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台湾原住民族研究の足跡

近代日本人類学史の一側面

台湾原住民族研究の足跡

伊能嘉矩、森丑之助、馬淵東一らが繋いだ研究の松明、それはまた日本人類学の骨格にも至る濃密な現地/人との交流でもあった。

著者 笠原 政治
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2022/02/10
ISBN 9784894893061
判型・ページ数 A5・344ページ
定価 本体3,600円+税
在庫 在庫あり
 

目次

 序

●第一部 総論

 第一章 台湾原住民族研究小史──文化人類学を中心に
    一 清国時代までの記録(─一八九五年)
    二 日本統治時代(一八九五─一九四五年)
    三 第二次世界大戦後(一九四五年―)

●第二部 先駆者 伊能嘉矩

 第二章 伊能嘉矩とその時代──初期研究史への測鉛
    一 序──伊能嘉矩への関心と無関心
    二 人類学を学ぶ
    三 在台十余年
    四 山地および東部の原住民族調査について
    五 原住民族研究の業績について
    六 文化人類学の源流

 第三章 台湾原住民族を俯瞰する──伊能嘉矩の集団分類をめぐって
    一 台湾全島調査
    二 『台湾蕃人事情』と「種族」の分類
    三 原住民族を俯瞰する
    四 「熟蕃」・「生蕃」と平埔族
    五 その他の問題
    六 鳥居龍蔵の原住民族分類
    結 語

 第四章 伊能嘉矩の原住民族分類における諸種の資料源
    一 清国時代の漢語文献
    二 ジョージ・テイラーの分類
    三 二人の日本人研究者による東部原住民族の分類
    結 語

●第三部 森丑之助――忘れられた研究家

 第五章 森丑之助と台湾原住民族の分類
    一 森丑之助の原住民族研究
    二 種族の分類、種族内部の分類
    三 問題点
    結 語

 第六章 師・友人・訪問者たち──森丑之助の研究を支えた人びと
    一 森丑之助を学術探検に導いた台湾研究の先駆者たち
    二 台湾における交友関係
    三 訪問者その他

 第七章 佐藤春夫が描いた森丑之助
    一 大正九年夏、台北
    二 佐藤春夫の台湾旅行
    三 「霧社」に描かれた森丑之助
    四 「魔鳥」その他
    五 その後の消息

●第四部 『台湾高砂族系統所属の研究』を読む

 第八章 名著『台湾高砂族系統所属の研究』をどう読むか(前篇)
    一 小さな研究室
    二 実地調査(一九三○―三二年、昭和五―七年)
    三 執筆の分担について
    四 続いた「嘱託人類学」

 第九章 名著『台湾高砂族系統所属の研究』をどう読むか(後篇)
    一 刊行以後
    二 資料としての系譜と口碑
    三 移動の跡を探る
    四 「高砂族の移動および分布」
    結 語

 第十章 馬淵東一とエスノヒストリーの研究
    一 原住民族の調査に没頭した一九三○年代
    二 『系統所属の研究』にどれだけ貢献したのか
    三 社会人類学へ
    四 「高砂族の移動および分布」について
    五 原住民族の分類
    結 語

●第五部 ルカイ(魯凱族)研究史─南部山地住民の分類をめぐって

 第十一章 幻の〈ツァリセン族〉
    一 「私たちはどの〈族〉なのか」
    二 伊能嘉矩と「ツァリセン族」
    三 「パイワン族」に含められて

 第十二章 〈ルカイ族〉の誕生以後
    一 台北帝国大学が創設されて
    二 『台湾高砂族系統所属の研究』とルカイ(魯凱族)
    三 鹿野忠雄の分類
    四 第二次世界大戦後の研究
    結 語

 謝辞

 参照文献/図表一覧/索引

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内容説明

100年にわたる研究史の骨格を示す
先駆者・伊能嘉矩、踏査の鬼・森丑之助、人類学の巨人・馬淵東一らが繋いだ研究の松明、それは同時に、日本人類学の骨格にも至る、濃密な現地/人との交流でもあった。本書は、その後を繋いできた著者による研究の「集大成」であり、「温故知新」すなわち研究史の総括・初学者への入門書でもある。

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 本書には台湾原住民族の研究史を扱った一連の論文が収録されている。どの論文もここ二◯年余りの間に書籍や専門雑誌に発表したものである。
 
台湾で現在「原住民族」と呼ばれている人びとは日本や日本人と歴史上の関係が深い。この原住民族に関する研究も、日本統治時代の五○年間(一八九五─一九四五年)にさまざまな形で基礎づくりが行われた。第二次大戦後の研究は中心が台湾の学術界に移り、それに日本および少数ながら他の外国からも専門家が加わって現在まで進展してきたが、本書で取り上げるのは大部分が戦前の日本統治時代に活躍した人物とその著作である。台湾原住民族の研究史といっても、主として研究活動の黎明期と比較的早い時期に焦点を合わせることになる。

 昨年、台湾で私の翻訳論文集『日治時代台灣原住民族研究史』(国立台湾大学出版中心、二○二○年)が出版された。著名な歴史学者である畏友・呉密察氏から「台湾研究叢書」の一冊として原住民族研究史に関する著書を出さないかと声をかけられて、それに応じた私が全体の論文構成を考え、翻訳者は私と同じ東京都立大学大学院で博士号を取得した陳文玲さんに決まった。そうして出来上がったのが右の訳書である。ただし、そこに収録した論文の構成は台湾で出版をするために新しく考え出したものであり、日本語による同じ内容の単行本が以前から存在していたというわけではない。そこで、順序がいささか変則的になってしまうが、今度は日本語版としてその訳書に基づく単行本を刊行することにしたのである。台湾向けの本と日本向けの本とでは註や本文の説明に少しだけ修正を要する箇所があること、本書の方に追加した若干の図や写真が含まれていることなどを別にすれば、その訳書と本書は内容が基本的には変わらない。

 以下、私が台湾原住民族の研究史に着目するようになった経緯と、ここに収録した各論文の趣旨について述べておこう。

日本統治時代の研究史を探る

 台湾原住民族の研究は日本統治時代の初めから現在まですでに一○○年以上の歴史を有するが、その全期間を視野に収めた本格的な通史は日本でも台湾でもいまだに書かれたことがない。本書には第一部の第一章として、入門者用に書いた概要紹介の一文を「台湾原住民族研究小史」と改題して収録した。日本では、一九九四年に台北の順益台湾原住民博物館から助成を受けて日本順益台湾原住民研究会という研究グループが発足し、活動の一環として一九九八年に一般読者向けの入門書『台湾原住民研究への招待』を刊行した。そのときに同書に載せたのがこの一文である。ここでは、初出の時点からすでに二○年以上が経っていることを考慮して「近年の動向」と題する補足の項目を新たに書き加えた。研究史の概説として記載事項が必ずしも十分とはいえないが、この第一章は以下の各章を理解するための一助となろう。

 本書に収録した他の論文は、内容が日本統治時代の原住民族研究史に関する記述と考察にほぼ限られている。私がそうした過去の研究に目を向けるようになったのは次のような一連の経緯があったからである。

 一九七七年に初めて台湾を訪れてからしばらくの間、私は毎年のようにプユマ(卑南族)やルカイ(魯凱族)の村々で実地調査を行った。まだその頃には、日本統治時代の研究や記録を個別に参照することがあっても、それらを聴き取り調査のための補助的な資料と考えていただけである。また、大学の内外で謦咳に接する機会の多かった人類学者の馬淵東一先生を別にして、日本統治時代に原住民族の研究で活躍した人物に対して特別な関心を寄せていたわけでもない。

 大きな転機になったのは二つの写真復刻プロジェクトに携わったことである。日本では一九八○年代の後半に、人類学者の鳥居龍蔵が一九世紀末の台湾で撮影した原住民族の写真と、言語学者の浅井恵倫が一九三〇年代とその前後に台湾の各地で撮影した写真をそれぞれ再生するという研究計画が立てられ、私はそのどちらにも画像鑑定チームの一員として加わった。鳥居も浅井も、各写真の被写体に関して文字の記録をごく僅かしか残していない。画像の鑑定に際して求められたのは、撮影当時の原住民族とその暮らし、撮影者とその調査活動などを理解するための具体的な知識である。それらの写真復刻を通して、私は過去の研究者が行った実地調査や研究の時代背景などに目を向け始めることになった。復刻された写真については、前者が『鳥居龍蔵博士撮影写真資料カタログ』全四冊[鳥居龍蔵写真資料研究会編 一九九○]、後者が『台灣原住民族映像:浅井惠倫攝影集』[笠原編(楊譯)一九九五]として後にそれぞれ公表された。

 また、台湾では一九九○年代から日本統治時代の記録や研究に対する関心が高まり始め、学術界を中心にさまざまな動きが現れてきた。その一つが、歴史学者の呉密察氏を中心に進められた国立台湾大学所蔵の伊能嘉矩資料に関する研究である。同大学図書館では一九九八年にこの台湾研究に先駆的な業績を残した日本人を記念して「伊能嘉矩與臺灣研究特展」という展示会が開催され、私は講演者の一人としてその開幕式に招かれた。呉氏から指定されたのは伊能の原住民族研究に関する講演であった。本書には、そのときの原稿に基づく論文「伊能嘉矩とその時代」を第二章として収録した。伊能の台湾研究については以後も若手の歴史学者・陳偉智氏が論文を次々と発表し、数年前にはそれらの集大成となる著書『伊能嘉矩』を上梓した[陳(偉)二○一四]。

 一九九○年代の目立った動きとしてもう一つ、有名な登山家であり、また作家・郷土研究家でもある楊南郡先生の精力的な翻訳活動を見落とすことができない。私は先に述べた浅井恵倫の写真集『台灣原住民族映像』を台湾で出版したときに、幸いにも日本語部分の翻訳を引き受けられた先生の知遇を得ることができた。紹介者は台北の書肆・南天書局の魏德文氏である。当時の楊先生は鳥居龍蔵、伊能嘉矩、森丑之助の翻訳論集シリーズを刊行することに没頭中だった。そして、そのシリーズ最後の一冊である『生蕃行脚』が完成した後、日本でも同書の巻頭を飾った評伝「學術探險家森丑之助」の邦訳を中心にして『幻の人類学者 森丑之助』[楊(笠原・宮岡・宮崎編訳)二○○五]という単行本が出版された。そこに寄稿したのが本書の第六章「師・友人・訪問者たち」、第七章「佐藤春夫が描いた森丑之助」の二篇である。学術界とは縁の薄い研究家であったこの森という人物には謎が多く、関連する資料も乏しい。右の二篇は主たる内容が森の台湾における交友録であるが、それらもまた原住民族研究史の一面を知るための手掛かりとして役立つことであろう。

原住民族の分類

 本書には日本統治時代の原住民族分類を主題にした論文が多い。この問題について考えるときに、私がつねに念頭に置いてきたのは戦後に書かれた馬淵東一の論文「高砂族の分類」[馬淵 一九五四a]である(その翻訳が楊南郡譯註『臺灣原住民族移動與分布』[二○一四]に収録されている)。

 ところが、南部山地の屏東県霧台郷を中心にルカイ(魯凱族)の村々で訪問調査を繰り返しているうちに、私は同論文の中では十分に説明されていない一つの問題に強い拘りを持つようになった。それは、隣接するパイワン(排湾族)との関係である。ルカイとパイワンに、社会階層の秩序や衣服、彫刻などの造形文化に関して著しい同質性が見出されることは研究者の間でよく知られている。両者の境界地域を見渡すと、はたして明確な相違点があるのか否か、外来者にはなかなか見分けのつかない事象も多い。では、日本統治時代の研究者たちはそうしたルカイとパイワンの関係をどのように理解していたのだろうか。

 そのような関心からルカイの研究史を辿ってみたのが、第十一章の「幻の〈ツァリセン族〉」、第十二章の「〈ルカイ族〉の誕生以後」という二篇の論文である。・・・・(中略)

『台湾高砂族系統所属の研究』

 一九三五(昭和一○)年に台北帝国大学の研究者たちが同時に刊行した二つの大著、土俗・人種学研究室の『台湾高砂族系統所属の研究』[移川・宮本・馬淵 一九三五]と言語学研究室の『原語による台湾高砂族伝説集』[小川・浅井 一九三五]は、日本統治時代に行われた原住民族研究の最高峰と評されることが多い。いうまでもなく、そのうちの前者が人類学の研究である。

 けれども、『台湾高砂族系統所属の研究』という研究書は記述全体がきわめて複雑で多岐にわたるため、どの部分を取り出しても実に分かりづらい。現地事情に通じている一部の専門家にしか読もうという意欲がなかなか湧いてこないであろう。研究史の上では有名でありながら、おそらく今までにこの大著を繙いたことのある研究者は必ずしも多くなかったと考えられる。・・・・(中略)

本書の構成について

 台湾の日本統治時代は、大まかな区分として明治期(一八九五─一九一二年)、大正期(一九一二─一九二六年)、および昭和期(一九二六─一九四五年)の三つに分けられる。邦暦は馴染みが薄いという人もいるだろうが、この時期区分を目安にすると本書の構成をうまく示すことができる。

 台湾原住民族の研究史において、伊能嘉矩は明治期の、また森丑之助は大正期の、それぞれ代表的な人物である。『台湾高砂族系統所属の研究』は昭和期の最も重要な研究成果の一つといってよい。本書ではそのような時系列に沿って収録論文を配置し、第一部の総論に続けて、第二部を明治期、第三部を大正期、第四部を昭和期に概ね対応させることにした。そして、具体的な一つのケース・スタディとして示したのが第五部のルカイ(魯凱族)研究史である。各論文を発表した年の順序が前後してしまうが、もし初出年を確かめる必要があれば、どの論文でも末尾に掲載書籍・雑誌名と併せて記載してある。

 本書に収録した論文の中で記述が重複した場合にはできるだけ該当する部分を削除するなどして本文を整理し、意味が分かりにくいと判断した箇所では文言や表記法を修正した。また、先述した通り総論に当たる第一章に短い補足項目を追加した他に、第五部のルカイ研究史に含めた第十一章、第十二章の二論文についても、すでに発表後およそ二○年が経っていることを考慮してどちらも大幅に改稿をした。ただし、どのように修正をした場合でも、各初出論文の発表以後に刊行された著作の内容や新たに得た知見を本文の中に付け加えてはいない。

 最後に、本書で用いるいくつかの言葉について述べておきたい。

 日本統治時代の文献には「蕃」の付く語が多く見られ、ときには「支那人」という呼び名が出てくることもある。それらが不適切な用語であることはいうまでもない。しかし、主として日本統治時代の研究史を扱う本書でそのような用語を現在の状況に合わせて個別に書き換えてしまうと、かえって当時の言語表現を曖昧にしかねないだろう。本書では「 」を付けて「蕃」、「蕃族」などの語を文献資料の通りに使った所が少なくない。ご寛恕を願う次第である。

 また、「種族」とその内部区分の単位を指す「部族」という語は台湾総督府が公式文書などで盛んに使い、学術研究でも広く定着していた。どちらの用語も今日の日本語文献ではほとんど見かけなくなっているが、本書の主たる内容は日本統治時代の原住民族研究史なので、やはり多くの場合に当時の用例に即して「種族」と「部族」という語を踏襲することにした。

 この拙著が、台湾原住民族の研究に少しでも資することになれば幸いである。



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著者紹介
笠原政治(かさはら まさはる)
1948年、静岡県生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。専攻は文化人類学。
現在、横浜国立大学名誉教授。
主著書として、『台湾原住民族映像』(台北・南天書局、1995年、編著)、『アジア読本 台湾』(河出書房新社、1995年、共編著)、『幻の人類学者 森丑之助』(風響社、2005年、共編著)、『〈池間民族〉考』(風響社、2008年)、『馬淵東一と台湾原住民族研究』(風響社、2010年、編著)、『日治時代台湾原住民族研究史』(台北・国立台湾大学出版中心、2020年)など。

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