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語り合うスンナ派とシーア派 別巻16

十二イマーム崇敬から中世イスラーム史を再考する

語り合うスンナ派とシーア派

十二イマームへの崇敬はシーア派からスンナ派にも及び、両派は崇敬内容を相互に引用しつつ、それぞれの信仰世界を作り上げてきた。

著者 水上 遼
ジャンル 民俗・宗教・文学
歴史・考古・言語
シリーズ ブックレット《アジアを学ぼう》 > ブックレット〈アジアを学ぼう〉別巻
出版年月日 2019/11/25
ISBN 9784894894174
判型・ページ数 A5・66ページ
定価 本体800円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに

一 美質と初期イスラームの指導者

 1 預言者ムハンマドの死と後継者問題
 2 美質とウンマの指導者位

コラム 十二イマームとは

二 スンナ派の間のアリー崇敬と十二イマーム崇敬

 1 アリー一族への崇敬
 2 十二イマーム崇敬流行の時代
 3 美質の書の内容
 4 美質の書著者たちのスンナ派性――ガディール・フンムのハディース解釈
 5 十二世紀―十四世紀西アジアの社会――スンナ派学者の十二イマーム崇敬の背景

三 十二イマーム崇敬とスンナ派・シーア派

 1 イブン・カスィールの批判
 2 イラクのシーア派学者たちの反応
 3 イランのシーア派学者たち――もう一つの反応

おわりに

注・参考文献

あとがき

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内容説明

十二イマームというイスラーム初期指導者への崇敬は「美質の書」という伝承文献群にさまざまに語られてきた。その崇敬はシーア派はもちろんスンナ派にも及び、両派は崇敬内容を相互に引用しつつそれぞれの信仰世界を作り上げてきた。本書は、貴重な文献を渉猟し、緻密な学的交流を分析、新たなイスラーム史を展望する好著である。

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 ……  そこで本書は、十二イマーム崇敬の宗派を越えた広がりと、スンナ派・シーア派双方の学者による美質の書の執筆活動に注目しながら、両派の形成と交流の歴史を明らかにしていく。扱う時代は、特に多くの美質の書がつくられた十二世紀後半から十四世紀前半が中心となる。

 特に学者たちに注目するのは、彼らがイスラームという宗教やスンナ派・シーア派という宗派の定義づけを行う存在であり、その宗教的権威によって支配者にも民衆にも影響力を持つ存在であったからである。学者たちの著作や発言を丹念に分析することで、十二イマームと宗派の関係性が宗派内・宗派間でいかに議論され、宗派の境界がどこにあると考えられていたかを明らかにすることができる。

 ただし、本書が扱う史料に関しては、十分な先行研究が無いものがほとんどである。そのため、新しい研究分野であるこの「中世の美質の書研究」がイスラームの歴史のさらなる理解につながる大きな可能性があることを、本書を通じて示したい。

 今日、スンナ派とシーア派の関係は宗派対立という側面が強調されて語られることが多い。だが、イマームという信仰の根幹に関わる存在についてでさえも、関心や議論が宗派を越えた形で展開してきたことは、現代の我々にとってイスラームという宗教の構造をより深く知る手がかりになるはずである。

 本書の内容を簡潔に示しておこう。第一節では、初期イスラームにおけるカリフやイマームといった指導者に関する議論の展開を簡潔に述べたい。カリフやイマームとは誰なのか、どういった人物がその地位にふさわしいのかという問題によって、イスラーム史上様々な宗派・分派が生じた。美質を語ること、そして「美質の書」を書くことには、それぞれの宗派・分派の正統性を示すという側面があった。

 美質が宗派的正統性と密接に結びついていたにも関わらず、スンナ派学者のなかには初代イマームのアリーとその一族を崇敬する者たちがいた。

 第二節ではまず、スンナ派・シーア派の境界を越えて広がっていたアリー一族への崇敬と、十世紀以降のスンナ派学者によるアリーの美質の書の編纂活動を扱う。さらに十二世紀になると、スンナ派の中から、十二イマームに対しても崇敬を行い、彼らの美質の書を編纂する学者たちさえ現れてきた。彼らの残した美質の書がどのようなものであったかを明らかにするとともに、著者たちのスンナ派的な立場は作品の中にどのように反映されているか、また彼らは十二イマームをどのような存在だと考えていたのかを、一つの伝承の解釈を手掛かりに探る。さらに節の最後では、なぜスンナ派の間で十二イマーム崇敬が流行したのかを、十二世紀から十四世紀西アジア社会の変化を手掛かりに検討する。

 第三節では、スンナ派・シーア派双方の学者たちがスンナ派における十二イマーム崇敬の流行にどう反応していたかを述べる。十二イマーム崇敬はすべてのスンナ派学者に支持されていたわけではなかった。十二イマームへの崇敬をシーア派的な考えだとして批判する人々もスンナ派学者の中にはいた。一方、これらスンナ派内の議論を同時代のシーア派学者たちは絶えず注視していた。ただし、イラクのシーア派学者たちとイランのシーア派学者たちでは、スンナ派の間の十二イマーム崇敬に対する反応が大きく異なっていた。スンナ派・シーア派双方の内部でも、イマームをどう位置付け、宗派とどう関連付けるかで多様な議論が併存していたのである。……

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著者紹介
水上 遼(みずかみ りょう)
1987年生まれ。茨城県出身。
東京大学大学院人文社会系研究科アジア史専門分野博士課程在籍。
主な論文に「イブン・アル=フワティーの伝える13世紀後半の集団イジャーザ:バグダード・メッカ間およびバグダード・ダマスクス間の事例から」(『オリエント』57巻1号、pp. 62-71、2014年)、”Negāhī be zendegī va faʻʻālīyathā-ye ʻelmī-ye Ebn-e Fowaṭī: taʼlīf-e Majmaʻ al-Ādāb va ertebāṭ bā jāmeʻ-e rowshanfekrān,”(Āyene-ye Pazhūhesh, no. 157, pp. 20-43, 2016. イランで出版されたペルシア語論文)がある。また、U-PARL編『世界の図書館から――アジア研究のための図書館・公文書館ガイド』(勉誠出版、2019年)で分担執筆者としてイランの5つの図書館を紹介した。

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