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ベトナムのカオダイ教

新宗教と20世紀の政教関係

ベトナムのカオダイ教

植民地期に生まれ、大戦、対仏、対米の戦乱など、波乱に満ちた政治情況下、しぶとく生き延びてきた教団の「生命力」の源泉に迫る。

著者 北澤 直宏
ジャンル 人類学
民俗・宗教・文学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2021/02/20
ISBN 9784894892712
判型・ページ数 A5・276ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

カラー口絵

まえがき

序章

一 はじめに
  ベトナムにおける近現代
  ベトナム宗教概観
二 カオダイ教
  カオダイ教の起源
  教団史
  教団組織
  教団のカリスマ
三 研究手法と射程
  研究手法
  ベトナム近現代史研究
  南ベトナム行政研究
  宗教研究
四 本書の構成

第一章 ベトナム共和国・第一共和政期

一 第二次世界大戦後のカオダイ教
  “国家”運営のはじまり
  フランスの撤退
  教派勢力との衝突
二 ベトナム共和国の樹立
  タイニン省における行政改革
  反体制派の行方
  カオ・ホアイ・サンの代表就任
三 第一共和政期における「宗教」とは
  共産勢力の活発化
  サン体制下の教団
四 第一共和政の崩壊
  仏教事変
  第一共和政における政教関係

第二章 ベトナム共和国・軍事政権期

一 軍事政権の誕生
  教団の内紛
  ヴィンとタット
二 世俗との繋がり
  省長による介入
  聖俗の結び付き
  タックの神格化
三 宗教政策の不在
  宗教団体からの要求
  カオダイ教の法人化
  中部暴動
  軍事政権期における政教関係

第三章 ベトナム共和国・第二共和政期

一 第二共和政の樹立
  第二共和政とは
  テト攻勢
  ロンホア地区の再開発
二 教団指導体制の変化
  ホー・タン・コアの帰還
  新たなる教団代表
三 「良好」な政教関係
  閣僚の本山訪問
  教団による陳情
  グエン・ヒュー・ルオン上院議員
四 ベトナム共和国末期
  共産勢力による宗教工作
  カオダイ教大会
  戦争の終結
  第二共和政期の政教関係

第四章 ベトナム社会主義共和国期

一 社会主義体制下における変化
  社会主義体制下の宗教事情
  ベトナム戦争後
  反政府運動
  カオダイ令〇一
二 宗教弾圧のはじまり
  宗教改造後
  クーデター未遂
  地方末寺の管理
三 復興の兆し
  共産党の方針転換
  カオダイ教の公認化
  公認教団の役割
四 今日の展開
  公認宗教制度
  公認化に伴う変化
  叙任を巡る内紛
  純粋な宗教とは
  今日における政教関係
  
終章

  教団史を振り返って
  教団の内紛と国家権力
  ベトナムにおける政治と宗教
  
あとがき

資料・補遺

  資料1 「立教趣意書」における署名者  204
  資料2 カオダイ憲章の比較  206
  補遺(教団関係者略歴)

参考文献

索引

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内容説明

80万信徒を有する宗教団体の100年の歩み
1926年の設立から今日に至る、複雑に混淆する教理や人事、波乱に満ちた政治社会情況との紆余曲折を丹念に解き明かした労作。植民地期に生まれ、大戦、対仏、対米の戦乱、そして宗教弾圧の中、今日までしぶとく生き延びてきた教団の「生命力」の源泉に迫る。

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まえがき




 日本とベトナムの関係が、「歴史上かつてないほど良好」と評されるようになって久しい。実際に二〇一〇年代を振り返ってみても、政治的・経済的な結び付きは年々強固なものとなり、人的往来も増加の一途を辿った結果、日本で生活するベトナム人の数は一〇倍強にまで急増している。街中でベトナム語を見聞きする機会が増えつつある一方、この両国関係が、僅か四半世紀という極めて短期間に構築されたものである事実は、さほど知られていない。

 そもそも、日本と現在のベトナム社会主義共和国の前身、ベトナム民主共和国(通称:北ベトナム)が国交を結んだのは一九七三年になってからであり、実際の交流が開始されるようになったのは、ベトナムに対する経済制裁が解除された一九九〇年代以降である。もちろん、それ以前から日本はベトナムとの関係を有していたが、その相手は北ベトナムと戦争を繰り広げていた、ベトナム共和国であった。その立地から南ベトナムとも呼ばれた同国は、東西冷戦の最中である一九五五年に誕生し、アメリカをはじめとする西側諸国からの支援を受けながらも戦争に敗れ、一九七五年に崩壊した。そして、このベトナム戦争に勝利した北ベトナムは、翌一九七六年に南北統一を果たし、今日に至るまでベトナム共産党による一党独裁体制を堅持している。

 そのため、二〇世紀のベトナム史は、一九三〇年に設立された共産党の歴史として描かれることが多い。至るところで、共産党が「自由と独立のために、フランス植民地主義や日本ファシズム、アメリカ帝国主義と戦った」ことが繰り返され、同時に「腐敗・堕落した傀儡(南ベトナム)政府を打倒し、祖国統一を成し遂げた」ことが強調される。確かに、これらは勝者である共産党にとっては全て“歴史的事実”であろう。しかし言うまでもなく、多宗教・多民族国家であるベトナムの歴史とは、必ずしも共産党史と同義ではないはずである。

 その象徴が、本書で扱うカオダイ教である。一九二六年、フランス植民地下のベトナム南部で成立したこの宗教は、誕生直後から神託を通して影響力を拡大させ、その過程では歴代のベトナム政府のみならず、フランス・日本・アメリカら諸外国とも折衝を重ねながら独自の政治・社会運動を展開してきた。今日のベトナム社会においても大きな存在感を放っており、国内第四位となる八〇万人の信徒を有する宗教団体として政府と蜜月関係を構築すると同時に、本山が位置するタイニン省は国内屈指の宗教都市として多くの人々を惹き付けている。また、近年では越僑が多いアメリカやオーストラリアを中心に国外での活動にも力を入れている他、SNS上への進出も著しい。

 このように、今日でこそ多彩な活動を見せているカオダイ教であるが、その歩みが常に順風満帆だったわけではなく、むしろ一〇〇年近い歴史の中でカオダイ教は、しばしば歴代政府との対立をも経験してきた。例えば、ベトナム戦争後の一九七五年から九〇年代にかけての教団は、宗教を敵視する共産党から激しい弾圧を受け活動縮小を余儀なくされている。しかし一方でこれは、既に触れられることのない過去の話と化していることも否めない。依然として一連の出来事を記憶している者たちもいるが、少なくとも政府と教団が公の場でそれに言及することはなく、仮に事実を検証しようとする者がいれば政治罪が適用されてしまうからである。

 もっとも、長らく独裁政治が続いているベトナムにおいて、当事者たちが敢えて触れない政治的タブーが数多く存在していることは当然であろう。しかしこの単純な推測は、今日のベトナム社会を語る上で共有されている「宗教の復興」という認識に疑問を投げかけるものである。政治介入を前提とすれば、社会主義体制下にありながら、何故カオダイ教団は教勢を拡大させているのか。より踏み込んで言えば、そもそも今日の教団は復興前のものと同じなのだろうか。タブーの存在が示唆しているように、そこに高度な政治性があることは想像に難くなく、それ故に、この解明なくしてはベトナム社会に「宗教の復興」を位置付けることは出来ないのである。

 以上の問題意識に基づき、本書は以下二つの作業を通してベトナムの政教関係を考察していく。一つ目の作業は、歴代政府による宗教政策の意図並びに宗教行政の実態把握である。多宗教国家であるベトナムが国内統治を図る上では、歴史的に宗教団体への対策が重要視されてきた。では、本書が分析対象とするベトナム共和国(一九五五―一九七五)・ベトナム社会主義国(一九七六―至現在)という異なる国家制度が採用してきた宗教政策には、どれ程の違いが存在しているのか。公文書を用いて宗教を巡る内政事情を明らかにすることで、ベトナムにおける国内統治の実態を描くことが可能となる。

 それと同時に、カオダイ教団の側から宗教政策を捉える作業も必要である。教団は、如何なる思惑とともに歴代政府をはじめとする世俗権力と交渉し、自らの勢力を保とうとしてきたのか。幹部たちによる議論とその決断を通して、教団内における意思決定過程並びに権力構造を明らかにする。また、この二〇世紀は、神託を核として誕生したカオダイ教が、徐々に脱魔術化を果たしていく過程でもある。教団内権力の実態を把握することは、カオダイ教自身の変容を理解することにも寄与するだろう。

 そして、これらの作業から導かれるのは、近代国家形成過程のベトナムで展開されてきた、「宗教」を巡る政府・教団間の駆け引きである。近現代ベトナムが経験してきた社会変動の中で、カオダイ教団はいかなる変化を余儀なくされてきたのか。また、今日生じている「宗教の復興」以前にはどのような衰退があり、更にそれ以前にはどのような宗教事情が存在していたのか。数十万の信徒数を誇る宗教団体に焦点を当て、その政教関係史を解き明かすことは、カオダイ教の実態のみならずベトナムの政治・社会状況の変遷を描き出すことを意味している。

 また、ここで描かれるカオダイ教団史及び政教関係史は、ベトナム公定史観の相対化を射程に入れたものである。ベトナム共産党と同時期に設立され、二〇世紀の混乱を乗り越え今日まで活動を継続してきたカオダイ教団は、共産党により創られた歴史観を相対化できる稀有な存在でもある。戦争の敗者でもある南部を舞台として、政治体制や個人ではなく組織に焦点を当てて歴史を再構築することは、従来とは異なる角度から同国の近現代史を描く試みとなるだろう。


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著者紹介
北澤直宏(きたざわ なおひろ)
1984年生まれ。
2016年、京都大学大学院アジア・アフリカ地位研究研究科博士課程単位取得退学。博士(地域研究)。
専門は、ベトナム地域研究、宗教社会学。
現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 特任研究員、東海大学教養学部 非常勤講師、日本女子大学文学部 非常勤講師。
日本学術振興会特別研究員(DC2)、在ホーチミン日本国総領事館 専門調査員を経て現職。
主な業績:「“解放”後ベトナムにおける宗教政策──カオダイ教を通して」(『東南アジア研究』50巻2号、2013年)、「ベトナム共和国第一共和政における「宗教」概念の導入──カオダイ教の変質から」(『東南アジア 歴史と文化』第44号、2015年)、「ベトナムの政教関係──戦争と社会主義の下で」『アジアの社会参加仏教──政教関係の視座から』(北海道大学出版会、2015年)、「日越仏教関係の展開──留学僧を通して」『アジア遊学(196) 仏教をめぐる日本と東南アジア地域』(勉誠出版、2016年)、「近現代ベトナムにおける宗教と社会活動──新宗教カオダイ教の事例から」(『宗教と社会』第23号、2017年)など。

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