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未来に帰る

内戦後の「スーダン」を生きるクク人の移住と故郷

未来に帰る

移動と定住の間には何があるのだろうか? 移動は人間に何をもたらすのか? 苦難の「ホモ・モビリタス」への人類学アプローチ。

著者 飛内 悠子
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2019/03/30
ISBN 9784894892569
判型・ページ数 A5・358ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに――帰還前夜

序章 移動・帰郷・場所をめぐる考察

 一 移動と移民の人類学
 二 帰郷と場所をめぐる考察
 三 南スーダン人の移動・避難・帰郷
 四 現代「スーダン」を生きるクク人
 五 調査の方法、用語について

第一章 カジョケジが故郷になるまで

 一 クク人とは誰か
 二 カジョケジへ/から
 三 第一次内戦とウガンダへの移住・避難
 四 ジュバへの移住

第二章 ハルツームのクク人――移住の過程とその生活

 一 ハルツームへの様々な道
 二 国内避難民とは誰か
 三 キリスト教徒がハルツームに住むということ
 四 S地区の中で――A教会とクク人

第三章 故郷とのつながりの形成と変化――帰還をめぐって

 一 故郷とはどこか
 二 変わりゆくハルツーム
 三 生者の帰還の論理

第四章 ジュバのクク人――差異と都市を生きる人びと

 一 「都市」ジュバ到着と定着の過程
 二 差異の発見と交差
 三 なつかしきハルツーム? ――見出される「ハルツーム」の二重の意味
 四 ジュバのククの誕生

第五章 カジョケジのクク人――故郷とは何か

 一 辺境とはどこか
 二 死者の帰郷
 三 アベル一家の帰郷
 四 名付けの儀式――再会の場

第六章 ハルツームを生きる人びと

 一 彼らは何者になるのか――市民権はく奪前夜
 二 カシャとアラビア語とキリスト教――南スーダン内戦と人びとの夢

終章 未来に帰る――移住が帰郷になるとき

 一 ハルツームとは何なのか――故郷になる条件
 二 移住が帰郷になるとき
 三 未来に帰る人びと――ハルツームを生きたクク人にとっての帰郷から

あとがき
参考文献
索引

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内容説明

移動と定住の間には何があるのだろうか? そして移動は人間に何をもたらすのか? 
数百万人の難民を生んだ内戦の終結は、人生・場所・生活それぞれの組み合わせにより、20年後の故郷への帰還、住み慣れた異郷での定住などさまざまな位相を生んだ。苦難の「ホモ・モビリタス(移動するヒト)」への人類学アプローチ。

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はじめに――帰還前夜



 二〇一一年一月のからりと乾いた日だった。

 スーダン共和国(The Republic of the Sudan/Jumhūrīya al-Sūdān)の首都ハルツーム(Khartoum/al-Kharṭūm)の南郊外にある移住者集住地区の一つ、S地区の中にある基礎学校の、土壁で囲われ窓ガラスもはまっていない小さな教室に二〇人ほどの子どもたちが肩を寄せ合って座っていた。一年生のクラスである。彼らはこれから学年末のテストを受ける。進級を決める大切なテスト前であってもあまり緊張した様子は見られない。

 教壇に立った教師が出席を取っている。

 「ジョン、ジョン・ワニはいないか?」

 教師の問いかけに子どもたちが勢いよく答えた。

 「ジョンは行ったよ!(John māsha!)」
 「旅立った!(sāfarat!)」

似たような問答がこの後も続いた。

 二〇一一年一月に行われた南北スーダンの分離、独立を決定する住民投票の前後は、移住者地区が南部に向かう準備をする人びとの喧騒で騒然としていた時期である。南部の独立はほぼ決定的と言われており、住民投票後のハルツームの状況に不安を覚えた人びとは我先にと南部へと向かって行った。子どもの学年末テストを待たずに南部へ向かう家族もいたため、テストに欠席者が出ていたのである。

 注目すべきは、子どもたちが南部に「帰った」友人の消息を語るときに「行った」もしくは「旅立った」と言い、決して「帰った/戻った(raj'a)」とは言わない点である。彼らの親世代にとっては、南部は「帰る」場所であったが、ハルツームで育った多くの子どもたちにとって、このとき南部は「行く」場所であって、「帰る」場所ではなかった。

 そして彼らは南部へと向かった――十分な準備の時間も、資金もない人も多かったが、ハルツーム在住の南部人の多くは南部に行くことを選んだ。そうして辿りついた南部で彼らが見、経験したものは何であったのか。

 我々の目から見ると一見帰郷に見える行動の意味は個々人の状況によって異なり、人生の過程でも、その意味は変容していく[cf. Lubkemann 2008]。この変容過程には彼らが創りだした場所、そして移動が大きく関わる。本書ではその変容の過程に注目し、ハルツームから南スーダンへと帰った、もしくは向かった人びとの状況を詳細に描き出すことを通して、人間にとっての帰郷という行動の意味を問いたい。



             あとがき





 最後まで本文に入れようか迷い、結局入れなかった事実がある。

 二〇一七年一月に起きた軍による民間人への銃撃をきっかけに、ほとんどすべての人がカジョケジを逃れた。その後もカジョケジの治安は全く安定せず、二〇一五年に完成するはずだったアベルの家の完成は遅れ、最後は完成しないうちに兵士たちによって焼かれた。彼の故郷は構築半ばで再び壊されることになった。二〇一八年三月、筆者にそのことを告げたアベルの声音は沈んだものだった。アベルは妻サラとともに南スーダン―ウガンダ国境のモヨ県に住み、カジョケジ教区の仕事を続けている。長女マリはジュバに留まり、ジュバ大学に進んだ。次女アナは結婚し、大学を終え、ジュバに仕事を持つ夫と共にジュバで暮らしている。三女セツ、末息子のカインはカンパラにほど近いムコノで学生生活を送っている。

 二〇一八年九月に南スーダン内戦の和平協定が結ばれた。だが、この手の協定は何度も結ばれ、そのたびに反故にされてきた。アベルをはじめとしたクク人たちはもはや協定に何の期待もしていない。自分自身の目でカジョケジに戻る頃合いを見計らっている。

 二〇一二年、博士論文を書く前の最後のフィールド・ワークでモリスからジュバ郊外のグレイに家を買ったこと、そこにはハルツームから来た人々が多くおり、共に生活をしていることを聞いたとき、筆者は自分のフィールド・ワークが一区切りついた気がした。彼らは未来に帰るのだ、という言葉が自分の心にすとんと落ちた。それが本書の題名の由来であり、そして結論でもあった。それだけにその後勃発した南スーダン内戦とカジョケジの崩壊は、筆者にとって何とも理不尽に思えてならないものだった。人間は未来に帰っていく。しかしその未来はなんて苦しみに満ちたものだろう。人間の希望はこんなにあっさり覆されるものなのか。苦しい未来に帰ることが、結論なのか。

 だが、二〇一四年以降筆者は避難の地、ウガンダでクク人たちが精力的に動く姿を目の当たりにもしてきた。彼らは命あることを神に感謝し、難民居住地で生活を再建し、時にカジョケジに戻り、兵士の目をかすめ備蓄食料を持ち出した。停戦協定が結ばれればすかさず様子を見にカジョケジへと向かい、レモンやマンゴーとともにウガンダに戻ってきた。アベルは子どもたちの成長する姿に目を細め、筆者がお土産に持参したスマートフォンに「以前持っていた自分のスマホはアナに取られた」と言って喜び、それを今度はセツに奪われないように筆者に口止めし、こっそりとリュックに入れていた。

 おそらく、彼はセツに見つかってねだられればあっさりそれを渡すだろう。厳しくとも、最後は娘に弱い父である。そうした姿を見て、理不尽な思いはぬぐい切れないものの、筆者は希望がかたちを変えて彼らの傍らにあることに勝手ながらもほっとした。未来は変わる。いつか、本書の終わり以上の希望を彼らはつかみ取るだろう。それを確認できたら、今度はあのカジョケジから逃れたときから彼らの物語を紡ぎたいと思った。

 そして、本書を書き上げた。そのため、本書は彼らの未来への道筋の途中、希望が見える時点で終わっている。

 ……

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著者紹介
飛内悠子(とびないゆうこ)
1979年生まれ。
2014年上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻博士後期課程修了。博士(地域研究)。
専攻は人類学、アフリカ地域研究。
現在、盛岡大学文学部准教授。
主著書として、『移民/難民のシティズンシップ』(有信堂高文社、2016年、共著)、論文として、「クク人と故郷カジョケジ:南北スーダンにおける人間の移住と場所の変容」(『文化人類学』第82巻4号、2018年)、「『スーダン』におけるキリスト教信仰覚醒運動:クク人の移動を基底として」(『アフリカ研究』第84号、2014年)など。

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