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アルバート湖岸の生活誌  新刊

ウガンダ共和国北西部のアジール

アルバート湖岸の生活誌

動乱・内戦で追いやられた人びとが住む湖畔──驚くほど出自や生業からフリーで「生の饗宴」「不協和音」に満ちた世界だ。3月発売。

著者 田原 範子
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2024/02/20
ISBN 9784894893580
判型・ページ数 A5・300ページ
定価 本体4,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに──トランスボーダーたちのアジール

凡例

序章 アルバート湖へ
    一 アルバート湖が形成した地域
    二 暮らしのメンバーシップ
    三 語られた歴史
    四 ルンガの人びと
    五 ボーダーランドのアジール
    六 フィールドワーク
    七 本書の構成

●第一部 ボーダーランドの漁村におけるコンフリクト

第一章 生業としての漁労
    一 自然を読み解く
    二 魚を知る
    三 漁具と漁法
    四 水辺の規則
    五 漁獲の分配
    六 魚の加工と販売
    七 ルンガ・マーケット

第二章 漁労に対するグローバル・ガバナンス
    一 違法な漁法のとりしまり
    二 日常生活を支える漁具
    三 生活世界の変容
    四 グローバル市場における漁獲資源

第三章 岸管理主体としての漁労組織の変遷
    一 センターマスターからBMUへ
    二 ルンガにおけるBMUの導入
    三 他岸におけるBMU
    四 漁民たちの戦術
    五 新たな岸管理

第四章 生業から労働へ
    一 小魚灯火漁の導入
    二 生業としての漁労
    三 ビジネスとしての漁労
    四 小魚灯火漁のポリティクス

小括──石油の再発見が湖岸にもたらしたもの

●第二部 トランスボーダーの生活戦略

第五章 生業をめぐるコンフリクト
    一 代替生計手段としての綿花栽培
    二 民族間対立と隣人性
    三 土地をめぐるポリティクス

第六章 生存戦略としてのモビリティ
    一 アフリカにおける移動
    二 アルル人のモビリティ
    三 ルンガの人びとのモビリティ
    四 牧畜民パウロのモビリティ
    五 自遊空間の創造

第七章 出稼ぎアルル人の葬送と埋葬地の変化
    一 ナイロート系民族の祖霊観
    二 出稼ぎ地ルンガにおける死
    三 アルルの葬儀──ティポと生者の関係
    四 結節点としての埋葬地
    五 構築される「ホーム」

第八章 生者と死者を架橋すること──リチュアル・シティズンシップ
    一 パモラ・クラン
    二 死者祈念儀礼再生の過程
    三 再生された死者祈念儀礼
    四 死者と生者が交叉する場──リチュアル・シティズンシップ

小括──コンヴィヴィアルなアジールまたは不完全な「ホーム」

おわりに
初出論文

参照文献

索引

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内容説明

「ここでは、あなたが何者で、どこから来たのか、なぜ来たのか、誰も尋ねはしない」(漁民、40歳代)。
──動乱・内戦で追いやられた人びとが住む湖畔。そこは驚くほど出自や生業からフリーで、コンヴィヴィアリティ(生の饗宴)とカコフォニー(不協和音)に満ちた世界だ。ボーダーの果て、その深淵を体当たりで覗く。

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はじめに

トランスボーダーたちのアジール

 

 

 

 

 豊かな自然と断崖に隔てられたアルバート湖の岸辺は、多くの人びとを惹きつけてきた。

 アルバート湖は、大湖地域の最北部、アフリカ西部大地溝帯底部に位置し、ウガンダ共和国(以下、ウガンダ)とコンゴ民主共和国を隔てる国境湖、ボーダーランドにある。アルル語ではウネクボニョ(unek bonyo)、グング語ではムウィタンジゲ(mwitanzige)、湖面を渡ろうとして羽ばたいたイナゴの大群が、そのまま水中に落ちて沈んでいく様子に由来して「イナゴを殺す場所」と呼ばれる。

 大湖地域では、コンゴ動乱(一九六〇─一九六五年)、ルワンダ紛争(一九九〇─一九九四年)、コンゴ内戦(一九九六─一九九七年、一九九八─二〇〇三年)などにより、人びとは家を失い故郷を追われた。移民、難民として湖岸に避難した人びとの多くは、漁労による生活を営むようになった。ウガンダ政府が各岸辺の管理に力を入れ始めたのは一九八〇年代である。ナイルパーチやティラピアなどの漁獲資源によって外貨獲得を図るために、漁労法を変更し、違法な操業の取り締まりを強化した。またアルバート湖底の油田が再注目され、二〇〇三年に欧米資本の石油会社が参入し、湖岸一帯の道路の整備が開始した。さまざまなアクターが集う今日、開発が進むなかで、魚の流通経路は変化し、土地所有権にかかわる争議などに見られるように、各所で対立や葛藤が生じている。

 このボーダーランドの各地に赴けば、世界市場とつながり、人、モノ、資本、サービスが行き交うことで日々変貌をとげていくさまを目の当たりにすることができる。本書は、こうした加速度的に変動する場の一つ、ルンガとよばれる漁村に焦点を当てる。


 ルンガは、ウガンダ領域内にありながらもコンゴ民主共和国出身の人びとが住人の過半数を占めている。また、かつてニョロ人が統治したニョロ王国の領域に位置するが、住人の大半はアルル人である。このように地理的歴史的に複雑な背景の下で、言葉や習慣を異にする多民族が、漁労・牧畜・農業という異なる生業を営みながら共に暮らしている。

 もっとも、このユートピアのような空間もグローバリゼーションの影響を免れない。輸出可能な魚種とサイズなどの規格の一元化をもたらした結果、国家は漁労規則の厳格な適用を漁村に要請した。すると、従来の漁法は違法操業として禁止され、日常の暮らしはより困難になったのだった。これは一例だが、国家による統治や地域行政による民族間格差を利用した管理は相次いできた。これに対し、ルンガの人々はそのつど多彩な方法でそれらの諸力をかわし、他者の排除や包摂を繰り返しつつ、共同性を生みだしている。

 たとえば、頻繁に起きる漁具の盗難事件でさえも、暮らしを継続するための努力から生まれるものだと見ることが可能である。時には、事件の被害者や加害者と連帯しようとする人びとによって、殺人事件や放火事件などが起きることもある。こうした事態には地方行政組織と警察が連携して沈静化を図るのだが、権力行使によって安全が与えられることをよしとせず、ルンガを去ることを選ぶ住人も少なからず存在する。ここにみられるのは、自主自立の気風とより良い場所を捜して移動する事をいとわない姿である。

 他の湖岸を訪問すれば、必ずといって良いほどルンガの元住人に再会する。そうした時には互いの無事を喜びあい、岸辺の様子や知り合いの動向などの情報を交換するのが常である。そして、ルンガで培われたつながりは、世間話などの断片的で刹那的なものに留まらない。私たちがアルバート湖のコンゴ民主共和国側の岸辺を訪問した二〇〇九年、ウガンダから国境を超えるや否や、次から次へと警察や自警団に呼び止められ度重なる賄賂の要求にあった。それだけではなく、持ち物を押収されたり、ブニアの監獄に送られそうになったりするなどの苦難に直面した。疲れ果ててしまい、旅を切り上げてもうウガンダに帰ろうかという相談していた時、ルンガの元住人に出会った。彼らは賄賂などの要求の回避に加え、家に泊めてくれたり、土地の有力者を紹介してくれたり、さまざまなサポートを与えてくれ、無事に旅を続けることができた。

 ルンガの人びとのこのような献身性や利他的な態度は実際のところはほとんど知られてはいない。断崖の上の村やアルル人の故郷西ナイルの村に定住する人びとにとって、異質な他者と見なされている。「あそこ(ルンガ)には、故郷に帰られない犯罪者が住んでいる」「あそこ(ルンガ)の人びとはカーニバル(人食い)だ」などと噂される。だが、ここに住んでみれば、故郷の親族関係や制度の軛から解き放たれて、たとえ束の間のものであっても生を楽しむ気分が醸成されている空間であることがわかってくる。

 漁村でありながらも、都市空間にも共通するアノニマスで祝祭的な日常に彩られているルンガには、それほど長い歴史があるわけではない。にもかかかわらず、多様な人々を惹きつけるこの場所は常に開かれ、たえず人々が行き交っている。それはいかにして成立しているのだろうか。このありようを捉えようとすると、ルンガの人びとの多くが、生きるための根源的な必要、すなわち食料と安全を確保するために、故郷を離れ国境を越えて移動してきたこと、そして必要に応じて、ルンガから移動していくことに改めて注意が向く。



 ここでは、あなたが何者で、どこから来たのか、なぜ来たのか、誰も尋ねはしない(漁民、四〇歳代)。



 この語りには、故郷や生活の場から離れることを余儀なくされた人びとが、それでも生きていくという覚悟を決めた時、選びとった手段はモビリティであり、それは行為の根幹をなしているのではないかという気づきをもたらす。

 思想家フランシス・ニャムンジョは、モビリティの高いアフリカ社会で創造されるメンバーシップの根幹には、コンヴィヴィアリティがあると指摘する[ニャムンジョ 二〇一九]。「コンヴィヴィアリティは、なんとか生きていかなければいけないという必要性に突き動かされて柔軟性を持とうと試みながら生計を立てるとか、不平等から来る緊張関係と分裂を乗り越えたりする必要性からあらわれる」[ニャムンジョ 二〇一八:一八六]。この引用をルンガに照らせば、ここは、中央政府からも伝統的権威からも枠外にある人びとが、自由と安全を求めるモビリティをとおして創り上げた、いわばアジールだといえるのではないだろうか。どのような人びとも受け入れる避難所のような様相を呈するこのアジールは、異質な他者を容認するための柔軟性、コンヴィヴィアリティを内包している。

 トランスボーダーたちが作りあげたこのアジールは自然発生的に出現したのではない。人びとのモビリティは、市場経済のメカニズム、国家の統制によって形作られたものであり、さかのぼれば植民地支配による歴史的構造的文脈のなかで生みだされたものである。本書は、こうしたマクロな力に翻弄されながらも、暮らしを維持しようとする人びとの努力とコンヴィヴィアルな実践が行われるトランスボーダーたちのアジールに光を当てる。



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著者紹介
 

田原範子(たはら のりこ)
1983年、大阪薬科大学製薬学科卒業。
1984-1990年、大阪市阿倍野保健所勤務。
1998年、大阪市立大学(現大阪公立大学)大学院文学研究科社会学専攻後期博士課程修了。
2000年、大阪市立大学(現大阪公立大学)より博士(文学)(第3814号)授与。
専門はアフリカ地域研究、医療社会学。
現在、四天王寺大学人文社会学部教員。
著書として、『包摂と開放の知――アサンテ世界の生活実践から』(嵯峨野書院、2007年)。
論文として。“Conviviality Created through Resilience: Cultivating the Imagination of 'Different Others' in the Leprosaria of Japan”, in Bouncing Back: Critical Reflections on the Resilience Concept in Japan and South Africa, Tamara Enomono, Marlon Swai, and Kiyoshi Umeya, (eds.) Bamenda: Langaa, pp. 109-136, (2023).

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