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ヴェネツィアのゲットー 別巻29

商館・共同体・コンタクトゾーン

ヴェネツィアのゲットー

忌まわしい記憶を刻むゲットー。その誕生は16世紀のイタリアで、ユダヤ人のヴェネツィア社会への包摂と排除の両立が目的だった。

著者 李 美奈
ジャンル 人類学
歴史・考古・言語
シリーズ ブックレット《アジアを学ぼう》 > ブックレット〈アジアを学ぼう〉別巻
出版年月日 2023/10/25
ISBN 9784894898172
判型・ページ数 A5・62ページ
定価 本体700円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに

一 ゲットーを訪ねる視線

 1 観光地化の弊害
 2 ゲットー空間をどう捉えるか

二 ヴェネツィアのユダヤ人の歴史

 1 近世までのユダヤ史概説
 2 ヴェネツィアへのユダヤ人居住とユダヤ人隔離
 3 ユダヤ人居住区としてのゲットーの成立
 4 ヴェネツィアでの定住化

三 ゲットーの形と空間

 1  商館(フォンダコ)とゲットー
 2 ゲットーの変化
 3 多様なシナゴーグと宗教生活
 4 様々な共同体の活動

四 コンタクトゾーンとしてのゲットー

 1 ユダヤ社会の豊かな文化
 2 ゲットーを訪ねる人々とその背景

おわりに

参考文献

ヴェネツィアユダヤ略年表

あとがき

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内容説明

『ベニスの商人』のシャイロックも住んだ!?
忌まわしい記憶を刻む「ゲットー」。しかし、その誕生は16世紀のイタリアだった。隔離政策は同様だが、その目的はユダヤ人のヴェネツィア社会への包摂と排除を両立させることだったのだ……。

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      本書 より




 ゲットーと聞くと、多くの人がまず頭に浮かべるのは第二次世界大戦のナチス・ドイツの所業かもしれない。ナチスはドイツ国内のユダヤ人を異物と見做し、社会から取り出してゲットーに集めた。その目的は、ユダヤ人の身体と生死を管理し、効率的に抹殺することであった。しかし、ゲットーとは元々、その先の絶滅収容所に送るための中継地ではない。そもそもこの言葉が最初にできたのは二〇世紀のドイツではなく、一六世紀前半のヴェネツィアである。 ヴェネツィアで誕生したゲットーは、ユダヤ人を社会から取り出して一カ所に集めるところまでは同じだが、その目的はユダヤ人のヴェネツィア社会への包摂と社会からの排除を両立させることであった。ユダヤ人をキリスト教徒とは別のところに置きつつも、ともに同じ社会で生きることを可能にした政策と捉えることもできる。

 周囲を壁と運河で囲まれ、ボートに乗った役人が人の出入りを監視するゲットーは、間違いなくユダヤ人を隔離し、その行動を管理しやすくするための施設であった。しかしゲットーの壁は、決してユダヤ人の生活を制限しなかった。むしろ、キリスト教以外の宗教文化が許されていないイタリアの都市において、境界線で仕切られ、ユダヤ的な空間として画定されたことで、ユダヤ人の豊かな都市生活と宗教文化を内包することが可能となった。ちょうど劇場の舞台という区切られた空間が、むしろその中に現実世界を超えた想像力を内包するように。そうした「舞台」で華やかに動きはじめたユダヤ人の世界は、珍しい文化に関心を持つ多くのキリスト教徒の「観客」を惹きつけた。ゲットーがつくられ、そこを訪ねることでむしろ、キリスト教徒のユダヤ人理解が進んだ側面もある。ゲットーの壁は、ユダヤ人とキリスト教徒の交流を妨げることも決してなかったのである。

 ゲットーがユダヤ人の豊かな空間を実現したからといって、ユダヤ人隔離の政策を肯定する訳ではない。そもそも、近代以前と以降の隔離政策を同列に扱うことはできない。近世におけるゲットーを評価するためには、近代以前のヨーロッパにおける人間観や社会観を考慮する必要がある。近代的な市民観念が成熟しておらず、権威が揺らぎ始めているとはいえ、未だキリスト教の思想が社会のあらゆる側面を規定している時代である。その中でゲットーは、非キリスト教的、非西洋的な世界との身近な接触を生み出した場として捉えることができる。すでにヨーロッパは大航海時代を経て、アメリカ大陸やアジアの諸地域に足を踏みいれ、それまであまり知られていなかった様々な宗教や文化と接触しながら、比較の視点を育み、他者を、そして自己を規定していった。そうしたダイナミクスの中に西欧におけるゲットーも位置づけて捉えることができるだろう。

 一六世紀のヴェネツィアでゲットーが現れたということは、決して、西欧キリスト教社会がユダヤ人を受容したということではない。むしろ、他者であることをより明確にした形で西欧キリスト教社会の中に位置づけた。それゆえ、ユダヤ人には他者としての役割も押し付けられる。ヴェネツィア・ゲットーを観光しに行くキリスト教徒は、ユダヤ社会の生活の中に物珍しさ、奇妙さ、神秘的なものを期待した。また逆に、キリスト教社会が失ってしまった真なるもの、深淵なるものを探し求める者もいた。ゲットーの中では多様な活動が繰り広げられたが、そのうちのキリスト教社会と違うもの、キリスト教が持つべきでないもの、あるいは足りないものをユダヤ的な要素として捉える。そうして他者を理解・定義してしまう。

 本書では、ゲットーが包摂と排除の装置として成立し、その後豊かなユダヤ人の生活を内包するまでになり、それゆえに好奇心に満ちた視線を集め、他者として理解されるまでを描く。ゲットーの歴史にまつわる問題には、異文化理解のプロセスに一般的に言えることも大いに含まれている。しかし空間を伴うからこその問題もある。ゲットーは、西欧キリスト教社会の中で、「われわれ」の空間と区別された空間を「他者」であるユダヤ人に割り当て、ユダヤ社会の中にある個別性や多様性は二の次にして、表象されているはずの「他者」すなわち「ユダヤ性」を観察し見出す姿勢を作ってきた。本書ではこうした空間ならではの問題を特に説明することを目指したい。

 第一節では、ヴェネツィアのゲットーが成立するまでの歴史を概観する。なぜヴェネツィア社会からユダヤ人を排除しつつも包摂する必要があったのか、その背景を明らかにする。第二節ではゲットー空間の形態と変化を扱う。ヴェネツィア社会の文化多元主義的な文脈の中でゲットーを位置付け、またゲットーの中でどのようにユダヤ社会と生活が作り上げられていったかを示す。第三節では、ゲットーの中で行われていた様々な活動や文化の多様性と、ゲットーに惹きつけられたキリスト教徒たちが見出したものを、具体例をあげながら見ていきたい。運河と壁で仕切られたゲットーの空間が許したユダヤ人の生活の豊かさと、そこに寄せられた好奇の視線とを捉え、ゲットーの面白さとその問題性を示すことができれば幸いである。


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著者紹介
李 美奈(り みな)
1988年東京生まれ。
東京大学人文社会系研究科博士課程在籍。
主な業績に「シモーネ・ルッツァット『議論』に現れる近世ヴェネツィアのユダヤ教観念」『宗教研究』93巻3輯(2019年)、「レオネ・モデナ『盾と剣』と宗教改革の時代」『京都ユダヤ思想』21号(2021年)など。

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