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ジェンダーと災害の民族誌

変容する農民カーストとネワール社会

ジェンダーと災害の民族誌

カースト制とジェンダー構造が根強いネワール社会で、女性自助組織ミサ・プツァの活動と自立を模索する女性たちの姿を描く。

著者 竹内 愛
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2023/02/20
ISBN 9784894893351
判型・ページ数 A5・290ページ
定価 本体4,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき

●第Ⅰ部 ネワール民族の農民カーストの社会と女性の立場

第一章 マッラ王朝の旧王都パタン──宗教的都市構造とネワール社会構造

   第一節 旧王都パタンの宗教的世界観を具現化した都市構造
   第二節 ネワール民族のカースト制度の特徴
   第三節 仮面舞踊劇カルティック・ピャカンに見るカースト間関係
   第四節 まとめ──都市構造・社会構造と仮面舞踊劇

第二章 ネワール農民カースト「ジャプ」の社会関係

   第一節 ジャプ社会の概要
   第二節 ジャプの家族と親族──Pトール(ローカル・コミュニティ)での参与観察から
   第三節 ジャプ社会の連帯・相互扶助
   第四節 まとめ──ジャプ社会における地域コミュニティの強い絆

第三章 ネワール農民カースト「ジャプ」のジェンダー構造

   第一節 ジャプ女性の日常と非日常
   第二節 ジャプ社会における女性の位置、役割とそれを体現する所作
   第三節 宗教的浄・不浄観からみた女性の位置づけ
   第四節 まとめ──女性の両義性と生涯のサイクル

●Ⅱ部 パタンにおける女性自助組織「ミサ・プツァ」の成立・発展とジェンダー変革

第四章 女性自助組織「ミサ・プツァ」の成立と発展

   第一節 ミサ・プツァ成立とその背景―外的な影響
   第二節 ミサ・プツァの内発的展開と女性たちの活動
   第三節 ミサ・プツァの内発的な発展のメカニズム

第五章 女性自助組織「ミサ・プツァ」の女性、社会への影響

   第一節 女性たちのミサ・プツァとの関わりと生活への影響
   第二節 ミサ・プツァが発揮した社会変革の力
   第三節 行政主導による「金融組合化」への動きとその効果

●第Ⅲ部 地震災害とコロナ禍の中でのミサ・プツァ

第六章 ネパール大震災(二〇一五年)の被災と復興

   第一節 二〇一五年ネパール大地震による被害と公助
   第二節 パタンの被災状況と共助による復旧・復興
   第三節 ネパール大地震後のジャプ女性たちの創造的復興の実践
   第四節 災害に顕在化するカースト間の格差

第七章 COVID–19パンデミックとミサ・プツァ

   第一節 コロナパンデミック禍における災害ケア
   第二節 女性自助組織ミサ・プツァによるロックダウン中の活動

第八章 開発途上地域における新たな女性像──災害レジリエンスとジェンダー

   第一節「災害とジェンダー」研究
   第二節 災害レジリエンスとは
   第三節 「災害とジェンダー」における「もう一つの視点」──災害レジリエンスにおける女性自助組織の役割
   第四節 組織化によって「復興主体」となることができた女性たち

終章 女性の自立のための多様な道筋──ジェンダー人類学の視座から

   第一節 先行研究の検討と問題の所在
   第二節 ネワール女性自助組織の「派生的活動」の意義──ジェンダー構造の変革
   第三節 「個のケイパビリティ」から「集団的ケイパビリティ」へ──組織化の重要性
   第四節 女性自助組織の持つ課題と今後の展望

あとがき

参考文献

コラム:社会学における「開発」「発展」「開発援助」
コラム:ジェンダー


資料:用語説明

索引

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内容説明

内発的開発と女性自立への道
カトマンズ盆地に暮らすネワールは、カースト制とジェンダー構造が根強い。本書は、女性自助組織ミサ・プツァの活動と自立を模索する女性たちの姿を描き、震災とパンデミックという多重災害の中で揺れる、その立ち位置に迫る。

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まえがき





 (前略)
 ネワール社会では、近年、一家に一人は海外留学者や海外出稼ぎ労働者がいるような状況となっており、それが新たな価値観の導入に影響を与えている。また、二〇〇〇年代以後、ネパールのジェンダー関連法も、世界トップレベルのジェンダー平等を目指した内容に改定され、若い人々の価値観は変化してきている。本書では、女性自助組織の展開と活動を中心に置き、フィールドワークで出会った女性たちの、根強い伝統の軛と新たな価値観の間で葛藤しながらも、主体的に生きる姿を描きたい。

 カトマンズ盆地に住むネワール民族は、チベットとインドの間の交易の中継地として栄えたマッラ王朝(一二〇〇─一七六九)を築いた人々の末裔である。カトマンズ盆地のマッラ朝の三王国(バクタプル・カトマンズ・パタン)の一つであるパタンは、一六一九年に、シッディナランシンハ・マッラ王を最初の王とし、マッラ王朝後期に栄えたと言われており、そこに生きるネワールの人びとは、今日までマッラ王朝期からの伝統文化を継承してきた。そのため、複雑な規範を伴う厳しいカースト制とジェンダー構造が根強い。

 ネワールの既婚女性の生活世界は、基本的に、生家と夫の父系出自集団の中に限られていた。女性たちの最大の役割として、夫の父系出自集団を継承する息子を産むことを期待され、日常的には、嫁として、姑から嫁ぎ先の文化を継承し、家族のために尽くすことが期待されてきた。彼女たちは、厳しいジェンダー構造の中で生きてきたのである。

 一九九〇年代になって、NGOと地方行政が、女性の経済的な自立を目的として、パタンで女性自助組織「ミサ・プツァ」を設立した。「ミサ・プツァ」とは、ネワール語で「女性グループ」を意味する。そのプロジェクトは数年で一旦終了した。ところが、二〇〇〇年代、初めはそのプロジェクトで経験を積んだ何人かの女性たちを中心として、続いて、それを見た多くの女性たちが、小グループのミサ・プツァをローカル・コミュニティ(トール:小区)ごとに、次々と自発的に設立するようになった。二〇〇三年から現地でフィールドワークを開始した時から、筆者は、その時の女性たちの活動をリアルタイムで見てきた。とくに、人口が最も多い中位カーストのジャートである農民カースト集団(ジャプ)で、ミサ・プツァの活動が極めて盛んになっていった。

 内発的に結成され発展してきたミサ・プツァは、女性やコミュニティのニーズに合わせてグループ目標を設定し、コミュニティのために奉仕活動を行ってきた。最初は、女性がミサ・プツァの活動に参加することに反対していた男性たちも、ミサ・プツァがコミュニティにとって有益な活動を続けていくにつれて、しだいに協力的になっていった。今や、ミサ・プツァは、コミュニティ運営において無くてはならない存在になっている。

 以前は家庭内に閉じこもっていた女性たちが、ミサ・プツァのグループごとに異なる、美しいサリーのユニフォームをまとって、メンバーであることにプライドを持って活動している。彼女たちは、(伝統社会の価値観に合わせたやり方で活動することで)男性からも支持を得つつ、巧みに自分たちの望む生き方を獲得しつつある。さらに、ミサ・プツァのメンバーの女性たちは、男性たちとうまく付き合いつつ、次第にコミュニティのジェンダー構造をも変革させているのである。

 (中略)

〈本書の目的〉

 断続的ながらも長期にわたってフィールドワークを続けてきたことによって、文献からだけではなかなか解らない、旧王都独特の複雑な社会のしくみ(カースト制、家父長制、ジェンダー構造)や慣習を知ることができた。それらは、根強い浄・不浄観に基づいている。そして、ネワール独特の文化や女性たちの価値観について、社会の内側の視点から理解することが可能となった。とくに、女性自助組織ミサ・プツァの活動を通じた女性たちの新しい活動と生き方の変化を見てきた。その中で、「女性の自立」とは何か、伝統が根強い社会のなかで生きる女性たちが自立するためにはどのような道筋があるのかに関心を強く持った。

 女性たちは、従来は嫁ぎ先の家族・親族の範囲内に閉じこもることが多かったが、ミサ・プツァの活動を通じて、地域での結びつきを強めてきた。ミサ・プツァは、当初は外部から導入された(個々のマイクロファイナンスや職業訓練などによって女性たちの経済的自立とエンパワメントを目的とする)開発プロジェクトであったが、そのプロジェクトが終了したあとに、地域の女性たちのニーズに沿って、多くのグループが内発的に結成された。女性たちは、経済的自立よりも、地域の女性たちとの親睦と相互扶助などを志向してきた。初めは、男性たちの理解が得られなかったが、次第に地域への貢献が認められ、男性と協働した、祭への参画や地域社会の改善などの活動も盛んとなってきた。女性たちの活動が社会のジェンダー構造さえも変革する力を得てきたのである。そして、「開発」本来の目的は達成していないけれど、ミサ・プツァを通してコミュニティ活動に参画することを通じて自己実現を見事に叶えつつあるように見えた。

 そうした過程で、二〇一五年、ネパールで大地震が発生した。パタンでも大きな被害があった。被災と復興の過程で、カースト間の格差や分断などの大きな課題も顕在化したが、「災害弱者」とされてきた「途上国の女性」であるパタンの女性たちが、ミサ・プツァの活動の経験を活かして、主体的に復興に貢献する姿も見ることができた。しかし、さらに二〇二〇年から、新型コロナ・パンデミックが襲い、「多重災害」に苦しめられている。その中でも、女性たちは、家族のため、コミュニティのために、困難に立ち向かっている。

 本書では、二〇年間にわたって付き合い、交流してきたパタンの(とくに農民カースト集団「ジャプ」の)女性たちから学んだことを伝えたい。まず第Ⅰ部で、これまでの筆者の現地調査に基づき、従来のネワールの社会の特徴(複雑なカースト制、家父長的性格をもつ親族組織、厳しいジェンダー構造)と女性たちの生活について述べたい。

 続いて、第Ⅱ部で、内発的な女性自助組織ミサ・プツァの活動を通じて模索されてきた、家とコミュニティを基盤としたネワール女性たちの自立のプロセスとメカニズムを描きたい。彼女たちの社会的紐帯を基礎にしたエンパワメントのあり方は、「家族・コミュニティ志向」による「内発的開発」であり、西洋発の「個人志向」の(個の自立を目標とする)開発論とは大きく異なっている。ネワール女性たちの自立と自己実現の道筋は、多元的な女性の自立のあり方について教えてくれる。それは、西洋発の「開発」の理念と実践について再考させてくれるだけでなく、西洋発の「フェミニズム」のあり方についても再考を促してくれる。

 最後に第Ⅲ部で、震災とパンデミックという、多重災害に立ち向かう、パタンの女性たちの生活について紹介したい。途上国の女性たちは、災害弱者ととらえられがちであるが、中長期的には、男性たちと役割分担し、主体的に創造的復興(build back better)のために活躍している。そのベースには、ミサ・プツァの組織・ネットワークと活動の存在が大きい。ただし、災害の際にカースト間の区分と差別が顕在化することも明らかとなった。そのことについても言及したい。

 終章では、Ⅰ~Ⅲ部の内容を踏まえ、内部からの視点に立った、「開発とジェンダー」を「ジェンダー人類学」の観点から考察したい。また、パタンの女性たちの生き方を、「災害レジリエンス」の視点からも検討したい。それは、不安定な時代に生きている私たちの社会の今後のコミュニティづくりにとっても、多くの示唆を与えてくれると思う。


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著者紹介
竹内 愛(たけうち あい 岩田 愛)
1981年名古屋市生まれ。
2004年4月-2006年3月愛知県立大学大学院国際文化研究科博士前期課程。修士(国際文化)。
2006年4月-2010年3月名古屋大学大学院国際言語文化研究科博士後期課程(単位取得満期退学)。
2014年4月-2017年3月名古屋大学大学院文学研究科博士課程後期課程。博士(文学)。
専攻は文化人類学、ジェンダー論。
現在、南山大学人類学研究所プロジェクト研究員。
解説として、「ネワール族と祈りについて」『祈りの風景』(アムリット・バジュラチャリヤ写真集)(HOMONOIA書店、2009年、宮原勇共著)、論文として、「ネパールにおける女性自助組織の展開と『メディエーター』:ネワール族農民カースト『ジャプ』に焦点をあてて」(『ジェンダー研究』12号、2009年)、「ネパールの旧王都パタンにおける女性自助組織経営の展開」(『人類学研究所研究論集』6号、2019年)など。

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