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現代モンゴルの牧畜戦略

体制変動と自然災害の比較民族誌

現代モンゴルの牧畜戦略

モンゴル国と内モンゴル自治区における近20年の牧畜産業の動態を比較検討。異なる国家、社会、政策のもと、多様化と変容を析出。

著者 尾崎 孝宏
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2019/03/30
ISBN 9784894892545
判型・ページ数 A5・440ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに

第1章 本書のねらいと視野

 第1節 モンゴル高原と牧畜をめぐる基本条件
 第2節 モンゴル(人民共和)国における社会主義化と民主化
 第3節 牧畜戦略と郊外化の概念
 第4節 本書のもくろみと学問的意義

第2章 モンゴル国遠隔地における牧畜ユニットの構成と季節移動

 第1節 オンゴン郡における牧畜ユニット
 第2節 夏季の営地選択の年変動
 第3節 年間移動ルートのパターン

第3章 内モンゴルにおける牧畜ユニットの構成と季節移動

 第1節 内モンゴルにおける定住化プロセスとゾドの影響
 第2節 固定家屋化と牧畜ユニットの変動
 第3節 内モンゴルとモンゴル国の比較(1990年代末段階)

第4章 モンゴル国における郊外の成立と牧畜戦略の実践

 第1節 郊外化の事例1(ボルガン県)
 第2節 郊外化の事例2(ヘンティ県南部)
 第3節 郊外化の事例3(ヘンティ県東部)

第5章 ゾドがもたらす牧畜戦略の変化

 第1節 個人的経験としてのゾド
 第2節 地方社会レベルにおけるゾド経験の意味
 第3節 遠隔地におけるゾド対応としての鉱山

第6章 内モンゴルにおける郊外成立の要因

 第1節 西部大開発に伴う諸政策
 第2節 草畜平衡の規定と実態
 第3節 郊外化の事例1(ウランチャブ市)
 第4節 郊外化の事例2(シリンゴル盟)

第7章 モンゴル国および内モンゴルの遠隔地における牧畜戦略の実践

 第1節 オンゴン郡における遠隔地化の検討
 第2節 モンゴル国遠隔地におけるウマの社会的機能
 第3節 内モンゴルにおける遠隔地の牧畜戦略

第8章 結論

おわりに
参考文献
索引・写真図表一覧

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内容説明

モンゴル国と内モンゴル自治区における近20年の牧畜産業の動態を比較検討。異なる国家、社会、政策のもと、多様化と変容の差はありながら、共通する二極構造を析出。それは、近郊と遠隔地の二極化が国境を挟んで同時進行する様態だが、その背景や内実にも多くの共通点があった。精緻な調査が描く、草原の構造変化とは。

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はじめに



 本書は、モンゴル国および内モンゴルにおけるモンゴル牧畜社会で行われている牧畜戦略の多様化が、現在の社会文化的状況に対応していかに変化しているかを検証することを目的としている。それはつまり、モンゴル国と内モンゴルで実施されている牧畜が、牧畜戦略という視点のもとに比較可能であるという目論見に基づいているわけである。

 筆者として、この点が説得的に響くかどうかが、皆さんが本書を読み進めてくれるかどうかの分岐点になるだろうことは容易に想像可能である。同じモンゴル族とは言え、長年別の国家に所属し、しかも片やモンゴル国ではマジョリティであり、片や中国ではマイノリティであるが故に、国家政策の方向性も国家政策との距離感も異なる両国の牧畜社会がいかなる意味で比較可能なのか、訝る方もいるだろう。モンゴル族というラベルを重視するあまり、時代的・地域的な差異を過小視しているのではないか、と危惧される方もおられるかも知れない。

 結論を先取りしてしまえば、筆者の立ち位置は上述の危惧とは異なる。むしろ現状は、モンゴル国でも内モンゴルでも牧畜戦略が地域的な二極化を起こしているという認識である。その一方は、筆者が「郊外」と呼ぶ、距離的にも収益構造的にも市場経済との関係性が極めて密接な地域であり、もう一方は「遠隔地」すなわち郊外ほど市場経済との関係性が密接ではないものの、基本的には市場経済の中で牧畜を営んでいる地域である。

 こうした二極構造の存在自体は、本書で子細に検討するように、モンゴル国にも内モンゴルにも見出せるものである。つまり国内での二極化と、国外との類型の相似化が同時に進行していることになる。……

 ……なお、意外に思われるかも知れないが、第8章で言及するように現在のモンゴル国の平均家畜密度は、内モンゴルのそれと比較可能なレベルにまで上昇している。こうした事実を勘案すれば、モンゴル国と内モンゴルの郊外を比較する限り、後者の方が前者より家畜密度が高く、移動性が低いという1990年代的な常識が通用しない状況が出現している。

 ……ところで、こうした郊外を成立させる要因としては舗装道路や自家用車所有、携帯電話のカバレッジといった運搬・通信インフラの整備が大きく影響している。モンゴル国・内モンゴルいずれにおいても現地でこうしたインフラの整備が進展したのは2000年以降のことであり、その背景には現地で進行したグローバルな大規模資本投下が存在する。その直接的な原因はモンゴル国においては鉱山ブームであり、内モンゴルにおいては中央政府が開始した西部大開発だが、その結果として、地域経済の存立体制に劇的な変化がもたらされた。

 客観的な事実として、モンゴル国にせよ内モンゴルにせよ、現在の中心的な産業は牧畜ではなく鉱業であり、おそらくは政府の自己認識レベルにおいてもそうなっているものと思われる。グローバルな大規模資本投下や政府レベルの自己認識といった、より大きな社会的枠組みの類似化の結果として、牧畜戦略におけるモンゴル国と内モンゴルの比較可能性が増大したのだと言うこともできるだろう。

 ……本書では、モンゴル国および内モンゴルにおける1990年代と2000年代の差異、そして2000年代における各地域における郊外と遠隔地の差異を、2時期の多地点における筆者自身による現地調査データを比較することで描き出す。その中でも、1990年代と2000年代の比較が可能な通時的データを有しているモンゴル国スフバートル県および内モンゴル自治区シリンゴル盟の事例が、各地域との比較のベースとなっている。なお、上述の2地域はモンゴル国南東部と内モンゴル中部に位置しており、国境を挟んで隣接しているため、自然環境的にも類似している。

 ところで、本書で扱う牧畜戦略に変化をもたらす原動力は何だろうか。先述したように、モンゴル国で2000年以降の運搬・通信インフラの整備をもたらした直接的な原因は鉱山ブームであると述べたが、本来牧民人口が少なかった郊外へ牧民が移住などで集中することで、郊外というエリアを成立させた要因としては1999年から3年連続で発生したゾド(寒雪害)が大きな影響を及ぼしている。ゾドによって家畜の多くを失った牧民は、より少ない家畜頭数で生活可能な郊外へ移住していったのである。

 また中国の西部大開発が検討される契機となったのは、同じく1999年に少数民族地域で頻発した環境問題であり、そこには内モンゴルで発生し北京を襲った大規模な黄砂も含まれている。同年、内モンゴルではゾドが発生しなかったものの、大量のダストが風に舞ったのである。

 そして1999年に内モンゴルでゾドが回避され、ダストが発生した原因として推測されるのが1990年代における内モンゴルのモンゴル国との差異、つまり内モンゴル全域で牧地が実質的に私有化され、定住的な牧畜が営まれていた点であるが、これも当地で1978年に発生した大規模なゾドを遠因としているのである。つまり大規模な自然災害は、モンゴル国であろうと内モンゴルであろうと、現地の牧畜をめぐる社会環境を一変させる原動力として機能しうるのである。
無論、牧民をめぐる社会環境を変化させる原動力としては、国家レベルでの社会経済体制の変動が第一に挙げられるべきであることは疑いのない事実であろう。モンゴル国において1990年代初頭に発生した社会主義体制の崩壊や、中国における1970年代末の文化大革命の終焉およびそれに続く1980年代の改革開放への政策転換は、言うまでもなく牧民社会に巨大な影響を及ぼしている。だが第3章で詳述するように、1978年の内モンゴルのゾドは改革開放の一環として行われた家畜や牧地の私有化を推進させる前提として機能し、第1章で述べるように、1999/2000年から始まるモンゴル国のゾドは国民経済レベルで牧畜中心から鉱業中心への移行の端緒として機能した。また第5章で述べるように、2010年のモンゴル国のゾドでは、一部の牧民を鉱業セクターとの兼業へと向かわせた。

 このように、政治経済体制の変動と自然災害が相互作用して社会環境を変化させている点が、国境を挟んだ2つのモンゴル社会の共通点であると考えることができる。ただし、その相互作用はモンゴル国と内モンゴルで同時に発生するとは限らない。これが、共時的に見た場合の両者の相違性(あるいは類似性)の度合いに影響を与えているのだと理解しうるだろう。こうしたロジックにご賛同いただけるなら、少々長くはあるが、第1章以降の具体的な論述をお目通しいただきたい。
なお、すでに「はじめに」でも適用した方針なのだが、本書では煩雑を避けるため、モンゴル国(1992年に改称)や内モンゴル自治区(1947年に成立)がその名称では存在しなかった時代の各地域の事象についても、現在の地域名称である「モンゴル国」「内モンゴル」を使って言及することがある点はお断りしておく。

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著者紹介
尾崎孝宏(おざき たかひろ)
1970年生まれ。
1999年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得後退学。博士(学術)
専攻は文化人類学、内陸アジア地域研究
現在、鹿児島大学法文教育学域法文学系教授。
主著書として、『東アジアで学ぶ文化人類学』(昭和堂、2017年、共著)、『モ
ンゴル牧畜社会をめぐるモノの生産・流通・消費』(東北大学東北アジア研究センター、2016年、共著)、『モンゴル遊牧社会と馬文化』(日本経済評論社、
2008年、共著)、論文として、「内モンゴル遠隔地草原における牧畜戦略」
(『文化人類学』82巻1号、2017年)、「自然環境利用としての土地制度に起因する牧畜戦略の多様性」(『沙漠研究』23巻3号、2013年)など。

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