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モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料11

加害者に対する清算

モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料11

文革の最中に行われたモンゴル人への弾圧は、収束後どう清算されたのだろうか。その詳細を伝える第一級の史料群。

著者 楊 海英
ジャンル 書誌・資料・写真
出版年月日 2019/02/21
ISBN 9784894898912
判型・ページ数 A4・1028ページ
定価 本体20,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

第一部 資料解説

一 はじめに
二 ウラーンフーを中心軸に展開された文革
三 抑圧に抵抗する造反派
四 文革に対する清算の開始
五 守られた加害者たち
六 国営企業と各地の加害者たち
七 犠牲の羊たち
八 おわりに
参考文献
本書所収資料出典

第二部 本書所収資料一覧

1.清格爾太寫給郭以青的信,1965年2月24日晚
2.郭以青寫給烏蘭夫的信,1965年3月25日
3.痛打落水狗牙含章,1968年2月,載《紅衛兵評論》
4.姜振華等七人寫給周總理並中央文革負責統治的信,1966年12月31日
5.楊珍云交代資料,1968年2月9日
6.力沙克是什麽人物,1968年2月16日
7.關於力沙克取款,轉賬問題調查匯報,1968年10月28日
8.原勞教隊人員揭發材料,1968年2至4月
9.關於進一步貫徹落實“九大”精神和毛主席“五.二二”批示及中央對内蒙當前工作指示的公告,1969年7月26日
10.包頭市社會治安聯合行動指揮部佈告,1969年8月5日

(中略)

130.關於白志忠在文化大革命中所犯錯誤的調查報告,1985年7月27日
131.全區清理“三種人”工作座談會日程安排,1987年5月26日
132.關於對資產階級幫派骨幹,新生反革命分子那順巴雅爾問題審查情況的報告,1979年5月22日
133.兩案内不屬中央管理的幹部已判刑和擬判刑人員登記表(那順巴雅爾),1981年
134.關於對那順巴雅爾的審查處理意見,1982年6月5日
135.關於那順巴雅爾在“文化大革命”中所犯嚴重錯誤的審查結論和處理意見的報告,1982年9月27日
136關於那順巴雅爾在“文化大革命”中所犯嚴重錯誤的審查結論和處理意見的報告,1983年5月20日
137.兩案中不屬中央管理的幹部已判刑和擬判刑人員登記表(郭以青),1980年
138.關於郭以青,烏蘭巴乾案件的討論審理情況,1982年7月13日
139.關於郭以青在“文化大革命”中所犯嚴重錯誤的審查結論和處理意見,1983年4月16日
140.關於烏蘭巴乾在“文化大革命”中所犯嚴重罪行和處理意見,1983年2月10日
141.呼和浩特市人民檢察院起訴書,1987年8月31日
142.悼詞,2005年6月27日
143.對《康生與“内人黨”冤案》一書的幾個嚴重錯誤的意見和建議,1996年7月30日

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内容説明

本書は内モンゴル自治区でおこなわれた中国文化大革命に関する第一次資料を解説し、影印するシリーズ。文革の最中に行われたモンゴル人への弾圧は、収束後どう清算されたのだろうか。その詳細を伝える第一級の史料群。

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解説 より

 

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本書所収資料の特徴と意義

 本書は合計143点の第一次資料を例示し、モンゴル人大量虐殺の進行とその加害者たちに対する政府主導の清算について、一つの輪郭を描いた。モンゴル人大量虐殺運動は何年間も続き、組織的な殺戮に加わった加害者も大勢いた。あれだけの犠牲者が出たのは、人民解放軍が組織的な殺戮を発動したからであるが、軍人にたいする政府からの清算はほとんどなかった。軍トップの滕海清将軍は他所に栄転していき、彼の忠実な部下たちもまた北京軍区に守られて、誰一人として罪を問われることはなかった。本書所収の資料は私個人が、ささやかな努力によって集めたものであり、加害者全体の様子を描くのには、あまりにも不十分なものである、と自覚している。それでも、これらの資料を概観すると、中国政府の善後政策には以下三つの特徴がある、と指摘できよう。

 第一、被害者を「ウラーンフー反党叛国集団」と「二月逆流事件の幹部たち」、それに内モンゴル人民革命党の三つに分類することで、漢族即ち中国人も被害者だった、と演出している。いわゆる「二月逆流事件」は存在するか否か。存在するとしても、王鐸や王逸倫らたった数人の中国人幹部の、ほんの一時的な失脚という些細な出来事を大げさに持ち出すことで、「ウラーンフー反党叛国集団」と内モンゴル人民革命党員の被害規模を矮小化しようとしている。しかも、最も甚大な被害が発生した内モンゴル人民革命党員粛清事件を最後に並べて、大量虐殺を隠蔽しようとしているのが、特徴的である。

 第二、加害者は北京軍区からの人民解放軍とそれに呼応した地元内モンゴル人地区の中国人幹部と農民、それに労働者だった。しかし、人民解放軍は虐殺後に他所へ移動したし、軍は神聖にして犯すべからずという特権意識から、その責任はほとんど追究されなかった。責任が問われたのは地元の造反派がほとんどで、彼らの中にも加害行為に走った者は確かにいたが、大量虐殺の主犯ではなかった。いわば、主犯を逃して、従犯を加害者として清算の対象とする善後政策であった。しかも、最終的に最も重い刑罰が下されたのは、大量虐殺を進めた人民解放軍の指導者ではなく、単なる「協力者」に過ぎなかったモンゴル人作家である。

 第三、中国人加害者たちを清算の対象とした際も、モンゴル人大量虐殺の罪は問わず、共産党幹部、それも高官への加害行為の有無を優先した。こうしたやり方から、民族問題の存在を隠蔽していることと、一般人よりも幹部たちを優遇していること、この二点を読み取ることができよう。従って、中国政府が取った善後政策はジェノサイドの性質を否定し、モンゴル人それも一般のモンゴル人の被害に関心を示そうとしなかった性質を有している、と見なすことができよう。

 本書に収めた資料から分かるのは、本当のジェノサイドの犯人はほとんど無罪放免されていることである。最大の犯人は毛沢東と周恩来で、滕海清のような軍の高級幹部は従犯に過ぎない。一連の大量虐殺に関する政策を出したのは共産党中央と内モンゴル自治区政府であることも、本シリーズの従前の書籍が立証している。今後は、更に体系的な資料集の刊行を期待したいのである。
……

 

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編者紹介
楊海英(Yang Haiying)
日本国静岡大学人文学部教授。専攻、文化人類学。
主な著書

『草原と馬とモンゴル人』(日本放送出版協会,2001年)
『チンギス・ハーン祭祀―試みとしての歴史人類学的再構成』(風響社,2004年)
『モンゴル草原の文人たち―手写本が語る民族誌』(平凡社,2005年)
『モンゴルとイスラーム的中国―民族形成をたどる歴史人類学紀行』(風響社,2007年)
『モンゴルのアルジャイ石窟―その興亡の歴史と出土文書』(風響社,2008年)
『墓標なき草原―内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(上・下,岩波書店,2009年,第十四回司馬遼太郎賞受賞)
『続 墓標なき草原―内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(岩波書店,2011年)
『植民地としてのモンゴル―中国の官制ナショナリズムと革命思想』(勉誠出版,2013年)
『中国とモンゴルのはざまで―ウラーンフーの実らなかった民族自決の夢』(岩波書店,2014年)
『ジェノサイドと文化大革命―内モンゴルの民族問題』(勉誠出版,2014年)
『チベットに舞う日本刀―モンゴル騎兵の現代史』(文藝春秋,2014年,第十回樫山純三賞受賞)
『日本陸軍とモンゴル―興安軍官学校の知られざる戦い』(中公新書,2015年,国基研・日本研究賞受賞)
『逆転の大中国史』(文藝春秋,2016年)
『モンゴル人の民族自決と「対日協力」―いまなお続く中国文化大革命』(集広社,2016年)
『「中国」という神話』(文春新書,2018年)
『「知識青年」の1968年―中国の辺境と文化大革命』(岩波書店,2018年)
『最後の馬賊―「帝国」の将軍・李守信』(講談社,2018年)
『モンゴル人の中国革命』(筑摩新書,2018年)




 

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