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「越境」する改宗者 別巻25

モリスコの軌跡を追って

「越境」する改宗者

「レコンキスタ」の結果、空間も信仰も越えざるをえな くなった改宗ムスリム= モリスコの、複雑なアイデンティティを跡づけた労作

著者 押尾 高志
ジャンル 歴史・考古・言語
シリーズ ブックレット《アジアを学ぼう》 > ブックレット〈アジアを学ぼう〉別巻
出版年月日 2021/10/25
ISBN 9784894892996
判型・ページ数 A5・68ページ
定価 本体800円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに
   1 ジブラルタル海峡は「世界の果て」か
   2 モリスコ前史
   3 追放された、更にその先で

一 空間的・信仰的「移動」と改宗者たち
   1 移動する改宗者たち
   2 ユダヤ人(セファルディ)
   3 「背教者」

二 「隠れムスリム」か、新キリスト教徒か
   1 モリスコ共同体内部の多様性
   2 維持される伝統、変わる伝統
   3 イスラームとキリスト教の「融和」の試み
   4 モリスコのディアスポラ

三 追放者たちの歴史は続く
   1 マグリブへの「移民」の波と強制改宗の記憶
   2 都市テトゥアンの再建とモリスコの入植
   3 モリスコと現地社会、王朝との緊張関係

おわりに

注・参考文献
略年表

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内容説明

改宗ムスリムの追放とディアスポラ
「レコンキスタ」の結末として、強制改宗させられたムスリム=モリスコは、やがてスペイン全土から追放され、ムスリム社会でも苦難に直面し続けた。本書は、空間も信仰も越えざるをえなかった彼らの、複雑なアイデンティティを跡づけた労作である。

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 ……一連の強制改宗令によって誕生した改宗ムスリムたちは、モーロ人新規改宗者、モーロ人新キリスト教徒、あるいは一六世紀後半よりモリスコと呼ばれるようになった。モーロ人(moro)という言葉は、中世カスティーリャ語でムスリムを意味し、この単語に縮小辞(isco)が付随した単語がモリスコである。モリスコという言葉は、一五世紀のカスティーリャ王に仕えたモーロ人近衛兵(la guardia morisca)に見られるように、もともとは形容詞的に用いられてきたが、前述の通り一六世紀後半以降はとくに元ムスリムの改宗者を指し示す語として用いられはじめた。

 モリスコのなかには、キリスト教への改宗後もイスラームの宗教的・文化的慣習を保持し続けた「隠れムスリム」も多く存在し、スペインの地中海沿岸地域のバレンシアやグラナダのモリスコ住民は、対岸のイスラーム勢力との交流を維持していた。一方で、積極的にキリスト教社会への統合の道を模索するモリスコたちのなかには、都市官職に就いたり、司祭や修道士になる者も存在したため、モリスコのすべてが「隠れムスリム」であったと認識することは正確ではない。

 とはいえ、当時の王権や教会は、モリスコたちの改宗の真偽を常に疑い、「隠れムスリム」としてキリスト教信仰を脅かすばかりではなく、イスラーム王朝に与する「第五列(内通者)」となるのではないかと危機感を抱いていた。それゆえ、一六世紀を通じて王権と教会は、異端審問や福音化事業をはじめとする手段を用いて、ユダヤ教徒に加えて新たな「内なる他者」となったモリスコをキリスト教社会へ同化あるいは統合することを試みた。しかし、最終的にこれらの試みが失敗に終わったと王権は判断し、一六〇九~一六一四年にかけてスペイン全土からのモリスコの全体追放令を発布・施行する。これにより、モリスコの多くはマグリブや中東を中心とするオスマン帝国領への移住を余儀なくされた。ここに、八世紀以来の住民であったムスリムの末裔たちは、少数の例外を除いて、イベリア半島から姿を消すことになった。

 一六一四年のモリスコ追放は、たしかにスペインにおけるアンダルスの歴史の終焉を意味したが、モリスコたちが歴史の狭間に消えてしまったわけではない。それどころか、モリスコたちは追放先のマグリブを中心としたイスラーム世界で新たな苦難に直面し続けた。すなわち、キリスト教支配下で一世紀の間暮らし続けたモリスコの外見的・文化的特徴は、移住先のムスリム社会のそれとは当然異なっていたし、アラビア語能力や自身の宗教的帰属の曖昧な者も多く存在したため、今度はムスリムから「よそ者」あるいは信仰の怪しい「改宗者」とみなされることになった。キリスト教社会からの迫害を経験したモリスコ共同体は、ムスリム社会と対峙したときに、再び社会からの疎外を経験することになった。

 モリスコがイスラームとキリスト教の狭間に位置した独自の集団であることは事実であるが、彼らのように異なる信仰の狭間に位置し、西地中海地域を広く移動した集団は他にも存在する。たとえばモリスコに先駆けて、一四世紀末にキリスト教への強制改宗を経験し、一五世紀末にスペインを追放されたユダヤ人や、スペインやイタリアなどの地中海北岸のヨーロッパ地域出身でキリスト教からイスラームへの改宗者で「背教者」と呼ばれる人々がその好例である。

 本書ではモリスコを主な考察対象としつつ、ユダヤ人や「背教者」の事例も視野にいれて、移住や追放などの空間的な移動と改宗や棄教などの宗教的な移動に伴う社会的文化的な変化に、彼らがどのように対応していったのか、その一端を明らかにしたい。

 まず、第一節では、ユダヤ人や「背教者」とよばれる集団について、各集団の空間的移動と宗教的移動に見られる共通点や相違点に注目しつつ概観する。つづく第二節では、スペインにおけるモリスコについて、その集団内部の多様性や、イスラームとキリスト教信仰の狭間に存在したモリスコが、両信仰をどのように理解し、自らの状況に合わせて解釈していたのかを見ていく。最後の第三節では、スペインからの追放後、なかでもモロッコに移住したモリスコがいかに新しい環境に適応していったのかを分析する。

 本書が西洋史と東洋史、あるいはヨーロッパ史とアジア・アフリカ史という既存の研究分野の架橋となり、古くて新しいテーマである「越境」について、多角的な視点から考察するきっかけとなれば幸いである。

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著者紹介
押尾高志(おしお たかし)
1986年生まれ。千葉県出身。
千葉大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程修了。
博士(文学)。西南学院大学国際文化学部講師。主な業績にLos moriscos y su concepto del mundo(Actas del II Congreso Ibero-Asiático de Hispanistas(Kioto, 2013), 2014)、「モリスコの『礼拝手引書』」(『スペイン史研究』30、2016年)、「近世グラナダにおけるモリスコと絹」(『地中海圏都市の活力と変貌』慶應義塾大学文学部、2021年)」などがある。




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