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カストム・メレシン

オセアニア民間医療の人類学的研究

カストム・メレシン

カストム・メレシン(民間医療)は、西洋医療では治せない邪術や精霊による病の治療法。メラネシアにおける伝統と近代の相克を描く。

著者 白川 千尋
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2001/11/20
ISBN 9784894890053
判型・ページ数 A5・244ページ
定価 本体6,000円+税
在庫 品切れ・重版未定
 

目次

まえがき

序章

 一 本書の目的と位置づけ
 二 本書の対象
 三 調査の概要と本書の構成

第一章 西洋医療と民間医療の選択

 一 西洋医療と民間医療
 二 西洋医療と民間医療の選択
 三 西洋医療と民間医療の対処する病気の領域

第二章 カストム・シック

 一 精霊による病気
 二 死霊による病気
 三 邪術による病気
 四 ナタンガラサによる病気
 五 そのほかのカストム・シック

第三章 カストム・シック以外の病気

 一 ナマクラ語の病名をもつ病気
 二 ビスラマ語や英語に由来する病名をもつ病気
 三 カストム・シック以外の病気に対する民間医療の効力

第四章 治療技術の様相

 一 一般の人々の病気への対処法
 二 夢見を行う民間治療者
 三 問診を行う民間治療者
 四 ヴィジョンをみる民間治療者
 五 キリスト教派の動向と民間治療者の治療技術

第五章 民間医療観の位相

 一 民間医療に対する見方
 二 ヴァヌアツ政府と研究機関の民間医療をめぐる政策と活動
 三 デング熱の流行とデング熱に効く薬草の「発見」

終章
 一 オセアニア島嶼部の民間医療に関する人類学的研究との比較考察
 二 伝統的事象と西洋的事象の関係に関する人類学的議論の検討

 あとがき
 引用文献
 索引

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内容説明

ヴァヌアツ・トンゴア島民は、西洋医療では治せない病気──邪術や精霊による病を、カストム・メレシンと呼ぶ民間医療により対処している。本書は、その治療法を詳述しながら、メラネシアにおける伝統と近代の相克を描く。(第一回日本オセアニア学会賞受賞)


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まえがき  白川千尋

本書は、総合研究大学院大学文化科学研究科に提出し、それによって一九九八年三月に博士(文学)の学位を授与された学位請求論文、「カストム・メレシン││ヴァヌアツ共和国トンゴア島民の民間医療および民間医療観の現代的位相」に基づくものである。本書は、この学位請求論文に、その内容がまったく別のものになってしまうほどではないにせよ、とりわけその考察部(本書の終章に当たる)を中心として全体にわたり加筆と修正を施したものである。以下では本書を始めるにあたり、まず本書のもととなった学位請求論文の書かれた背景について触れておくことにしたい。


私がそもそもヴァヌアツとかかわるようになったのは、一九九一年四月に青年海外協力隊から派遣され、ヴァヌアツ保健省(Ministry of Health)のマラリア対策課(Malaria Control Section)で仕事をするようになってからである。当時マラリア対策課が実施していた活動の中心には、殺虫剤を浸した蚊帳をマラリア温床地の人々に配布するというプロジェクトがあり、青年海外協力隊員としての私の仕事もこのプロジェクトの業務支援が主であった。殺虫剤を浸した蚊帳の配布という手法は、一九八〇年代以降世界各地で実施されるようになった比較的新しい手法だが、マラリア対策の分野で強い関心を集めてきている。その理由としては、それまで有力な手法であったDDTに代表される殺虫剤の噴霧がさまざまな問題(蚊の殺虫剤耐性や環境問題など)から行き詰まりをみせるなか、それに代わる有効性が認識されるようになったことや、保健医療の分野における政策実施上の基本理念となっているプライマリー・ヘルス・ケア(primary health care)のうち、特に住民参加の理念に合致するものであったことなどがある。蚊帳の配布という手法を用いたマラリア対策のなかで中心的役割を担うのは行政側ではなく、受け取った蚊帳を使う個々の人々であり、対策活動を実効あるものとするためには、人々による長期にわたる適切な蚊帳の使用が不可欠となる。それゆえ、この手法は行政主導の殺虫剤噴霧などとは異なり、そもそも蚊帳を保有する人々の積極的な取り組みがなければマラリア対策として成立しないという点で、本質的に住民参加の理念と不可分な関係にあるのだ。


私の携わったヴァヌアツのプロジェクトは国内各地で好意的に評価され、蚊帳もほとんどの地域で積極的に受け取られていた。しかしその反面、とりわけプロジェクトの根幹である住民参加の面で、蚊帳の不使用をはじめとする無視し得ぬ問題もみてとることができた。このような状況のなかで、私はそうした問題を、人々の側のマラリアをはじめとする病気に対する見方や考え方との関係のなかで理解しようと思った。そのようなアプローチをとったのは、プロジェクトが優れて住民参加型のものである以上、プロジェクトの主体である人々の病気観などを無視することはできないと考えたためである。それ以降、私はマラリア対策課の仕事の合間を利用して、友人たちを相手にフィールドワークまがいのことをしながら、彼ら/彼女らの病気にまつわる世界になんとか近付こうとした。そして、そのような試みを続けるなかで、あるいは自ら重い病気を患い民間医療の恩恵に預かるなかで(このとき私の病気に対処してくれたのは本書にも後ほど登場するE夫妻である)、私は人々の病気にまつわる世界に邪術や精霊などによって媒介される領域が存在することを知った。また、こうした領域の存在ゆえに、多くの人々は西洋医療だけでなく民間医療もまたアクティブに利用していると理解するようになったのである。


しかしながら、青年海外協力隊員としての任期を終えた後、あらためてヴァヌアツを訪れ、本格的なフィールドワークに従事するなかで、私はこのような理解を見直す必要性を感じるにようになった。こうした思いをもつに至ったのは、友人たちから得ることのできた意見に負うところが大きい。民間医療に関する意見を交わすなかで、彼らは私が示した民間医療に対する理解を認めたうえで、さらに、民間医療には西洋医療によって治療することが困難なガンなどの病気にも対処することのできる知識や技術が存在すること、そしてそれゆえに人々は以前にも増して民間医療を使用するようになっていることなどを指摘してくれたのであった。


一方、そうした友人たちの意見に接するなかで、私は民間医療に関する従来の自分の理解について、友人たちから完全に否定されたわけではないものの、ある種の危惧の念を抱くようになった。人々の病気にまつわる世界に近付こうとした私は、普段の私にとってあまり縁のなかった邪術や精霊の領域を人々の側に独自の世界とみなし、ことさらそれに目を向けるようになっていた。そして、それとの関係のなかで民間医療を捉えようとしていた。しかしその結果、私は民間医療を、邪術や精霊の領域のみに特化した西洋医療とはまったく異質なものと位置づけてしまっていたのではないか。このような問題意識は、近年人類学を取り巻く世界において盛んに論じられているオリエンタリズム批判に端を発した異文化表象、あるいは他者表象をめぐる議論とも、自ずと重なってくるものなのかも知れない。しかし、そのような学的動向に無自覚であったわけではないが、先に述べた問題意識は直接的にそこから派生したものというわけではなく、むしろ本書の直接の舞台であるトンゴア(Tongoa)島や首都のポートヴィラ(Port Vila)での友人たちとの語らいをとおして育まれてきたものである。


以上に素描したように、そもそも本書のもととなった学位請求論文は、国際医療協力の現場で培われたそれまでの自分の民間医療に対する理解を相対化しようとする試みのなかで形をなしてきたものと言える。その試みが十分な成果をともなっているかと言えば、論文を執筆してから四年以上が経過した今となっては不十分な点ばかりが目に付き(文章の拙さは言うに及ばず)、甚だ心もとない限りである。しかし、そのようなものではあるにせよ、この論文が、肯定的な形であれ否定的な形であれ、現在の私の研究の礎石となっていることは疑いようもなく、原形をとどめた形でここに本書として提出する次第である。


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著者紹介
白川千尋(しらかわ ちひろ)
1967年、東京都生まれ。
総合研究大学院大学文化科学研究科地域文化学専攻修了、博士(文学)。
現在、新潟大学人文学部助教授。
論文に、「ナヴァカマティとしてのカストム-ヴァヌアツにおけるカストムの様相」
(『民族学研究』、2001年、66巻2号)など。

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