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汀江流域の地域文化と客家

漢族の多様性と一体性に関する一考察

汀江流域の地域文化と客家

客家の祖地の一つとされる汀江流域。その言語、地理、産業の特徴を踏まえて地域文化の生成過程をたどり、客家文化との異同を検証。

著者 蔡 【リン】
ジャンル 歴史・考古・言語
社会・経済・環境・政治
出版年月日 2005/10/30
ISBN 9784894890213
判型・ページ数 A5・350ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

序章 本書の課題と研究対象
 第一節 本書の課題
 第二節 本書の研究対象

      ●第一部 汀江流域の地域文化の特徴────

第一章 汀江流域の地域文化と客家文化
 はじめに
 第一節 汀江流域の地域文化集団と客家
 第二節 汀江流域の客家の独自性
 第三節 汀江流域の客家の多様性
 おわりに

第二章 汀江流域の客家文化と山地文化
 はじめに
 第一節 「上海開港」以前の汀江流域の交通状況と地理的位置
 第二節 汀江流域の資源
 おわりに

第三章 汀江流域の客家文化と農耕文化
 はじめに 
 第一節 農業および住民の経済生活
 第二節 鉱業および住民の経済的生活
 第三節 手工業、流通業等と住民の経済生活
 おわりに

      ●第二部 汀江流域の地域文化の生成過程────

第四章 先住民文化の漢族文化との融合および変容
 第一節 汀江流域の先住民文化
 第二節 汀江流域の先住民文化と中華的文化秩序
 第三節 漢族文化との融合による先住民文化の変容
 おわりにかえて──汀江流域の先住民文化の変容と元朝の統治

第五章 汀江流域の共通語としての客家語と鉱業
 はじめに
 第一節 客家語と鉱業とのつながり
 第二節 汀州話の形成と宋代汀州の鉱業
 第三節 客家語地区の分布と唐宋時代の主な鉱産地
 おわりに

第六章 地域文化集団の統合および漢化と科挙
 はじめに
 第一節 汀江流域における科挙の展開
 第二節 エスニックグループの文化的一体化及び漢化と科挙
 第三節 藍、雷、鍾三姓氏住民の漢化と科挙
 おわりに

終章 客家とSAN-HAK
 はじめに
 第一節 三種類の「客家」
 第二節 「客家」名称の由来と元の意味
 第三節 客家のSAN-HAKからの離脱

あとがき
主要参照文献
写真・図表一覧
索引

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内容説明

客家の祖地の一つとされる汀江流域。その言語、地理、産業の特徴を踏まえて地域文化の生成過程をたどり、いわゆる「客家」文化との異同を検証。さらに先住民族文化の統合と漢化の動因を探りながら、客家形成の真相に迫る、野心的論考。


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序章 第二節 本書の研究対象

 

本書は汀江流域の地域文化の特徴と生成過程を研究対象とする。汀江流域は北端が江西に、南端が広東に隣接する。現在その地に長汀、連城、武平、上杭、永定、大埔といった六県があり、そのうち、大埔県のみが広東省梅州市、他は福建省龍岩市に属する。

福建、広東、江西三省の境界地域は客家の中心的居住地であり、客家の形成地ともされる。この地域は「三江流域」とも呼ばれる。その「三江」とは、江、梅江と汀江である。筆者は「三江流域」の中で汀江流域を研究の対象地域として選んだのはなぜと聞かれたことがあるが、この選択は偶然ではなく、主に次の諸点に基づく。

 

第一に、汀江流域が独特な地理的環境を有することである。当該地域は山間地でありながら、川一筋で海に直接つながる。しかも、その海口の潮州・汕頭一帯は、歴史上、とくに明清時期に内外貿易が盛んな所であった。二〇世紀に至るまで、汀江流域は長江流域と潮汕地域、内陸と南洋を結ぶ交通の要衝であり、海洋経済を中心とする潮汕経済圏に巻き込まれていたのである。中国大陸においては、普通の山間地とも平原とも異なり、沿海でも内陸でもない「山海連結」と比喩される山と海が繋がるという地理的特徴を持つ地域は、汀江流域とその隣の梅江流域ぐらいしかない。そして、汀江と梅江両流域は、まさに客家の中心的居住地である。それ故、汀江流域の地域文化の特質や生成過程を実証的に考察することは中国文化の多様性への認識にも、客家文化の地域性の解明にも意味ある作業となろう。

 

第二に、梅江流域の住民を含む客家と自称する人々のほとんどは汀江流域を先祖の故郷とすることである。客家語は客家人の母語であるが、しかし、客家語を母語とし、なおかつ客家アイデンティティーを持つ人々は、漢族の客家のみではない。彼らは、民族アイデンティティーにおいて漢族と非漢族とに分かれ、さらに一九五〇年代以降、民族所属は行政的には漢族と族に分けられている。ところが、ここで特に注目に値することは、漢族の客家であれ、族であれ、そのほとんどは汀江流域を「祖先が住んでいたところ」としており、さらに汀江流域を祖先の故郷とする族の人々も客家と自称する点である。これらのことから、かつて汀江流域に住んだ客家の先祖の民族アイデンティティーが非漢族から漢族へと転換があった可能性が見えてくる。だとすれば、汀江流域の地域文化の特徴と生成過程を検討することは、漢族文化の多様性と一体性を生み出すカギでもあり、客家文化の地域性の解明につながることになる。

 

第三に、汀江流域が独特な開発史を持つことにある。時期的には、当該地域の開発は唐宋時期からであり、全国的に見ると遅いほうであり、周囲の地域にも遅れていた。その開発の背景は、唐宋時期、とくに宋代の官営鉱業に関わっている。一方、言語学者によれば、客家語は宋代頃に汀江流域一帯で形成されたのである。客家語の形成、官営鉱業の繁栄と汀江流域の開発という三者の関係を明らかにすれば、客家形成の背景と客家文化の地域性の解明も進むことになろう。

 

なお、本研究では、汀江流域以北に位置し、行政的に福建省三明市に属する寧化、清流、明渓(一九三三年までに県名は「帰化」)三県も考察の範囲に入れることとする。寧化、清流、帰化、長汀、連城、武平、上杭、永定八県は歴史上、一つの地域となっていたからである。千数百年の歴史を持つ汀州(府)がこの八県より構成されていたことから、この地域は「汀州」と称されていた。また、汀州が福建西部にあることから、この地域はいまでも「西」と呼ばれている。以下に、本書に使われる「汀江流域」、「汀州」、「西南部」、「西北部」、「汀江流域の福建側」、「汀江流域の広東側」などの範囲を記しておく。

 

「汀江流域」=長汀、連城、武平、上杭、永定、大埔六県

「汀州」=「西」:寧化、清流、帰化(明渓)、長汀、連城、武平、上杭、永定八県

「西南部」=長汀、連城、武平、上杭、永定五県

「西北部」=寧化、清流、帰化(明渓)三県

「汀江流域の福建側」=「汀江流域の西地域」:西南部の五県

「汀江流域の広東側」=大埔県

 

筆者は一九九七年二月から三月にかけてと一九九九年一二月の二回にわたって汀江流域諸県と寧化、清流に赴いた。現地の図書館や村民の家において関係する地方志や族譜を調べ、地元の客家研究者と学問的情報を交換し、多くの地元政府の幹部や、さらにより多くの一般の客家人、族人及び軍家人の人々に話を聞き、古い祠堂、廟宇や鉱山及び書坊の遺跡を訪ね、鉄器造り専業村、建築専業村、石炭村、族村、「軍家人」村、土楼村など特色ある村を重点的に調査した。本書に用いる資料の多くは、こうした調査より得たものである。また、一九五〇年代以来中国大陸の族識別調査のリーダーで、族研究の第一者である中央民族大学教授の施聯朱から教示を受け、貴重な第一次資料を入手したこともある。調査が進み、汀江流域の地域文化への理解が深まってくるにつれて、この地域を研究対象として選択したことは間違いではなかったとの確信がますます強まってきた。

 

なお、本書の構成は次の通りである。第一章では汀江流域に用いられる主要な方言及びその使用主体間の相互関係と、福建、広東、江西三省の境界地域の各地に用いられる客家語およびその使用主体のエスニック・アイデンティティー間の差異を考察し、汀江流域の地域文化集団の独自性およびその内的多様性を明らかにする。第二章では上海開港に至るまでの時期における汀江流域の交通状況と資源状況を検討し、客家文化としての汀江流域地域文化を生み出した地理的環境の特徴を分析する。第三章では汀江流域の地域社会の経済的基盤を築いた産業を確認し、これを主要な手掛かりとして当該地域の住民の生業形態の特徴を検討し、同地方の地域文化としての客家文化の非農耕(民)型の文化的性格を明らかにする。このように第一、第二、第三の三章は汀江流域の地域文化としての客家文化の実態と、従来の客家研究から提示された客家像および客家文化論とのズレを明らかにする。

 

続く第四、第五、第六の三章はかつて汀江流域にあった非漢族文化である先住民文化の漢族文化への変容、漢族文化としての汀江流域の地域文化の生成過程の解明を目指す。第四章では、先住民文化の変容=地域文化の生成=かつて汀江流域に住んだ諸エスニックグループの統合と漢化の過程における質的転換を検討する。第五章と第六章では、鉱業と科挙をその転換を促進した重要な推進力として、両者の働きをそれぞれに明らかにすることを試みる。そこから客家語の形成背景と客家の共同先祖の観念「寧化(石壁)伝説」について仮説を提示する。そして終章では、汀江流域の地域文化集団の名称である「客家」の由来を探究し、その上で、客家形成の真相の解明を試みる。

 


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著者紹介
蔡 【馬+米+舛】(さい りん、Cai Lin)
1954年、上海市に生まれる
1982年、北京師範大学哲学士
1987年、華東師範大学哲学修士
1993年、東洋大学修士(社会学)
1998年、一橋大学修士(学術)
2001年、一橋大学博士(学術)
現在、同済大学文法学院副院長、副教授

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