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「恨〈ハン〉」とは何か?

韓国の文化的アイデンティティを読み解く

「恨〈ハン〉」とは何か?

文学・巫俗、民衆神学・民主化運動、火病・甑山教、そして映画。1970年から今日まで50年間の「恨〈ハン〉」の言説をたどる。

著者 上別府 正信
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2023/01/20
ISBN 9784894893283
判型・ページ数 A5・496ページ
定価 本体3,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに

Ⅰ 序論:恨とは何か?

  1.恨という鍵概念の存在
  2.恨とは何か。その語られ方。
  3.本書の構成

Ⅱ 恨 の定義:恨の言説に関する研究

  1.主な恨の言説  33
  2.恨の概念、及び構造に関する言説
  3.恨の歴史的起源に関する言説

Ⅲ 韓国の文化のコンテクストにみられる恨の概念:韓国的概念としての恨

      【Ⅲの1 1970-80年代の恨の言説】

  1.金素月と恨:恨のイメージの原型としての素月の詩
  2.『春香伝』と恨:虚構の中に構築された恨の典型
  3.パンソリと恨:再発見された恨を表象する芸術
  4.民衆の生活と恨:宗教的救援のシステムとしての巫俗信仰
  5.朝鮮の美と恨:柳宗悦の美術論をめぐる議論とアイデンティティ論の胎動
  6.近代・現代の文学と恨:恨の悲劇性と恨をテーマとした作品
  7.金芝河と恨:闘争的な恨のイメージの起源として
  8.民衆神学、民主化運動と恨:恨の運動理論化と烈士の誕生
  9.火病と恨:火病という研究対象の浮上と火病患者の語りを中心に
  10.甑山教と恨:天地公事、解冤思想、『大巡典經』の中の恨、そのテキスト分析を中心に


      【Ⅲの2 1990年代の恨の言説】

  11.林權澤監督の映画『西便制』と恨:共同幻想としての恨、その熱風と郷愁

      【Ⅲの3 2000年代以降の恨の言説】

  12.メディアと恨:現在の恨の語られ方と言説の浸透

Ⅳ 日本文化のコンテクストにみられる“恨”:「恨とは韓国的概念か」という問いを通して

Ⅴ 結論:韓国のアイデンティティ論としての恨

結論:韓国のアイデンティティ論としての恨

あとがき

参考文献・資料

索引

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内容説明

「韓国的なもの」の根源に迫る
韓国文化のコンテクスト=文学・巫俗・朝鮮の美・金芝河、民衆神学・民主化運動、火病・甑山教、そして映画……。1970年から今日に至る50年間のその言説を徹底整理。個人・社会に通底する「恨」なるものを追究した画期的労作。

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はじめに







 本書は2008年に提出した博士学位請求論文「韓国のアイデンティティ論としての恨:恨の言説の形成過程を中心に」を基に書籍化したものである。提出した博士論文は約40万字というボリュームのため、書籍化にあたり、加筆修正とともに大幅なカットを試み、より読みやすくすることを心掛けた。

 筆者が韓国研究として2000年に提出した修士論文「‘恨’の研究」の序論は次のように始まっている。

 現在、日本と韓国の間には大きな誤解と偏見がある。これは政治的、経済的な側面のみならず、社会的、文化的な側面に至るまで実に多岐にわたっている。これに日本においては植民地支配の贖罪意識と同時に優越意識、韓国においては拭い切れない反日感情と文化的な優越意識、同時に現在の日本に対する憧れにも似た感情という複雑な感情が、両者の理解を一層困難にさせているように思える。また、韓国において流れる日本に関する情報量に比して日本において流れる韓国に関する情報量はあまりに差がありすぎる。勿論、日本と韓国の様々な要因─世界における政治、経済の影響の大きさなど─が異なるために相互同一の情報量であれば良いという訳では勿論ないが、日本、韓国の間で行き交う情報量の差、さらに深刻なのは、お互いの国に対する関心の差であり、これは両国の相互理解を推し進めるときに大きな問題になってくるであろう。

 この時、述べた情報量の差、お互いの国に対する関心の差というものは、2000年以降、想像できなかったほど大きく変化してきた。
韓国においては、金大中大統領の日本文化の開放政策によって、日本のドラマ・映画・音楽などが不法ではなく合法のものとして、ほとんど日常的に接することができるようになり、裏の文化から表の文化へと変化した。インターネット強国を自他共に認める整備されたインターネット環境とそのアクセスビリティの高さは、日本にいるのと同じように日本の情報にアクセスすることを可能としている。これに2002年のワールドカップの日韓共同開催による交流などを起点とした力強い相互交流が行われるようになった。

 日本においても、2002年のワールドカップの日韓共同開催による相互交流は多くの変化をもたらした。さらに、2003年にはNHK BS2の海外ドラマ枠として『冬のソナタ』が放送され人気を博すと、2004年頃からは『冬ソナ』ブームと呼ばれる現象が現われ始め、特に同ドラマの主演俳優のペ・ヨンジュンの人気はすさまじく、“ヨン様ブーム”として日本で大きな話題となった。こういった韓国のドラマ・映画・音楽といったサブカルチャーブームによって、以前には考えられなかったほどの量の情報が行き交い、多くの交流も行われるようになった。一般の人にとって、韓国は焼肉、キムチ、免税店、垢すりに代表されるようなグルメ天国、買い物天国、エステ天国というだけではなく、日本でも受け入れる価値がある注目すべき国として浮上したのである。実際、大学や語学学校などでも韓国語は人気講座となり、受講者が多くて収容しきれないという話を聞くようになった。書店に行けば、韓国のサブカルチャーの雑誌などが溢れている。日本の各テレビ局が地上波でこぞって韓国の連続ドラマを放映するなどということを想像することができたであろうか。勿論、急激に増えた韓流ドラマ枠からの撤退、人気の韓国音楽(K-POP)の歌手、グループの浮き沈みに加えて、李明博大統領の竹島への上陸、天皇謝罪要求などの政治的要因による対韓感情の悪化などの影響から文化のコンテンツ、各種の文化交流が継続して好転し続けてきた訳ではなかったが、日本において、ドラマ、映画、音楽、ファッションなど、韓流は対韓感情の悪化などの変数が現れたとしても、簡単には吹き飛ぶことはないほど既に一つのジャンルとしてしっかりと根を下ろしていることは誰も否定できないだろう。

 以前の状況を考えれば、これは革命的とも言える程の変化である。しかし、多くの情報が行き交い、お互いを意識するようになったものの、日本人にとってその関心とその視点は依然として、日本が忘れてしまったどこか懐かしい人たち、風景といったものなのではないだろうか。それは一種のオリエンタリズムの対象であり、センチメンタリズムに留まっているだけなのではないだろうか。K-POP、韓国ドラマ、韓国映画、さらには韓国料理、韓国コスメなどの韓流がクールなものとして定着しつつあるなか、多くの情報を提供しているマスメディアも商業主義的な姿勢から、ある一定の望むべき韓国の姿といったある種のイリュージョンを流し続けてはいないだろうか。その背後には無邪気な新植民地主義的な香りさえ漂っているように感じるのである。

 日本人は韓国を認識してきてはいるものの、それはまだ極めて表層的なものであり、そこに住んで、生活している人びとに対する関心といったものまでは届いていない気がするのである。情報と交流は増えてきてはいるものの、俗な言葉ではあるが、「近くて遠い国」は依然として「近くて遠い国」のままなのではないだろうか。

 このような現状を少しでも解消するために、韓国・韓国人とはどのような文化的背景を持っているのか、その文化の深層を明らかにしようとすることは極めて重要な課題として残されているのである。




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著者紹介
上別府正信(かみべっぷ まさのぶ)
1970年生まれ。
中央大学 法学部卒、中央大学大学院 総合政策研究科 博士後期課程、及びソウル大学校 人文大学 宗教学科 博士課程修了。
博士(学術) 2008、哲学博士 2011。
韓国の長安大学校、ソウル女子大学校副教授を経て、現在、中央大学政策文化総合研究所客員研究員。
主な業績に『近現代の日韓宗教政策の比較研究:仏教教団の変遷を中心に』(韓国語、『近現代 韓日 宗敎政策 比較硏究:佛敎敎團의 變遷을 中心으로』、知識と教養社、2011)などがある。

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