月、台湾台南・成功大学)、「ANU日本研究大学院生夏期研究発表会2012」(2012年2月、オーストラリア国立大学)など発表多数。写真家へのインタビュー記事など多数執筆(中国語)。


訳注者
蕭 明禮(しょう みんれい)
1977年台湾台北市生まれ。2012年台湾大学歴史学研究所博士課程修了。博士(歴史学)。
専攻は中国近代経済史、台湾近代経済史、東アジア海洋史。現在、吉首大学(中国湖南省)歴史与文化学院特任教授、東京大学大学院総合文化研究科 外国人客員研究員、東京都立産業技術高等専門学校非常勤講師。
主著書として『「海運興国」与「航運救国」:日本対華之航運競争(1914-1945)』(国立台湾大学出版,2017年6月)。論文として「台湾の小豆需給と関税割当制度」(『アズキと東アジア――日中韓台の域内需給と通商問題』御茶の水書房、2016年)、「戦後対日求償順豊輪与新太平輪強徵案的歴史考察(1936-1952)」(『抗日戦争研究』2016年第1期,中国社会科学院近代史研究所、2016年3月)、「台湾の小豆需給と通商政策」(『中国研究月報』第68巻第6期、中国研究所、2014年6月)、「資源運輸与佔領区航運壟断体制――以中日戦争前期東亜海運株式会社的成立与経営為中心(1937-1941)」(『中央研究院近代史研究所集刊』第82期、中央研究院近代史研究所、2013年12月)など。

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