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日本統治下の教科書と台湾の子どもたち

日本統治下の教科書と台湾の子どもたち

国語教科書を文字と挿絵から丹念に読み解き、政策の意図やその変遷、さらに描かれた内容から、当時の人々の暮らしまで分析。

著者 陳 虹彣
ジャンル 歴史・考古・言語
シリーズ 風響社ブックレット
風響社ブックレット > 植民地教育史ブックレット
出版年月日 2019/03/15
ISBN 9784894894105
判型・ページ数 A5・72ページ
定価 本体800円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに──私のお祖父さん
 
一 日本統治下台湾の教育について
 1 植民地教育とは何だろう
 2 台湾における植民地統治の展開
 3 公学校教育の成立とその後
 4 公学校教育の主旨

二 台湾人生徒用の初等国語教科書
 1 第一期『台湾教科用書国民読本』
 2 第二期『公学校用国民読本』
 3 第三期『公学校用国語読本(第一種)』
 4 第四期『公学校用国語教科書』
 5 第五期『コクゴ』『初等科国語』

三 国語教科書の中の子どもとその生活
 1 「衣」――教科書に描かれる台湾人児童の服装
 2 「食」――教科書にみる台湾人の食生活
 3 「住」――昔の台湾のお家はどんな感じだろう
 4 娯楽――台湾人児童の遊び
 5 台湾人児童の学校生活

四 国語教科書にみる都市と農村
 1 どうして公学校に「都市・農村」の問題が起きるのだろう
 2 教科書の中の「都市と農村」
 3 農村公学校の子どもたち
 4 国語教科書の編さん方針にみる都市と農村
 5 公学校国語教科書の都市と農村
 6 国語講習所用国語教科書の都市と農村について

五 台湾の国語教科書の挿絵とその特徴

むすびにかえて――日本時代を生きた人びとの記憶

参考文献
 
関連推薦図書
 
年表

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内容説明

「同化」を基本とした日本の植民地教育。中でも「言葉」からの同化、すなわち国語(日本語)教育はその中核であった。本書は当時の国語教科書を文字と挿絵から丹念に読み解き、その背景にあった政策の意図やその変遷、さらに描かれた内容から、当時の人々の暮らしまで分析。日本と台湾の近代を浮き彫りにする好著。

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    本書より





 文化も言葉も違っていた台湾での植民地統治において、現地住民との意思の疎通や命令の伝達のために、最も急務とされていたのが国語(日本語)教育の実施でした。すなわち台湾人に日本語を教えることです。当時台湾での国語教育の方針を主導していたのは伊沢修二という人でした。植民地統治が始まって間もなくの一八九六年に、台湾で最初の国語教育機関「国語伝習所」が創立され、日本本土よりも早く「国語」という言葉が学校教育で使われることになりました。その二年後の一八九八年一〇月に、公学校令が発布され、台湾人児童を対象とする初等教育機関「公学校」が発足しました。教育内容は日本本土の小学校とは違っていましたが、本土よりも早く「国語」という教科が設置され、日本語教育を行うことになりました。さらに、翌年の一九〇〇年から最初の台湾人用初等国語教科書「台湾教科用書国民読本」が総督府によって編集・刊行されました。日本統治時代が終わるまで、全五期計六〇冊の台湾人用初等国語教科書が出版されたのです。


 近代における植民地の歴史を見てみると、その目的は主に植民地の経済開発にあります。しかし、経済を目的とする植民地統治は、いつも現地の住民やその人たちの生活スタイルをはじめ、政治的な環境、学校教育に至るまで全般的な影響を与えてしまいます。もちろん、実際の統治状況は宗主国(植民地統治を行う国のこと)の背景、統治目的および統治の方法によっても違ってきます。アジア唯一の旧宗主国になった日本の統治方針や植民地政策は、当時のヨーロッパの旧宗主国とは違っていました。

 植民地統治の実態を追究する時に、表面的な政策内容を解読することだけでは足りません。重要なのはその方針が定められた理由とその背景を究明することです。植民地教育の研究も同じです。教育制度の説明に止まらず、実際の教育内容を明らかにしなければなりません。特に日本の植民地統治には「同化」政策が基本方針であり、その実現に学校などを通して植民地の人びとに「教育」を施すことは必要不可欠でした。

 植民地の学校のカリキュラムや組織構成は宗主国の統治方針と現地の文化の相互作用で特独なアイデンティティーを持つことになります。学校で行われている授業や学校行事のみならず、植民地が持つ歴史や文化の要素、それぞれの地域に存在する特徴や、地域社会の影響力はどのように植民地学校に影響を与えているのかを知ることも大切です。そのため、できる限り当時の学校の様子を教育政策、カリキュラム、教師、学生などから再現することが大切です。さらに具体的な教育内容を把握しなければなりません。

 例えば、同じ同化政策を唱えたフランスの植民地統治は、自由平等思想の影響を受けて、所領する植民地でフランスと同じような学校を作り、フランス語教育を行い、フランス文化を植民地にもたらしました。一方、イギリスの場合は間接統治主義で、植民地における政治的自由は許しました。また、イギリスは植民地の教育をとても重要視していたので、方言を使う原住民学校を作るなど、植民地の伝統文化を尊重していました。しかし、経済的な収益は、最終的にやはり宗主国であったイギリス政府のものでした。

 日本の植民地教育では、天皇制を中心とする国家体制の影響を受け、植民地でも立派な「日本国民」を育てることが植民地教育政策の前提となっていました。植民地の教育に対する統制は学校や教員から、カリキュラム、教科書にまで及んでいました。さらに、当時日本の植民地はすべて儒教の影響を受けていた地域にあるため、その根底にある思想上の繋がりも日本の植民地教育に影響を与えていました。特に国語(日本語)教育による同化、いわゆる「言葉」からの同化が中心になったと言われています。


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執筆者紹介
陳 虹彣(ちん こうぶん)
1977年台湾生まれ。
2007年東北大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。
専攻は教育史、植民地教科書研究、比較教育。
現在、平安女学院大学国際観光学部准教授。
研究業績として、『近代日本の中央・地方教育史研究』第12章(学術出版会、2007年)、「台湾総督府編修官加藤春城と国語教科書」(『植民地教育史研究会研究年報』8号、2008年)、「日本統治下台湾人用国語教科書と国定教科書の比較研究」(その1〜その3)(『平安女学院大学研究年報』12.13.14号、2012-14年)、「日本統治下台湾人児童の日常生活について:国語教科書を手掛かりに」(その1〜その2)(『平安女学院大学研究年報』17.18号、2017-18年)、『現・近代日本教育会史研究』第13章(不二出版、2018年)など。

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