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権威と礼節

現代ミクロネシアにおける位階称号と身分階層秩序の民族誌

権威と礼節

礼節の技法の持つ潜在的な力=新たな関係性を生み出す力を軸に、変容する島の社会と動態的な規範概念を描き出す。

著者 河野 正治
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2019/03/30
ISBN 9784894892538
判型・ページ数 A5・358ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき
凡例

序論 現代ミクロネシアにおける身分階層秩序の民族誌――本書の視座

一 今日の首長制を垣間見る――ポーンペイ島民と二つの「仕事」
二 ポスト植民地研究と相互行為研究――首長制研究における二つの潮流
三 権威と礼節のフレーム分析――身分階層秩序の動態的な記述に向けて
四 本書の構成

 ●第Ⅰ部 ポスト植民地時代における位階称号と礼節の技法

第一章 歴史のなかの首長制

一 ポーンペイ島社会の概況
二 諸外国からの統治以前における首長と島民の関係
三 キリスト教の受容と首長制の展開
四 土地改革をとおした首長制の変容
五 アメリカ信託統治時代における首長制の変容
六 ポスト植民地国家のなかの首長制

第二章 行為としての礼節

一 礼節のフレーム分析――今日における身分階層秩序の可視化
二 礼節と位階称号――「名誉」を可視化する多彩な手続き
三 「名誉の賭け」としての祭宴
四 位階称号と再分配の変質
五 名詞から他動詞への転換――「名誉」から「名誉を認める」へ
六 承認としての呼び上げ――場に特有の人物評価をめぐって
七 さまざまな地位の呼び上げ――「慣習の側」と「政府の側」を架橋する
八 行為としての礼節――多様な人物評価を可視化する

第三章 礼節のポリティクス

一 ポスト植民地時代における政治的な出会い
二 歓待の両義性――越境的な出会いにおける敬意と敵意
三 異なる伝統的指導者への歓待
四 外国の要人への歓待
五 ポスト植民地時代における礼節のポリティクス

間奏 「外国人」から「東京のソウリック」へ――称号をもらうまでの道のり

 ●第Ⅱ部 首長の権威と祭宴のポリティクス

第四章 親族の協力と葛藤――村首長の一家を焦点として

一 村首長の権威をめぐる二つの語り
二 世帯のなかの村首長
三 世帯間の協働――村首長を「助ける」親族
四 ブタを買わされた村首長の一家
五 供出しても、顔は出さない
六 状況に置かれた村首長の権威――揺れ動く協働の条件

第五章 祭宴を通じた共同体の維持と創出

一 ポーンペイ島社会の村とは何か――共同体論からの接近
二 首長国と同型の共同体――位階称号にもとづく村
三 格づけされる共同体――「強い」村
四 再び閉じられた共同体――「私たち」の村
五 財源としての共同体――「給料日」になった「村の祭宴」
六 再分配を通じた村人のつながりと差異化

第六章 初物献上の時間性

一 初物献上とタイミング――「遅い」と言われた「早い」献上
二 首長国と土地制度
三 初物献上が区切る季節性
四 不規則な献上に隠された利益――初物献上から広がる関係性
五 死者の代理としてのヤムイモ――初物献上と葬式のつながり
六 再分配の時間性――ポスト植民地時代の初物献上を読み解く

第七章 「首長国ビジネス」と対峙する島民たち

一 儀礼的貢納をめぐる悪評――「礼の祭宴」から「おカネの祭宴」へ
二 「首長国ビジネス」としての祭宴――現金と互換可能になった儀礼財
三 「高位者」優先の再分配に対する島民の不満
四 「首長国ビジネス」を回避する――「新しい慣習」という変革の試み
五 再分配の倫理性――〝より善い〟「仕事」をめぐるせめぎあい

結論 ポスト植民地時代の身分階層秩序をめぐる権威と礼節

一 今日の身分階層秩序を支える諸実践
二 ポスト植民地時代における伝統的権威体制と近代国家体制
三 可能性としての技法――今日の身分階層秩序を生きる島民の実践知

あとがき
参照文献
索引

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内容説明

伝統的権威体制と近代国家体制が今も併存するポーンペイ島。その均衡は、成人の大半が持つ位階称号の権威とそれに見合う礼節によって保たれてきた。本書は、礼節の技法の持つ潜在的な力=新たな関係性を生み出す力を軸に、変容する島の社会と動態的な規範概念を描き出す。(第19回日本オセアニア学会賞受賞)

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まえがき



 本書の舞台であるポーンペイ(Pohnpei)島は、赤道の少し北、太平洋に浮かぶ小さな島であり、グアム島やサイパン島の南東に位置する。この小さな島社会では、ナーンマルキと呼ばれる伝統的権威者を身分階層の頂点とする「秩序」が厳然と保たれている。ナーンマルキは、過去の学術研究のなかで「最高首長」(paramount chief)や「王」(king)として、しばしば言及されてきた。もっとも、島民たちも外国の王や皇帝などを「ナーンマルキ」と言い換えることに慣れており、ポーンペイ語で書かれたキリスト教の聖書にも、ダビデ王やソロモン王が「ナーンマルキ・ダビデ」(Nahnmwarki Depit)、「ナーンマルキ・ソロモン」(Nahnmwarki Solomon)などと記載されている。……

 伝統的権威体制と近代国家体制の併存という事象自体は、マックス・ウェーバー(Max Weber)による近代化のグランドセオリーが通用しなくなっていることを示すという点で興味深い。ウェーバーの比較政治論は、首長や王に代表される伝統的権威者を過渡的な支配の様式とみなし、社会の合理化のもとで合法的権威としての官僚制に置換されると論じるものであった[ウェーバー 二〇一二]。この定式化に対して、ポーンペイ島を含めたオセアニアの一部の社会では、二〇世紀後半に植民地統治から独立し近代国家の体裁を整えた後も、首長制をはじめとする伝統的権威が合法的権威に追いやられることなく存続している[Lindstrom and White 1997: 3]。これらのポスト植民地国家は、政治的にも経済的にも脆弱な極小国家であるがゆえに、伝統的権威という異質な原理や制度をいかに包摂するのかという点に課題を抱えている[須藤 二〇〇八:一]。

 日本に暮らす私たちに目を転じるならば、近代国家体制における伝統的権威体制の存続という状況は、じつは馴染み深いものである。たとえば、天皇による「お気持ち」の表明がなされ、現代日本国家における天皇の位置づけにかかわる法や人権の問題がさまざまに議論されたことや、皇位継承をめぐる議論が巻き起こったことは記憶に新しい。本書の課題の一つは、このような伝統的権威体制と近代国家体制の同時代的な併存状態において、さまざまな葛藤が生じる可能性を視野に入れつつ、現代という時代において伝統的権威体制がいかに存立しているのかを、長期のフィールドワークにもとづく参与観察という人類学に特有なアプローチから明らかにすることである。

 首長という伝統的権威者を頂点に身分階層化された政体(polity)は、人類学や考古学の研究において首長制(chieftainship)ないし首長国(chiefdom)と呼ばれる。なかでも、本書が対象とするポーンペイ島社会の身分階層秩序を語るうえで、ポーンペイ語で「マル」(mwar)と呼ばれる位階称号の存在を欠かすことはできない。ポーンペイ島で生活を営む成人の大半は位階称号を保持する。

 人類学者の清水昭俊は、ポーンペイ島社会において「称号間の上下を表現するのが『名誉』(wahu)の価値」[清水 一九九五:四四]であると述べる。英語版のポーンペイ語辞典によれば、「ワウ」(wahu)は、名誉(honor)とも訳されるが、敬意(respect)とも訳され、両方のニュアンスを含んだ言葉であることがわかる[Rehg and Sohl 1979: 118]。称号の位階はこうした「名誉」の価値をとおして理解されるものである。ポーンペイ島社会に五つある最高首長位(ナーンマルキの地位)を頂点として、高位の称号を持つ人物であればあるほど、その人物には「名誉」があるとされ、その人物に対しては「名誉」に見あっただけの敬意と礼節をもって接しなければならない。「名誉」の価値を核にするポーンペイ島社会の文化的特徴は、オセアニア研究の概説書で次のように表現される。

 ポーンペイ〔島〕社会を貫く基本的な価値は名誉である。ポーンペイ語は、日本語、ジャワ語などとならんで発達した敬語で知られている。また、人と人の出会いにおける食事その他の待遇作法が、やはり精緻に発達していた。これら形式的行動の諸体系はいずれも敬意の表現を共通のテーマとしている[清水 一九八七:二二五]。

 島民たちが称号の位階を互いに意識したコミュニケーションを取ることから、ポーンペイ島は称号の「名誉」にもとづく身分階層秩序が高度に発達している社会とされてきた。なかでも、島民同士が出会いの場において対面者の「名誉」を褒め称えるという礼節の作法は、出会いや訪問の目的にかかわりなく、互いの称号間の優劣に左右される[清水 一九八五a]。対面相手の「名誉」に応じた礼節の作法は、主人か客人であるかにかかわらず、その場において位階称号順位の最も高い者を中心に行われる。
清水は、ポーンペイ島社会における首長制を「名誉」の価値を中心に捉えながらも、それとは異なる首長制の現実の姿について、以下のように述べる。

 首長制の慣習という規範的なかつ理念的な体系(中略)がそのまま首長制の現実の姿なのではない。この現実を見るには、ポーンペイ人のあいだの社会生活、政治的出来事にまで視野を広げる必要がある。(中略)慣習の体系がいかに政治的出来事の進行に関与しているかを観察することによって、理念の体系である慣習の現実性が判断されることになろう[清水 一九九五:五二]。

 本書のもう一つの課題は、このような清水の指摘を念頭に置きながら、「名誉」の価値を核とする首長制の規範的・理念的な体系が現実の社会生活において遂行される過程に焦点を当て、首長制にもとづく身分階層秩序がいかに具体的な出来事や行為のなかで組織されるのかを記述・分析することである。

 本書における身分階層秩序の記述・分析は、私自身がフィールドワークのなかで感じた問題意識と発見にもとづく。二〇〇九年二月にはじめてポーンペイ島を訪れた私は、島民たちとのコミュニケーションを積み重ねていくなかで、彼らによる礼節の技法が位階称号のみならず、互いを評価しあう幾つもの指標と関係していることを少しずつ理解していった。彼らによる礼節の技法は、位階称号に対する敬意を表すことに傾注する一方で、状況に応じて葛藤を抱えつつ、時に称号の「名誉」を超えた関係性や雰囲気を醸成するものであった。本書は、そのような礼節の技法が有する潜在的な力――新たな関係性を生み出す力――を軸に、ポーンペイ島社会における伝統的権威と身分階層秩序を動態的に描き出す民族誌である。


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著者紹介
河野正治(かわの まさはる)
1983年、東京都生まれ。
2017年筑波大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程修了。博士(国際政治経済学)。
筑波大学人文社会系特任研究員を経て、
現在、日本学術振興会特別研究員(PD)/京都大学大学院 人間・環境学研究科。
専攻は文化人類学、ミクロネシア民族誌学。
著書として、『再分配のエスノグラフィ――経済・統治・社会的なもの』(悠書館、2019年春刊行予定、分担執筆)、『ラウンド・アバウト――フィールドワークという交差点』(集広舎、2019年、分担執筆)、主な論文として、「状況に置かれた伝統的権威――ミクロネシア連邦ポーンペイの首長制にみるフレームの緊張」(『文化人類学』第80巻2号、2015年)、”Open Hospitality towards Other Traditional Leaders: Receiving Guests under Chiefly Authority in Pohnpei, Micronesia”(People and Culture in Oceania 31、2016年)、「再分配の倫理性――ミクロネシア連邦ポーンペイ島社会における首長制と祭宴の事例から」(『史境』第75巻、2018年)など。

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