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インディペンデント映画の逆襲

フィリピン映画と自画像の構築

インディペンデント映画の逆襲

フィリピン最大の独立系映画祭の作品群を通して映画人たちの製作現場や生きざまに生々しく迫る

著者 鈴木 勉
ジャンル 芸能・演劇・音楽
出版年月日 2020/05/30
ISBN 9784894891272
判型・ページ数 A5・384ページ
定価 本体3,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに

凡例

序章 フィリピン映画の源流と一つの問いかけ

 一つの問題提起から――コロニアリズムとは何か

第一章 インディペンデント映画揺籃史とシネマラヤの誕生

 一 インディペンデント映画とは何か
   1 シネマラヤを生んだCCPインディペンデント映画・ビデオ・コンペティション
   2「ニュー・アーバン・リアリズム」の登場
   3 シネマラヤの誕生
   4 シネマラヤの試練と新たな挑戦
 二 デジタル時代の映画製作
   1 スローシネマの世界
   2 デジタル時代の言説空間
   3 アルマンド・ビン・ラオの「発見された時間」
   4 自虐的描写に対する批評精神
 三 インディペンデント音楽との接点
   1 共振するインディペンデントの世界
   2 「コレクティブ(寄り合い)」から生まれる新しい文化

第二章 映画と風景

 一 北部ルソン
   1 最北端の島バタネス
   2 『海燕ジョーの軌跡』と越境文化論
   3 ルソン山地民族の故郷と世界遺産
   4 コルディリエラを舞台にした日比合作映画
 二 南部ルソンからビサヤ諸島まで
   1 海域ビサヤ地方の世界
   2 叙事詩「スギダノン」とリビー・リモソ
   3 「飢餓の島」と言われたネグロス
   4 フィリピン国産映画発祥の町セブ
 三 ミンダナオの「再発見」
   1 ミンダナオを描いたシネマラヤ作品
   2 ミンダナオ映画祭
   3 映画が描いたミンダナオの深部
   4 スールー諸島――フィリピンの南限の物語

第三章 地域映画(シネマ・レヒヨン)の創生

 一 シネマ・レヒヨン
 二 映画とツーリズム
 三 可能性を秘めた映画の町

第四章 フィリピン映画に描かれたポストコロニアルな風景やLGBT

 一 映画に描かれたアメリカ植民地時代の残滓
   1 旧植民地アメリカへの思い
   2 独立とは何かを問う映画
 二 映画に描かれたLGBT
   1 LGBT映画の牽引者
   2 ケソン市国際ピンク映画祭

第五章 フィリピン映画と日本

 一 戦争の記憶
   1 日本に向けられる眼差しの変化
   2 解き放たれる日本の記憶
   3 フィリピン映画に描かれた日本在住フィリピン人
   4 日本映画に描かれたフィリピン人
 二 活況を呈するドキュメンタリー映画
   1 東京発ドキュメンタリー映画の成功
   2 ドキュメンタリー映画を通してつながる日比の底流
   3 山形国際ドキュメンタリー映画祭とフィリピン

第六章 「ポスト真実」時代のフィリピン映画

 一 ラブ・ディアスの描く「ポスト真実」の世界
   1 「ポスト真実」に果敢に挑戦する映画人
   2 ブリランテ・メンドーサの試み
   3「ポスト真実」の時代を語ること
 二 暴力の再生産と映画
   1 暴力を描く映画
   2 国家権力と暴力
   3 暴力のイメージと麻痺への抗い
   4 偏在する暴力と暴力描写

第七章 フィリピン映画と信仰

 一 映画と信仰
 二 解放の神学とラヴ・ディアス監督作品

第八章 異彩を放つ映画人たち

 一 カナカン・バリンタゴス――映画作りを通して自らのルーツへ
 二 グチェレス・マンガンサカン二世――ビデオカメラを手にしたスルタンの末裔
 三 シェロン・ダヨク――シネマラヤの申し子
 四 ローレンス・ファハルド――シネマラヤのトップランナー
 五 シーグリッド・アーンドレア・ベルナード――インディペンデントから生まれたサクセス・ストーリー
 六 ラヴ・ディアス――辺境の地から、内なる辺境へ
 七 ブリランテ・メンドーサ――物語の探求者

終章 インディペンデントの航海は続く

 一 自虐を超えて
 二 越境する「国民映画」
 三 他者のまなざしに注視して

あとがき

索引
写真一覧
付属資料1 シネマラヤ長編劇映画作品リスト
付属資料2 シネマラヤ長編劇映画作品の映像祭受賞リスト

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内容説明

「シネマラヤ」に集う映像群
シネマと「自由」を意味するマラヤを冠したフィリピン最大の独立系映画祭。ここには暴力・貧困・差別など、虐げられてきた土着の「リアル」がある。本書は権力を拒み、「失われた自己」を回復しようとする映画人たちの製作現場や生きざまに生々しく迫る。

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はじめに



 映画が生まれて一〇〇年以上が経過した。写真はもうすぐ誕生後二〇〇年だが、いまやカメラはただ単に目に見えるものを記録するだけではなく、見えている世界を普段は見たことのない世界、もしくは視覚的には見えない世界に誘う力を持つようになった。カメラは私たちの日常感覚から最も遠くへ世界を引き離す仕組みでもある。映画も一〇〇年の時を経て、消費材としての映画から世界を理解する素材、さらには理解を越えて想起し思考してゆくメディアとしての映画へと変容を遂げていると思われる。インターネットなど情報伝達技術の進化によって、いつでも、どこでも簡単に、かつ断片的である意味刹那的に動画が視聴できる現代においては、一定の拘束を伴う映画の時を体験することの意味に変化をきたしているとも言える。少なくとも筆者にとっての映画とは、その多くが世界を知るため、社会を成り立たせている考え方、その構造を知るための手がかりでもある。

 本書はフィリピンのインディペンデント映画についての考察が中心である。それも二〇〇五年以降、筆者がフィリピンのインディペンデント映画に本格的に接しはじめたシネマラヤ・フィリピン・インディペンデント映画祭(以下、シネマラヤ)に出品された作品及び同映画祭が歩んだ時代と時を同じくして世に出た作品を中心に論じる。シネマラヤは、フィリピン映画界、そして映画製作を夢見る若者達の熱い期待を担い、二〇〇五年七月、国内初の大規模デジタル映画祭として産声を上げた。映画館の「シネマ」と自由を意味するフィリピノ語の「マラヤ」を掛け合わせた合成語である。準備開始はその一年前。当時フィリピンの映画産業は瀕死の状態だった。フィリピン・フィルム・アカデミーの発表によれば、二〇〇四年に製作された三五ミリ映画は五四本。一九九六年~九九年の平均が一六四本、二〇〇〇年~二〇〇三年の平均が八二本であるから、急激な落ち込みは明らかである。もともとアメリカ植民地時代からハリウッド流のスタジオ・システムを導入して、六〇年代から七〇年代にかけて長編劇場用映画だけで年間二〇〇本を超え、「黄金時代」を築いたほどの映画王国だった。シネマラヤはインディペンデント映画の祭典ではあるが、本来であれば反対勢力であるはずの大手映画製作会社もこの新しい動きを全面的に支援した。生か死かの危機感に覆われ、凋落傾向にあったフィリピン映画界の期待を一身に集めて鳴り物入りで創設されたのだ。

 これからシネマラヤの成功物語を追ってゆくが、その成功を受けて、その後多くのインディペンデント映画祭が創設されている。本稿の執筆時点で確認できる映画祭だけでも、シネマ・ワン・オリジナル(ABS―CBNテレビ)、シネ・フィリピーノ、シネング・パンバンサ、Qシネマ・インターナショナル・フィルム・フェスティバル、シナーグ・マイニラ・インディペンデント・フィルム・フェスティバル、シネマニラ・インターナショナル・フィルム・フェスティバル(デジタル・ローカル部門)、メトロ・マニラ・フィルム・フェスティバル(ニューウェーブ部門)、その他マニラ首都圏以外で開催される地方の映画祭、ミンダナオ・フィルム・フェスティバル、サラミンダナオ・フィルム・フェスティバル、ウェスターン・ビサヤ・フィルム・フェスティバルなど多数ある。またインディペンデント映画の秀作が続々と登場することでインディペンデント系ミニ・シアター設立の動きも少しずつ活発化している。これも執筆時点の情報だが、マニラ首都圏にはフィリピン映画振興評議会(Film Development Council of The Philippines、以下、FDCP)併設のシネマテーク・センターや国立フィリピン大学(University of The Philippines、以下、UP)フィルム・インスティテュート内シアターの他に、シネマ・センテナリオほか民間のミニ・シアターが三か所、さらにはFDCPの地方支部に併設されるかたちで、北からバギオ、イロイロ、ダバオ、ザンボアンガの各都市に小規模ながらインディペンデント映画を常時上映する拠点となるシネマテークが設立されている。

 しかしUPフィルム・インスティテュート所長のパトリック・カンポスは、The End of National Cinema: Filipino Film at the Turn of the Centuryの中で、特にシネマラヤがフィリピンのインディペンデント映画史の中で果たした役割の圧倒的な大きさについて解いている。

 二〇〇五年当時を振り返り、一部の例外を除き、その時点でフィリピン映画、それもインディペンデント映画に注目していた外国人はそれほど多くはなかったと思われる。私自身もたまたま二〇〇五年七月一二日に国立フィリピン文化センター(Culture Center of the Philippines、以下、CCP)においてシネマラヤのオープニングを目撃するという、今から思えばこの上ない僥倖に巡り合えたわけだが、当時からフィリピンのインディペンデント映画に注目していたわけではない。しかし国際文化交流という仕事でフィリピン文化に触れる機会を重ねるごとに、フィリピン人のアートへの情熱、特に若い創り手たちの時に熱狂的ともいえる姿を目の当たりにするにつれて、どこか日本の同世代のアーティストとは異なるモチベーションや存在理由があるのではないかと思うようになった。そしてそれ以来、インディペンデント映画は私にとってそのテーマを探求する、よき道標となった。

 インディペンデント映画についての確固とした定義はないが、前出のパトリック・カンポスは「“インディペンデンス”とは、あらゆる専制的な主張を拒み、アイデンティティに対する問題提起によって立つものであり、その言葉は現在様々なかたちで進行している国民映画(ナショナル・シネマ)を語るときに欠くことのできない重要な要素である」と述べている。

 フィリピンは若者であふれかえる国である。二〇一九年四月時点での人口は約一億七〇〇万人で、平均年齢は約二四・三歳。日本の平均年齢は四六・三歳なのでおおよそ半分ということになる。また経済成長の指標である人口ボーナスにしても二〇五〇年まで続くと予想され、すでに一九九〇年代初頭にバブル経済が終焉して人口ボーナスの途切れた日本とは、国民国家を形成するもととなるそこに暮らす人々の世代構成が大きく異なる。この本でもたびたび扱う極端な貧富の格差など社会を不安定にする要素は存在するものの、今後もますます経済成長を約束された将来のある国である。高度資本主義の時代となり、「成長神話」が過去となってなかば目標を失いかけた日本とは異なる社会。またフィリピンの文化的催事に行くとよく体験する、国家斉唱の際、老いも若きもみな右手を胸に当てて国家を歌う姿からあふれる愛国心。さらに自らは非常に貧しくても、ポケットの中にある五ペソ(約一〇円)を自分よりさらに貧しい者に差し出す相互扶助の精神。町のそこかしこで目にする光景は、フィリピンという国の成り立ちとそこに住まう人々をとても魅力的に見せた。そんな状況の中で生まれてくるフィリピンのインディペンデント映画の隅々にも、この国の成り立ちが生き生きと表現されていた。そうしてフィリピンの映画に惹き込まれてゆく中で、映画が語る渇望のようなものを感じるようになった。渇望、それはある種の飢えに由来する、心の根から発せられる希望のようなものであると思われた。本書ではその渇望の本源について考察したいと考えている。

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著者紹介
鈴木勉(すずき べん)
1963年生まれ。
1986年早稲田大学第一文学部卒 国際交流基金アジアセンター参与
一般財団法人フィリピン協会評議員
国際文化交流、フィリピン文化研究
著書に 「フィリピンのアートと国際文化交流」(水曜社、2012年)、
共著に「フィリピンを知るための64章」(明石書店、2016年)、
「東南アジアのポピュラーカルチャー」(スタイルノート、2018年)など。

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