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貝殻が語る環境と人 別巻26

ペルーの海と先史時代の漁撈民

貝殻が語る環境と人

動物考古学の手法を通して、沿岸部から出土する貝塚や遺物から紀元前4000年頃の人々の資源利用や環境変化を描くユニークな報告。

著者 荘司 一歩
ジャンル 歴史・考古・言語
シリーズ ブックレット《アジアを学ぼう》 > ブックレット〈アジアを学ぼう〉別巻
出版年月日 2021/10/25
ISBN 9784894893030
判型・ページ数 A5・64ページ
定価 本体700円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに――考古学でみる自然環境との向き合い方

一 アンデス文明と海
   1 ペルーの自然環境と海洋生態系
   2 文化の興亡と時代区分
   3 海と文明のかかわり

二 クルス・ベルデ遺跡の発掘
   1 調査地の概要
   2 発掘調査の成果と遺跡の形成プロセス
  ◆コラム1 発掘調査の一日
   3 出土遺物と本書で扱うデータ

三 貝殻の動物考古学
   1 動物考古学とは?
   2 種の同定
   3 種の多様度と採集活動の性質
  ◆コラム2 動物考古学の分析作業の楽しさと大変さ
   4 貝殻の大きさと変化の背景

四 環境の変化と適応
   1 貝殻が語るエル・ニーニョ現象
   2 不安定化する海との向き合い方――先史漁撈民の適応戦略
  ◆コラム3 失われゆく文化財とその保護
   3 環境変動と「ゴミ捨て場」の変化

おわりに――自然に抗わないという生き方

参考文献
あとがき

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内容説明

海から見たもう一つのアンデス文明
高地のイメージが強いアンデスだが、沿岸からも貝塚や多くの遺物が出土する。彼らは何を食べ、どのように暮らしていたのだろうか。本書は動物考古学の手法を通し、紀元前4000年頃の人々の資源利用や環境変化を描くユニークな報告である。

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 ……この中央アンデス地帯をはじめ、南アメリカ大陸に住む人々の祖先は、紀元前一万二〇〇〇年頃、今はベーリング海峡と言われる場所の海底が露出し、陸橋となった場所を渡って、アジアから移り住んできたといわれている。北アメリカ大陸の初期人類が残した遺跡の最新の調査成果は、太平洋沿岸を伝って人々が南下していくような移住モデル[Meltzer 2009]を支持しはじめており、南アメリカの北部でも初期人類の痕跡が沿岸部で報告されている[Dillehay et al.2012a]。これに従えば、初期の人類の中にはとくに沿岸部の環境に適応した集団がすでに存在したと推察できるわけだが、人々はどのようにして沿岸部以外の様々な環境に定着し、異なる生態環境をまたいだ相互交流を実現するに至るのであろうか。比較的移動性の高い生活をしていた人々が定住性を高め、集団の規模を大きくしていったのであろうか。また、社会の組織が複雑になっていくプロセスはどのように生じるのだろうか。それらの謎を解く鍵は、人が環境とどのように向き合い、変化していく状況の中で試行錯誤を繰り返してきたのかという点にあるだろう。なぜなら、人々の生活様式は日々のなりわいに大きく左右されるものであるし、その労働組織は集団を形作っていくうえでの基礎となると想定できるからである。試行錯誤の中で変化していく資源利用の在り方は、人々の関係性をも変化させていく契機になるはずだ。

 このような関心をもって、私が調査地として選定したのは、ペルー北海岸の沿岸に位置するクルス・ベルデ遺跡である。(…中略…)アンデス文明を形成してきた人々は、山岳部から海岸部までの様々な環境をうまく利用してきた。太平洋に面するペルー沿岸は、世界でも有数の漁場として知られ、豊富な海産資源の存在がアンデス文明を語るうえで欠かせない要素であることが研究者の間で広く共有されている。さらにいえば、現状の調査データを見渡したとき、共同祭祀場のようなモニュメントは海岸部で先行して建設されはじめることもわかってきた[Fuchs et al. 2009]。このように、アンデス文明と海の間には深い関わりがあったと考えられるわけだ。

 私が二〇一六年と二〇一七年に実施した計二シーズンの発掘調査によって、クルス・ベルデ遺跡は紀元前四〇〇〇年頃に形成された貝塚、つまり廃棄された貝殻や動物の骨が小さな丘のように積みあがったゴミ捨て場であったことが明らかになった。多くの埋葬もみつかったほか、石器をはじめ、骨や貝で作られた道具類といった多様な考古遺物が出土しているが、やはりその大部分を占めるのは、海生哺乳類(海獣)や鳥類、魚類を中心とする動物骨と貝殻などである。考古学では、これらの遺物を総じて食糧残滓(ざんし)と呼ぶ。食糧残滓は過去の人々の生活を復元するうえで重要なデータとして扱われている。遺跡から出土したのが、たとえ魚の骨のひとかけらだとしても、その魚種を同定することができれば、当時の人たちが何を食べ、どのような環境に住み、どのように漁を行っていたのかということまで知ることができるのである。このように考古学とは、過去の人々が残した小さな物証を積み重ねることで、文字資料としては残らない人間の行動に迫っていく学問といえる。その物証は、崩れた建造物や放棄された品々にはじまり、使用した道具に残されるキズなどの痕跡に至るまで様々である。それを用いて当時の生活を少しずつ再現していく作業は、刑事ドラマに出てくる鑑識の仕事さながらである。しかし、いま、出土した考古遺物について逐一謎解きの道程をなぞっていては紙幅が尽きてしまうので、本書では遺跡から大量に出土する貝殻に注目してみたい。珍しい形をした貝やきれいな色をした貝ならば、おみやげ物にもなりそうなものだが、スーパーで買ってきたアサリの貝殻を普段から集めている人はいないだろう。本書で扱うのは、そうして私たちがあっさり捨ててしまうような、なんの変哲もない貝殻である。そんな貝殻一つで何がわかるのかと思われるかもしれないが、貝殻というものは、実のところ、過去の人々の活動や当時の環境について雄弁に語ってくれるのだ。

 本書では、動物考古学の手法を通じて、ペルー沿岸部のクルス・ベルデ遺跡から発掘された「貝殻」が語る、紀元前四〇〇〇年頃の人々のくらし、資源利用の在り方や環境の変化に焦点を当て、小さな物証の積み重ねから大きなできごとを探る考古学という学問の魅力を紹介していきたい。では、長い時間をかけて環境に向き合ってきた人類の、試行錯誤のプロセスの一端を繙いてみよう。

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著者紹介
荘司一歩(しょうじ かずほ)
1989年、神奈川県生まれ。
総合研究大学院大学文化科学研究科博士後期課程単位取得退学。修士(文学)。
現在、国立民族学博物館外来研究員、山梨大学非常勤講師。
主要論文に「「クルス・ベルデ遺跡出土遺物からみたペルー北部沿岸地域における古期の動物利用と変化」(『古代アメリカ』第22号、2019)、La utilización de recursos malacológicos en el período Arcaico: una perspectiva del sitio arqueológico Cruz Verde, Valle Chicama(ARQUEOBIOS第12号、2017)など。





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