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帝国日本における越境・断絶・残像

モノの移動

帝国日本における越境・断絶・残像

痕跡を残す統治時代のモノたち。その素性をたどると、さまざまな利害関係や深い交流があった。モノから見える文化の複雑な位相。

著者 植野 弘子
上水流 久彦
ジャンル 人類学
シリーズ アジア・グローバル文化双書
出版年月日 2020/02/29
ISBN 9784894892743
判型・ページ数 4-6・316ページ
定価 本体3,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき 上水流久彦

序 帝国日本におけるモノの交錯 植野弘子・上水流久彦

はじめに
一 帝国日本と人類学研究――帝国期から現在へ
二 帝国における移動と出会い、植民地の近代
三 帝国日本における植民地支配の特異性――繋がる現在と記憶
四 「帝国日本」のモノと現在
五 本書の内容
むすび

日式表札の成立と越境――旧日本植民地における諸相とその後 角南聡一郎

 はじめに
 一 日本における表札
 二 日式表札の越境
 三 日式表札に見る近代化と融合性
 おわりに

●コラム ある朝鮮総督府警察官の移動 冨田 哲

近代建築物にみる沖縄の近代化認識に関する一試論
   ――琉球・沖縄史の副読本にみる歴史認識を踏まえて 上水流久彦

問題の所在
一 沖縄の近代建築物
二 沖縄の近代の描かれ方
三 近代建築物の語られ方
四  近代建築物の非存在が問う歴史認識のあり方
おわりに 「近代化」を語る困難さ――自らの問題として

●コラム 神社を持つ「日本神」廟 三尾裕子

日本統治期台湾における税関制度の変遷 林玉茹

はじめに
一 日本近代税関制度の確立――運上所から税関へ
二 税関体制の植民地移植
三 旧慣温存――小口から特別輸出港へ
四 決戦体制――港務局の設立
五 結論

●コラム 「ヘッチする」とは?――移動する漁民の世界と言葉  西村一之

植民地台湾における綿布消費の嗜好と商社の活動 谷ヶ城秀吉

はじめに
一 益田孝の台湾認識
二 台湾市場における三井物産の取引
三 台湾市場の嗜好と三井物産の商品戦略
むすび

●コラム 在朝日本人の植民地経験 鈴木文子

戦前・戦後期の日韓にみられた粉食中華の普及過程――「食の段階的定着」の差に着目して 林 史樹

はじめに
一 日本帝国下における外来食の普及
二 日本における粉食中華の普及
三 韓国・朝鮮における粉食中華の普及
四 食の伝播の仕方にみられる差異
むすび

●コラム 「帝国日本」で共有された職人の技と道具 角南聡一郎

パイン産業にみる旧日本帝国圏を越える移動
   ――ハワイ・台湾・沖縄を中心に 八尾祥平

はじめに
一 パイン産業の勃興と植民地台湾への伝播
二 「戦後」におけるハワイ・台湾・沖縄のパイン産業
三 一九九〇年代以降のハワイ・台湾・沖縄のパイン産業
おわりに

あとがき

写真・図表一覧

索引

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内容説明

国境なき越境、その実像をモノから探る
日式表札やモダン建築、石垣のパイナップルや職人の道具など、いまもなお痕跡を残す統治時代のモノたち。その素性をたどると、支配というタテ軸の奥にさまざまな利害関係や深い交流があった。モノから見えてくる文化の複雑な位相。
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まえがき





 本書は一対となる『帝国日本における越境・断絶・残像――人の移動』と『帝国日本における越境・断絶・残像――モノの移動』の一冊である。みなさんは、どちらの本を手にしただろうか。この二冊の本の学術的な意義は、それぞれの「序」で述べることとして、「まえがき」では私自身の調査経験からこの二冊の持つ魅力や「大日本帝国」研究から見えてきた感想を紹介したい。

台湾で植民地期の様子を高齢の知人である漢人に聞いていると、「ここには朝鮮から来た人の遊郭があって、そこで働いていた男の人から野球をならったことがあったよ」と語ってくれた。また台湾暮らしでの私の大家は、「あの大きな病院の大先生は、満州の大学を出て医者の免許をとった」と教えてくれた。韓国華僑(中華民国籍を持つ、主に戦前に中国本土から朝鮮半島に移動し居住した華僑。台湾、日本、欧米に住む者もいる)の調査をソウルでしている時、中国語で話していた相手が突然、「戸籍は……」と日本語で語りだした。話を聞くと戦前、山東から大連にいき、そこで学校に通い日本語を学び、朝鮮半島に最終的に移り住んだということであった。与那国の調査では、植民地期、日本本土のマンガが台湾経由で入ってきて那覇よりも早く見ることができたと聞いた。このような話を耳にするたびに、日本(内地)対旧植民地という枠組みではとらえることができない状況がたくさんあり、いつか研究ができないかと考えていた。

植民地期から現在まで台湾に残る「日本」、帝国日本の問題に向き合うべきだという機運は、二〇〇二年頃には台湾を対象とする人類学者の間で広く共有された。そして、最初の成果は、五十嵐眞子・三尾裕子編『戦後台湾における〈日本〉 植民地経験の連続・変貌・利用』(風響社、二〇〇六年)としてまとめられた。その後、複数の日本学術振興会科学研究費補助金による研究プロジェクト(以下、科研プロジェクト)において帝国日本の植民地主義を問い、植野弘子・三尾裕子編『台湾における〈植民地〉経験――日本認識の生成・変容・断絶』(風響社、二〇一一年)、三尾裕子・遠藤央・植野弘子編『帝国日本の記憶――台湾・旧南洋群島における外来政権の重層化と脱植民地化』(慶應義塾大学出版会、二〇一七年)としてその成果を世に問うた。前者では、台湾の人々が「日本」をどう操作し、利活用しているのか、その主体性を問うことに重点を置いた。後者では、外来政権に複数回統治された重層性に目を向け、その中で「日本」を捉えなおした。これらの研究成果に続くのが姉妹本の本書である。

本書の成果の多くは、科研プロジェクト「帝国日本のモノと人の移動に関する人類学的研究―台湾・朝鮮・沖縄の他者像とその現在」(研究代者 植野弘子、JP25244044)に負うものだが、この科研プロジェクトでは、日本対旧植民地ではなく、台湾と朝鮮半島というような旧植民地と旧植民地の関係を視野にいれ、かつモノが結ぶ帝国日本という視点で研究を行った。その調査を通じて、日本を中心として東アジアを見る見方から脱却できていない自分の認識の狭さを痛感することとなった。台湾の人々から見れば、日本本土も、沖縄も、朝鮮半島も、旧満州も、そして旧南洋群島も、自らが移動する選択肢、もしくは行かされる場所のひとつであった。私の台湾の知人は、父の仕事で旧満州に住み、その後、北京に居を移した。そこで終戦を迎えるが、彼は台湾に戻るものの、兄と姉は北京に残り、台湾と中国の対立のなか、数十年連絡さえとることができない関係となった。日本本土と台湾を見ているだけでは、零れ落ちる歴史の断面である。

今回、彼が住んだ旧満州での調査はできなかったが、長野県阿智村の満蒙開拓平和記念館をプロジェクトメンバーで訪ねた。記念館の協力を得て旧満州から引き揚げて来た方々からも直接話を伺うことができた。そこでは、移動にみる国策の暴力を痛感した。満州移民は昭和二〇(一九四五)年になっても続けられ、同年五月に旧満州に渡った人もいた。すでに関東軍は旧満州の多くの地域から撤退していたにも拘わらず、である。引き揚げた人々は、そこに住む人々の土地を奪って入植が成り立っていたことも知っていたし、旧満州の地に朝鮮半島の人々が先にいて手助けを受けたことも語ってくれた。満蒙開拓平和記念館が二〇一三年に設立され、一般の人々がその歴史を知ることができるようになったことは、貴重である。その後、敗戦直後、ソ連兵らの攻撃から免れるために村の女性を彼らに差し出した事実も明らかになるなど、多くの過去がいまだに埋もれていることを思い知った科研プロジェクトでもあった。

また、過去の人とモノの移動に目を向けることは、文化の雑多性にも改めて気づかせてくれた。台湾人の移住者が持ち込んだ石垣のパイナップルは石垣の名産になっており、台湾の植民地期の建築物のなかには、その出自が忘れられて、台湾の人々に利用されているものもある。わざわざ過去を掘り返して、「あなたたちの文化には、日本の植民地支配が影響している」と言う必要はない。しかし、ピュアな日本文化も韓国文化も台湾文化も存在しないことは事実である。それにも拘わらず、歴史の忘却は、文化の雑多性を排除することを容易にしている。

この文化の雑多性の忘却は、現在、私たちが、国民国家の単位で思考することにどっぷり浸っていることのあらわれであろう。私には、このような状況が、特に日本では、かつて帝国日本であった地域で起こっていることを他人事としてとらえる要因になっているように思えてならない。例えば、慰安婦問題は、韓国対日本の構図で語られているが、大日本帝国で生じたことであり、「韓国はいつまでもしつこい」と語る前に、自分たちの歴史として見るべき過去がある。

このような「今、ここに」ある東アジアの姿をその歴史的過程を無視して理解することは、「国民性」や「民族性」という非常にあいまいな概念が跋扈する要因でもあろう。様々な歴史的経緯や政治的、経済的状況のもと、「今、ここに」がある。したがって、それは一時的なもので、変わりうるものである。時間軸のない「国民性」や「民族性」では、説明できない。それにも拘わらず、このような類の説明が受け入れられているのは、自分たちが理解できないあり方を「国民性」や「民族性」に帰してしまい、それ以上考えることを放棄し、過去をひも解く面倒な作業を回避できるからだろう。

本書と姉妹編は、ともに帝国日本と現在を結ぶ研究の成果である。本書と姉妹編は、ともに帝国日本と現在を結ぶ研究の成果である。『人の移動』では、 中国、韓国、台湾で揺れ動く韓国華僑の思い、宮古島に住んだ台湾人の足跡、植民地と研究者の関係などが、そして『モノの移動』では、 中華料理が朝鮮半島や日本で根付く過程、複数の帝国の関係のもと盛衰するパイナップル産業、台湾や朝鮮半島に残る日本由来の「表札」などが、帝国日本と現在を結ぶ結節点として論じられている。ゼミや授業で本書を読む学部生や院生、または書店で手にしてくれた方が、本書を通じて、文化の雑多性や、そこに込められている歴史を学び、安直な東アジア理解に疑問を抱いてくれたら、望外の喜びである。

最後になったが、この科研プロジェクトの現地調査においてご協力いただいた皆様に御礼を申し上げたい。文化人類学を勉強して四半世紀になるが、現地の人々の協力無しでは、研究成果をひとつもあげることはできない。そういう学問だと本当に痛感する。辛い記憶を話してくださる方もいた。本書は、日本語で書かれてはいるが、過去の出来事と現在の人々を結び、そして、東アジアの人々が互いを理解する一助となれば、幸いである。

なお、本書と姉妹編の成り立ちから、あえてまえがき・あとがきは共通のものとした。


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編者紹介

植野弘子(うえの ひろこ)
1987年、明治大学大学院政治経済学研究科博士後期課程満期退学。博士(学術)。
専攻は社会人類学。
現在、東洋大学アジア文化研究所客員研究員。
主著書として、『台湾漢民族の姻戚』(風響社、2000年)、『台湾漢人姻親民族誌』(南天書局、2015年)、『台湾における〈植民地〉経験―日本認識の生成・変容・断絶』(風響社、2011年、共編著)。論文として、「父系社会を生きる娘―台湾漢民族社会における家庭生活とその変化をめぐって」(『文化人類学』75巻4号、2011年)、「『民俗台湾』にみる日本と台湾の民俗研究―調査方法の検討を通じて」(『東洋大学社会学部紀要』50巻1号、2012年)など。

上水流久彦(かみづる ひさひこ)
2001年、広島大学大学院社会科学研究科修了。博士(学術)。
専攻は文化人類学、東アジア地域研究。
現在、県立広島大学地域基盤研究機構准教授。
主著書として、『台湾漢民族のネットワーク構築の原理―台湾の都市人類学的研究』(渓水社、2005年)、『東アジアで学ぶ文化人類学』(昭和堂、2017年、共編著)、『境域の人類学―八重山・対馬にみる「越境」』(風響社、2017年、共編著)、『アーバンカルチャーズ』(晃洋書房、2019年、共著)、『台湾の海洋安全保障と制度的展開』(晃洋書房、2019年、共著)など。


執筆者(執筆順)

角南聡一郎(すなみ そういちろう)
2000年、奈良大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。
専攻は仏教民俗学、物質文化研究。
2020年4月〜 神奈川大学国際日本学部准教授。
主著書として、『論集葬送・墓・石塔』(狭川真一さん還暦記念会、2019年、共著)、論文として、「金毘羅信仰及び金刀比羅宮の絵銭」(『こと比ら』74号、2019年)、「元興寺をめぐる教育と学術―宗教の社会的役割を問い直す試み」(『元興寺文化財研究所研究報告2018』、2019年)など。

冨田哲(とみた あきら)
2000年、名古屋大学大学院国際開発研究科国際コミュニケーション専攻博士後期課程修了。博士(学術)。
専攻は台湾史、社会言語学。
現在、淡江大学日本語文学系副教授。
主著書として『植民地統治下での通訳・翻訳―世紀転換期台湾と東アジア』(致良出版社、2013年)。論文として、「ある台湾語通訳者の活動空間および主体性―市成乙重と日本統治初期台湾」(楊承淑編『日本統治期台湾における訳者及び「翻訳」活動―植民地統治と言語文化の錯綜関係』台湾大学出版中心、2015年)、「元台湾語通訳者市成乙重とアジア・太平洋戦争期の「福建語」」(『跨境/日本語文学研究』第3号、2016年)。「乃木希典遺髪碑建立と伊沢修二」(木下知威編『伊沢修二と台湾』台湾大学出版中心、2018年)など。

三尾裕子(みお ゆうこ)
1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程中退。博士(学術)。
専攻は文化人類学、東アジア地域研究。
現在、慶應義塾大学文学部教授。
主著書として、『王爺信仰的歴史民族誌―台湾漢人的民間信仰動態』(中央研究院民族学研究所、2018年)、『帝国日本の記憶―台湾・旧南洋群島における外来政権の重層化と脱植民地化』(慶應義塾大学出版会、2016年、共編著)、『グローバリゼーションズ―人類学・歴史学・地域研究の現場から』(弘文堂、2012年、共編著)など。論文として、「従地方性的廟宇到全台性的廟宇―馬鳴山鎮安宮的発展及其祭祀圏」(謝国興編『台湾史論叢 民間信仰篇』175-248頁、2019年、台大出版中心)、「植民地経験、戦争経験を「飼いならす」―日本人を神に祀る信仰を事例に」『日本台湾学会報』(19号、2016年)、「《特集》外来権力の重層化と歴史認識―台湾と旧南洋群島の人類学的比較 序」『文化人類学』(81巻2号、2016年)など。

林玉茹(りん ぎょくじょ)
1997年、台湾大学大学院歴史研究科博士課程単位取得退学。博士(歴史)。
専攻は台湾社会経済史、清代台湾史、海洋史、地域研究。
現在、台湾中央研究院台湾史研究所研究員。
主著書として、Merchant Communities in Asia 1600-1980(London: Pickering & Chatto、2015年、共編)、『台湾拓殖株式会社の東台湾経營―国策会社と植民地の改造』(汲古書屋、2012年)、『植民地的辺区―東台湾政治経済的発展』(遠流、2007年)、『戦後台湾的歴史学研究1945-2000―台湾史』(行政院国家科学委員会、2004年)、『清代竹塹地区的在地商人及其活動網絡』(聯経、2000年)、『清代台湾港口的空間結構』(知書房、1996年)、論文として、「進口導向―十九世紀台湾海産生産与消費」(『台湾史研究』25巻1号、2018年)、Management of and Experiments in a Colonial Industry:Japanese Government-run fishermen Migration Project in Taiwan during the Late Meiji Period(Translocal Chinese: East Asian Perspective 9巻、2015年)、「通訊与貿易―十九世紀末台湾与寧波郊商的訊息伝逓」(『台大歴史学報』58号、2016年)など。

西村一之(にしむら かずゆき)
2000年、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得退学。博士(文学)。
専攻は文化人類学、東アジア地域研究。
現在、日本女子大学人間社会学部准教授。
主著書として、『境域の人類学―八重山・対馬にみる「越境」』(風響社、2017年、共著)、論文として「閩南系漢民族の漁民社会における「鬼」に関する予備的考察―「好兄弟」になる動物」『日本女子大学紀要 人間社会学部』28号、2018年)など

谷ヶ城秀吉(やがしろ ひでよし)
2008年、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程研究指導終了退学。博士(学術)。
専攻は日本・アジア経済史。
現在、専修大学経済学部准教授。
主著書として、『帝国日本の流通ネットワーク―流通機構の変容と市場の生成』(日本経済評論社、2012年)、『植民地台湾の経済と社会』(日本経済評論社、2011年、共編著)、『“世界の工場”への道―20世紀東アジアの経済発展』(京都大学学術出版会、2019年、共著)。論文として、「函館における海産物移出の展開と植民地商人」(『社会経済史学』75巻1号、2009年)、「戦間期における台湾米移出過程と取引主体」(『歴史と経済』208号、2010年)、「政府部門と国策会社の設立―台湾拓殖を事例に」(『社会科学年報』51号、2017年)など。

鈴木文子(すずき ふみこ)
1992年、甲南大学大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
専攻は文化人類学、韓国・朝鮮文化研究。
現在、佛教大学歴史学部教授。
主著書として、『変貌する韓国社会―1970〜80年代の人類学調査の現場から』(第一書房、1998年、共著)、論文として、「山陰から見た帝国日本と植民地―板祐生コレクションにみる人の移動と情報ネットワークの分析を中心に」(『国立民族学博物館調査報告』69、2007年)、「朝鮮玩具の社会史―植民地期朝鮮における‘鮮玩’の発見とその系譜」(『国際常民文化研究叢書』3、2013年)、「交錯する人と記憶―朝鮮混住地における植民地経験」(『佛教大学歴史学部論集』9号、2019年)

林 史樹(はやし ふみき)
2001年、総合研究大学院大学文化科学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
専攻は文化人類学、韓国・朝鮮研究。
現在、神田外語大学外国語学部教授。
主著書として、『韓国のある薬草商人のライフヒストリー』(御茶の水書房、2004年)、『韓国サーカスの生活誌』(風響社、2007年)、『韓国食文化読本』(国立民族学博物館、2015年、共著)など。

八尾祥平(やお しょうへい)
2012年、首都大学東京大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(社会学)。
専攻は社会学、移民(華僑華人)研究。
現在、日本学術振興会特別研究員・上智大学非常勤講師。
主な論文として、「1950年代から1970年代にかけての琉球華僑組織の設立過程―国府からの影響を中心に」(『華僑華人研究』、第8号、2011)、「戦後における台湾から『琉球』への技術導入事業について」、(蘭信三編著『帝国以後の人の移動―ポストコロニアリズムとグローバリズムの交差点』、勉誠出版、2013)、「地域と地域の境界に埋もれた歴史を思い起こす―琉球華僑・華人を中心に」(小熊誠編著『〈境界〉を越える沖縄』、森話社、2016)など。

翻訳

杉本房代(すぎもと ふさよ)
2005年、台湾国立政治大学経済研究所碩士課程修了。
専攻は経済史。


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【お詫びと訂正】


以下の通り誤りがありました。お詫びして、下記の通り訂正させていただきます。

〈83 頁5 行目〉    呼ばれている(3) →   呼ばれてい
〈90 頁12 行目〉    連座責任盛 →   連座責任
〈91 頁末尾行〉    一九四五年まで  →   一九四五年まで
〈93 頁3 行目〉
   改められている(9)。 → 改められている[南京金陵制造 二〇一六]
〈93 頁末尾より3 行目〉
   場合もある(10)。 → 場合もある[上游新聞綜合 二〇一七]
〈166 頁1 行目〉    は海外調査ではJSPS  → はJSPS
〈271 頁 〉
  表1 沖縄県におけるパインの生産高(1957 〜1985)
      ↓
  表1 ハワイのパイナップル生産量と世界の全生産量に占める割合(1950 〜1970) 
   
     訂正版はこちらをご覧ください。

〈302 頁右列6 行目〉
  表1 沖縄県におけるパインの生産高     
               ↓
  表1 ハワイのパイナップル生産量と世界の全生産量に占める割合

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